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第2章17話 ただ、辛くて苦しくて、

 薄暗くどこまでも続く回廊で、テルを待っていたのは真っ白な小動物だった。

 キツネっぽさとリスっぽさのあるその小動物は、まるで「ついてこい」と言わんばかりの素振りをみせた。


 分かれ道があれば、こちらの様子を窺うようにしてテルを先導していく。テルも大人しく後をついていった。


 しばらく歩いていると、この地下が迷路のように複雑に入り組んでいるのがわかってきた。

 ほんとうにテルを案内してくれているのならとてもありがたい話だが、だんだんと迷路で惑わせて最後には襲い掛かってくるタイプの魔獣なのではという不安が湧きあがる。手にナイフを忍ばせて警戒をしていたところ、先ほどの広間よりも遙かに広い空間に出た。


 どういう構造なのだろうか、地下だというのに日の光を取り込むその空間は、正面の壁に色のついたガラスが張り巡らされている。


 どうして地下にこんなに大きな空間があるのか不思議に思い、周りを見回してみると、すぐにそこが宗教的な場所であるような気がした。

 中央に崩れた大理石のような白い大きな像の残骸があり、脇の壁には朽ちた木が放棄されている。見たところ椅子の残骸のようだ。


 村や街の教会とは随分と装いが違うなと感じつつ、走っていく小動物に目をやると一直線に中央の像に向かっている。


 テルははっとした。


 崩壊した白い像の足元には、もっと眩い純白を持つ少女が地面に直接座っていた。




ーー・--・--




 もう何も見たくないし、なにも聞きたくない。誰に訴えても仕方のないそんな感情を内側に仕舞い込むように膝を抱えていると、足元で心地の良い感触がして僅かに視線を上げた。


 そこにあったのは見慣れた友人の顔だ。


「ああ、イヴ。ここにいたんだね」


 名を呼ばれた小動物は、優し気な鳴き声をあげ、もう一度ニアの足に顔をこすりつけた。

 白く柔らかい体毛が肌を撫でて少しくすぐったい。


 ニアにとって最も付き合いの長いイヴは、ニアに撫でられると「キュっ、キュー」と鳴き声をあげた。

 言葉はなくとも、不思議とニアには何を訴えているのかがなんとなくわかる。



 彼女はいま、客人を連れてきたと言ったのだ。



 思い当たる顔があって、視線を上げると、テルの真剣な顔がこちらに向けられている。


 もしかしたら、来てしまうんじゃないか。そんな予感があった。しかし、馬鹿なことを期待しているような自分が嫌で、そのたびにかぶりを振ってその考えを追い出していた。


 なによりもテルが来てしまえば、ニアの目的の邪魔になる。

 しかし、実際にテルはニアの前に現れた。


「どうして……」


 泣きそうな声で抑えきれないように言ったニアは、すぐにその表情を振り払い、冷たく柔らかさのない無表情をテルに向けた。


「どうして、ここにきたの?」


「君を迎えに来た」


 訊くまでのない質問に、答えるまでもない答え。

 

 みっともないほどの、意地の張り合いを予感したニアは、どうしてかリベリオと出会うまでのことが脳裏に流れていた。



 思い出というには、あまりに穢れている。ただただ悲しく苦しいだけの記憶。


 リベリオとの生活は悲痛の記憶が地続きにあるとは思えないほど平穏なものだったと、切り離して存在しないものにしようとした過去。


 そして、どれだけ遠ざけようと、ニアのことを自由にしてくれない本当の出来事を。







 生まれたときのことは鮮明に覚えている。

 性格には「生まれたときのこと」ではなく、「初めて意識を手にしたときのこと」の記憶だ。


 今よりも四年前のこと。

 冷たくて硬い寝台に乗せられた裸の体。

 そのときは、常識どころか、言葉さえも知らなかった。

 

 その後、服を着させられ、自分が過ごすことになる部屋に連れられてからは、味のしない食事をしては、眠って、なにもせずにただ呼吸をするだけの日々が続いた。


 それから、短くない時間が流れた。

 ニアは外に出ることもなく、時間という概念も一日という単位も知らなかったので、どれくらい経過していたのか詳細はわからない。


 生まれてから、一番最初に見た顔の男が部屋の扉を開け、ニアを外に連れ出した。そのときなにかを喋っていたが、やはりわからない。


 ニアは初めて目を覚ました寝台に連れられると、身体の強度を試す実験を何日も受け続けた。

 端的に言えば、拷問だ。


 そのとき、自分の気持ちという概念をまだ知らなかったので、苦痛に晒される時間も、そういうもの(・・・・・・)であると納得していた。

 生きたまま腹を裂かれるという言葉が、限りない苦痛の比喩であることを知るのはこの時よりかなりあとの話だ。


 不満も違和感も持つ余地さえない時間が数か月間ほど続いたとき、シルミアと名乗る女に文字の読み書きと、言葉の話し方を習うようになった。


 その頃まで、ニアに話しかける人間は誰一人としていなかった。

 ニアを拷問するノーラントも、部屋の出入りを監視する別の誰かも、一言も言葉を発しなかった。しかし、ニアは意外とすんなり言語というものを理解した。

 

 シルミアは親身にニアの面倒を見たわけではなく、最低限の文字の読み方を教えるとあとは辞書と簡単な読み物だけを渡して、自主的に勉強させた。

 勉強をすればお菓子を与えられ、そうでなければ鞭で打たれる。そのルールだけがあったため、ニアは始め一度鞭で打たれて以来、読みの勉強をするようになった。


 別に鞭打ちが怖いわけではない。毎日行っている強度実験(ごうもん)のほうが、遙かに苦痛であるため、なんとも思わなかった。かといってお菓子が欲しかったわけでもなかった。ニアは生まれつき味覚が鈍いため、ご褒美として(てい)を成してはいなかったのだ。

 

 ただ、それ以外にやることがなかったニアは、淡々と勉強をこなした。


 読みは出来ても話すのとは別なので、それぞれ習得するまで二週間ほどかかった。文字を書くことは必要とされたことがないので、いまでも苦手だ。


 本を読んでいると、喜びや楽しいという言葉をよく目にした。


 指を差し、教師役のシルミアの目をじっと見つめると「意味が知りたいの?」と訊き返される。頷くとため息をつかれた。


「あなたとは関係のないものよ」


 それ以上の説明はなく、また、そういうものかと納得したニアはそれ以上なにかを尋ねることもなかった。



 ある頃、ノーラントに連れられて、外に出ることになった。

 ニアは既にスムーズな意思疎通が出来るくらいになっており、同時に自分のなかに存在する『呪い(・・)』についても、自覚していた。

 ノーラントはニアに呪いの使いかたを教えると、ニアは難なく使いこなすようになった。


 ノーラントの研究所は、森の奥深くにあったので、外に出てもあるのは木や草花といった、植物ばかりだった。

 しかし、そのときのニアの感動は筆舌に尽くし難いものだった。

 文章で知っているだけだった太陽の温かさ、植物の色鮮やかさ、風の心地よさ。全てが美しく見えた。


 ノーラントはそんなニアをつれて、森を進んでいく。やがて開かれた広い場所に出ると、ニアはそこで初めて魔獣を目にした。


「ニアのために用意した、上位の魔獣だ。これを動かなくなるまで壊しなさい」

 

 ノーラントが魔獣と呼んだそれは、絵本のなかで見た豚という生き物が、醜く巨大化したものだった。グロテスクで顔を(しか)めたくなる刺激臭をまき散らすそれに近づきたくなかった。

 嫌だなと思いつつ、言われた通りに活動が停止するまで魔獣の体を破壊すると、ニアはもっと嫌な気持になった。 

 臭いを発する体液を全身に浴び、自分にその臭いが沁みついてしまいそうで、すぐに体を洗いたかった。

 しかし、ノーラントは一人で高笑いをしていて、話しかけがたい雰囲気だった。



 ニアの日課から、強度実験の頻度が途端に減り、代わりにノーラントとの散歩が増えた。

 散歩というのもも、魔獣と出会ってはそれを殺すのを続けるばかりの作業。


 そんな日々をしばらく過ごしたある日、ノーラントと森に出かけると、そこにヒトがいた。


 その人は異国の人間のようで、ニアにはわからない言葉を発している。その人は、両足に怪我をしているようで、へたり込んだままこちらに顔を向けている。


「ニア、いつも自分がされているようにしてみなさい」


 ノーラントがそう言ったので、ニアはそう(・・)した。


 腹を裂き、四肢を()ぐ。骨を抜き取り、眼球を潰し、脳みそをかき混ぜる。


 植物と比べると、魔獣も人もあまり綺麗ではないな。

 ニアの率直な感想はそんなものだった。飛び散る肉も油も血もどれも気分のいいものではなかった。


 ニアは動かない人の前でじっと待っていたが、動かなくなってからいつまでたっても、そのヒトは立ち上がろうとしなかった。


 血溜まりに立つニアが首を傾げていると、機嫌のよさそうなノーラントが「よし、帰ろう」とニアに声を掛けた。


 このとき初めて、自分という存在が特別死ににくいことを知った。


 勉強をしては森に出かけなにかを殺す。そんな毎日がまた何か月も続いた。

 大抵は魔獣を殺したが、まれにノーラントがヒトを見つけると、執着するようにニアに殺させた。


 勉強はシルミアが訪れたときにしていた。と言ってもシルミアはほとんど放任で、大量の書物と辞書を与えるだけで、「それ宿題ね」と言って立ち去ってしまう。


 それから、ニアは何もない時間を使って色々な本を読んだ。いままでは子ども向けのわかりやすい内容の絵本ばかりだったが、シルミアが置いていったのは一般的な物語も多くあった。

 どれも面白くて、熱心に読んだ。どの本も何度も繰り返して、その内容を鮮明に覚えている。


 うらやましいと思った。自由になってみたい。そう感じたあとで、今の自分が不自由であることを自覚した。

 私も欲しいと思った。沢山の仲間や家族に囲まれてみたい。そう願ったあとで、今の自分が孤独であることを思い知った。


 時間を持て余したニアは色々なものに思いを馳せた。いろんな生き物がいる。例えば自分が鳥だったら、どんなふうに空を跳ぶだろう。


 そう思うようになってすぐ、ニアに「イヴ」という家族ができた。高い体温も、柔らかい体毛もとても心地よかった。

 イヴはニアが一人でいるといつの間にかやってきて、誰かがニアの部屋を訪れるといつの間にかに消えしまう。


 ニアはイヴといるときは満たされた気持ちになった。そのとき、シルミアがニアに言い渡した「あなたには関係がないもの」という言葉を思い出した。

 これはきっと楽しいやうれしいに近いものなんだと、ニアはわかった。


 大事な存在ができたことで、ニアは気づかなかった沢山のことを知った。いつまでもイヴと過ごしていたいと思ったし、もしいなくなってしまったらと考えると眠れないほど怖くなった。


 そうして、気づいてしまった。


 それは自分にだけ当てはまること(・・・・・・・)ではないという事実に。



 人を殺してしまった。



 いろんな人と接して、いろんなことを体験した誰かの命を奪ってしまった。


 多くの祝福されるべき時間。多くの人と共有されるべき感情。交わされるはずだった言葉。触れあうはずだった温もり。人から溢れだしていた可能性。それらをニアは殺した分だけ、損なわせてしまった。


 真実に気づいたニアは自分の内側に閉じこもった。




 次の日、初めてノーラントの命令に背いた。

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