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第2章19話 自責と我儘

「私は私を殺す。それで、全部を終わらせる」


 ニアの言葉は、酷く重々しい静謐を礼堂に呼び込んだ。

 イヴと呼ばれた小動物は、耳をぴんと尖らせて、ニアの足元に座る。


 ニアは、真っ直ぐテルの顔を見て、自分の目論みを明かした。

 その言葉に陰りはなく、自棄とは違った覚悟を証明するかのようだった。


「……それは、ニアが人を殺したから?」


「……」


 驚きで頭が真っ白になったテルは、次に言葉を開くのに時間を要した。しかし、やっと絞り出した問いかけにニアは口を閉ざす。


 答えるまでもない、と言うようなその表情に、テルは息を飲んだ。


 突きつけられた自死の決意に、テルは取り乱し始めた心を必死に押さえつける。



 ―――もう誰にも迷惑をかけたくない。



 ―――私は嘘つきで人殺しのバケモノ。もともと誰かと一緒に生きてくことなんで許されなかった。



 ―――私は私を許せないし、私が此処にいてはいけないことを一番よくわかってる。



 家が燃えた夜、自身をバケモノと貶めるように口にしたニア。だが、テルにはなにがニアにそこまで言わしめるのかがわからなかった。


「ニアの意思で殺したのかよ」


「私の意思で殺した」


 出来る限りの冷静を装うテルに、ニアは迷いなく即答した。

 問答を重ねれば重ねるほど、突き放された距離が大きくなって、二度と手が届かなくなってしまうような予感がテルを満たす。


「ニアが殺したいと思って殺したのかよ!」


 ノーラントに告げられた、ニアの人を殺した(・・・)という真実。それをいまだに受け入れることができないテルの酷く焦るようなテルの精一杯の言葉は、ニアの肩をびくりと飛び上がらせた。


「そんなわけない……」

 

 口を小さく開閉して、消え入りそうな言葉とともに項垂(うなだ)れるニア。

 しかし、次の瞬間にはとめどなく涙を流しながら顔を上げ、思いっきり首を振って否定する。


「人の命が一つしかないって、失くしたら取り戻せないものなんだって知っていたら、初めからそんなことしなかった、したくなかった!」


 次第に大きくなるニアの悲痛の叫びが礼堂に木霊し、ニアの足元にはぽつりぽつりと雫の跡ができている。


 感情を剥き出しにしたニアは、脈打つ心臓の音が痛いくらいにうるさくなって、胸を手で押さえ、うずくまるように悶えながら、それでも言葉を止めない。


「私が苦しいのを我慢すればよかったのに、人の命より自分が楽をできる方を選んだ」


 ニアの震える吐息が聞こえる。


「私は、自分のために人を九人も殺した。そんな(バケモノ)は、生きてちゃいけないんだよ」


 ニアは自己否定を全て語り終えると、力なく視線を落とした。


「もう、帰って」


 辺りを満たした沈黙は、ニアの拒絶で破られた。


 テルは何も言わずに、ニアに歩み寄ると、膝を付いて同じ目線の高さまで屈んだ。


「なら、教えてよ。君の過去に何があったんだ。何が君をそこまで追い詰めたんだ」


 顔を覗き込むように視線を向けるテル。しかしニアは顔を上げようとはしない。


「俺はニアが死ぬべきだなんて思えないよ。だから教えてくれよ、なんでニアはそんなに自分を憎むんだ? 俺は君をなにも知らない、なにを言えばいいのかもわからない。このままだと、誰も君を知らないままだ。……そんなの悲し過ぎるよ」


「……それで、帰ってくれるの?」


 ニアは躊躇(ためら)うように視線を移ろわせたが、最後にはそう言った。あまりにも頑なニアに、テルは何も言わずにただ頷いた。



 そうしてニアは話した。自分がノーランドの研究のために生まれたこと。

 言葉を知ると同時に、初めて人を殺したこと。

 やがて、それがイヤになったこと。


 そしてノーラントに、奪われる苦しみを与えるために、あらゆるものを与えられ、その(ことごと)くを奪っていったこと。


 そしてテルは、ニアの人生が冒涜と恥辱と苦痛に(まみ)れて生きてきたことを、そしてニア自身はそのことに無自覚であることを、痛いほどわかってしまった。


 ニア人生に影を落とした絶望の深さは、テルの想像を絶するほどのものだった。



「帰って」


 ニアから何度目かの拒絶が言い渡される。足元で座るイヴがぴくりと反応した。


「帰れないよ」


「……嘘つき」


「帰れるわけがない……!」


 拳を握りしめるテルの言葉は徐々に大きくなっていく。


「ニアが悪い訳がないだろ! 拷問までされた上で無理強いさせて、今の話を聞いて誰がニアを責めるんだよ?!」


 しかし、思いの丈をぶつけられたニアは、僅かに眉を痙攣させた。


「その言葉を、私が殺した人たちの前でも言えるの?」


「……っ」


「私がいるだけで、誰かが死ぬの。私一人のせいで、大勢が不幸になる!」


 テルに引っ張られたように、ニアの語気にも力が込もる。

 その中にある怒りは、全てニア自身に向けられているようで、燃える家の記憶が、ニアが手にかけた人たちの記憶が、今でもニアを糾弾し続けているのだと、テルにも伝わる。


「だからって、全部の罪をニアが背負うのか? そんなの納得できるわけがないだろ!」


「納得できなければ、私が存在()ることで死ぬ人達を、無視し続けることができるの?」


 冷え切ったニアの心は助けも慰めも必要としていない。それどころか、利己的な主張をするテルを蔑むように見た。


 テルは何も言うことができない。

 ニアは視線を落とし、無気力な手でイヴを撫でた。イヴは心地よさそうにするが、垂れさがった耳はニアを案じているようだ。


「……ほかに選択肢はないのか?」


 ただニアを助けたい。その思いを本人から頑なに否定され、両腕をだらんと伸ばしたテルが、苦々しい声で尋ねる。


「もう決めたから」


「ほんとうにニアが死んで全部解決すると思うのかよ」


 テルが訊いたのはノーラントのことだ。例えニアが死んでも、あの男が他者を傷つけるのをやめるとは思えない。


 だがやはり、ニアに逡巡をする余地は残っていない。


「あの人との決着は、ちゃんとつける」


「……」


 ニアの燃えるような深紅の瞳が僅かに揺れる。


 テルは察してしまった。ニアは最後の殺人としてノーラントを殺し、そのあとで自分も死のうとしているのだ。


「だったら、俺が―――」


 そう声に出したところで、テルは自分の言葉が軽薄だったと気づいた。


「それだけじゃないよ。知ってるでしょ。私の中にある『呪い』を。あんなものは存在してはいけない。いつこれが抑えきれなくなるか誰にもわからない。危険な私は存在するべきじゃない。そうでしょう?」


 テルならきっとそう言うだろうとわかっていたのだろうか、ニアはその声に被せるように、静かに重々しくテルの考えを押しつぶした。


 ニアの中に眠る邪悪な力。その一端をテルも知っている。その力が行使されたのは、誰かあるいは自分自身を癒すときばかりだった。しかし、テルの直感はその程度の癒しの力が付随物(・・・)に過ぎず、本質は別のものであることを感じ取っていた。


 テルの考えが寸分たりとも介入する隙間のないニアの意思を、これでもかと思い知ったテルはもうニアの顔を見ることができなかった。 




「本当は来てほしくなかったけど、最期に会えて少しだけ嬉しかった。今度こそ、さようなら」


 もう一度、そして今度こそのお別れを言うニア。

 酷いことを言った自覚はあるし、本来ならば感謝するべきなのに、そんな言葉は一つも言っていない。

 だけどこれでいいんだと、ニアは納得する。


 私を嫌ってくれるなら、きっと今日のことはすぐに忘れてくれるだろう。

 私を憎んでくれるなら、助けられなかったことを悔いることもないだろう。


 そうして、テルが立ち上がって背中を見せるのを待っていたニアの耳朶を叩いたのは、ニアが一番聞きたくない言葉だった。


「教えてくれよ、リベリオはニアに何を教えて、何を与えたんだ? リベリオはニアになにを残せたんだ?」


 痛切な表情のテルが顔を上げた。


 ああ、ずるいな。

 反対に、ニアは湧きあがった感情を隠すように目を伏せる。


 しかし、思い出すことを回避することができる人はこの世にどれだけいるだろう。



―――自分を殺せないやつが、人を殺せるわけがないだろ。



 昔、ニアとリベリオが出会った頃、かけてくれた言葉。

 ニアはいま自分を殺そうとしているというのは、自分も人を殺しうる存在になろうとしているのか。

 それとも、自分も他者も殺さない選択をするか。

 

 思えば、とても意地の悪い言葉だ。


 今になって与えられた言葉が、覚悟が決まり切っていたニアにまた迷いを与え、心臓は新たな痛みをともなって拍動する。


「どうして命が尊いってわかっているのに、そのなかに自分がいることを認めないんだ」


 肩をぐっと掴んだテルが、ニアの視界を占領する。ニアは自分がかつてないほどに動揺しているのがわかった。その表情がテルの瞳に映し出されている。


「何もいらないのか? なんの未練もないのか? 楽しかったこともやりたいと思った事も全部否定できるのかよ」


 もうやめてほしかった。恐怖と絶望に歪む顔をどうして思い出させるのだ。

 今の自分の表情と、ニアが殺した人たちの表情が、同じ絶望を湛えている。

 そんなことは、気づけないでいたほうが、単純だったのに。


 もう耐えられなかった。ニアにとって幸せを感じさせるのは、不幸への助走でしかないのに、どうしてまたその思い出を引っ張り出して、期待させるのか。


「全部がつまらなくて、本当に辛いことしか思い出せなかったのなら、俺は諦められたかもしれない。でも、ニアの関わった人たち含めて、全部を否定することを一瞬でも躊躇ったのなら、俺は絶対に折れない」


「……ぅっ」


 ニアにとって、あの丘の家で過ごした一年間は、傍から見れば大層なものには見えなかっただろう。

 最大限、全ての事柄に無関心を装った。感動を殺した。誰とも関わらないように心がけた。

 自分と深く関われば、いずれ不幸にしてしまう気がしたから。


 でも、それでも、ニアの人生で、幸福と呼べる時間は、全てあの生活にあった。


 朝起きたときの太陽の温かさ。丘を撫でる風の心地よさ。お菓子の香りに、本の頁をめくる胸の高鳴り。

 そして、テルの運び入れた賑やかさも、お父さんの優しさも、ニアは全部が大好きだった。


「一緒に考えようよ、どうやったら罪を償えるのか、少しでも自分を許してあげられるのか。だから―――」


 その心に嘘はないし、テルの言葉はその気持ちを肯定してくれた気がしてニアの気持を熱くさせた。

 でも、だからこそ、大好きなものを大好きなままでいるために、美しいものを絶対に汚さないために、ニアは涙を流しながら首を振った。


「ダメだよ、それでも私は助けてなんて言えない。私のせいで、あの人がなんの罪もない街の人を傷つけた。私がいることで人が傷つくことも、簡単に人を殺してしまえる私がのうのうと生きていることも、やっぱり私は許せない」




 テルは奥歯をぎり、と強く噛んだ。 


 ああ、そうだ。


 ニアの心の底に溜まった泥濘。それを取り除かない限りニアは首を縦に振ってくれないのだとやっと気づいたテルは、自分の察しの悪さに憎々しさを覚えていた。


 きっと、リベリオはそれを与えることができていたのだろう。ならば、テルのやるべきことはただ一つだ。


 どこか清々しい表情のニアの手を、テルはそっと掴む。


「初めから、君は安心(・・)が欲しかったんだ。それがないと、君はきっと自分と向き合うことさえ始めることができないんだ」


「安心……」


「俺がそれを君にあげるよ。君のために人を虐げる人がいるなら俺がそれを止める」



「そして、もし君が君の力に飲まれて人を殺したときは、」



「俺が君を殺す」




「……ぇ」


 ニアが小さく声を漏らした。真っ赤な瞳は潤んで、テルだけがそこにいる。

 握られるニアの手に力が込められると、テルはその柔らかく温かい手をそっと離した。


「ああ、でも口先だけじゃ信じられないよな。―――だから、手始めに」


 自嘲したように立ち上がったテルは振り返る。

 テルに敵を止める力があると、ニアを殺すことができる力があると、ニアに納得してもらわなければなにも始まらない。


 そうして、睨んだ先には、侮蔑と嘲笑が入り混じって笑うノーラントが立っている。


「あいつをぶっ潰して、証明する」


「程度の低い冗談だ。つまらないを通り越して不愉快極まりない」


 両者から立ち上る殺気。

 テルは『オリジン』の剣を握り、ノーラントは幾つもの黒泥の球を周囲に浮遊させた。


 今、ニアをめぐる最後の戦いの火ぶたが切って落とされた。

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