第3章12話 前哨戦
「レイシア姫の身柄を頂戴する」
ヴァルユートに次いで、突如として現れた魔人を名乗る紫髪の男は、敵前であるのに慇懃に一礼すると、どこか満足げな笑みを見せた。
『私たちみたいな例外で、鈍くなってるかもしれないだろうけど』
どうして魔人がここにきたのか。『圧力』の魔人とは。魔人十三人議会とは。なぜレイシアを狙っているのか。
変化する状況に、テルの思考は混濁していたが、そんな中でシャダ村で別れる前に話をしたヒルティスの言葉が脳裏に蘇った。
厳しく、ちょっとだけ優しい話し声と、役立たずに済むなら一番だったはずの助言。
『大前提、魔人ってのは危険なものだ。殊更、自ら名乗りを上げるような奴や、所属や団体を背負っているような連中は、絶対に関わっちゃいけない』
初めからレイシアの誘拐を宣言してる時点で、紛れもなく敵であることは明白だった。そのうえ、ゼレットと名乗った魔人は、危険な条件どちらにも当て嵌まり、テルは既に最大値に近かった警戒を限界以上に引き上げる。
「そんなに睨まないでよ、照れちゃうじゃないか」
テルと目が合ったゼレットが、挑発するように口を開く。依然として戦うための体勢に入っていなように見える魔人。不用意に近づけばどんな反撃が待っているかわからないし、『圧力』に関連する異能が想像つかず、テルは仕掛けるのを躊躇う。
行き止まりの思考の果て、テルは頭を振った。もっとも優先すべきはレイシアの安全だ。
「うーん、どっちも無言だと、さすがに張り合いがないなぁ。エリートらしく、瞬く間に任務を済ませてしまってもいいんだけど……うおっ、と」
暢気にも見えるゼレットに切りかかったのは、ヴァルユートだった。全身に魔力を漲らせ、身体能力を上昇させたうえでの不意打ち。しかし、それだけでは魔人に刃は届かない。
いましかない。
テルは自分への意識が最も薄れているこの瞬間が、最大の機会だと判断した。レイシアの手を掴むと、困惑の真っただ中だったレイシアと目が合う。
次の瞬間、四人を覆う大規模な煙幕が、爆発音と同時に広がった。
「うわっ」
「くっ……!」
視界を奪われたヴァルユートは、敵の不意打ちに備える。しかし、この目眩ましの真意が、別のところにあると気づくと、周囲の気配を探る。案の定、既に二人がいない。
「やべ、取り逃がしちゃった」
不自然に巻き起こる突風が吹き、自分たちを覆う煙幕を攫っていくと、そこに残されたのは、ゼレットとヴァルユートだけだった。
ヴァルユートの目的の人物は逃走しており、きっと迷宮のような城壁に向かったであろうことがわかる。今から追っても、追いつくのは難しいだろうと判断したヴァルユートは、視線を別の標的に向けた。
ゼレットは頭をぽりぽりと掻いて、失態を振り返っている。しかし、その表情に焦りは見えない。
「どうする、一緒に探しにいく? エリートの仕事振りを間近で見学できるなんて、またとない機会だよ?」
「笑えん冗談だ」
薄ら笑いを張り付けたままの魔人。もしかしたら、その表情しか持ち合わせていないとすら思える。
———ソニレ王国の崩壊。
アンが口にしたその予見。そして魔人十三会議の魔人。その二つは、関係がないと断ずるほうが難しい。
レイシアの保護という最重要の任務を後回しにしてでも、魔人の排除は優先するべきと判断したヴァルユートは、鋭い眼光を魔人に向けた。
「一つずつ、着実に終わらせていけばいい」
レイシアのことも、魔人のことも、予見のことも。
同時に迫る強大な課題も、一つずつ処理していけば、意外とそれほど難しいことでもないかもしれない。
「速攻で片づける」
「ボクはいつまでも付き合ったっていいんだぜ?」
そうして、ゼレットは懐からナイフほどの短刀を取り出すと、初めて戦闘の構えを取った。
両者の魔力が練り上げられると、戦いの幕は切って落とされた。
――・――・――・――
防壁に背をもたれると、テルは少しの音も出ないように、静かに酸素を肺に送る。目を瞑り、自分たちが来た方に耳を澄ませるが、誰かが迫ってくるような足音しない。
煙幕を張ると、レイシアを抱え上げて、姿を隠せる場所まで全力で退避したテルは、ひとまず窮地を脱したと判断し、レイシアを降ろした。
そっと地面に足を着けるレイシアは顔色を悪くしていた。テルの人差し指を立てるジェスチャーに、レイシアは黙ったまま頷いた。
「遠くに移動しよう」
レイシアにだけ聞こえるような声で言うと、首肯が返される。
幸運にも、テルたちは幾重にも重なる防壁群のなかに逃げ込んだため、そう簡単に見つけ出される心配はないだろう。
ヴァルユートとゼレットの戦闘が続くうちにこの場所から一刻も早く逃げ出すのが先決だ。そう思ったテルが、足早に歩くと、花畑の方角から大きな衝撃音が響いた。
テルとレイシアが肩を震わせると、反射で止めた歩みを再開した。戦いが続いているのなら、こちらに意識を向ける余裕はないはず。
そう考えていたテルはすぐに異常に気付く。戦いの音が止んだのだ。大規模な衝撃音だけではない。鉄のぶつかる音や、怒声さえも聞こえない。
突然、足を止めたテルに、レイシアは不安げな顔を向けている。
一撃で決着がついたのか。
だとすれば、どちらが勝ったのか。
単身で魔人に勝てるほどの強者なら、初めからテルに実力行使に出てもおかしくない。ならば、ヴァルユートはもう……。
推測の果てに、テルは悟られないように、レイシアの様子を伺う。浮かない顔は当然だろうが、それ以上に暗い表情はしていないように思える。
「しばらくここで身を潜めよう」
余計なことは言うべきではと判断したテルは、防壁に身を寄せて座り込んだ。レイシアもそれに倣って腰を下ろすと、テルはその上から『オリジン』で姿を隠すようにカモフラージュを作り上げた。
「これって……」
「土魔法みたいなものだよ」
やはりレイシアの知る魔法とは様子が違ったのだろう、テルの異能を見ると僅かに目を見張ったが、テルが誤魔化すようにすると、それ以上の質問はしなかった。
敵の狙いがレイシアなら、戦闘が終わればすぐに自分たちを追うだろう。シンプルに考えれば、ここから最も近い地区に移動し、馬車を探すのが自然である。他の隣接する地区も複数あり、さほど距離に違いはないため、その方向へ追う可能性も大いにある。
「しばらく、ここに留まるのも手か」
裏を掻いたテルの案は、悪くないように思える。
結局、逃げるには優位を捨ててしまったこともあり、その場でしばらく様子を見ることにした。




