第2章20話 ロストマン
ノーラントの背後にはドールが控えており、ぐったりとするカインとセレスが抱えられている。
「ぁぁ、そんな……」
それに気づいたニアの小さな悲鳴が聞こえた。
しかし、大きな傷は見当たらない。きっと生きている。
「貴様ごとき無能が、ニアどころか私に勝てるとでも思っているなら、それは蒙昧さが見せる妄想だ」
「黙れよクソ野郎。もうお前を、ニアに一歩たりとも近づけさせやしない」
テルは宣言と共に一歩、ニアの前に立った。すると同じくノーラントを守るようにドールが立ち塞がる。
カインとセレスを人質に取らず、入口の脇に倒されており、テルにとってはこの上なく都合のいいことだった。
しかし、それは腕に自信があることの証明でもある。
「ドール、無事に返す約束だ。そうそう味わえない苦痛を与えた後でニアに治させる。強者に楯突くという愚を存分に教えてやりなさい」
自分の言葉に矛盾があると疑いもしないノーラントに、「御意」と短く答えるドールは、体から鉈を作り出した。
「テル……」
ニアがテルの名前を呼んだ。自分のせいで傷つく人を増やしたくない。その気持ちがテルにも向けられているのだとわかり、胸が熱を帯びる。
「俺、もっとニアと話がしたいよ。俺も話してないことが色々あるし、お互いにお互いを何も知らなさすぎる。だから帰ったら最初に自己紹介をしよう」
視線だけをニアに向けたテルが笑いかけた。ニアは驚いたように目を見開くと、涙ぐんだ声で頷いた。
「……うん」
ドールの鉈とテルの剣が火花を散らして交差する。
剣で切り結べば、体格に分があるドールが有利だというのに、テルが飛び込んだのは、自分の体積の減少であるとドールは考えた。
先の戦い、間一髪のところでノーラントに助けられたが、ドールは斧一振り分の我が身と、黒泥の鎧の大半を失っている。
泥の鎧は全身を覆うことはできないが、基本的な攻撃は武器で防御すればなんてことはないはずと踏んでいたドールだったが、それは楽観だった。
魔力が渦をまいたテルの剣を鉈で受けるが、あまりにも重い一撃に、ドールは表情を歪ませる。
弾かれた鉈をなんとか引き戻し、辛うじて次の攻撃を防いだが、次こそは防げない。
いざというときの切り札のつもりだった、小さくして忍ばせていた黒泥の鎧が展開する。
迫る斬撃の威力が殺されると、テルは少し眉を上げ距離を取る。
ドールは、短時間で黒泥の鎧を使わされたことに屈辱で下唇を噛むが、一方で自分の優位を確かに感じた。
目の前の敵が、ドールの弱点となる武器を使うことは知っていたが、それは魔法ではなく、明確な隙がなければ、簡単に食らうことはないだろう。それに爆弾なら数に限りがあるはずだ。
ドールが傍からはそうは見えない笑みを浮かべて、地面を踏み込むと、小さな爆発音とともに周辺が煙に包まれた。
「煙幕? 目潰シカッ!?」
想定外の出来事に足を止める。
視界を奪われたなら、確実に不意打ちが来る。
ドールが神経を研ぎ澄ませると、なにかが迫ってくる気配がある。
「ソコ!」
背後から近づく影を、一刀両断するドール。確かな手ごたえと飛び出す赤い物質に、鼻を鳴らすが、すぐに異変に気づいた。
切った影から溢れたのは血でも腑でもなく、大量の粉末だ。
「グ、グオゥッ!」
目と鼻から大量の刺激物を吸引して、脳内がパニックを起こす。
自分の体を模したダミー、そして鼻と目の粘膜を痛めつける粉末。それらは明らかに土魔法の領分を超えている。
「異能者カッ!」
納得のいく結論に至ったドール。前の戦いは市街地の真っただ中、人の目もあったがゆえに相手も全力ではなかったと知り、腹の中が煮えるような激情が押し寄せた。
「小癪ッ!」
目潰しに目眩まし。力のない弱者の足掻きが如く醜い戦法。怒髪天を衝くばかりに全身を震わせる。
鉈に更なる刀身を与え、巨大化した得物で煙を振り払わんと空を切り裂く。
ドールの特異な体質は目潰しの粉末を即座に克服し、すでに視力は戻っている。
姿を現したときが、あの男の最期だ。
確殺の決意を固め、生み出した空気の乱れで煙幕が完全に取り払われようとしたそのとき、足元に転がってくる物体があった。
黄色く苦い皮と酸味の強い実を持つ果物。檸檬だ。
なぜ急にこんなものが?
純粋な疑問に思考が停止したその刹那、檸檬は内側から強烈な威力で爆発した。
目潰しとは違う黒煙が引くと、ドールは蹲るようにしている。周囲には飛び散った黒い液体があり、それはドールを守りきって機能を失った鎧であったことがわかる。
今のドールは、限りなく無防備だ。
「醜い裸体だな。服でも拵えてやろうか」
「貴様ァァアアアッッ!」
声を荒げるドールに、テルは淡々と爆弾のナイフを投げた。
さっきのような爆発を食らえば、無事では済まない。その確信があったドールは、青ざめてナイフを必死で弾き飛ばす。しかし、そんなわかりやすい態度はそれが弱点であるとひけらかしているようなものだ。
『オリジン』によって際限なく生み出される爆弾をドールは必死に躱した。
防戦一方の戦いは、敗北を知らないドールを委縮させ、動きに乱れが生まれる。
「ァア」
二本の鉈をもってしても、確実に当たると悟った一つの爆弾を目にしたとき、ドールの周囲の世界は、進みが遅くなった。
避けられない敗北。逃れられない死。
それらを前にした怪物ドールは、全く新しい自分の可能性を見出した。
爆弾のナイフが後方に弾かれて爆発し、テルの眉がぴくりと動く。
死角を狙った投擲で、勝負を決めた自信があったテルは目を疑った。
ドールの肉体。しかし、形状は全くの別物と成り変わっていた。
完全な球体。黒っぽい臙脂色のボールのような物体がそこにあった。
テルはすぐさまそれがドールであると判断し、爆弾ナイフを投げる。
しかし、ボールは急速に横回転を始めると、テルのナイフを別の方向に弾き飛ばした。
その驚異的な回転に秘められた破壊力をテルはすぐに感じ取った。しかし、ドールの回転速度は留まることを知らない。
魔力を体の回転に全て裂いてさらに速度をあげる。床が抉られ砂塵が舞い、つむじ風が生まれる。
あらゆる自分の体を模索して得た、最も合理的な肉体の容。
「貴様ゴトキ、挽肉ニシテクレルワッ!」
どこが発声器官なのか見当もつかないが、快哉を叫ぶドール。
ひとつ前の敗北を乗り越え、自分史上最高潮を感じていたドールの、最大の破壊力を誇る突進。
目の前に迫る脅威。直撃すれば四肢は散り散りに引き裂かれるだろうその一撃を、
「邪魔だ」
テルは真っ二つに切り伏せた。
「エ?」
回転が安定しない違和感ののち、自分の体が二つになっている事実に気づく。
球体の回転の軸を定めるため、中心となる部分に置いた核が、怪物ドールの中枢が両断されている。
慣性が残った半球二つは、ふらふらと迷走した後に地面に落ち、そのまま蟲の結合が解け、見た目の悪い水溜まりのようなものができあがった。
「次はお前だ」
「その程度で粋がるな」
テルに剣を向けられてノーラントは、ドールが死んだというのに何事もなかったように口端を釣り上げた。
ノーラントが懐からなにかを取り出すと、僅かな間の後、そこから黒いレーザーを思わせる一撃が飛来する。
繰り出された魔弾。一度食らったことがあった故に、間一髪回避が成功したが、次もうまくいくとは限らない。
ノーラントが手にしているのは以前も見た黒い宝玉だ。
どういう仕組みなのか、黒い宝玉は黒泥を生み出すと、その黒泥は無重力下の雫のように、不定形な形でノーラントの周りの空中に留まった。
十個目の黒泥の雫が空中に生み出されたとき、テルは手榴弾を投げ込んだ。あのままにしていては、後々良くないことが起こる直感があった。
しかし手榴弾はノーラントに至る前に、漂っていた黒泥の玉一つが弾丸となり撃ち抜くと、空中で爆破。
それを合図にするように、漂っていた黒泥がテルに放たれる。
既にテルは走り出していた。
泥の弾丸はテルの背後の壁に着弾し、大きな爆発音を立てる。
このまま狙われ続ければ、直撃することは必至だ。そこでテルは、自分に似せた人形を数体、そしてそれら全てを包み込む煙幕を周囲に撒いた。
降り注ぐ魔弾。天井が崩れ、壁が砕かれ、床が捲れる。
九度目の破壊音が鳴り響いたとき、テルは回避行動を辞め、ノーラントに一直線に走り出した。
ノーラントの攻撃によって生まれた破壊音を、テルは全て数えていた。
煙を抜けたテル。ノーラントの周囲には浮遊する黒泥はなにもない。
絶好の好機。
テルは速度を上げつつナイフを投げつけると、ノーラントはそれを横に跳躍することで躱す。
テルの望んでいた反応だった。
もしも、漂う黒泥をカウンターように隠していたなら、おそらく今の迎撃に用いただろう。
今の一つの行動で、ノーラントにカウンターあるいは防御の準備がないことと、攻撃に移るには黒い宝玉が黒泥を生み出さなくてはいけないことが確定した。
テルは、地面をさらに強く蹴り、ノーラントを間合いに入れる。
想定外のテルの速さに、目を見張るノーラント。
テルに容赦はない。怒りと憎しみの混ざった剣で、ノーラントを切り上げた。
がきりっ。と不愉快な音が鳴り響く。テルの剣はノーラントに届くことなく黒泥の障壁によって阻まれていたのだ。
誘導された!
即座に自分が、ノーラントの思惑通りに動いていたことを察したテルの脳に危険信号が走った。
向こう側に見える冷笑するノーラントの手元には漂う黒泥の雫があり、今にもテルの胸を打ち抜かんとしている。
躱せない。
体重を剣に乗せた直後であり、テルの全筋肉はまだノーラントに攻撃の意思を向けている。いまさら回避をしようとしても間に合わない。
直後、泥の壁を飛び散らせるように爆発が起こった。
爆風と爆炎に、ノーラントが眉を顰めている。
「自分の敗北を悟っての自爆か。……いや」
煙が晴れるとともにノーラントは失望を取り消し、再び笑みを浮かべた。
そこには、半身に大きな火傷を負ったテルが片膝をついてこちらを見据えている。
爆風で魔弾を躱したのか、と納得をしながら、明らかな暴挙にノーラントは噴き出した。
「とんでもない馬鹿がいたものだ!」
馬鹿と罵るノーラントだったが、ノーラントが想定していたテルに与えるダメージより、軽傷に抑えたテルの選択は間違っていなかったと言えるだろう。
左半身の大火傷、その他多数の裂傷に、左の耳はなにも聞こえない。左目は白く霞んでいて見えにくいのでそのまま瞑っている。
そんな満身創痍のテルは戦意を失っていない。
テルはノーラントの射線を避けるために走り出す。今度は更に広い範囲で煙を巻き、視認性をさらに悪くする。
「さっきと同じか? 芸がないな」
ノーラントの挑発は、テルにはほとんど聞こえていない。
先ほどの煙幕よりも、ノーラントに近い場所にいるテルにとって仕掛ける機会が増えたことになる。
わかりやすい陽動として、テルは導火線が燃え尽きると爆発する爆弾を足元に置いてその場を走り抜けた。
爆発した瞬間、そちらに意識を向けているノーラントに攻撃を仕掛ける。
無防備の背中に駆け寄るテル。しかし、泥濘に足を取られ、バランスを崩した。
いや、おかしい。
この場所の床は全面大理石だったはずだ。泥濘なんてあるはずが―――。
「そこか」
ノーラントの声が、煙の中で響くとともにテルの足を魔弾が打ち抜いた。
テルは、勢いよく転げまわり全身を強く打った。
「くっ……つうぅっ!」
痛みに喘ぐテルを見限るように、煙が徐々に散っていく。
ゆったりと歩み寄る足音がしたかと思うと、ノーラントが嘲笑を浮かべて見下していた。
「さあ、どうした、この程度で終わるつもりか?」
大げさな身振り手振りをして喋るノーラント。テルは奥歯を噛み締めながら視線を上げると、肺の潰れるような痛みがテルを襲った。
ノーラントの爪先が、テルの鳩尾にねじ込まれ、肺の中の空気が同時に全て弾けたような感覚で、テルは呼吸ができなくなる。
「大言壮語もいいところだ。見るがいいニアの顔を。お前が弱いせいでまたニアは自分を責める。ああ、なんて可哀そうなんだっ!」
動けないテルが蹲っているのをいいことに、ノーラントはテルの頭をなんども踏みつけた。
テルが少しだけ視線をずらすと、ニアが今にも泣きそうな顔でこっちを見ている。
自分が弱いせいでニアにあんな顔をさせたのかと思うと、テルの胸はぐっと締め付けられるようだった。
でも、仕方のないことなのだ。今この瞬間を作り出すために。
肺の痛みも、打ち抜かれた足の痛みも、全て押し殺したテルが、勢いよく顔をあげた。
ノーラントはテルが持っているものを目にすると、胡乱な目をした。それからテルになにかしら暴行を加えようとしたのだろうが、テルの動きはそれよりももっと速い。だって、人差し指を動かすだけなのだから。
テルが手にしていたのは、テルの世界にはあり、この異世界には存在しなかった『拳銃』だ。
ぱんっ。
短く、甲高く、響くような銃声が鳴り響いた。
限りなくゼロ距離で放たれた銃弾は、真っ直ぐノーラントの胸部を打ち抜き、あっけに取られたノーラントが目を丸くしている。
「俺の、勝ちだ」
絞り出したようなテルの言葉。その直後、連続して六つの銃弾が、ノーラントの胴体と首と頭に命中した。
地面に倒れるノーラント。これほど身体に損傷を与えれば、どうやっても助かるまい。
テルは深く息を吐き出す。すると、蹴られた鳩尾が痛む。
終わったよ。
振り返ったテルは、ニアに向けてそう叫ぼうとした。すぐにでも悲しむ表情を拭い去りたくて、胸も苦しさも喉も痛みも堪えて、精一杯に声を出した。
しかし、それを塗りつぶしたのはノーラントの高らかな笑い声だった。
「くっ、ふふふ。はは。はっはっはっは、あっはっははははははははははははははは!!」
「な、んで……?」
ゆっくりと背後を向いたテル。ノーラントは地面に大の字になったままで笑い声を上げている。そこに出血の痕跡は一つもない。
そして、何ともなかったように起き上がったノーラントは、ずれた眼鏡を直した。
「大砲を人が持てる大きさまで縮めたのか。なるほど、良い兵器じゃないか。なにか隠し玉があると思っていたが、これほどのものだったとは!」
「な、なんで、胸を打たれたのに」
「ああ、そうだ。その弾丸は私の胸を打ち抜いた。危なかった、私が人間だったら死んでいた!」
「……は?」
ノーラントはそういうと、服の前部を引き裂く。
そこにあったのは、ドールと同じく黒々とした臙脂色の不気味な肉体だ。
「まさか……」
「ドールは私の肉体、あのガキが『蟲』と呼んだ異能の副産物だ。アレの研究に、一般的な人間の肉体では耐えられるわけがないからな」
ノーラントはアレと称してニアの方を見た。そして、自分の持つ黒い宝玉をまじまじと見せつける。
「ちなみに、この宝玉はアレの複製だ。まだオリジナルにはほど遠いが、ドールの纏っていたものよりは遙かに改良が進んでいるんだ。猿のお前にも出来の違いが理解できただろ」
急に機嫌をよくしたノーラントは一方的に喋り倒す。その間、テルは黙ってその話を聞いていたわけではない。
込められた弾丸を全てノーラントに打ち込み、懸命に最後の足掻きをしていた。しかし、ノーラントが喋り終わるより速く弾切れを起こしてしまった。
「しかし、大義も糞もない、性欲に目が眩んだ猿の割にはよくやったほうだ。褒めてやろう」
ノーラントが口を閉ざしたのは、テルは新しい拳銃を創り終えたところだった。
しかし、テルが銃口をノーラントに向けたとき、黒泥の魔弾がテルの胸を打ち抜いた。
喉から込み上げる血で呼吸が出来ず、気道に入った粘っこい液体を吐き出して、口から下が真っ赤に染まる。
ノーラントは地面に倒れそうになったテルの首元を掴み、晒上げるように持ち上げた。
「テルッ!」
背後からニアの声が聞こえたが、テルには首を動かすことさえできなかった。
ひゅうひゅう、と細く呼吸をするテル。とどめを差されるかに思えた。しかし、ノーラントは狂気的な笑みで、テルを立たせた状態のまま話を始める。
「私にはね、大義があるんだ」
どうしてこの男が死に体の自分にこんな話をしているのかわからない。
それでもテルの困惑をよそに、ノーラントは独り言を重ね続ける。
「アレの持つ力は本物だ。異能などという紛い物とは違う。この世の理を司る、正真正銘の『権能』だ」
「私はそれを究明したいんだよ。この世の未知を暴き、真理を明かす。それこそが学者としての本望だとは思わないか?」
「複製の作成に成功すればなにかわかると思ったんだが、私をもってしても、オリジナルの足元にも及ばない。だから次のアプローチとして、遺伝したあの力を研究しようと考えていたのだが……」
「ああ、そうだ。いいことを考えた。お前を種親にしてやろう」
「願ったり叶ったりじゃないか。ん? ああ、なるほどなるほど。アレはまだ生娘だ。お前の心配には及ばない」
「……ふぅん、一体何が気に食わないんだ?」
ノーラントが憐れんだような困惑の色を浮かべる一方で、テルの顔が刻一刻と怒りで染まっていく。
人を人とも思うことができないこの男は、もはや人なんかじゃない。本当の意味でのバケモノこそが、このノーラントという男だ。
「くた、ばれ。……ば、けもの」
テルは『オリジン』のナイフをノーラントの手に突き立てるが、『蟲』の体はそれをものともしない。
「ふむ、いい案だと思ったんだがな、残念だ。ここで死ね」
冷酷な宣告とともに、ノーラントの手にある宝玉が魔力を帯びる。テルの命を断ち切る黒い泥がぷかぷかとテルの目の前に浮いている。
「まって!」
そんなノーラントに疑問の声を上げたのはニアだった。
「約束は……? 殺さないって言ったのに!?」
「ああ、そうだな。あとの二人は約束通り生かしておこう。見殺しにして好き勝手したいなら、そうしなさい」
「っ……!」
ノーラントはニアの顔が絶望に染まる。そして、何かを諦めたように深く息を吐くと、ニアの眦が大きく開いた。しかし、ノーラントは失笑した。
「私を殺すのもいいだろう。しかし、そうすればこの遺跡にいる子どもは全員死ぬことになる」
ノーラントを制するため、ニアが立ち上がったそのとき、その邪悪な口から発せられた言葉で、ニアの動きが完全に止まった。
事の発端である、子どもの誘拐。
それはニアに対する人質のために攫われたものだった。
ノーラントは初めからニアが自分の命を断とうとしているのを知っていて、それを封じるために何人もの子供を地下遺跡に閉じ込めたのだろう。
膝から崩れ落ちるニアを見て、にやりと口角を上げ、テルに視線を戻した。
「さあ、見てみろ。まだ意識はあるだろう。お前がニアにあんな顔をさせたんだ。目に焼き付けながら縊り殺してやる」
テルは無理矢理ノーラントに首を動かされて、ニアを視界に収める。
酷い顔だ。真っ青になった顔色で震えながら泣いている。
声は聞こえないが、小さく動く口はテルに向けて「ごめんなさい」と言っているような気がする。
「私はお前に感謝しなくてはならない。お前が惨めなおかげで、アレは私に従う」
ああ、ほんとうに惨めだ。偉そうなことを言っただけで、結局ニアを余計に悲しませてしまった。
「つくづく愚かだ。愚か者はこれだから長生きできない」
ああ、全くだ。自分が愚かなばっかりに、ニアへの侮辱を止めることができない。
苦しい。息ができない苦しさもあるが、ニアが悲しみで顔を歪めているのがもっと苦しい。
ついに視界が黒く霞み始めた。沈みゆく意識のなか、後悔だけが胸に浮かんでくる。
他の誰かならもっとうまくやれただろうか。考えや鍛錬が足りなかったんじゃないか。
思い当たる節がすべてまとまって、死にゆく自分を責め立てている。
いやだ、死にたくない。君が不幸に晒され続けるのが許せない。
恨みと怒りが渦巻いているのに、体はこんなにも動かない。
ああ、ごめんなさい。
声にならない謝罪をこぼし、テルは意識を手放す直前に、
『代われ』
聞いたことがあるような、ないような。そんな声が耳元で聞こえた。




