第3章4話 ウィズアウト・ノック
王都二日目。テルは、巨大な建物の迫力に圧倒されていた。
「まじかよ……」
テルの前に聳えるのは、図書館と呼ぶにはあまりにも豪華な施設だった。繊細な彫刻が所狭しと並び、巨大な美術品そのものに思える。さらに、その先に高く伸びる王城は凄まじい迫力で、これほどに立派な建物をテルはいまだかつて、見たことがなかった。
「ここが、世界で一番大きな図書館、カナン大図書館。そして、奥のお城がカナン城だよ」
そう語るニアのテンションは、いつもよりもかなり高い。そういえばニアの一番の楽しみがここだと言っていた。
「何百年も前の建物がまだ使われていて、この図書館に置いてない本はないらしいよ」
ニアの図書館へ向かう足取りは意気揚々としている。少し大袈裟に聞こえる説明だったが、この建物の迫力と、今にもスキップをし始めそうなニアを見ると、テルは疑う気持ちが湧かなかった。
テルとニアが訪れたカナン大図書館は三番区にある、王都屈指の観光名所だった。
王都の街は、防壁で仕切られるごとに四十までの番号で区分けされており、中央のカナン城に近いほど番号が小さく、離れるほど大きくなっていく。
1番区は丸々カナン城になっているので、この大図書館は王城とかなり近くに立っており、それだけソニレ王国にとっても重要施設なのだ。また、大図書館から見上げたときの王城が、最も威容ある姿だと言う人も多い。
「読みたい本があるんだっけ」
大図書館に入った二人は、広いエントランスを歩いていた。まるで宮殿のような大理石の床とシャンデリア、そして屋内にもある彫刻はとても図書館とは思えなかった。
書庫室までの長い回廊でテルが尋ねると、ニアは強く頷く。
「うん、『レブンの冒険』っていう小説の外伝の三巻なんだけどね、どれだけ探してもコーレルにはなかったの。カインも同じ小説が好きなんだけど読んだことがないくらいで、噂では発行した部数が凄く少ないらしいんだ」
「なるほど、それで楽しみにしてたんだ」
納得したようにテルが口にする。思い出してみれば、ニアはカルニ地方でも本屋を覗いていた。
「でもいいの?」
そんな言葉とともに、ニアは晴れない表情でテルの顔を見上げる。
「私はすごく楽しいけど、テルは退屈かも……」
「いや、俺のことは気にしないで。俺も色々本を読んで勉強しないと」
記憶喪失を言い訳にした無知からの脱却を計るテルの言葉は、やる気に満ちていた。ブラックガーデンを始めとした、知っておくべき人物や出来事は沢山ある。今までは何かと理由をつけて、勉強から逃げていた。しかし、せっかく大図書館に訪れたのだから、有意義に時間を使わなくてはもったいない。
「そっか。でも、つまらなくなったら、先に帰っていいからね」
「そんなことしないよ」
テルがニアの心配を笑い飛ばすと、ちょうど書庫室にたどり着いた。
それほど高くない天井一杯まである書架が、室内いっぱいに広がっている。これだけではそれほど大きな図書館という実感はないが、同じような部屋があと幾つもあるらしい。
「じゃあ、またあとでね」
「うん、楽しんで」
手を振ってニアと別行動になったテルは、腕を組んで息を深く吐いた。勉強というだけで、少し気が重い。
「まずは……歴史とか、かな」
施設案内図を頼りに、歴史書が多く置かれた書庫までやってきたテルは、大図書館の大きさを身を以て実感していた。
「思ったより探すのが手間取った……」
それほど人気のあるジャンルではないため、周囲に人の姿はいないのに、小さく独り言ちたテルは、ちょうど良さそうな本を探した。
「こっちは難しそうだし、こっちは分厚いし……これかな」
そうしてテルが見つけたのは『子どもでも解かるソニレの歴史』という本だった。異世界の文字が読めるようになったとはいえ、まだ馴染み切ってないテルにはぴったりな、まさしく子ども用の歴史書だ。薄い冊子で、全部で『創国期』『開拓期』『現在』の三冊で構成されている。
それらの本を手に取ったテルは、閲覧場所に向かう。しかし、そこが専門書を中心としたエリアだったためか、険しい表所で、分厚く難しそうな本とにらめっこをしている人ばかりだ。
幼児向けの本を読むには居心地が悪そうだなと感じたテルは、そっとその場を離れた。
本を読めれば、机や椅子がなくとも構わない。可能なら人目のない場所がいい。
そんなことを思って、図書館を徘徊していると、地下に続く階段があった。
案内図にはその先に何があるかは書かれておらず、特に立ち入り禁止の看板もなかった。人気はなく、薄っすらとした明かりと手すりしかない。
「ここでいいか」
テルは地下への階段を少し下り、踊り場に腰を下ろすと、持っていた『創国期』の本を開く。
「創国期……これは神話に近いのかな。後回しでいいや」
軽く目を通すと、最初の国王が神様から王冠を授かる場面や、その国王が巨大な七つ首の龍と戦っている場面など、現実味の薄い内容が物語調で記されていた。次に『開拓期』を開くと、歴代国王や偉人の名前が記されており、先ほどより歴史の教科書らしさが増している。
「うーん。その分、内容が難しい」
馴染みのない単語の羅列に、テルはそっと本を閉じる。現状テルに必要なのは、歴史を網羅することではなく、最低限の常識を備えることだ。ならば、と思い開いたのは『現在』の本だ。
そこには、現在王位に就いている人物の名前などが書かれており、まさしくテルの求めているものだった。
「現国王のエルヴァーニ・L・ソニレ……」
肖像には、白い髭を蓄え、厳かな表情の老人が移っている。王位に就いて約三十年のエルヴァーニ王は、民からの多くの支持を受けているようだ。
無理やり書かせたものかもしれないと思ったが、悪政を敷いていた前国王をけちょんけちょんに罵っていたため、いまいち判断がつかない。
「一人息子のヴァルユート皇太子。王女と王妃は十五年ほど前に亡くなった……」
テルは、羅列されている情報を目で追っていく。
現在の特位騎士は三人、『千剣』ロンド、『妖艶』カミュ、『万華鏡』シス。
どうやら、特位騎士になると、二つ名が与えられるようで、『万世氷山』のブラックガーデンも、昔は特位騎士だったのだろう。よく見ると、百五十年前にも名前が載っているが、きっと誤植だろう。
凄い人脈ができていたという実感に、微かな緊張感を覚えつつ、ページをめくると見覚えのある人物の肖像を見つけた。
「『要塞』……ってこれリベリオじゃんっ!?」
不愛想に視線を尖らせた、若い頃のリベリオが、確かに乗っている。予想外のことに驚きで、体を反らすテルは、思わず頭を手すりにぶつけた。
「いでっ———ん?」
後頭部を押さえ、悶えるテルは奇妙な音がしていることに気づき、耳を澄ませた。
ずずっ、と何かを引きずるような地鳴り。その中で微かに金属音も聞こえたかと思えば、大きく何かが落ちたような音が響いた。
「なんだ、これ……?」
不可解な音の正体に、テルは口を震わせた。
収まらない小規模な地鳴りは、目の前の壁の一部が横にずれることで生まれていたのだ。
重たい音が鳴りやんで、スライドした石の壁が見えなくなると、代わりに現れたのは真っ暗で、どこに繋がっているかわからない通路だった。
「隠し通路……?」
恐る恐る覗き込むと、少し奥に階段があり、地下に続いていることがわかる。
「なんでこんなところに通路が……。そもそも、どこに繋がってるんだ……?」
腕を組み唸るテル。すると、隠し扉がまた地鳴りを響かせ始める。開いていた扉が、閉まろうとしている。
「くっ……!」
行くか、行かないか。咄嗟の選択を迫られたテルは、もはや思考を巡らせる余裕はなく、純粋な衝動のようなものに背を押されて、急かされるように隠し通路に飛び込んだ。
真っ暗で黴臭い通路に足をつけると、背後で扉が完全に閉まる。
やってしまった。
通路の裏側から、どうすれば扉を開けることができるのか、皆目見当がつかない。
今思うと、テルが頭をぶつけた手すりがきっかけで隠し扉が開いたのだろう。
後先を考えず、行動をしてしまった自分の愚かさへの悔いを捨て置き、懐に仕舞っていた魔石を取り出した。
「ファイアフライを持ってて助かったな……」
テルの手から、飛び立つように浮かび上がった火の玉は、そのままテルの周囲を旋回し足元を照らしてくれる。
改めて、扉を開けられそうな何かを探すが、やはり見つからない。
「もう、先に進むしかないのか」
暗い道で、心細さをごまかすためにわざわざ独り言を口にしたテルは、先の見えない通路の奥に視線を送った。
下りの階段は思ったよりも早く終わり、その先は延々と平坦で真っすぐの道が続いていた。地下に下りてからかなり歩いたテルだったが、代わり映えしない景色と出れるか否かの不安で、精神的に消耗していた。
閉じ込められた時点で、もう少し頑張って脱出を試みるべきだった、そもそも隠し通路に入るべきじゃなかった。そんな身のない後悔をしていると、景色に変化が訪れた。
「上りの階段……」
曲がり角の先で、現れた階段を前に、テルは深く息を吐いた。引き返すという選択肢も頭に浮かんだが、ここまできたら、その先を見たいという思いで、階段を上がる。
階段を上り始めてから、通路の様相が僅かに変化していた。全体的に作りが丁寧になっており、さらに上がると窓があった。
久々の日の光に心が安らぐ。この場所はかなり高度があるようで、小さな窓から外の様子が一望できた。
「こんな高い建物あったっけ?」
生じた違和感をなかったことにして、歩みを進めると、ついに行き止まり———否、頑丈そうな石造りの扉に辿り着いた。先ほどと同様、壁に擬態した扉だが、今のテルにはこの不自然な作りは扉にしか思えない。なにより、すぐそばにレバーのようなものがある。
テルは僅かな逡巡ののち、レバーを引く。すると、静かな音とともに、軽やかに扉が開いた。
そして、テルは息を飲んだ。その視線の先にいたのは、見目麗しい、長い金色の髪の少女だった。
日光を受ける黄金の長髪は、水が流れるような艶やかで、僅かに淡い紫を反射していた。華奢な体躯のためか服が着崩れているが、そうとは思わせない気品がある。頬杖をついて、窓の外を見下ろす姿は、その憂いを孕む表情を含めて様になっており、思わずテルは見入ってしまった。
「だれっ……?」
少女の薄藤色の瞳が、揺れた。
「っ!?」
お互いの視線が交わって、石になったように硬直する二人。しかし、動き出すのはテルが先だった。
「ストーップッ!」
「きゃあ……むぐっ、ぅ——————っ!」
悲鳴を上げる少女より先に、その口元を強引に押さえつけるテル。誤解が生まれる前に、と咄嗟に動いたが明らかに絵面はやばい。
「いや、違うんだ。俺は怪しい者じゃなくて、さっきまで図書館にいたのに、迷ってたらいつの間にかここに来てたんだ……!」
テルは声を潜めて懸命に訴える。テルに口を押さえられた少女は身じろぎをしながら、怯えた目が必死に首を縦に振る。
横に振れば、命の危険があると思っているのかもしれない。
いくら捲し立てようと、きっと怖がらせてしまうだろう。そう判断したテルは、一度深呼吸をして、出来る限りの平然を装う。
「乱暴なことをして本当にごめん、すぐに出ていくから、どうか叫ばないで……」
懇願するような声音に、少女は間をおいてから小さく頷く。それを確認したテルはそっと手を離した。
少女はへたり込んだまま、解放された安堵から大きく息を吸った。そこから叫んだり、人を呼んだりする素振りはないので、テルはゆっくりと後ずさる。
「じゃ、じゃあ、お邪魔しました……」
何事もなかったように済ませるため、逃げるように扉に近づくテル。
「待ちなさい」
しかし、そう簡単には終わらない。
少女の凛とした声にテルの背筋は凍り付いた。
立ち上がった少女が、冷酷な眼差しをしている。
「な、なんでしょうか」
「あなた、ここがどこかわかっているの?」
もはや、少女に怯えていたときの弱々しさはなく、今は罪人を断罪するための鋭い視線をテルに向けている。
「大図書館でないなら、わからないです……」
素直に答えたというのに、少女は呆れた表情をしている。
しかし、説明をされるまでもなく、テルは気づいた。
首を振ったとき、大きな窓がテルの視界に映った。そこからの景色は薔薇の都 カナンの街並みが全てが収まった絶景であったのだが、これほどに高い建物には、一つしか心当たりがない。
ここは、王城だ。
テルの表情がみるみる悪くなっていく。
ただ迷子になっていただけかと思いきや、自分は王城に侵入していたのだ。
「やっと気づいたんだ。そう、ここはあなたのような平民が、おいそれと立ち入って場所じゃないの」
少女が険しい声音で告げる。王城の中だと言うのに寛ぐようにしていた少女は、やはり只者ではないのだろう。そんな想像で不安が加速しているテルに対し、少女は何を思ったのか、少したじろぎながら、
「あ、別に見下している訳じゃないから、気を悪くしないでね」
と、よくわからない不安混じりの補足が入る。
「知らず知らずのうちに入ってきたっていうのは、わかる。でも、はいそうですか、で許される事でもないの」
「……あの、それは」
「あなたを生かすも殺すも、私の気分次第ってこと」
天使のような美少女が、悪魔的な発言をテルに浴びせた。
「なにをすれば、いいんですか……?」
形勢逆転とばかりに、口元を隠して笑う少女は「ふふっ、物分かりがよくて大変結構」とご機嫌に言う。
「あなたの名前は?」
「……テルです」
「そう、テル。いい名前ね」
名前を呼ばれたテルは、もう逃げられないことを悟った。名前を尋ねられたのは、刑罰を下される直前の格式ばったやり取りにしか思えない。
「では、テルに命じます」
少女は、長い黄金の髪を撫でて、胸に手を当てた。真っ直ぐな視線はテルを捉えている。
「私、レイシア・L・ソニレを、今ここで誘拐しなさい」




