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第1章4話 訪問者

 リベリオの家に居候になってから何日か経過したテルの生活における不満は予想より少なかった。


 家は石造りで、多少の年期は入っているものの、雨漏りや隙間風もなければ不衛生でもない。

 テルが居候になってなお、空き部屋があるくらいの広々とした家だが、リベリオは「裕福でも貧乏でもない一般的な家だ」と言っていた。テルはこれが異世界のスタンダードなのだろうと納得した。


 リベリオの朝は日の出より早く、対照的にニアの起きる時間はほとんど昼だった。


 テルは二人の中間くらいの時間に起きて、活動を始める。


「文字の読み書き。それと常識を学ぶこと。仕事以前にその二つを身に着けてくれないとどうしようもないぞ」


 リベリオにそう言われたテルは、勉強に励もうとしていたが、現状成果は芳しくない。教えを請う相手がいないのだ。

 無言を貫くニアはもちろん、仕事終わりのリベリオに頼んだが、食事中に酒を飲んで酔っ払ってしまい、それどころではなくなったのだ。

 一体いつになったら文字を覚えられるだろうと、テルは他人事のように思っては、散歩やランニングに勤しんだ。


 また、テルはとりあえず当面の間は異世界から来た(・・・・・・・)ことを隠すことにしていた。この世界で異世界人の扱いがどのようになっているのかわからないので、離さないほうが無難だろうという判断をだった。


 それがテルの、慣れないながらも平穏な異世界の日常だった。




--・--・--・--




「明日の晩まで帰れないから、留守を頼んだぞ」


 荷物と自分の背丈ほどある大きな剣を担いで、リベリオは振り向き際に言うと、そのまま出かけて行った。


「いってらっしゃーい」


 ソファに座ったまま見送るテルが、窓の外に目をやると、既に日が暮れていることがわかった。

 テルとニアがいる空間には包丁で食材を刻む小気味いい音が響いている。


 テルが異世界の生活を始めてから、もうすぐ二週間になろうとしていた。そのなかで、リベリオが丸一日家を空けるのはこれが初めてだった。

 そろそろかなと腰を上げると、ニアもほんの少し視線をこちらにやるが、そのまま料理を続けた。


 食事はニアが係のようで、遅すぎる朝食と夕食の二回をニアが作っている。以前、テルも何か手伝おうと勝手にキッチンに立ち入ったところ、無表情のニアが抗議をするかのようにじっと見つめてくるので、それ以降食事の用意には関わらないことにした。


 しかし、なにもしないで食事を待つのも申し訳なく、配膳だけをするという立場に落ち着いた。

 キッチンでニアがまだ鍋を煮込んでいるうちに、テルは二人分のパンを切ったり食器を配膳したりしていると、料理が出揃った。


 目を閉じて両手を握り、祈るように頭を下げる。この世界における食事への感謝である。

 祈りを終えると食事が始まる。パンとスープと焼いた鶏肉が並んでおり、豪華という訳ではないが美味しかった。


「これ美味いね」


 そういわれたニアは微かに頷く。


 テルとニアが二人で食事をする機会は意外にも多い。

 夕食はリベリオを含む三人で食卓を囲むが、昼食はほとんど二人だった。しかし、テルがなにか話しかけても、いまのようにニアが首を縦に振るか横に振るかのどちらかで、二人の間に会話が発生したことは一度もなかった。

 リベリオが帰ってきてからの夕食も同じで、団欒という言葉とは縁がないと思える程だ。テルが見ている限りでは、リベリオがなにかを言うと、ニアが頷く。その程度のやりとりしか交わされない。


 自分がいるせいでこんな空気になってかもしれないと思い込んだテルは、強引に話題を挙げて賑やかさを装ったが、それでもぎこちなさや気まずさが勝った。


 リベリオはニアを人見知りと言っていた。テルも当初はその印象だったが、リベリオとも会話を交わしている姿を見たことがないので、ニアの頑なに口を閉ざすのは人見知りとは別の理由があるのではないかと考えていた。


「ニアはどうして喋らないの?」


 同居人と打ち解けるため、努めて自然な様子を装ったテルが尋ね、ニアは視線をあげた。陶器でできた能面のような無表情だが、どこか警戒を感じさせた。


「もし俺のせいで喋らないんだったら、申し訳ないなって」


 緊張で声音が硬くなるテルをニアはじっと見据え、そしてゆっくり首を振った。

 口を開かないのはテルのせいではないと伝えたニアは、視線を手元の料理に戻す。肝心な理由は聞けず終いだった。


 しかし、ニアはテルを嫌って会話を避けている訳ではないのだ。 


「いつもニアが料理してるよね」


 テルは懲りもせずに話しかけると、ニアはキョトンとした顔をしてたが、頷いた。テルの問いかけに嫌々応じているようには見えず、テルは胸を撫で下ろす。


「リベリオは作らないの?」


 次いで、首を振る。


「まあ、そうだよな、リベリオは料理できなさそう」


 これではいけないとテルは内心で焦った。イエスかノーで答えられる質問では首を動かすだけでやりとりが終わってしまう。ニアは次の話題を探して視線を右往左往させるテルを不思議そうに見ている。


「いつから料理をするようになったの?」


 テルは質問を続けた。これならばニアは口を噤んだままでは返事はできない。我ながらしつこいなと思いつつ、ニアの言葉を待つと、


「……一年前」


 身構えるテルにニアは小さく口を開いた。 


「す、すごいね。一年でこんなに料理が上手くなるなんて」


 思わず声が裏返った。ほんの一言だったが、ニアは口を聞いてくれたのだ。

 きっと、首を傾げて誤魔化すのだろうと、期待していなかったせいで、次につなぐ言葉を考えていなかった。


「じゃあ、一年前まではどうしてたの?」


 会話をこのまま続けようと、咄嗟に思いついた疑問を口にする。ついに軽い雑談ができる食卓に一歩近づいたと、ささやかな達成感を抱いた。


 しかしテルの期待とは裏腹に、ニアの食事をする手はピタリと止まる。そして見開いた目で、震えた口で、明らかに崩れた表情をテルに向けている。


 地雷を踏んでしまった。そう気づいた時には、二人を包む空気はすでに緊張で張りつめている。


「今の質問は忘れて。嫌なことを聞いてごめん」 


 テルが言い終わる前にニアは立ち上がっており、逃げるようにテルから離れていく。



 そして、階段の手前で振り返ると、深紅の視線がテルに向けられた。


「……あまり、私に関わらないほうがいい」


 拒絶を言い残したニアは、足早に部屋に戻っていく。

 呼び止めることも、追いかけることも当然できるわけがなく、テルは広いリビングにまだ温かい食事とともに取り残された。


「やらかした……嫌われた……」


 料理に頭突きしてしまいそうな勢いで項垂(うなだ)れるテルは、冷たい表情をするニアを思い出していた。


 ニアの言葉の真意はわからないが、自分の過去に触れられたくないのだろう。 

 テルは今日まで込み入った話はしないようにしていた。しかし今回は、驚きのあまりその注意が緩んでしまったのだ。


「そっか、そうだよな……」


 初めから違和感があった。

 ニアとリベリオはまるで顔が似ていない。それどころか瞳の色も髪の色もまるで違う。さらに、テルがこの家で過ごした二週間、母親の影を感じる機会が全くなかった。写真はなくとも、過去にいた人物の名残や遺品と思われるものが何一つ見当たらないのだ。


「……訳あり、か」

 

 だいたいの憶測を終えると、テルは椅子に寄りかかり天井を見上げた。 


「どうしたものかな」


 テルはしばらくの間、嘆きとため息をスープの湯気と一緒に天井際で燻らせた。


 そういえば食べている途中だった。


 食べる気力がかなり削がれていたが、食べないでいるほうが精神的に辛くなると思い、無心で口の中に運び入れた。




「ご、ごちそうさまでした」


 途中で席を立ったニアの分を含め、二人分の食事を平らげる。テルは食器の片づけをするつもりだったが、破裂しそうな胃袋が少し安静にしてくれと訴えるので、ソファに移動し体を沈めた。


「うはぁ」


 苦しみの呻きと憂鬱のため息が混ざり、間抜けな息を漏らす。

 頭の中で渦巻くのは様々な声だった。一方では自分で自分を叱咤し、また一方ではニアから許しを得る策を論じていが、いくら脳内会議を続けても状況が好転することはない。


 考えてみれば、あの後謝りに行ってないじゃないか。

 ひらめきや良案以前に最初にやるべきことが頭から抜けていた自分に自嘲しつつ、ニアの部屋のドアを叩く覚悟を決める。


 どんどん、と音がする。ニアの部屋のドアを叩いたのではなく、玄関のドアが叩かれたのだ。


 自分が心の準備を決める前に体が無意識に動いたのかと錯覚し、心臓を吐き出しそうな程驚く。しかし、すぐに勘違いだと気づき玄関のドアに目をやると、またどんどんとドアが叩かれ、今度は「ごめんください」と声もした。


 いままでこの家に客が来たことはなかった。その上、外は夜の帳が落ち、家主は留守。


 一体、誰が何の用だ?


 そう思いながら、玄関にいき、ドアの持ち手を握る。


「どちらさまですか」


 覗き込むように開くと、リベリオよりさらに頭一つ分背の高い、巨人のような男が立っていた。こんなに背が高い人間もいるものなのかと恐怖に近い感想を抱くテル。しかし、それが重大な間違いであったことにすぐにわかった。


 ドアより高い位置にある頭は、明らかに人間のものとは形状が異なっていた。


 いまにも射殺さんとする敵意と興味が合わさった奇妙な視線に、肉を貪るのに適した長い顔、裂けたような大顎。

 それはまさしく狼と呼ぶべき頭部であった。


 人間の胴体と人の声を伴った、まさしく魔獣と呼ぶべきその生き物は夥しい殺気を纏い、覆うようにテルを見下ろしていた。

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