第3章8話 レイシアの告白
テルはその日、もともとの目的である、ニアの呪いについての情報、そしてその他にも調べたいことがあってその日はカナン大図書館に籠っていた。本来であれば昨日の内に終わらせることのできた事柄であったが、予定が後ろにずれてしまったのだ。
昨日で大図書館の目的を果たしたニア、そして王城に極力近寄りたくないレイシアは同行せず、一人で過ごした一日だった。初め、レイシアはあまり愉快そうではなかったが、ニアがいたからかそれほど文句を言われることはなかった。
夕方になって、帰り路を一人で歩く。
ブラックガーデン邸周辺の道はある程度理解し、脇道や寄り道を交えていると、紅茶を中心とした売店を見つけた。発見の喜びで、二人へのお土産で茶葉とそれに合った菓子を買うと、軽い足取りで家に戻った。
「ただいまー」
外から部屋の明かりがついていたのが見えており、脱いだ靴があったことから、二人が既に帰っていたのがわかる。
しかし、このとき気づいておくべきだった。もう一つ靴が多く置かれてあったことに。
廊下を曲がりリビングに出たテルが、再び「ただいま」と声を出す。
そこには、ニアとレイシアがソファで向かい合い歓談をしている———、はずだった。
「お か え り な さ い」
「あ、あれ、セレス……?」
テルの視界に最初に飛び込んだのは、茶髪を一つに束ねた少女、セレス・アメリッドだった。
ニッコリとした笑顔を張り付けているが、その裏から漏れる威圧感は隠せていない。
「久しぶりね。今日、買い物してたらニアたちにばったり会っちゃったの」
「な、なるほど、そうだったんだ」
テルはセレスの横を通り抜けようと一歩踏み出すが、それよりも先にセレスがその進行方向にズレて、妨害する。
セレスの背後にいるニアとレイシアは、哀れみに近い視線を向けて「おかえり」と手を振っている。テルは二人の表情から、自分が面倒事から避けられないことを察した。
「なあ、何で通してくれないんだ?」
「ここで話をすればいいじゃない」
「何で家の中なのに剣を携えてるんだ……?」
「私に剣を抜かせなければ関係ないじゃない」
「なら怒っている理由を教えて欲しいんだけど!?」
剣呑な雰囲気に困惑を隠せないテル。しかしセレスはそんなことお構いなしに、腰の剣に手を乗せた。だというのに張り付けた笑顔は崩れず、恐ろしさに不気味さが相乗する。
「別に、怒ってなんてないけど……でも、随分偉くなったものねぇ、絶世の美女を二人も侍らせて……」
ゆっくりとにじり寄るセレスから、一定の距離を保とうとしていたテルは、いつの間にか玄関の手前まで押し戻されていた。
「そんなつもりは断じてないんだけど……」
「仕方ないわよね、あんな天国みたいな環境にいたら、私みたいな邪魔者はいない方がいいもの」
一人で結論を出したセレスの堪忍袋の緒が、勝手に切れた。
狭い廊下で銀色の刀身が露わになり、テルの緊張感が一気に高まる。
セレスは、テルとニアが王都に到着してすぐに自分のもとに来なかったことを怒っているのだろう。
当然、テルにはセレスを避けていたつもりはないし、そもそも王都に来たのは二日前なのだから、セレスの怒りは常軌を逸している。
「待てよ、まだ王都に着いて三日も経ってないぞ!」
「ええい、うるさい! どれだけ私が寂しい思いをしてたか、バカテルにわかるもんですか!」
癇癪を起したように大声を上げたセレスが剣を構えた。多分、ガチの殺気だ。そう判断したテルも、咄嗟に『オリジン』の剣を持ち、攻撃に備える。
「落ち着け、別にお前を除け者にしたかった訳じゃ——————」
「この尻軽の節操無しっ! 私が直々に去勢してやる!」
「話を聞け、この馬鹿ッ!」
飛び込んだセレスが放った剣を、テルは合わせて防御をする。室内にあるまじ鉄同士のぶつかる重い音と火花が響く。
「生意気、黙ってサンドバックになりなさいよ!」
「……お前、やっぱり八つ当たりかよ」
呆れたような物言いのあとに深いため息をつく。
何とか言葉での説得を続けるつもりだったが、馬鹿の鬱憤晴らしにこれ以上手間を掛けることが業腹に思えたテルは、反省を促すのも含めて、痛い目に合わせて暴徒を鎮圧することにした。
テルのやる気の変化を敏感に察知したセレスは、気を引き締め、攻守どちらにも対応できるように剣を構える。
しかし、サンドバック相手に防御をしようとしている自分に腹が立つと、衝動的にテルに仕掛けた。
「くっ……!」
「チッ!」
廊下という地理的要素を利用し、いくつかのフェイントを交えたセレスの剣は、衝動に任せたとは思えないほどに冴えた剣だった。
セレスの予測では、防御のために剣を大振りし狭い廊下に動作を阻まれる。そこを付け狙うはずであった。しかし、テルは高度な剣技を苦しそうな顔をしながらも対応して見せた。
「今まで下手な演技でもしてたわけ? 急にそれっぽく上達しちゃってほんと生意気」
セレスが眉を寄せて、不快そうに言い放つ。
セレスからすれば、テルの剣術は「素人に毛が生えた段階から更に少し毛が生えたくらい」の評価だった。剣を握って日が浅いことも知っていたし、それは実に妥当な評価だったのだが、それが一週間やそこらで明らかに進歩しており、それが無性に腹立たしかった。
「え、まじ?——————うわっ」
「隙あり!天ッ誅ゥッ!」
嘘でも気に入らないものを褒めないセレスが、だしぬけに褒めたせいで、テルの集中が僅かに綻ぶ。そのせいで、完全に対応が間に合わず、テルの脳裏に走馬灯が流れ始める。しかしそのとき、テルとセレスを挟んだ空間に、一瞬にして黒い泥の壁が現れた。
「え」
「あ」
セレスの剣の勢いは完全に死に、テルも防御の姿勢を解くと、同時に同じ方向を見る。
リビングの入り口の前に立っていたのは、無表情だが確実に怒っているニアだった。
「この建物、人に借りてるの」
「うん」
「うん」
「傷つけたくないし、汚したくないの」
「はい」
「はい」
「だから、あんまり暴れないで。お願い」
声を荒げることもなく、表情を変えることもない。しかし、その怒りは痛いほどに伝わったテルとセレスは、気まずさと申し訳なさで項垂れながら、
「ごめんなさい」
と風が吹けば吹き飛ばされそうな声を揃えるのだった。
――・――・――・――
「ああ、なんだか今日はどっと疲れた……」
誰もいないリビングで、テルは大きな独り言を口にした。
突然訪問したセレスは、いつまでも帰宅する気配を見せず、夜が更け始めてから突然泊まることを宣言した。
そのせいで、この離れの家は許容人数を超え、誰か一人がソファで眠らなければいけなくなってしまい、自動的に寝室を追いやられたテルは静かなリビングでそれなりに寛いでいた。
既に日は沈み切っており、さっきまで聞こえていた二階からの話し声もしなくなっている。テルはなんとなく眠れないという理由だけでだらだらとソファから立ったり座ったりを繰り返していた。
「寝れないなあ」
「なら、少しお話でもしない?」
「わっ!」
何度目かの独り言に予想外の反応があったことで、間抜けた声を出すテル。振り返るとそこには初めて会ったときと同じ服を着ているレイシアが立っていた。
「どうしてここに?」
「私も眠くなかっただけ」
レイシアは、特に許可を取るでもなくソファに座る。そして、その隣を叩いて立ち尽くすテルに座るよう促した。テルは何でもないようにその仕草に従う。
「なんか、二人きりになるのが久々な気がする」
「確かに」
レイシアの言葉にテルは不意を突かれたように笑う。
ニアと打ち解けられるか心配していたことが嘘のように、二人は仲がいい。予期せぬ遭遇をしたセレスとも、うまくやっているようだったので、テルとの会話が減ることも必然だろう。
「やっと二人きりになれて嬉しい?」
「……なんだよ、急に」
レイシアはそんな冗談を言うと、テルの横顔を覗き込んだ。ただの冗談のはずなのに、テルは僅かに反応が遅れた。
「だってテル、帰ってきてから私の方をチラチラ見てたじゃん」
「そう、だったかな」
無自覚を指摘されて面映ゆい。しかし、二人の言葉にはどこか緊張感が漂っていた。それは色恋的な浮ついたものではない、もっと深刻でお互いに躊躇ってしまうような重い空気だ。
そんなレイシアのお膳立てに、やや間を空けて、観念したようにテルが声を絞った。
「レイシアに、聞きたいことがあるんだ」
「……うん」
短い返事を聞いたテルが、深く息を吸った。
「俺は記憶喪失で、この世の中の常識も知識もほとんどなにもないんだ。だから初めて会ったとき、少し引っかかりはあったけど、自分の勘違いだと思っていた」
「……うん」
テルが思い出していたのは、レイシアと初めて出会った日のことだ。
自分を誘拐しろと迫る少女。城に住まう身分で、自由に外出もできないのだから、テルはレイシアをやんごとなき身分、つまり王族の一人だと思っていた。しかし、そのとき抱いた違和感をテルは忘れられないでいた。
「それで、今日も図書館に行って調べてきたんだ。同じ分野の本を何冊も読んだ。だけど、どの本にも同じことが書いてあったんだ——————|レイシア姫は15年前に死んだ《・・・・・・・・・・・・・・》って」
「……」
「レイシア、君は一体何者なんだ?」
死んだ王妃を名乗る少女の方を向くと、彼女はじっと俯いたままで表情がわからなかった。
「俺の読んだ本の全てが間違っていたのか、君がレイシアを名乗る別人なのか、それとも君は幽霊みたいな存在なのか、俺には何もわからない。君が本当は何をやりたかったのかも、わからないんだ」
テルはレイシアが口を開くのをじっと待った。うつむいたままの姿勢をしばらく保ったレイシアだったが、音もなく視線を上げた。
レイシアはテルを視界に入れないまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私は、私はね、ずっと死んだことにされてきたんだ」
「は?」
テルは、その簡単な言葉を飲み込むのに時間を要した。
レイシアは、その一言を口にしたことで肩の荷が下りたように清々しい顔をこちらに向けて、愕然としているテルを揶揄うように微笑む。
「私が第二王女のレイシア・L・ソニレなのは本当。でも、ずっと死んだと扱われていただけで、幽霊じゃないよ」
軽い調子で発せられる事実にテルは自分の耳を疑った。至って健康で健全な人間一人を、死んだことにする。その行為の正当性をひとつとして見出すことができなかった。
レイシアの出生を祝い、その死を悼んだという記録があり、レイシアが不義の子で冷遇される立場にいたわけでもない。
祝福されるべき、国王の第二子がある日を境に、突然人としての権利も尊厳も奪われたのだ。そんな行為が、王城という国の中枢で行われていた。
「なんで、そんなことを……」
「……さあ、どうしてだろう。でも、死んでいることにしなくちゃいけなかったんだって」
やはり、到底理解できなかった。しかし、それを口にする前にレイシアが笑顔を作って「意味が分からないよね」と他人事のように言うので、テルは何を言ってもどうしようもないのだと悟る。
「当時のことは覚えてないけど、私が一歳のときに私の死が国民中に報せられたの。私自身、その新聞を読んだことがあるし、テルの読んだ本は間違ってないよ。私が死んでいないと知っている人は、テルと一部の人だけ」
レイシアの説明は、どこまでも他人事のようだった。彼女の諦念がさせる振舞なのか、どこかの物語の感想を言うような横顔は、酷く冷静だった。
今思えば、レイシアは外の世界のどんなささやかなものにも関心を持っていた。世間知らずの言動に、密かに親近感を抱いていたが、あまりにもそれが場違いであったと自覚しテルは胸が締め付けられる。
「俺に誘拐させたのは……」
「そうそう。お城の人はね、死んだことにするっていうのを徹底していて、絶対に私を部屋の外に出してくれなかったの。でも、奇跡的にあの部屋に誰も知らない隠し通路があって、それが大図書館に繋がっていた」
「なら、そこから逃げればよかったんじゃ……」
「うふふっ、そうだよね」
レイシアは恥ずかしさを誤魔化すように笑う。
「あの通路を見つけたのは十歳の時。偶然見つけたときは本当に嬉しかった。これでやっと外の世界に逃げることができるって。絶対に城から逃げ出してやるんだって思った。だから、永遠にも感じられた長い通路を、ランプも持たずに歩き続けることができた。死ぬほど恐ろしかったけど、そこで諦めて一生城の中で生きるほうが怖かった。そして、必死に歩き続けたさきにあったのが、あの図書館だったの」
そこまで言うと、自嘲するような表情が崩れた。そしてレイシアの顔に現れたのは、どうしようもない虚しさと底無しの絶望だった。
「でも、外に出ることはできなかった。最後の最後で怖気づいたの。私は、私の心からの願いを無下にしてしまった。私は私に失望しちゃったんだ」
「それで、俺を頼ったのか……?」
テルの問いで、レイシアは元の表情に戻ると「お恥ずかしながら」と頬を掻いた。
「私を信じられなくなった私は、別の誰かを頼ることにしたの。だって怖気づくなんておかしいでしょ、誘拐されてる側なんだから」
冗談めかして言うレイシアに、テルは何も言い返すことができなかった。
レイシアがぼかして言った城の人は、きっと彼女の父親である国王のことも含まれているのだろう。テルはレイシアをそんな目に遭わせた城の人達に憤りを覚えていた。しかし、それを口にしても、きっと意味はない。
レイシアの自嘲気味な作り笑いは、それらの怒りをとっくの昔に通り過ぎていたことがわかってしまったからだ。
「私ね、お礼を言いにきたんだ」
「お礼……?」
深刻な顔で黙り込むテルが顔を上げた。
「私はずっと、窓の外を羨むだけの人生で、自分が生まれて、生きていく意味なんて何もないんだと思ってた。でもね、テルが私を外に連れてきてくれて、本当に幸せだったんだ。人と食べるご飯があんなにおいしいものだなんて、友達と一緒にいることがこんなに楽しいだなんて思いもしなかった」
レイシアは少しだけ前に乗り出して、テルをじっと見つめた。薄藤色の瞳が涙で潤んでおり、頬も紅潮している。
「私ね、今が人生で一番幸せ」
レイシアは、大きな声で言うのを恥ずかしがったのか、囁くように、しかしはっきりとした声音で口にした。
「ありがとう、テル。私が幸せなのは、全部テルのおかげなの」
「……俺は何もしてないよ」
テルはどうしてか申し訳ない気持ちになって、目を逸らし、首を振った。謙遜でもなんでもない、本心だった。しかし、レイシアはそんなテルを見て微笑む。今度は作り笑いではない。
「あの部屋の扉を開けてくれたことが、それが何よりも大事だったの。私はずっとあなたが来てくれる日を、ずっと待ち望んでた」
力強く言うと、ゆっくりと立ち上がったレイシア。顔の赤みが引き切らず、暑そうに手で顔を仰ぎながら、小走りでリビングの外に向かった。
「言いたかったのはそれだけ、おやすみなさい」
最後に首だけ振り返って言い残すと、レイシアは速足で自分の部屋に戻った。
「うん、おやすみ」
掛ける言葉が見つからず、返事が遅れたテルの声はレイシアに届いたかはわからない。
テルは無気力な足取りで、部屋の明かりを消すとソファに横たわった。カーテンの閉まっていない窓の外は真っ暗で何も見えなかった。
———私ね、今が人生で一番幸せ。
———全部、テルのおかげなの。
レイシアが囁いた声が脳裏で何度も反響している。
目を瞑っても、その声が鎮まることはなく、テルは薄く目を開ける。
テルはレイシアに何もしていない。通路を見つけて、レイシアの部屋に訪れた。それがレイシアにとってどれほど重要な出来事だったのかも、理解できなくはない。それでも、どうしようもなくもどかしい気持ちが疼いている。




