第3章20話 呉越同獄②
今にも命を奪われようとしていたのに顔色一つ変えなかったゼレットが、テルの口から『獣』と『契約』と発せられただけで、顔中の皺を寄せて、嫌悪感を前面に押し出す。
飄々と気取った態度が気に食わなかったテルは、そんなゼレットの豹変具合に、敵意が鈍る。
「そっかぁ、そりゃあ魔人が嫌いになるよ……。ボク的に関わりたくない魔人ランキング第三位と第二位だよ。同情もするさ」
「仲間じゃないのかよ……」
「意外と君って、学級が同じってだけで友達って言えるタイプ?」
ゼレットのもっともな例えに、テルは反論を詰まらせる。
「確かに同じ魔人十三議会だ。だけど、あの連中を仲間だ友達だなんて、一度たりとも思ったことがないよ」
「……そうだったとしても、お前たちは好きで人を殺すんだろうが」
苦々しく口を開くテルの脳裏には、二つの下卑た笑みがよぎっていた。血に塗れ命乞いをするテルに満面の笑みで加虐し続ける『獣』の魔人ティヴァ。そして、一貫して薄ら笑いを崩さず、リベリオを死に追いやったクォーツだ。
「ボクは自ら望んで人殺しはしないよ?」
「殺さない訳じゃないんだな」
「それはまあ、お仕事だからね」
ゼレットの中途半端なスタンスに、テルは苛立ちと軽蔑が混ざった視線を向ける。ゼレットもそのどっちつかずを自嘲するように鼻を鳴らすと、繋がれた鎖が笑うように音を立てる。
「目についた人間を例外なく片っ端から殺していくクレイジーな魔人もいるけど、ボクの感覚で言うとそっちのほうが少数派だし、少なくとも僕は人を極力殺したくない」
「やりたくないなら従うなよ」
「ごもっともだが、そうもいかないんだよ」
テルの言葉に、今度は笑ったゼレット。その瞳は、言えない事情を察してくれと言わんばかりだ。
「僕にも人類を心から恨む気持ちはあるんだよ。博愛的な欲求と、虐殺を望む憎しみが、矛盾している衝動が同時に居座っている。きっと魔人の多くは人を少なからず愛しているんだ。愛しているから憎むんだよ」
「何を言いたいんだ」
「在り方の話さ。これが人という名を冠しながら人に仇なす裏切り者、魔人という存在の歪さだよ」
ゼレットの自己満足のためだけの語りは、テルの理解も共感も求めていない。しかし、『少なからず愛している』などという戯言は、他者の命を奪うことも許してやれと言われているようで、テルは奥歯を噛み締めた。
「お前らの自己哲学なんてどうでもいい。自分の行いをどう正当化してるかを話されようが、不愉快でしかない」
「辛辣だなあ。でもいいの? 魔人と二人きりで腰を据えて話ができる機会なんて、そうそうあるもんじゃないよ。飲み屋で語れば誰だって食いつく鉄板トークだ」
「そんなことッ————」
興味はない。そう言い放とうとしたテルは、ぎりぎりのところで思いとどまった。
どうしてこれほど自分に粘着するのかはわからない。何か裏がある可能性も高い。それでも、魔人の持つ情報を聞き出すことができれば。
そんな思いでテルは、苛立ちを鎮めるように息を整えて、ゼレットの前に座った。ゼレットは意外だったようで目を見張ったが、すぐに気取った笑みを浮かべる。
「じゃあ、一つ。いや、やっぱり二つ聞きたいことがある」
「どうぞ何なりと」
「何故レイシアを狙う」
「さあ、わかんない」
「ふざけるのも大概にしろよ……!」
自分から対話を誘っておいて、白を切るゼレットに、テルは思わず怒りが漏れだす。しかし、ゼレットは焦ったように鎖を鳴らしながら腕を振るう。
「待って待って、本当に知らないんだ。ボクは命令を下されただけで、その理由も意義も聞かされてないし興味ないんだよ」
必死に訴える姿に嘘を吐いている様子はなく、テルはため息と共に前に出した体をもとに戻す。
「使えないな……」
「むむ、聞き捨てならないぞ」
「二つ目だ」
自らをエリートと名乗るためか、使えないという言葉に目くじらを立てる魔人。好きにさせると騒がしくなる予感を察知したテルはもう一つの本題に切り替えた。
「『呪い』について教えて欲しい」
次に口にしたのはニアの事だった。ノーラントが一度言っただけの、ヒルティスでさえ知らなかった『獣の呪い』という言葉。それはいつだって頭の片隅にあった。
シャダ村で遭遇した怪しげな包帯男は、王都でそのヒントが得られると嘯いたことをテルは忘れていなかった。初めからあまりあてにしていなかったが、実際その機会は訪れたのだ。
「ここにきて出る話題がそれなの!?」
しかし、間を置いたテルの言葉に、ゼレットが不自然なほどにオーバーな返しをした。
その言動に振り回せれてきたテルはまともに取り合うことなく続ける。
「知ってるなら話が早い。どうすれば呪いは解くことができるのか教えてくれ。呪いは魔人に関係してるんだろ」
「うーん、解呪の方法ねぇ。呪いを振りまく魔人は知ってるけど……」
「その魔人を倒せば解呪はできるのか?」
「ボクの知る限りあの人が負けたことなんてないからなぁ」
弱々しく言うゼレットに、苦い表情を出さないように堪え、「でも可能性はあるんだよな」とゼレットに迫る。
ニアを呪いから解放するのが簡単なことだとは思っていなかったが、凶悪なものであると知れば知るほど、彼女の肩に乗る苦難が大きくなっていくようで、心苦しさが増す。
「まあ。死んでなお持続する異能なんて聞いたことがないから、ないとは言えない」
「そうか……」
確実とした肯定を得ることはできなかった。しかし、何もわからなかったときからすれば、これは間違いなく大きな進歩だと、自らに言い聞かせる。
『獣の呪い』を解くために、『獣』の魔人を倒す。
それが、テルにできるニアを救う術だ。
「まあ、色々ためになったよ」
「うんうん、それは何より————ってボクの手錠は!?」
満足したことを伝え立ち上がったテルは、ゼレットに背を向けたところで、呼び止められた。
「外すわけがないだろ」
「何を言ってるんだお前は」と表情で語られたゼレットは、心が打ち砕かれたような顔でテルに縋りつこうとするが、足に繋がった鎖が伸びきってテルに手が届かない。
「そんな、約束と違うじゃないかあっ!」
「外してやるなんて一言も言ってないだろ」
「後生だからぁ……!」
自分をエリートと名乗るようなゼレットが、今にも溢しそうなほど涙を湛えているのがどこか滑稽だった。
泣いて懇願する魔人とそれを薄っすらとした笑みで見下ろすテル。どちらが悪者かわからない状況を自覚したテルは、短く息を吐いて牢屋の外に向かう。
「お願いだぁっ!出してくれぇぇえっ!」
「はあ、轡でも嵌めておくか」
「極悪人っ!!!」
そう罵られてしまっては、そう振舞うしかあるまいと開き直り、ゼレットを黙らせにかかるテル。ゼレットは、数少ない自由に動かせる首をぶんぶんとふり、それを拒絶する。
「じゃ、元気でな」
「やめっ、やめてくれっ。あ、そうだ提案がある! 絶対君も納得してくれるような交渉を思い付いた!」
「?」
それを口に出してしまう時点で、あまり上等な交渉ではないような気がしたが、気になったテルは、轡を持った手を止めた。
「この王都で一番安くてうまい店を教える! だから、コレ、外して……?」
「………はあ、普通そんなことを交換条件にするか?」
あまりにもバカバカしい提案に一瞬茫然としてしまったテルは、呆れてため息をついた。
「お前がそこまで悪い奴じゃないってことは伝わったよ。ほら、その店教えろ」
「え、ほんと!? 二十番区のサンビョー軒っていう————むごご、んんんっ」
「おっけー、ありがと。それじゃあ牢獄生活楽しめよ」
「ふごっ、むんんんん!!!」
おすすめの飯屋を聞くだけ聞くと、問答無用で口を封じたテルは、爽やかな顔でゼレットに手を振る。
「普通に考えて、レイシアを狙ってるやつを開放するわけがないだろ」
そうきっぱりと言い放つと、大きく目を開いたゼレットが力なく地面に倒れた。
レイシアを諦めるとは、決して口にしなかった潔さは嫌いではないが、敵は敵である。
騙した罪悪感はなくはない。些細な心のもやもやが気に罹ったテルは、首だけを後ろに向けて口を開いた。
「ま、名前だけでも教えてやるよ。俺はテル。もう会うこともないだろうから忘れてもいいぞ」
そうして清々しい気持ちで、閉めたドアを再び施錠する。先ほどの騒ぎで誰も駆けつけていないこと、そして、ゼレットも怪しい動きをしている気配がないことを確かめると、テルは地下牢を駆け抜けた。




