第2章21話 誰が為に剣は踊るか
「はあ?」
テルの首を掴んでいた腕が、肘の辺りから綺麗な断面で断たれ、ノーラントが間抜けな声を上げた。
切られた腕に首を掴まれていたテルは、そのまま落下して倒れるかと思われたが、なにごともなく地面に着地した。
ノーラントの腕を切り落としたのは、空中に突如として現れた剣だった。空に浮かぶ以外はなんの変哲もないよくある長剣は、役目を終えたというように、瞬く間に消滅した。
「女の前で啖呵を切ったんだ。あまり無様を晒してはいられないだろ」
重みのある声音で、そう口ににしたのはテルだった。しかし、どこか様子がおかしい。
茶色よりの黒色だったテルの髪の毛は、どこか鮮やかな赤みを帯びており、前髪を鬱陶しそうにかき上げると、露わになったのは黄色く光る瞳だ。
「まだ手を隠していたのか。小賢しいッ!」
「いいや、真打ちさ」
唾を飛ばして怒りを表し、後退して距離をとるノーラントに、テルは飄々と答えてみせる。
その不自然なほどに彼が纏う余裕は、正面のノーラントから見ても、後ろで立ちすくむニアから見ても別人のような雰囲気を醸している。
よく見ると僅かに身体的な特徴が変わった。いや、それよりも纏う風格と魔力の質がさっきとはまるで別物だ。
虫の息だった敵、その隠し立てしていた切り札の正体を看破せんと思考を繰り広げるが、爆発的な魔力の増加を説明できる答えをノーラントはいつまでも見つけることができない。
そして、またしても何もないところから剣が現れる。いや、黒い砂から形作られるといったほうが正確だろう。
空中に創り出された二本の大剣は、ノーラントに切っ先を向けて凄まじい速度で射出された。
直後、爆音とともに砂塵が舞う。打ち出す燃料である濃密な魔力は、剣の投射では到底生み出し得ない爆発と破壊を引き起こす。
しかし、砂煙の向こう側にあるシルエットはいまだ健在だ。
「見掛け倒しだな、私にもできる」
吐き捨てるように言うノーラントが苛立たし気に言った。
砂煙を払うその腕は、先ほどテルに切られたはずの右腕だった。新しく生え変わった腕は黒々とした臙脂色の肌で、それが『蟲』の異能による身体の補修であることがわかる。
私にもできる。
そう言い放ったノーランドは、その言葉通り指を打ち鳴らすと、何もない地面からゆらゆらと不安定に揺らめく黒いナニカが現れた。
「魔人の真似事さ。数では奴らに及ぶまいが、質は魔獣の比にならんぞ。全てがドールと同等の性能だ」
十を超える黒い物体はやがて野性的な中型の四足歩行の獣のようなフォルムに落ち着いたかと思えば、それらすべてがテルに牙を剝けている。
突如として自分を囲もうとする『蟲』の獣たちを、テルは見定めるように一瞥すると、脱力した姿勢のままで周囲の魔力が蠢き、大量の黒い砂が空中に拡散し、百を超えた剣が空中に現れる。
始まりの合図はなかったというのに、両者は同じタイミングで仕掛けた。
一直線にテルに向かう蟲の獣。そしてそこに降り注ぐ無数の剣の雨。
獣はその身を剣に貫かれようとも、その歩みが迷うことはない。しかし、それが五本、十本と数が増えればそうもいかない。
全ての蟲の獣は、敵に牙を食い込ませる前に、息絶えてしまった。腕を捥がれ、頭部を弾かれ、木っ端微塵にされた蟲の残骸があたりに飛び散る。
そして、ノーラントの不意打ちも難なく防がれてしまう。
ぎんッ、と硬いもの同士をぶつけあう音がした。
直立姿勢を変えないテルの背後で、剣が魔弾を弾いたのだ。
「……背中に目でもあるのか」
確実に仕留めるべく放った背後からの一撃を、呆気なく防がれたノーラントは悪態をついた。
ノーラントが魔弾として放った黒泥に、使い捨てのものは一つとしてなかった。
一度、打ち出して壁を粉砕するだけだった黒泥。万が一の時に備えた雫たちは、その場で待機状態になっていた。
たった今起きた獣と剣の応報に標的が意識を向けている最中、新しく使命を得た黒泥は魔弾となってテルを背後から打ち抜くはずだった。
テルは目を細めて笑うが、ノーラントはその挑発を無視して黒い宝玉に魔力を送る。
自分の機嫌至上主義であるノーラントが、挑発を無視したのは、紛れもなく彼が焦り始めている証拠だと言えよう。
先ほどまでの戦いでテルの周囲にちりばめられた黒泥の雫たちに再び魔力を与えるノーラント。あらゆる方向から発射された魔弾。しかし、それらも悉くが、さっと現れ、ふっと消える剣に砕かれていく。
「ちぃっ!――― ぐわあっ!」
有効な攻撃がないことに舌打ちをした直後、ノーラントに凄まじい衝撃が降りかかる。
テルが撃ち放った剣が、視界の外れから回り道をするようにノーラントの背後を取り、直撃の間際、自動反応の黒泥の壁がそれを受け止めたが、爆風が漏れ出てそれをもろに浴びたのだ。
激しい痛みと痺れはすぐさま怒りで上塗りされた。
反撃にでようと壁を解除しとその瞬間、僅かな隙を狙って放たれた剣がノーラントの半身を吹き飛ばした。
「貴様っ、貴様ァァァッ!」
怒りに任せて黒泥を乱射するが、その大半はテルに掠りもしなかった。しかし、テルは僅かに眉を歪ませた。
怒りに身を任せるノーラントの半身は既に、『蟲』により補修されている。
一見、テルの優勢に見える現状だが、長期戦になれば分があるのはノーラントだろう。
嵐のごとき魔弾の雨を、全て払いのけるテルは「はあ」とため息をついて、右の人差し指を宙に掲げた。
技を小出しにしたとて、敵の防御を掻い潜るのは難しい。威力と速さとはまた別に策を講じなければならない。
息を吸って、全身に魔力を巡らせると、指の先に熱が集まる。
「『剣の輪舞曲』」
テルの詠唱の直度、空間全域が別の魔力に塗り替えられたのを、その場にいたノーラントとニアは感じ取った。
その魔力の源泉であるテルの背後に舞い上がる黒い粒子。それら全てが結合し、幾つもの剣が創り出されていく。
数は十、百、千を超えた。尋常ではない数の剣は一個の軍隊に与えても有り余るほどに思える。
そして、剣は、踊り始める。
舞い上がった剣たちは輪を作るように整列し、車輪の如き回転を始める。音もなく一糸乱れぬ演舞は、時計が時を刻むようにも見えるし、太陽と月の順行ようでもある。
当然その輪転は一つではない。十を超える剣たちの輪は、大小さまざまな大きさがあり、それから幾つも重なり合うさまは、さながら幾何学的な曼荼羅を彷彿とさせる。
「『アイネクライネ・ナハトムジーク』」
そして、その身に眠っていた『奥義』を呼び覚ます。
テルが指揮をするように指を振り上げると、剣の輪舞たちは自由に舞い上がり、交差し、自由でしかし規律的な踊りを見せた。
各々の剣輪舞は、楽曲に合わせたように宙を舞う。
天井から床までを、壁から壁までを、精一杯に空間を使った踊りには、砂時計を眺めるような流麗さと鋼の持つ恐ろしさを孕み、人を魅了する美しさがあった。
しかし、その舞踏を前にした者が想起するのは圧倒的な破壊だろう。
鷹揚な動作で指を振り下ろす。すると、自由な輪舞達は一斉にノーラントに降りかかった。
「戻れッ! そして、私を守れッ!」
ノーラントの直感が危険信号を発し、全ての黒泥を呼び戻すと、そのすべてを防御に充てた。
剣の輪舞が降る。
廻る剣が黒泥の壁を確実に抉り取っていく。
いままでの直撃を防いで勢いが死んでいた剣たちとは訳が違う。剣の一本一本が役割を果たさんとしているような、魔力の圧がある。
旋転と奔流を繰り返す魔力の暴力が、旋回する鋼の破壊が、ゆっくりとノーラントを蝕んでいく。
「ふ、ふざっ、ふざけるなああぁっ!」
黒い宝玉に持てる限りの魔力を注ぐ。生み出される泥は破れつつある壁を補強し続けた。
鋼の旋律が、鳴りを潜める。
剣輪の演舞を防ぎ切ったノーラントが、汗にまみれた顔を上げると、驚愕した。
今のは数ある剣の輪のうちの一つに過ぎないのだ。
「まて、まて、まてぇぇええっ!」
テルが空いている左手に剣を握り、空を切る。
すると剣の輪の内の一つが輪を解いて一直線にノーラントに襲い掛かる。そしてそれと同時に別の剣輪舞が舞い上がる。
「やめろぉぉぉぉおおおっっ!!」
声を上げたノーラントが、黒泥の壁を放り出し、背を向けて逃げ出す。
追尾する剣がノーラントの足元に破壊をもたらし、ノーラントが前方に勢いよく吹き飛ぶ。
尻をついて後ずさるノーラントが蟲の異能で肉壁を作るが、剣たちが削り取る。
「いぎぎいいいぃぃぃいい!」
蟲の肉も痛覚があるのだろう、ノーラントが悲鳴を上げた。
ノーラントは無事な左手で宝玉を掲げるも、直後に剣が左肩を切り落とし、宝玉諸共地面に落ちてしまう。
「ひぃぃ……ひいぃ……」
両の手を失い、項垂れて気持の悪い音を立てて呼吸をするノーラントの脳内は、現実を受け止めることができず混沌としていた。
なぜあの程度のガキに、私が負けるのか。
私は大義を背負っているのに、
目先の程度の低い欲求に執着している愚者に私が負ける道理なんてあっていいはずがないのに!
死にたくない。
私はいつだって死地を潜り抜けてきた。
死にたくない。
いままで死ななかったのは私が正しかったからだ。
死にたくない。
ならば、私はなぜ今にも殺されそうになっている?
自分の手に剣を握ったテルは、決着をつけるために傍観をやめ、自分の足でノーラントに歩み寄ろうとした。
「ひ、ひひひ、いひひひひひひ。ひゃっひゃっひゃっひゃあっ!」
突然笑いだす気味の悪さにテルは思わず一歩引いてしまう。しかし狂気に犯された目をしているのを見て、足を止めたのは正しかったと、すぐに踵を返した。
あの顔をした奴は碌でもない人間の中でも、最も碌でもないことを考えていると相場が決まっている。
「運試しだっ! 私とお前のどちらが正しいか、平等に推し量るとしようじゃないかっ!」
限りなく身勝手でめちゃくちゃ物言い。そしてそれはさらに自己中心的な行動のトリガーだった。
ノーラントの周囲の魔力が揺れ動き、テルは火魔法の気配を察知する。
天に身を委ねるように両手を広げ上を見上げるノーラント。逃げ出す気配はなく、ブラフであるような様子もない。
そんな考えをしていると、地響きのような振動が礼堂を揺らした。
ああ、なるほど。
納得がいくのとほとんど同時に、ノーラントの床が崩れ落ち、礼堂の壁が爆発した。
自爆。道ずれ。ノーラントにとっては生き残るための運試し。既に奈落に落ちた男のことを思いつつ、テルはニアのいる場所まで駆け抜けた。