第3章19話 呉越同獄①
「なんで、魔人が……!?」
目を大きく見開いたテルは、牢屋でおとなしく座り込む魔人をまじまじと見つめた。「お恥ずかしながら、一本取られてしまってね」と、頭を掻くゼレットを無視してヴァルユートがテルの疑問に答える。
「昨日、貴様らは煙幕を張って逃げている最中、俺は魔人と交戦し、そして拘束した」
「魔人に勝ったのか……?」
テルも食らったあの初見殺しの雷撃を、魔人ゼレットも同様に食らったのだと気づいて、合点がいく。
「でも、何で俺が魔人と同じ牢に入らないといけないんだ」
男の肩から降ろされたテルは、勢いよくヴァルユートに目をやり、不満を言う。すると、ゼレットは「孤独と退屈から解放されてボクはラッキーだけどね」と軽口を言うが、テルは無視してヴァルユートの言葉を待った。
「自覚が足りていないようだな。貴様は王女を誘拐するという大逆と犯したのだ。どうして魔人よりマシな処遇を望めようか」
「くッ……。俺が獄中で惨殺されようとお構いなしってことかよ」
「この牢屋は特別製だと言っただろう」
「は?」
「コレは魔人を収容するために作られた牢屋だ。魔力を消失させるという極めて希少な鉱石でできている。人間であろうと魔人であろうと、この牢の中ではあらゆる魔力行使は不可能だ」
そう言うと、ヴァルユートは伸ばした指を牢の中に向けて魔力を凝縮させた。テルに電撃を食らわせてときよりもはるかに高い密度で、直撃すれば絶命してもおかしくない電撃。それを躊躇なく牢の中にいるゼレットに放った。
轟音と閃光が、不規則な軌道で魔人を襲う。
圧倒的な破壊を招くはずだったその一撃は、牢獄にただ一つの傷さえつけることも叶わぬまま霧散し、中のゼレットは涼しげな表情で肩を竦めていた。
「見ての通りだ。俺の権能でさえ霧散する。手足を縛られた魔人に食い殺されない限り、命の危機は————ッ!」
「——————ぐッ、あ!」
余所見をしたヴァルユートに、屈んでいたテルが全身をバネのようにして飛び掛かった。当然、ゼレットと同じように手足の自由を奪われていたテルは、思った通りに動くことができず、脇に控えていた大男がテルを乱暴に押さえつけた。
「つッ……」
「よくも無策で乗り込んできたものだな」
顔を地面に押し当てられるテルに、冷たく言い放つヴァルユート。テルは碌に言葉を返すこともできず、険しい視線を向けるだけだ。
テルは成す術もなく牢屋に放り込まれると、重々しい音とともにドアが閉じられた。
「明日にお前たちのごうも……尋問が始まる」
「そこで言い直しても意味ないでしょぉ」
「口を割るなら早い方が互いのためだ」
それだけ言い捨てると、二人分の足音は遠くなっていった。
「あーあ、いっちゃった」
鉄格子にしがみついて暢気な言葉を発したゼレットは、首を伸ばしてヴァルユートが遠ざかっていくのを見ていた。
多少の余裕のある足枷をじゃらりと鳴らして冷たい床に座ると、床に倒れたままのテルに目線を移した。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったね」
首の角度を曲げて、苦しそうな体勢でテルの顔を覗き込んだゼレットがにじり寄る。
「ボクはゼレット。魔人十三議会が一席にして、『圧力』の魔人だ」
「……」
三度目になる名乗りは、テルに自己紹介を促しているのは明らかだった。顔を逸らし続けるテルをまるで気にすることなく、接近してくる。
「ルームメイト君、君の名前は?」
「……言う訳がないだろ」
いよいよ、芋虫のように体を捩じり、テルと同じような姿勢になっていたゼレット。しかし、テルにつっけんどんな態度に、体を起こすと、小さく肩を竦めた。
「仲良くなりたかったのになぁ」
テルの拒絶の意思を初めからわかっていたゼレットは、特に気にした様子もなく元の位置に戻った。
テルは、魔人の笑えない冗談を努めて無視し、手元に神経を集中させる。
カチッ。
「あ」
金属が小さくぶつかる音がして、突然声を上げたテル。
「どうしたの、ルームメイト君。話しをする気になった?」
「鬱陶しいぞ」
厳しい言葉を吐き捨てると、テルは僅かに痛む体を、慮るように立ち上がった。その手には、手錠はついていない。
「はあ、やっとこれで身動きが取れる」
テルは手にした『オリジン』製の針金を満足げに眺めながら、息を吐いた。
魔法を封じる牢獄と聞かされたテルは、咄嗟に針金を創り出した。目の前で堂々と作れば、目論見が露呈する可能性もあったため、わざと暴れて、注意を逸らしたのだ。
「えぇっ!? すごい、どうやったん——————むごごご!」
「うるさい。人が来るだろ」
テルは騒ぎ始めたゼレットの口を押さえ付ける。ほとんど反抗することのできないゼレットが窒息しかけて静かになり解放すると、大きく息を吸い込んだ。しかしその眼差しはまだ好奇の色で染まっている。
「成る程、君も異能持ちか」
「お前には関係ない」
黙りはしないが声を潜めるゼレットから視線を外し、ドアの錠前に手をかけるテル。針金を駆使して鍵を開けていると、案の定、背後でゼレットが囀る。
「ねえねえ、ボク昨日からずっとこの姿勢で全身が痛いんだ。こっちを先に外してくれない?」
ゼレットが言い終えると、再びかちりと金属音がした。ドアの鍵が開かれたのだ。
テルは既に城に潜入した目的を果たしていた。レイシアの幽閉されていた理由を、聞き出すことはできなかったが、レイシア自身がそれを知っているという、大きな手掛かりを得たのだ。
それがまた別の困難を控えていることはさておき、テルには今優先して向かうべき場所があり、こんな牢獄には初めから用事などないのだ。
「お前、そろそろ黙れよ」
しかし、鍵を開けたテルは、ゆっくりと振り返ると只ならぬ憎しみを持った視線をゼレットにぶつけた。
リベリオを殺した魔人とは、別人ではあった。しかし、紛れもなく『契約』に類する邪悪な魔力を持ったゼレットを前に、テルは努めて冷静さを保っていた。
「俺はお前らに大事な人を殺されたんだ。なのにどうしてお前は自由にしてもらえると思っているんだ」
「それはお気の毒に」
「お前……」
肩を竦めた白けた返事に、テルの頭の中の熱が増した。
こんな魔人は放っておいて、早く脱出するはずだった。それは、こいつを放置していても、いずれ処刑になる定めが、ほぼ揺るがないと言えたからだ。
「何で、そんなに、他人事みたいな顔ができるんだよっ……!」
だが、テルの中で、目の前の邪悪を放置する理由が失われていく。
テルはドアを開けて一歩、牢獄の外に出ると、その手に剣を創り出す。
「だって事実、ボクとは関係のない話じゃない」
「チッ……」
その剣が、自分の命を奪うために拵えられたものであることはわかっていただろう。だというのに、ゼレットは虫唾の走る物言いを変えようとしない。
テルは剣を握り直して、一歩一歩魔人に踏み寄る。あとで騒がれても面倒だし、今、片を付けるのが一番合理的だと、自然体の紫髪の男を見据える。
「でもさ、君の言い分に寄せるなら、僕の両親も人間に殺されたよ?」
「……っ、だとしてもだろ。喜んで人を殺すようなお前らを、見逃せない」
テルは切っ先を魔人の喉元に向けた。近づくとわかる。魔人は冷汗一つ流していない。
「おやおや、随分と嫌われてるね。一体、君はどの魔人に関わってしまったのかな?」
「……『獣』と『契約』」
「え“っ」
剣を目の前に突き出されても表情を変えなかったゼレットだったが、急に顔の皺をくしゃっと寄せて、嫌悪感を滲ませた表情になった。
「うっわ、可哀そ、最悪じゃん」




