第3章6話 晩ご飯の不思議
「あなたのおかげで助かったよ、本当にありがとう」
大きく深呼吸をしたレイシアが、男たちが去っていったのを確かめると、助けてくれた同じ年くらいの少女に礼を言った。
「ううん、気にしないで。怪我とかはない?」
深紅の瞳が自分に向けられると、レイシアの落ち着いてきた心拍と呼吸がまた乱れ始め、「う、うん」と簡単に答えて、逃げるように目を逸らす。こんな綺麗な少女が、瞬く間に男たちを追い払ってくれたのだから、本当に世界は広いのだろう。
二人の男は、咎める声に初めは機嫌の悪そうな声を出したが、それが凄まじい美少女だとわかると、にやけ顔に拍車がかかった。
「お姉ちゃんも一緒にくるかい?」
「嫌。その子も嫌がってる。その手を放して」
きっぱりと言葉を口にすると、男は馬鹿にするように少し黄ばんだ歯を見せる。
「随分と強気じゃねえか」
少し怖がらせてやろう、そんな気持ちで男が強引に少女の腕を掴む。しかし、予想外にも表情を歪めたのは腕を掴んだ男の方だった。
「ヒィ!」という情けない悲鳴を上げて、手を離した男は、そのまま格好がつかないのもあったのだろう、「もういい、いくぞ」ともう一人に声をかけて、二人で立ち去って行った。
あっという間の出来事で何があったのかいまだによくわかっていない。しかし、お姫様のような人が王子様のように自分を助けてくれたという、夢見心地な気分から抜け出せないでいた。
「少し顔が赤い。体調が悪いの?」
「い、いや、そうじゃなくて……」
両方の掌で頬を触ると確かに熱く、自分の緊張が透けて見られていると盛大な被害妄想に陥ったレイシア。
問いかけにどうこたえるべきか、なんとか理由を取り繕うとしてレイシアの思考回路は大混乱を起こし、うっかり正直な理由を口走ってしまう。
「すごい綺麗な人に助けてもらって、一周回って緊張しちゃって…………、あ」
口走った内容を遅れて頭で理解し、増々顔を赤くしていくレイシア。言われた相手も、初めは面食らった様子だったが、すぐに噴き出して笑った。
「ありがとう。あなたもとても可愛らしかったから、思わず助けちゃった」
失言をした恥ずかしさと、褒められ慣れていない故の照れ臭さで、悶絶するように顔を隠すレイシアは、ぎりぎり相手に聞こえるような声で「ありがとう」と返した。
「ここで、誰かを待っていたの?」
「う、うん。でも、迷子になっちゃって……」
落ち着きを取り戻したレイシアは、何事もなかったように答えた。すると少女は、少し考え事をするように細い指を口元に運ぶ。
「そうだったんだ。……もし、よければその人が見つかるまで一緒にいない?」
「え、いいの……?」
「私も、王都に来るのは初めてだったから、一人だと不安だったの」
それが気を使われている言葉だとしても、レイシアは頼りにされようとしている事実に心が舞い上がった。例え、道案内程度の些細なことでも、自分を助けてくれた人にお返しができるのなら、これほど嬉しいことはない。
しかし、花が開いたような表情は、少しの沈黙の後、しょんぼりと萎んでしまう。
「うぅ、私も土地勘はあまりないんだ」
お互いに観光客のような立場で、そもそもこの地域に詳しければ迷子にもなるはずがない。自分は碌に道案内もできないのだ、と肩を落としてレイシア。しかし、少女は不思議そうに首を傾げてから、レイシアの手を取った。
「なら尚更」
一緒に居てくれるだけで十分だと、実際に言われた訳ではないが、その柔らかい笑顔はレイシアにそんな勘違いをさせるだけのものがあった。
「私はニア。ニア・キースエル」
「……レイシア・レヴィトロイ」
「レイシア、素敵な響き」
「ニアも可愛いらしい名前だね」
お互いに照れながら笑うと、二人はそのままその足は、自然と店の中へと向かう。
友達を作る。それはレイシアのやりたいことノートにおける、最古参の項目だった。確か、二番目に考え付いたものだったはずだ。そして、それが今、叶えられようとしている。
友達と買い物をする、なんて細やかで、難しかった願いを、今は誰にも邪魔をされない。
ごめんね、テル。と、内心で謝罪をしたレイシアは、いまだ待ちぼうけをするテルを今だけ忘れて、ニアと賑やかな街へ繰り出したのだった。
――・――・――・――
「ど、どうして、二人が……?」
両手いっぱいの荷物をもったレイシアとニアが、談笑しながら店を出てくる姿を目撃したテルがあんぐりと口を開ける。
「あ」
テルの声を聞いた二人が、同時に目線をやる。
「ごめんテル、凄い待たせちゃった」
「テル、なんでここに?」
レイシアとニアがそれぞれの反応をすると、その状況に違和感を覚え、互いに顔を見合わせた。
まるで浮気現場を目撃されたような、きまりの悪い顔をしたテルが「えーっと」と発するべき言葉を探して頭を掻いた。
「二人は、知り合い……?」
やっと出た質問に、二人の少女は同時に頷く。
「ついさっきそこで仲良くなったの」
普段通り淡々と答えるニアがレイシアに目をやる。一方レイシアは状況を飲み込むのに時間がかかっているようで、まだテルとニアの顔を交互に見やっている。
「あぁ……、そっかぁ」と、はっきりとしない相槌に、今度はニアが問いかけた。
「テルは、レイシアを知ってるの?」
「なんていうか、うん。色々あって」
「? ちょっとよくわからない」
本来一緒にいるはずだったニアをほったらかしにして、別の女の子と行動を共にしていたという体裁の悪さのせいで、テルの説明は要領を得ない。ニアはそのことをたいして気にしていないのだが、生来の表情の薄さが、テルの焦りに拍車をかける。
普段であれば、素直に事のあらましを話すのだが、テルはレイシアに、
「私のこと、口外禁止ね?」
と口止めをされていた。
離れの家に帰るまでに、時間をかけて言い訳を考えるつもりでいたテルは、そんな準備も許さない運命を前に、たじろぐことしかできなかったのだ。
「えっと、それは……」
「家出をしてる私に、テルが一緒に居てくれたの。ほら、美少女が一人で出歩くとさっきみたいになっちゃうでしょ?」
言葉を被せたレイシアは、自信ありげに胸に手を当てて、テルに助け船を出した。テルには「さっきみたいに」の意味は理解できなかったが、肝心なニアが納得してるので、テルは息をついて、「そう、そんな感じ」とその言葉に便乗する。
「ごめんニア、図書館に置いてきぼりにしちゃって……」
「ううん、気にしてない」
何となく山場を越えた気分になったテルは、できてなかった謝罪を口にすると、ニアは「お互い様だったから」と首を振った。
「怒られなくてよかったね」
わざとらしく声をかけたレイシアは、ぐっと言いたいことを我慢しているテルを見ると、口元を押さえて笑った。
悪戯に思えるレイシアの言葉だったが、本人に揶揄するつもりはそれほどなく、限りなく本心から出たものだった。だって、一緒に生活しているのに重い雰囲気だなんて、嫌に決まっているのだから。
「三人の共同生活、ますます楽しみになってきちゃった!」
――・――・――・――
買い物を終えた三人は、そのまま歩いてブラックガーデン邸へと帰宅した。
いつの間にか仲良くなっていたレイシアとニア。そのおかげでレイシアの宿泊に対し、むしろニアは前向きで、テルが案じていたようなことは何も起こらなかった。しかし、想像以上に打ち解けていた二人を前に、テルは若干の疎外感を抱きながら、二人の後ろを歩いた。
一瞬、イブがニアの髪の隙間から姿を覗かせて、テルに視線を送ったが、明らかに馬鹿にする眼差しだった。
ブラックガーデン邸に到着すると、レイシアは茫然と立ちすくむようにして、見渡しきれない敷地を眺めた。
「これが宿屋なんだ、聞いていたのよりずっと大きいんだね!」
などと、世間知らず発言をしていた。夢を壊すことに申し訳なさを感じつつ、ブラックガーデンに建物を貸して貰っていると話すと、わかりやすく肩を落とした。
「じゃあ、あの建物全部は使えないってこと……?」
「そもそも、私たちの借りている建物はあの離れだよ」
「えぇ……小ちゃい……」
あれでも十分広い家なのだが、と苦笑するテル。
しかし一方で、きっとこの世界に来たばかりの頃の自分も同じような感じだったのだろうか、という親近感も抱いていた。
帰宅したときにはもう夕方になっていたので、ニアはすぐにキッチンに向かった。新しい料理本を手に抱えて、いつもより意気揚々とした面持ちで、
「今日はレイシアのためにも頑張らなくちゃ」
と意気込んでいた。
ニアの料理をしている間は、レイシアとイヴが顔合わせをして、そのまま戯れていた。
イヴはテルに対して非常に警戒心が高く、たまに撫でさせてくれることもあったが、ほとんどは引っかかれたり叩かれたりされるばかりだ。また、セレスやカインと仲良くしている場面を見たこともなかったので、ニア以外には懐かないものだと思っていたのだが、
「イヴちゃん、さらさらふわふわでかわいい~」
レイシアに撫でられるのが心地良いのか、仰向けに伸びながら、されるがままのイヴを見たテルが目を丸くした。イヴを撫でてご満悦のレイシアは、悔しがるテルを見ると、静かに誇らしげな笑みを見せつけた。
そんなことをしていると、夕食の時間はすぐに訪れた。三人で使うには大きなテーブルには、様々な料理が並べられていた。
「これ、めちゃくちゃ美味い……!」
「見たことのない食材やスパイスがあったから使ってみたんだ。美味しくできたみたいでよかった」
テルは焼かれた鶏肉を口一杯に頬張る。味わったことのないスパイスは、食欲をさらにかき立てた。
「ほら、言った通り美味いだろ———、レイシア?」
テルは誇らしげにレイシアの方を見る。しかし、テルの声が重く静かになったのは、そのレイシアが音もなく涙を流しているからだった。
レイシアは脇目も振らず、ひたすらに食事を口に運び続けていたが、自分が視線を集めていることに気が付くと、やっとその手を止めた。
「あまり、口に合わなかった……?」
「え、凄くおいしいよ。どうして———、あぁ」
きっとそのとき、自分が泣いていることに気が付いたのだろう。レイシアは手で涙を拭う。しかし、涙はそう簡単には止まらず、次第に呼吸も震え始める。
「違うの、本当においしいの」
レイシアは涙を止めることを諦めて、顔を濡らしたまま新しく食事を頬張る。
「こんなにおいしいもの、今まで食べたことなくて」
口に食べ物が入ったまま、強引に話す姿はどこか幼い子どものようだ。
城のなかで生活をしてきて、ほとんど外に出ることが叶わなかった。
テルが聞いた話はたったそれだけで、レイシアがどんな人生を辿り、どんな気持ちでテルに「自分を誘拐しろ」などと言ったのか、何もわからない。
テルはレイシアのことを何も知らない。きっとニアも何も聞かされてない。
ただそれでも、泣きながら必死に料理を食べるレイシアはあまりにも等身大のレイシアで、それ以上の説明を求めたいとは思えなかった。事情なんて、明日にでも聞けばいいのだから。
「ほら、ちょっとあげるよ」
テルは自分の分の料理を少し切り分けると、レイシアの皿に乗せた。レイシアは驚きでテルの顔をまじまじと見る。レイシアの表情は明らかに嬉しい驚きだったので、テルは何も言わずに頷いた。
ニアは困惑と心配が混ざったようにレイシアを見つめていたが、そんな様子を見て安心したのか、柔らかく笑う。
「おかわりあるから、いっぱい食べて」
ニアの気遣いに、顔をびしょびしょに濡らしたレイシアが頷くと、テルとニアも追うように食事を再開した。
その後すぐに食事は終えられたが、暖かな光がしばらく窓から漏れ続けていた。
こうして、大事件のきっかけとなる一日は、賑やかな団欒とともに幕を下ろした。




