第1章3話 焦燥と言い訳
まともに魔法が使えないことが発覚したテルは、しばらく夜の丘で意気消沈していたが、先ほどの純白の少女が玄関からひょこりと顔を出すと、
「さ、そろそろ飯だ。腹減ってるだろ?」
とリベリオが言い、テルを家まで引きずっていった。
先ほどは、リベリオに担がれていたせいで碌に見ることもできなかったが、家のリビングは外観とは似つかない、温かみのある内装だった。ダイニングテーブルの上にはいくつか食事が並んでいて、どれも見慣れないメニューだ。
おいしそうな匂いが鼻孔を刺激し、腹が情けない音を上げる。怒涛の出来事の連続で、忘れていた空腹が帰ってきたのだ。
リベリオが「おら、座れ」と肩を叩く。
勧められた椅子に座ると少女が目の前に取り皿を置いてくれたので「ありがとう」と軽く礼を言うが目が合わない。
嫌われているかもしれないと不安の影が伸びてきたところ、リベリオが口を開く。
「娘のニアだ。すこし顔見知りのところもあるが、気にしないでやってくれ」
紹介されたニアは頭をぺこりと下げた。
「あ、えーと、テルです。よろしく」
慣れない名前で自己紹介をするが、ニアはなにも口にすることなく、また頭を下げるだけだった。
この無口無表情ぶりを、少し人見知りという言葉では片づけられないように思える。
「母親はいない。いままでは二人で暮らしてた」
リベリオのぶっきらぼうな物言いに、テルは「へえ」と相槌を打ち、支度を進めるニアを目で追った。
「大事な一人娘だ。馬鹿な真似をしたら許さないからな」
あまり顔が似ていない親子だなと思いながら視線を奪われているテルに、リベリオが穏やかな口調で物騒なことを言うので、「しないよ」と言って視線を逸らす。
ニアはリベリオにちらちらと視線を送るので、それに気づいたリベリオが「テルはしばらくうちで居候になる」といい加減な説明をした。
リベリオの言葉にニアはやはり頷くだけで、誰にでもこうなのかと思うのと同時に、二人そろって嫌われているのではないかとも思える。
そうして始まった夕食は、静かなものだった。無言で食事をするリベリオとニア。
その沈黙に居心地の悪さを感じながらも話題が何も見つからないテル。そのまま食事は平らげられた。
喋らないのがマナーなのかと思えば、途中リベリオが「うまいだろ、これ全部ニアが作ったんだ」と自慢げに話していた。実際どの料理も美味しかった。
「ごちそうさま。今日もうまかったよ」
食べ終わったリベリオが何気なく言うので、テルもそれを真似て、
「ごちそうさま、おいしかったです」
と追いかけるように言う。やはりニアは頷き返すだけで、無言を一貫していた。しかし、きっと悪い気はしていないんだろうと決めつけることにした。
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食事が終わると、沈黙の時間が淡々と過ぎていった。ニアが淹れてくれたお茶を、ほとんど手に付けず、映り込んだ自分の顔を眺めるようにしている。
テルはいまだに、この家で自分がどういう立ち位置なのかわかっておらず、居心地の悪さがあった。
「俺はこれからどうなるの?」
本なのか新聞なのか、リベリオは手にある紙の束を睨みつけるようにしていたが、テルの言葉に顔を上げた。
「どうって、どこか行くあてでもあるのか?」
少し意地悪にも思えるリベリオの問いに、テルは弱々しく首を振る。
「だったら、うちにいればいいじゃねえか」
「で、でも、俺は魔獣狩りはできそうにないんだろ? それでも……居てもいいの?」
「お前……。俺が使えない奴は捨てるよな冷酷な男に見えるか?」
きっとリベリオは冗談のつもりなのだろうが、テルはその問いに肯定や否定を表せるほど、リベリオを知らない。
黙ったまま俯くテルに、洗い物をしていたニアが微かに視線を寄越し、リベリオは怒るでもなく悩むように腕を組んだ。
「テルを拾ったのに、大した理由はねえよ。……まあ、自分で言うのもアレだが、ただの人助けだ」
リベリオはテルの疑念を解そうと経緯を口にする。しかし、その口振りは照れ隠しなのかどこかぶっきらぼうだ。
「そして、善意の人助けにも責任が伴うってだけの話だ。俺はその責任を果たしているに過ぎない」
「育てられない捨て猫は拾っちゃダメみたいな?」
「だいたいそんな感じだ」
「俺は愛玩目的で……?」
「んなわけねえだろ。労働の条件付きだ」
冗談をいうテルにリベリオはデコピンをし、「いでっ」とテルが悲鳴を上げた。
「食べ盛り二人も養うのは流石に大変だからな。そのうちで良いから働け。出ていきたかったら好きにしろ」
「でも、それって」
「ああ、存分に俺の良心につけ込むといい」
リベリオは自信満々に胸を叩く。
今のテルが、この家を出て未知の異世界に放り出されれば、まず間違いなく路頭に迷うことになるだろうが、そうさせないことが責任なのだとリベリオは言う。
正直、どうして初対面の相手にここまでできるのかわからず、テルは戸惑っていた。しかし、他の選択肢がないことを抜きにしても、きっと頼っても大丈夫だと安心感を覚え始めていた。
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疲れた体をベッドに預ける。今日でニ度目になるベッドだが、まだその感覚に慣れない。
テルは布団の上で横たわりながら、掌から黒砂を溢れさせた。
あのあと、何度か黒砂の上手い活用法を模索していたテルは、この砂を消しては出してを操れることがわかった。とはいっても、それだけの些細なことだ。なにせテルにはそれ以上のことはできないのだから。
結局、魔法使いとしてのセンスは無いに等しい。魔道具を使えるようになったおかげで不便な生活を強いられずに済んだのがせめてもの救いだ。
寝返りを打つと、窓の外の月明りが見える。このベッドで眠るのはニ度目だが、寝返りは一度目だったことに気づいたが、どうでもいいことなのですぐに忘れた。
「寝れないなあ。そりゃそうだよなあ。最初に起きた時点でもう夜だったしなあ」
テルの手からとめどなく湧き続ける砂は、いつの間にかベッドの上に小さな山を作っている。テルはおもむろに砂を掴み、持ち上げて、またざざぁとベッドの上に落とした。
「……黒い砂」
テルは初めにこの砂を見たとき、親近感とも既視感とも呼び難い、奇妙な感覚があった。いまだにその正体は掴めず、もどかしさに苛立ちを覚え、八つ当たりをするように砂を全て消滅させた。
寝苦しさでもう一度寝返りを打つとベッドが軋む。弾んだ勢いで不安を煽るような音を上げ、ベッドからも拒絶されているような気がした。
「色々ありすぎた」
独り言が部屋に溶ける。
異世界に迷い込み、初めて魔法を使って、魔法の才能がないとわかった。生きるための衣食住が保証されただけずっとましだったが、それでも気分は晴れない。
目をつむっても眠れないまま、なんだかやるせない一日を思い返していると、自分の回想できる思い出が今日一日分しかないことに気づいて、本当に悲しくなった。
「こんなことなら、疲れるようなことをしておけばよかった」
そんな風にしていると、知らないうちに眠気もやってきて、気づけば意識がなくなっていた。
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暗い、深い、冷たい泥のなかをただ、もがくこともせず沈んでいく。
苦しくはないので、これが夢だとすぐに理解した。理解したはいいものの体は動かず、意識を浮き上がらせることもできない。この感覚に覚えはあった。あったはずだ。あったはずなのに、いつの間にか記憶に蓋がされわからなくなっている。何度目かになるが、この無力感と喪失感はなかなか慣れない。
目が開いた。
前のときは、目が開かなかった気がする。いや、目が機能を発揮しないほどの暗黒にいたというのが正しい。
あの時は何も見えなかったのに今は見える。ということに気づいたのは、まぎれもなく全く同じ姿をした自分自身が、鏡と向かい合ったようになって同じ速度で泥の底へ沈んでいるのだ。
睨まないでくれよ。
目の前の殺意がこもった眼差しが自分を射貫く。
目を逸らしたくても、逸らせない。こちらも黙って諦めていると、ふと口元が動いていることに気づいた。
気づくと同時に、全くの無音に微かに音が混ざる。人の声だ。しかも紛れもない自分の声。
「忘れるな、お前のやるべきことを忘れるな」
闇の中で何度も木霊し何度も苛み、その数だけ心に刻みつけて、覚えようとしたその声を、きっとまた忘れてしまうのだろう。
がは、と咳き込むような呼吸音で、目を覚ました。正確にはとてつもない息苦しさが原因だった気がする。
酷く恐ろしい夢を見たが、どうにも思い出せず、重くのしかかる疲労感だけが残る。
「せっかく寝れたのに」
文句をいうように呟くが、眠気はもう遥か彼方に旅立ってしまったようだ。
気まぐれな睡魔に期待して横になったが、どうにも落ち着かない。
「はあ」とため息をつくテルは違和感があった。心臓に蜘蛛の巣を張られたような、むず痒いような苛立つような焦燥感。
窓の外はほんのりと空が白み始めていた。
テルは起き上がり、そっと音を立てないように、部屋にあった本棚を漁った。辞書のような分厚い本を見つけたが、知っている文字が一つもないので、早々に元あった場所に戻した。
「なんで話してるのはわかるのに、文字はわからないんだろ」
独り言をいいながら何をするべきか考え、
「よし、走ろう」
と自分でもよくわらない衝動に従い、外に出た。あまり遠くにいかなければ危ない目にも合わないとリベリオも言っていたので、それほど心配もなかった。
まだ外は暗いが、視界は悪くなかった。夜と朝とで同じ景色を見ると、まったく別の場所にいるように感じる。
リベリオの家がある丘は、思っていたより清々しい。走り始めると景色がどんどん広がっていくようで、心地よかった。しかし、あっという間に息が上がり、苦しさが心地よさを大きく上回った。
「そりゃそうか、部活辞めてから何もやってなかったしな」
テルは自分の運動不足を嘆くが、既に自分の所属していた部活が何だったか思い出せなくなっている。
「ああ、ちくしょう」
テルはそう吐き捨てて走り出した。冷たい朝の空気に身を任せて、頭の中を曇らせる靄を少しでも遠ざけるために、とにかく走った。
なぜテルが急に走り込みを始めたのか、テル自身にもわからなかった。しかし、目的も何もないことに対する言い訳だとすぐに理解した。
何もしないという罪悪感と無意識に込み上げるもどかしさから逃げるために、テルはひたすらに走った。
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