第3章16話 余計なお世話②
どこまで事情を知っているのか、そんな不安がテルの胸中に宿るが、それはすぐに打ち消された。ブラックガーデンがテルを捉える機会なんていくらでもあったはずだ。
「ブラックガーデンさんだったら、どうしますか」
敵に回ることがないだろう、そんな安心感で口をついて出たのは、なんとも情けない弱音だった。
「俺は、レイシアに助けを求められて、この国から逃げ出したいって縋られて、そうしてあげたいって思いました」
無意識に、テルの閉じた手に力が入った。だが、声音は反対に弱々しい。
「隠れてソニレで過ごすのもきっと限界が来る。王都から離れても、レイシアはずっと不安を抱えていくことになる。……逃げるなら、早い方がいい。でも……」
昨晩、テルの背中で泣いたレイシアの「逃げたい」はあまりにも当然のことだった。訳もなく自分の人生ほぼ全てを奪われ、その主犯である国王は、国内ならばどこまでも追ってくる。
ソニレ王国ごと恨んだって仕方のないとさえ思える。
「国境を越えたら最後、レイシアは二度とソニレに戻ってくることはない。でも、それが彼女の望みだったとしても、彼女から取り返しのつかない何かを奪ってしまうことに思えるんです」
故郷とそんな別れを果たすのは、あまりにも残酷だ。
だって、レイシアの『やりたいことノート』にはまだまだ沢山項目があって、そんなやりたいは、この国で生まれたはずなのに。
この国で、愛されるはずだった存在が、最後まで憎しみを抱いたまま終わってしまうことが、テルは肯定できなかった。
そう、テルは怖気づいていたのだ。
不可逆的な決別を齎すことを。レイシアの故郷を捨てるきっかけになることを。
「レイシアと逃げるのに、あと一歩勇気が足りないのなら。その程度の覚悟の俺はこれ以上踏み込むべきじゃない」
それは、亡き師の言葉だった。些細な善意にも、責任は伴う。それを果たせないなら、過剰な干渉は避けるべきだ。
そもそも、テルにはニアとの約束がある。目先のことに囚われて、もともとあった大事なことをおろそかにしていいはずがない。
「なんだか、八方塞がりな気分です」
そう言い放ったテルの口元には、卑屈めいた笑みが浮かんでいる。
「どうするのが正しいのか、わからなくなってきました」
レイシアから故郷を奪うことを躊躇った。だが、躊躇ってしまう程度の自分は、レイシアに手を差し伸べる資格はない。
生まれる葛藤から目を背けて、中途半端な気持ちでレイシアを連れ出すのが、ただ一つの正解なのだろうか。
「……何が正しいか、とテル坊は訊いたが」
終始黙ってテルの話を聞いていたブラックガーデンがゆっくりと口を開いた。
「まあ、話を聞く限り、今のテル坊は正しくはないなッ」
「え」
絶句するテル。何か励ましや助言を口にしそうだった雰囲気のブラックガーデンは、軽い口調でテルの悩みを一蹴した。
「あ、別に法に則った話をしてるんじゃないぞッ」と今更な前置きしたブラックガーデンは続ける。
「レイシア姫は何よりも逃げ出したいんだと言っているんだ。だったら、そうするのがいいじゃないか。それ以上の話はテル坊が勝手に憶測して与えようとしている。いわば、ありがた迷惑、余計なお世話というものだッ」
「え、あ、うぅ……」
余計なお世話。ありがた迷惑。たった二つの言葉はテルの胸を的確に貫き、奇妙な声を漏らす。
「だけど、それでも……」
ぐうの音も出ない正論に、テルは涙目になりながら、項垂れそうになるのを堪える。不意にこぼれそうになった涙を手で拭おうとすると、その手が土で汚れていることに気づき、胸が締め付けられた。テルは雑草を抜いただけの、種が蒔かれた土だ。
「俺は、この花壇が花でいっぱいになってるところを、みんなで見たいだけなんです……」
「ふははッ、見かけによらず、ロマンチストじゃないかッ!」
こんなときにも揶揄うブラックガーデンに、テルはむくれるが、当のブラックガーデンは不思議と真剣な表情とともに、力強い笑みを湛えている。
「お前はそこで、『だけど』と言った。自分のやりたいことがわかってるのなら何を迷うことがある。余計なお世話もありがた迷惑も、上等じゃないかッ」
「……っ」
間違っていないことが、それほど大事なことなのかと、ブラックガーデンは大きな声で訴える。
「その道は険しい。基本的には鬱陶しがられるわ、中途半端に終わって恨まれることだってある。なにより、誰かの心を満たしてしまったとき、次に満たす役割も自分に回ってくるッ」
些細な善意であっても、その責任はどこまでも付きまとう。テルのように無計画に人を助け、最後には押しつぶされることだってあるかもしれない。
「それでも無視をできないのだろうッ? 誰かの欠乏を補いたいのだろうッ?なら、行けッ。いつだって自分を満たせるのは自分だけなのだ。卑屈になって動きを鈍らせている場合ではあるまいッ」
「…………俺、行きます」
「ああ、それでいい。子供は無謀を冒せッ。その尻ぬぐいのために大人がいるのだ」
テルは外して立ち上がる。さっきよりも軽くなった体で深く息を吸うと、景色が広くなって見えた。
やるべきことは鮮明だ。
レイシアが憎しみの根幹を取り除く。言うに易く、行うにはあまりにも難しい。しかし、テルの余計なお世話は、そこまでしないと果たせない。
当然、ニアとの約束も後回しにしない。例えこの身が二つに避けようと、どちらかを蔑ろになんてしない。
「今からやることは、絶対レイシアに喜ばれないと思います」
「初めから言っているだろう。それはそういうものだッ」
「上手くいく保証もないですよ」
「人は一生のうちで、数えきれない経験を積み、幾度となく選択を重ね、数回の決断を下す。その果てにあるのが失敗を重ねただけの落伍者であっても、ワシはそれを尊く思うッ」
心強い励ましに、頷きで返したテルは、振り返ることなく走り出した。
ついさっきまで出口のない迷路にいた気分だったのに、今では真っ直ぐな一本の道があるだけだ。
鋭い視線のさきにあるのはカナン城だ。色々なものを覆い隠したその根城は静かに佇むだけだった。




