第2章14話 遺跡への侵入
人員が三人に増えた遠征は、テルが創った四人乗りの馬車でシャナレアに教えられた目的地に向かった。
何度も人が通ってできた地面がむき出しの道を走る馬車だったが、途中からはそんな道さえもないような、人が近寄ることのない領域に踏み込むと尋常じゃないほどに馬車が揺れ、快適な旅路とは呼べなくなっていた。
セレスは馬の手綱を握るカインに何度も文句を言っていたが、やがて車酔いになってしまい、馬車のなかはほとんど静かだった。
カインとセレスは、予想通りヒルティスとシャナレアから話を聞いてテルを追っていたらしくい。その際カインはシャナレアから、風印の場所を辿れるようにしてもらっているため、限りなく正確なニアの居場所を把握しているらしい。
「カインってそんなこともできたんだな」
テルが感心したようにいうと、カインは苦々しく首を振る。
「シャナレアさんが凄すぎるだけだよ」
実際それは謙遜ではなく、シャナレアが把握しているニアの風印を、風魔法でカインに伝達しているような状態で、カインは難しいことは何もしていないと素直に語った。
「なんであんなに助けてくれるんだろう」
「色々と、思うところがあるんだろうね」
二人の独り言のような呟きは、馬車の揺れる音と風きり音で、互いにほとんど聞こえていなかった。
日が沈むと、馬車を止めて野営をした。
人里から離れているため魔獣が現れる可能性が高く、一人ずつ見張りを置いて順番に休むことになった。
テルは焚火をぼんやりと眺めていると、急に背中をぱちんと平手で叩かれた。
「うわっ」
テルの悲鳴が平原に響き渡ると、後ろからくすくすと無邪気な笑い声が聞こえた。
「ぼおっとしてないで、ちゃんと見張ってなさいよ」
そう口にするセレスに咎める様子はなく、悪戯っぽくにやけ顔をしている。
「寝てなくていいのかよ」
「昼間車酔いでずっと寝てたから眠くないのよね」
「ふうん」と相槌を打って、テルは火に新しく薪をくべた。焚火は強まるどころか少し弱まったあとに、少しだけ勢いを巻き返す。
「なんでセレスは、ニアを助けようとするんだ?」
「は?」
だしぬけなテルの質問に、セレスの眉がピクリと動いた。今朝、部外者扱いに対して怒りを露わにしていたというのに、今もその話をぶり返しているようで愉快でないのも当然だろう。
「だって、知り合って二日しか経ってないじゃん。それだけなのに、殺されかけた相手とまた戦いに行くなんて、かなり異常だ」
セレスは一つ息を吐いた。テルが仲間外れにしようとしているわけではなく、むしろセレスを慮っていることを感じ取ったのかもしれない。
「……あんた、それで私が正気に戻って、やっぱり帰りたいなんて言い出したらどうする気?」
「はは、ちょっと困るけど。それはそれで仕方ないだろ」
テルの言葉は諦めというよりも、納得したようだった。わざわざ余計なことを言わなくてもいいだろうに、と内心呆れるセレスだったが、その生真面目さに対して怒りが湧くことはなかった。
「私はね、やりたいこと全部やらないと気が済まないの」
少し間を置いて口にした言葉に、知ってるけど、と言いそうになるのを堪える。
「可愛い服を来て、その上にあんなダサいローブを羽織るなんて、私は認めてないから」
一体何の話なのかついていけないテルだったが、昨日の祭りでの二人で買い物をしていた時の話だと遅れて理解した。
「もう一回、いや何回だって一緒に可愛い服を来て遊ぶ。そのためなら命だって張ってやるわ」
「そっか」
その言葉に嘘がないことは、ここ数日の付き合いだけでもわかってしまう。そしてそれが頼もしくもあり、テルは少しだけ口元を緩めた。
ーー・--・--・--
「なんだここ」
テルは思わず息を飲んだ。目の前に広がる広大な森とそんななかでも圧倒的な存在感をもつ絶壁。自然が生み出した奇妙な地形もそうだが、テルが見入っているのは、巨大な岩に彫られた遺跡のような施設だった。
岩壁の中を繰り抜いて、入り口や柱など、人工物を思わせる作りは、家というよりも、要塞や祭壇のような厳かな雰囲気がある。
「す、すごい。これ、ノーラントが作ったのかな……?」
思いついてすぐに口にしたが、ノーラントがこれほどに手の込んだことをする理由が見つからない。
「大昔の戦争の名残かなんかだろう」
瞳を輝かせているテルだったが、素っ気ない返答をするカイン。この世界で遺跡が大して価値がないものなのかと察し、寂しい気持ちになった。しかし、
「ちょっと、これって歴史的大発見なんじゃない!? 中に金銀財宝とか見つけちゃったらどうしよう!」
などと、テルを上回る興奮で本題を見失っているセレスもいるため、個人の趣味であることがわかり、テルはほっとした。
「それにしても、シャナレアさんに座標を教えて貰ってなかったら、もっと時間がかかってたな」
シャナレアから詳細な場所を伝えられていたカインが独りごちる。
この遺跡はテルたちが来た平原側からは、岩壁もろとも姿を森の中に隠しており、場所に確信があるカインと入念に探してやっと見つけた遺跡だった。
感心するのはやめにして、大まかに遺跡全体を見て回ると、入口と思われるものが複数あることがわかった。
「流石に真っ正面からの突撃っていうのはどうなの?」
木陰に隠れるようにしてセレスが言った。三人は突入前の作戦会議を、敵に見つかりにくそうな草むらの中でしていた。
「見張りもいないし、ここまで隠密に長けた潜伏地なら、侵入に対しての警戒も薄いかも」
「楽観的過ぎなんじゃないか?」
テルの意見にカインが反論した。
「風魔法って、建物の中を把握できるって聞いたことあるわよ」
「お生憎、俺は攻撃しか脳がありませんよ」
「なにそれ風魔法のセンスないんじゃない?」
セレスの辛辣な一言に、カインが口をもごもごとしている。今にも言い争いが始まりそうな気配がして、「おい、やめとけ」とテルが諫める。
カインは咳ばらいをすると、残った二人はそちらに視線を向けた。
「大前提、敵は俺たちよりも強い」
カインは真剣な声でそう口にする。テルは頷くことを憚られたが、それは事実だろう。
市街地での戦いでは、むこうは全力を出さないまま、こちらは有効な攻撃をほとんど与えることができなかった。
「こっちが把握している敵戦力は、異能使い、怪物、ノーラントの三人だ。他の敵がいることを想定するのは当然だけど、そもそも俺たちは戦うべきじゃない」
攻撃がほとんど通用しないドールと、霧に触れるだけで幻覚が起こる異能者シルミア。そして、ニアを攫った黒泥を使うノーラント。誰もが相手をしたくない上に、もし戦闘になれば、最低でも一対一と限りなく条件が悪い。
「だから俺たちは、バレないように侵入してニアを連れて逃げる」
逃げた後で、ニアは永遠にノーラントから逃げ続けるのか。そんな疑問が浮かんだが、今の最優先はニアを助け出すことだとテルもわかっていたので口を噤む。
セレスも同じようなことを考えていたのか、険しい顔で黙っている。
反論がでないことを確認するとカインが「よし」と小さく声に出す。すると、二人も応じるように頷く。
「行くぞ」
ーー・--・--・--
「足音とか会話を聞こえにくくするぐらいのことはできるから、俺が前を行くよ」
そう言うカインを戦闘にして、三人はほとんど洞穴のような脇にある小さな入口から侵入した。
中に入ると、外見以上に美しい内装に、思わず足を止めてしまいそうになった。
天井から取り入れられる自然光だけでも十分に明るく、照らされる大理石のような美しい床と壁は柔らかく光を反射している。規則的に並ぶ柱は繊細な彫刻で飾られており、華やかな城を思わせた。遥か昔には外の森は人が住む場所だったのかもしれない、などと場違いな想像力が掻き立てられた。
まっすぐ伸びる廊下を慎重に進むと、広い吹き抜けた広場に出た。遺跡内の構造を考えると、正面入り口を入ってすぐの場所だろう。
「階段がある」
カインが小さく言った。反響しやすそうな空間なのに、そうならないのはカインの風魔法のおかげだ。
遺跡の彫られた岩山はそれほど大きくは見えなかったので、地下への階段だとすぐにわかった。
「地下か、一階か」
どちらにニアがいるのだろうか。
牢屋のような場所に捕らわれているなら、なんとなく地下である気がした。しかし、確信もない。
「ひとまず一階を見たほうがいいんじゃない。まあまあ広さがありそうよ」
セレスと同じように、テルも周囲を探るように見る。
無機質な廊下は薄暗く、すぐ曲がり角になっている。そのあたりから日の光が届かなくなっており、不気味さを感じさせる。
不意に、廊下のさきから白い靄が流れてきているのに気づいたセレスが血相を変えて声を上げた。
「―――、霧っ!」
セレスが叫ぶと、テルとカインが振り返る。すると、浮かんでいた霧は急に意思を持ち、テルたち三人を包み込むように広がった。
「もう気づかれたのか!?」
三人を包む霧はやがて広間を埋め尽くしていく。ここまで歩いてきた廊下はもう見えず、すでに遺跡ではない異界として生まれ変わっていく。
この霧に触れれば、たちまち平常な行動がとれなくなることを身に染みてわかっていたカインは、階段に最も近かったテルに風魔法をぶつけた。
「うわっ!」
体を宙に浮かせて階段の下に放り出されるテル。何が起きたのかを理解できないでいたが、宙に浮きながら霧の結界が完全に閉ざされたのを目の当たりにして、自分一人が逃がされたことを悟った。
階段の下で上手く受け身を取って着地したテル。打ち身の痛みはあるが、体を動かすのに支障はない。
階段の上を見上げると濃い霧でその先が何も見えなくなっている。この先は一人でニアを探さなくてはいけない。
二人とも強いのだから、負けるはずがない。
そう心で念じて、テルは仄暗い明かりだけの通路に振り返った。
永遠に続いているようにも思える道。この遺跡そのものが怪物で、自らその胃袋に向かっているような恐ろしい妄想を振り払い、テルは歩みを進めた。