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第3章13話 切り離せないもの

 二人は暗く狭い空間に身を潜め続けた。それほど長い時間ではなかったが、テルが様子を見るために顔を出すと、既に日は暮れ始めていた。


「暗い中で照明を焚いたら目立つ。今のうちに行こう」

 

 テルは一応花畑の方を確認し、倒れている人も含め誰もいないことがわかると、この区域から一番離れた地区に向かった。念のため、レイシアには『オリジン』で作った全身を覆えるローブを着せた。



 隣のニ十七番区に辿り着いたときには、日は完全に落ちていた。その時間には馬車は全て営業終了しており、二人はそこで宿を取って夜を明かすしかなかった。


 先ほどの三十八番区よりはずっと人が多く栄えていたが、やはりまだ治安の悪さは感じたので、できるだけ安全そうな宿に入った。


「二人用で一部屋ありますか」


 図体の大きい強面の亭主は話しかけられると黙り込んで、こちらを値踏みするような目を向けた。やがて、にこりともしないで「一人につき半銀貨だ」と言った。

 おそらく足元を見た値段設定なのだろう。テルはすぐに勘付いたが、王都全体からしたら平均よりも低く、値切りをする気力もないため、テルは料金を払い、部屋の鍵を預かった。


 「あまり汚さないでくれよ」というぶっきらぼうに言う亭主を無視して、テルは部屋に向かった。


 それほど広い部屋ではなかったが、清潔さを感じる内装だった。どういう訳か、ベッドは一つしかなかったので、テルは小さくため息を吐く。


「別の部屋に変えてもらおう」


「私は平気」


 表情を変えないレイシアに、自分だけ騒ぎ立てるのが変に思い、テルはその言葉に従う。


「……わかった。レイシアはベッドを使って。俺は床で寝るから」


 レイシアは控えめに頷くとベッドに腰を下ろした。


「ごめん、同じ部屋になっちゃって」


「ううん」


「きっとニアもセレスも心配してるから、朝一の馬車で帰ろう」


「うん」


「お腹減ってないか?」


「ううん」


 項垂(うなだ)れるレイシアの気を少しでも紛らわせようと、思いつく次第に話題を口にするが、返ってくるのは味気のない一言だけ。


 塞ぎ込んでしまいたくなるのも当たり前だろうし、精神的にも身体的にも疲労が溜まっているだろう。


「俺は、横になって休むよ。何かあったら、いつでも声をかけて」

  

 テルが『オリジン』で簡単なマットを作り、横になろうとすると、レイシアは何かを言いかけた素振りをしたが、またしても「うん」と頷くだけだった。


「はぁ」


 レイシアに背を向けて横になったテルは、音を出さないように深い深呼吸をする。

 背後からは、僅かな息遣いと物音は聞こえるが、レイシアも同じように横になったのか、すぐに音が止んだ。


 静けさが室内に満ちると、テルは横になったまま今日の出来事を整理しようと、先ほどの光景を思い浮かべた。

 レイシアを追って現れた皇太子ヴァルユート。そして、理由は不明だがレイシアを狙う魔人ゼレット。


 どうして自分たちのいた場所を知っていたのだろうか。初めに行き着いた疑問に、テルは頬を強張らせた。


 街を探したり、情報を集めたりすれば、足取りを追うことはできたかもしれない。しかし、あのときあの場所で遭遇したこと。そして、そこに現れることを知っていたようなヴァルユートの口振りに、違和感を拭えない。


 もし、捜索にシャナレアが関わっていたのなら、有り得るだろう。

 ニアの一件以来、追跡や盗聴を可能とする『風印』を外すと約束をしたとはいえ、こちらが感知できない以上、ちゃっかりそのままの可能性も大いにある。


 だとしても、なぜテルがレイシアを攫ったことがバレているのか。そういう魔法があるのかもしれない。そしてそれを考え始めればきりがないし、魔人側も同様のことが言えるだろう。


 考えても無駄か。


 そう判断したテルは、熱を帯び始めた頭を落ち着けるために目を瞑った。

 あのとき、テルたちがレイシアと防壁の陰に隠れていたことが通用したということは、向こうの情報収集の手段もそれほど器用ではないはずだ。


 警戒は怠らないけど、休息を蔑ろにするのもよくない。


 そう思ったものの、勝手に思考が巡りだし、気分を落ち着けるにはしばらく時間がかかった。



 いつの間にかに夜は更けて、自分が思っていた以上に疲れがあったのか、テルは硬い布団の上だったにも関わらず、ぐっすりと眠っていた。


 僅かに意識が覚醒に近づいたのは、ささやかな物音のせいだった。

 一応体を起こして確認しておこう。

 半分は眠っているような状態だったテルは、寝返りを打って、ベッドにいるレイシアの方に体を向けようとした。すると、テルの寝ていたマットが大きく揺れた、まるで|別の誰かが隣に横たわった《・・・・・・・・・・・・》かのように。


「ん? …………!?」


 背中に当たる、自分のものではない体温。か細く、僅かに震えている呼吸音。肌をくすぐる、きめ細やかな金色の髪。覚えのある甘い匂い。視覚以外の感覚は、起きている状況を明確に語っている。


 レイシアが、テルの隣で眠っているのだ。

 

「レイシ————」


「お願い」


 思わず大きな声を出そうとしたテルに、レイシアは声を被せて、その続きを制止した。


「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから。すぐに戻るから……」


 テルの背中にしがみつくようなレイシアは、声を震わせている。

 不安や恐怖がレイシアにこうさせているのだと気づき、テルは自分の驚きを押さえつけた。


「だから、もう少しだけ……お願い……」


「……」


 懇願するレイシアに、テルは掛ける言葉が見つからず、ゆっくりと元の姿勢に戻った。

 お互いの呼吸の音だけが、ひっそりと聞こえる静かな部屋で、しばらくはお互いに何も口に出さなかった。テルはレイシアが言葉を発するのを待っていたが、その瞬間が訪れる気配が一向にない。

 ただ、レイシアと密着して生まれる熱が大きくなっていくだけだ。


「レイシア」


 テルがレイシアの名前を呼んだ。返事はないが、なんとなく起きているとテルは思っていると、不意にテルの服が強く握られた。


「レイシア……?」


「ぅ……、うぅ……」


 次の呼びかけに返ってきたのは、レイシアの喉から漏れ出た嗚咽だった。

 触れあっていた部分が、急に熱くなったような気がした。


「もう、終わりなのかな」


 やっとの思いで絞り出したレイシアの言葉は、悲壮に満ちていた。


「もうニアたちと一緒に居られなくなっちゃうの? ……悪いことなんて一つもしてないのに、どうして私ばっかり、こんな思いをしなくちゃいけないの?」


 レイシアの表情が見えないまま、テルは黙って、その声に耳を傾けることしかできない。背中で感じられる、少しの湿りと熱と震えが、痛いほどにその気持ちを訴えかけている。


「もう、こんなの嫌だよ」


 さっきまでの声の震えが嘘だったかのように、はっきりと吐き出された言葉。


「誰か、助けてよ……」


 テルは息を飲んだ。


 最後にそう口にしたレイシアは、苦悩の吐露も、不安定な呼吸も、何もかもが初めからなかったかのように静かになった。


 ゆっくりと体を起こして見ると、レイシアは目を赤くして寝息を立てている。 


「逃げたいんだよな、この国(ソニレ)から……」


 テルの呟きに、レイシアは答えなかった。テル自身、それが正しいと断言することができなかった。


 レイシアに不幸を押し付けられるのを、みすみす見逃すつもりは毛頭ない。国外逃亡が、故郷を捨て去ることが、レイシアにとって最善策なら、テルはそれに手を貸すことを厭わないし、ニアもその考えに頷いてくれると確信している。


 だが、それは最善策だったならの話だ。


「やっぱり俺は、君に何もしていないよ」


 険しく細められた目を窓の外に向けると、僅かながらに星が瞬いているのが見えた。テルにはそれが、何故だか問いかけられているように思えた。


「途中で投げ出したりなんかしたくない。だけど、俺は……」


 誰に聞かせるわけでもなくこぼれ落ちた胸の中の軋み。一番大きく見えていた星は、そんなテルに明滅してみせたが、答えを与えることはついぞなかった。


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