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第3章17話 空中庭園

 暗い道を歩く。既にこの通路を歩くのは三回目となっていたが、慣れにはまだ程遠く、内心の恐怖を押さえつけているためか歩幅は小さい。


 テルは、今、一人で大図書館の隠し通路に入り込み、レイシアの部屋に向かっていた。

 ブラックガーデンとの会話の末、自分の悩みがお節介に過ぎないと自覚した上で選んだのは、お節介を突き詰めるため、それに付き纏う懸念を払拭してしまうことだった。


 つまりは、国王との直談判だ。


 どこまでも続いていたように思える真っ直ぐな道もやがて終わり、ささやかな自然光が差し込む階段を上る。

 偶に出会う狭い窓からは、青空と賑わう王都が広がっていた。


 階段を最後まで上ると、重そうな石の扉が待っている。隣のレバーを引くと、また重そうな音とともに、扉が開かれた。


「やはり、来たか」


 その先で、テルを待っていたのは予想外の声だった。


「到底正気とは思えないが、こちらとしても話が早い」


「どうして、ここに……!?」


 冷静な声と視線をこちらに向けるのは、皇太子ヴァルユートだった。昨日は戦闘に向いた格好だったヴァルユートは、今は私服を身につけており、単純な作りの椅子に腰を下ろしている。

 咄嗟のことに剣を構えようとするテル。しかし、目の前の相手は鷹揚とした口調で制する。


「話し合いをしにきたのだろう、剣は仕舞っておけ」


「何でここにくることを……」


「それも含めて、お前に話そう」


 昨日とは一転、穏やかな対応にテルは困惑が隠せず、疑問と不確実な推測が頭の中を駆け巡る。


 きっと何か裏があるはず。しかし、何か裏があるとしてもここまで丸腰でいられるだろうか。昨日の魔人との戦いはどうなったのか。どうしてこれほど動向を見透かされているのか。


 緊張を露わにしているテルに、ヴァルユートは急かすことなく椅子にかけたままその答えを待っている。


 裏があったとしても、やることは変わらない。


「わかった」


 結論を出したテルが簡潔に答える。ヴァルユートは、僅かに口角を上げると椅子から立ち上がった。


「付いてこい」

 

 ヴァルユートはそれだけ言うと、隠し扉ではない出口に向かう。テルは緊張を生唾とともに飲み込むと、あとに続いた。



 カナン王城は、大きな尖塔とそれを取り囲む四つの尖塔で構成されている。そんな塔たちにはいくつもの渡り廊が存在するが、特に目立つのが、王城の中腹にある全ての尖塔を繋いだものだろう。

 日当たりのよく樹木や花壇が植えられたそこは、まさに王城の空中庭園と呼ぶべき場所であった。


 ヴァルユートに連れられたテルは、言葉の一つも交わすことなくその場所に連れてこられると、中央にある屋根の豪華な東屋に座らされた。


「茶のひとつも用意できずにすまない」


「……別にいらない」


 テルの斜めに座ったヴァルユートが、リラックスしたように足を組む。冗談を言える雰囲気でもなかったが、美しい庭園のせいでテルもどこか棘を抜かれているような返答をした。


 お互いに出方を探るような沈黙はしばらく続いた。鳥のさえずりや葉っぱの擦れる音だけが聞こえる、場違いに穏やかな静寂を破ったのはヴァルユートだった。


「そういえば、名前を聞いていなかったな」


「……テル」


「では、テル。レイシアの居場所を教えてもらおう」


 唐突に始まった尋問は、やはり場違いで緊張感に欠けている。


「先に俺の質問に答えろ」


「……」


 テルの発言に、ヴァルユートは眉を上げた。今更、敬語を使わないテルに腹を立てたのかもしれないが、こんなところで不敬罪を怖がっていても仕方がない。


「……どうして、俺の動向を知っていたんだ?」


 テルの鋭い視線がヴァルユートに向けられる。


「俺が城に来ようと決めたのは、今日の朝だ。誰にも話してない。ヴァルユートはどうしてあの場所で俺を待っていたんだ」


「……ふむ」


 ヴァルユートは息を漏らして口もとに手を添えると、テルから視線を外して考え込むようにした。


「国家機密故に詳しくは答えられないが、占いのようなものだと思って欲しい」


「ふざけてるのか……」


「それで質問は終わりか?」


「まだだ」


 内心テルは舌打ちをした。相手のペースに乗せられ、こちらのしたい話が思ったようにできていない。今の質問はあくまで様子見のものだったが、このまま本題も煙に巻かれてしまえば、城にまできた意味が全てなくなってしまう。


 心理戦などテルにはあまりにも分の悪い戦い。だが、テルはこの答えさえ、聞くことができれば目的は果たされるのだと、自分を明確に定め、息を吸った。


「どうして、レイシアを監禁していたんだ」


 意を決したテル。しかし、予想通りだったのだろうヴァルユートは表情を崩さない。


「全部、聞いた。レイシアが生まれてすぐに死んだことにされ、それ以来、ずっとあの部屋で寂しく不自由に生きてきたんだって」


 脳裏に駆け巡ったのは、レイシアが自分の境遇を打ち明けたときのことだ。

 死んだはずの王女が、私は幽霊じゃないよ、と必死に冗談を口にするレイシアの悲壮感は、筆舌に尽くしがたい。


「理由も告げずに閉じ込めるだなんて、どうしてそんな残酷なことができるんだ。お前は、妹があんな理不尽を強いられて、何も思わなかったのか」


 テルの訴えに、ヴァルユートは無言を貫く。あくまで冷静を気取る皇太子を前に、テルの頭は更に熱を帯びる。


「レイシアがどれだけ苦しい日々を過ごしてきたのか、想像できないのかよ。何で平気な顔で一人の人生を奪えるんだよ!」


 テルの糾弾は勢いを増えれば増えるほど、ヴァルユートのさめざめとした感情が際立っていく。


「あの子は、友達と一緒にご飯を食べただけなのに、たったそれだけのなんでもない平凡な一日を『人生で一番幸せ』って言って、泣いてたんだぞ!」


 声を荒げたテルは怒りで震える体を抑え、ヴァルユートが口を開くのを待つ。


「一つ確認させて欲しい」


 しかし、目を合わせたヴァルユートが口にしたのは、


「レイシアは、自分が閉じ込められている理由を知らないと言ったのか」


 そんな不可解な質問だった。


「は?」


「何度も言わせるな。レイシアが、『自分が幽閉される理由を知らない』と言ったのか?」


 質問の意図が分からず、テルは当惑を隠せないまま「ああ」頷く。すると、ヴァルユートは「そうか」と冷めた様子で言う。


「全く、つくづく中途半端な愚妹だ」


 勝手に納得したような顔をしたヴァルユートは立ち上がると、テルに背を向けて一人歩き出した。もはや、テルのことなど眼中にないように。


「お前、どこに行くつもりだ。俺の質問に答えろッ!」


 呼び止められたヴァルユートは、呆れたようにため息をつくと、おもむろに振り返る。


「貴様の質問に対する俺の答えは、教えることは何もない、だ」


「……なんだと?」


 ヴァルユートは興味を失った視線でつまらなそうに言い放つ。テルは、その意味を飲み込むと、ヴァルユートに鬼気迫る表情を向けた。


「言葉の通りだ、テル。何も知る必要がないし、その資格もない」


「……ッ」


 勢いよく立ち上がったテル。初めから簡単に教えてもらえるとは思っていなかったが、弄ぶようなヴァルユートの言動が、テルの逆鱗に触れた。


 ヴァルユートから発せられる魔力。それは紛れもない敵対行動であり、同時に修正不可能の対話の決裂を意味していた。


「てめぇ……」


「貴様は、俺に対して怒り抱くことさえ、見当違いだ。なぜなら——————」


 剣を創り出すテル。それに対し、ヴァルユートはポケットに手を入れたまま、決定的な言葉を口にした。


「レイシアは、全て知っているのだから」


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