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第3章14話 ガーデニング

 外壁区の安宿で一晩明かしたテルとレイシアは、早朝に立ち、昼までにはブラックガーデン邸に辿り着いた。


「昨日は帰れなくて本当にごめん」


「うん、心配はちょっとだけしたけど、平気」


 玄関を開けたテルに、すぐさま駆け付けたニア。顔を合わせるとすぐさま謝罪をするテル。ニアは、ほんの僅かに、瞳を揺らしただけだった。


「あんた、一体何してたのよっ……!」


 眉の皺を深くしたセレスが、テルに食い掛った。

 時折、ニアの姉のような振舞をするセレスからすれば、このようなニアを蔑ろにした行動に怒りを示すのは納得のいくことだろう。

 テルとニアの約束を知っていれば、ニアを置いて、ましてや別の女の子と二人だけで一晩明かしたなどと聞けば色をなして怒るのは道理だ。


 既にニアに謝罪をしていたからだろうか、セレスはテルに掴みかかったりはしなかったが、張り倒す準備はいつでもできている、という空気を発している。


「色々トラブルが起きて、帰れなくなったんだ。迷惑かけて悪かったよ」


「その色々を聞いてるのよ」


 セレスは声を潜める。ニアに気を遣っているのだろう。


「セレスが心配しているようなことは何もないぞ」


 やましいことは何もない。直接言葉にしないで、その意図を伝える。

 セレスはむっとした顔をしたが、すぐにため息をついた。


「ヘタレのバカテルが、会って数日の女の子に手を出せるわけがないか」


 と勝手に納得した。きっと不名誉であったセレスの評価に、テルは訂正を求めることなく流した。

 

「ニア、ただいま。やっと帰ってこれた。お土産ずっと楽しみにしてたんだよ」


「おかえり、レイシア。何が良いのかわからなかったから、色々買ってきたんだ」


 昨晩の出来事が何もなかったかのようなレイシアは、無邪気にニアと会話をしている様をテルは横目に見た。

 今朝テルが目を覚ました時には、レイシアは既に起きていて出発の準備を終えており、夜に見せた心が不安定だった様を感じさせないような、元気さだった。


 初めは、無理をしていつも通りを振舞っているのではないかと、様子を伺っていたが、纏った鎧が綻ぶ気配は一向になかった。


「何これ、付け耳?カチューシャ? かわいい!」


「劇の題材をモチーフにしたお土産らしくて、こういうのより、お菓子とかの方がいいかなって思ったんだけど、どうしてもセレスが買いたいって」


「ううん、これは絶対必需品だって、私思ってたのよ。わかるでしょ、テル? ニアと猫耳の奇跡的な組み合わせ……!」


「え、ああ、うん。い、いいんじゃないか」


「……もっと素直になりなさいよ。酔っぱらっていたときみたいに」


「うん、そうだな」


 本来であれば、色を変えて食い掛っていただろう、セレスの言葉に、ぼんやりとした返答をしたテルに、セレスは首を傾げた。

 どこか焦点の合わないテルは、誰の言葉にも、聞いているのかわからないような生返事だった。最終的にイヴが足に噛みつくまで、テルはぼんやりしていた。


 テルの思考のリソースを大幅に占有していたのは、昨日のレイシアの出来事だった。本人以上に思い悩んでいること自体、どこか馬鹿げていると思いつつ、頭から離れない言葉が、テルの心を揺さぶり続けた。


 面と向かって告げられた訳ではないが、きっとこのまま二度と元いた部屋に戻らないこと、それがレイシアの一番の望みだろう。そんなことは、深く考えないでもわかる。

 そして、叶えようとすれば簡単に叶ってしまうだろう。


「はあぁ」


 一人、大きなため息を吐いたテルが不意に顔を上げると、そこにはブラックガーデン邸の大きな屋敷が立っていた。


 考え事をしていたテルは、気づけば、離れを抜け出してこんなところまで歩いていたのだ。

 昨日の寝不足もあるのだろうが、警戒心に欠ける自分の気を引き締めるように、頬を叩くと大きな音が響いた。


 微かな赤みと痛みを帯びた頬で、テルはそのまま歩き続ける。

 離れを借りて少なくない時間が流れたが、この屋敷に入ることも、庭を見て回るようなこともしていないなと、感慨深い気持ちで歩みを進めた。

 いや、人様の家を見物しすぎるのもよくないか、でもブラックガーデン翁なら、きっと快諾してくれるのだろうな、そんな気持ちで歩いていると、見覚えのある大きな背中が屈んでいるのが見えた。

 気になって近寄ってみると、足元には、耕したと思われるフカフカと湿った土があり、手が汚れることも厭わずに、植物を植えるブラックガーデンがそこにはいた。


「よおし、トゥリパはこんなものかッ」


 ブラックガーデンは、大きな独り言を発すると、ゆっくりとこちらに振り返った。トゥリパとは花の名前だろうか、穏やかな表情で園芸に勤しむブラックガーデンを見ていると、ふとそんな素朴な疑問がよぎった。


「あっちはシノニム、そして向こうはキミカゲソウだ。……まあ、種を()いたばかりで、今は殺風景だがなッ」


 どれも聞いたことのない花ばかりだったが、咲いた花を見れば、もしかしたら名前が違うだけで知っている花なのかもしれない。


「いつになれば咲くんですか?」


「ふぅむ、冬季が過ぎたあたりだろうな」


「まだまだ先ですね」


 この世界の季節もテルの知る季節と同じように春夏秋冬の四つを順に巡る。今はちょうど冬の初めくらいなので、花が咲くのは三カ月後くらいになるだろう。


「そのときになれば、きっと俺たちはいないですね」


「辛気臭いことを言うなッ。また戻ってくればいいだろうッ」


 不意に生じた寂しさをそのまま口に出すと、額の汗をぬぐったブラックガーデンが大声を放つ。

 たしかに、戻ってくることができればいい。でも、そのときレイシアはどうしているのだろう。

 昨晩から思考を占領している悩みが、気軽な未来予想に影を落とした。


「……そうだ、テル坊。長らく屈み続けていたせいで、老人の腰が悲鳴を上げているのだ。よければ、手伝って貰いたいッ」


 大きな声は、有無を言わせない力強さを持っていたが、老人にあるまじきエネルギッシュさと爽やかさで、不快感はなかった。


「俺にもできますか」


「なあに、難しいことを押し付けやしないッ。向こうの雑草を抜いてもらうだけだともッ」


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