第2章3話 聞き込み
子どもを攫う『黒泥』という魔獣を追う三人は、大した方針も決まらぬまま、資料以外の情報を何も持っていないことに気づき、色々な場所に行って情報を集めることにした。
攫われる子供になにか共通点があれば、予測が立てやすいというカインの案で、テルたちは学校に訪れていた。
この世界にも学校があり、この学校は基本学校という初歩的な読み書きと計算などを習う、小学校に近い施設のようだ。
「ええ、そのような話はよく存じております」
神妙な顔で答えた中肉中背で中年の男がこの学校の教師だ。髪を中央で分けて清潔感がある。
最初、テル達が学校に来たときは、怪訝な顔をして出迎えられたが、セレスが上位騎士の騎士証を見せると、納得したようにすぐに中に通してくれた。
この学校の子どもが攫われたなら、厳しい対応を取ることも自然なことに思える。
校庭では、子どもたちがボールを蹴って遊んでいるのが見え、その中には見知った顔もあった。
「ここに通う子どもの中にも、行方が分からなくなった子が?」
「ええ、三人です」
弱々しく言う教師は、目に涙を浮かべている。
「現在は子どもを極力一人にさせないよう、行き帰りも教師が付き添いをしていますが、そんな状況でも昨日一人の児童が失踪しました」
「その子どもに変わった様子はありませんでしたか? その周囲の異変でもいい。なにか手掛かりになりそうなことはありませんか?」
悲痛の表情の教師にカインは質問を続けると、自分の無力を嘆くように首を横に振る。
「騎士さん、なにか黒泥の手掛かりはあるんですか?」
「いえ、今のところ残念ながら」
「そうですか」
「そういえば、ここにくる前に孤児院に言って話を聞かせてもらおうと思ったんですけど……」
「ああ、彼ですか……」
テルが別の話題を出すと、教師は頭を抱えるようにしており、テルたちが頭に思い浮かべている人物と同じであろうことがわかった。
「はい、何の話も聞けないまま追い出されました」
ほんの数刻まえのことだ。
テルたちは手掛かりを少しでも得るために、孤児を預かっている教会に訪れた。
教会といっても、テルが想像するものではなく、三つの高い煙突がどこか神秘的な、しかし飾り気のない建物だ。なかにはいると、長椅子が並ぶ、広いだけの質素な建物だった。
司祭も建物と同じような黒く清潔そうな服を来ており、大きく高い鼻と眉間の皺が特徴的な男性だった。
「申し訳ないが、役に立てるようなことは何もしらない」
「なんでもいいんです。どんな子供が攫われたのか、変わった様子はなかったか、ほんの些細なことでいいんです」
けんもほろろな司祭に、なんとか引き下がるまいとするテル。しかし司祭の機嫌の悪そうな声が冷淡に発せられるだけだった。
「うちで預かる子どもに、攫われた子はいないので答えられることはありません。予定があるのでお引き取り願います」
あっけなく閉められた扉と肩を落とした自分の記憶が蘇り、テルはむかむかとした気持ちに蓋をする。
「そうでしたか」と同情的な言葉を返してはいるが、その反応には感情の波に大した変化も見られず、やっぱりかという諦念に近いものがあった。
「子どもの送り迎えを行っていますが、いかんせん人手が足りず、色々な方に協力を呼び掛けました。そのときにも司祭殿にも声をかけたのですが、きっぱりと断られてしまいました」
「決して愚痴とかではないんですが」と教師が伏し目がちに続ける。
「非協力的といいますか、好んで人と関わろうとはしない傾向は以前から感じていました」
「後ろめたいことがあるのよ」
「安直すぎだよ」
セレスとカインのやり取りに教師は苦笑するが、肯定も否定もしなかった。
結局、なんの足懸りも得られないまま三人は学校を後にした。
教師は最後まで攫われた子どもを心配しており、テルたちに「子どもたちをよろしくお願いします」と何度も頭を下げた。
「さて、どうしたものかなあ」
テルの呟きはそのまま空に向かって溶けていく。そのうち良案になって落ちてくれればいいなと思うが、そう都合よくは廻らない。
学校でも孤児院でも目新しい話はないまま、時間だけが経過していき、気づけば昼になっていた。このままだと、
「なんのあてもない、成功率の限りなく低い張り込みをするしかなくなってしまう」
同じような表情のカインが呻くようにひとりごちる。
決して狭くはないシャダ村内で、いつ現れるかもわからない黒泥を、現れると信じて待ち続けることが、どれだけ無謀なのかは明白だ。
そのうえ、
「凱旋祭もあるんだよなあ」
普段の村なら、夜になれば人は家に帰り、外出することは滅多にない。しかし、今日はちょうど凱旋祭であり、朝から夜まで人が外に出歩いているのだ。
「人目が増えるなら、見張るべき範囲が減るんじゃ」
「黒泥が出てくるならな」
希望的観測をカインに残酷にも真っ二つにされて、テルがいじけたように縮こまる。
二、三日の感覚で現れていた黒泥だが、人の目が多いこの期間においては現れない可能性が高いのだ。
「頑張るだけ無駄ってことか」
テルが項垂れると、カインも同調するようにため息をついた。
頑張るだけ無駄なことはわかっていても、万が一の時のために頑張らない訳にはいかない。その板挟みに陥っている。
「二人に良いことを教えてあげる」
萎びていくテルとカインに、腕を組んだセレスが声を掛けた。セレスは「ふっふっふ」と自信ありげな笑みを浮かべている。
「日中はいつも以上に人の目が増えるから、黒泥はきっと現れない」
「まあ、そうだろうね」
なんで今更そんなことを、と聞き返そうとしたとき、セレスが力強く言い放った。
「つまり、日中は凱旋祭を回れるってことよ!」
「「は?」」
セレスの言葉で凍り付くテルとカイン。
「凱旋祭、有名だけどくるのは初めてなのよね。露店が沢山出るんでしょ? 何食べようかなあ、揚げ芋もいいしサンドも食べたいし、でもあんまり食べるとデザート食べれなくなっちゃうのよね。悩むなあ、どこに絞ろうか……」
はしゃぎ始めると、いつまでも自分の思考を垂れ流しにしていそうなセレスに、あっけにとられ、空いた口が塞がらない。
「正気か、こいつ。なんで仕事の前に遊ぼうと思えるんだ」
「あんたたちこそ、なんでお祭りにまるで興味がないのよ。私のほうが不思議だわ」
逆に呆れたように二人に蔑みの視線を送るセレスだったが、やぶさかでもなさそうなテルの存在に気がついた。
「ほら、テルだって凱旋祭行きたがってるじゃない。誘いたい女の子でもいるの?」
顎に手を当てて考え事をしているテルに、近づくと肩に手を回す。
あるわけがないと承知したうえで、そんな揶揄をされたのだろうが、テルは脳裏にニアの顔が掠め、一瞬表情を硬直させた。そして、一瞬の間をなかったかのように「そんなわけないだろ」とセレスの手を振りほどいた。
すると、セレスは不意に黙ったかと思うと、ニヤニヤとした邪な視線をテルに向けた。
案の定、些細な機微は全て拾い取られたのだ。
「ふぅん、なるほどなるほど。素敵な記憶喪失ライフを送ってるじゃん」
「記憶喪失は関係ないだろ」
逃げるように視線を外すテルの言動は、もはや同意に等しい。そんなテルの自覚に漬け込むようにセレスはテルの肩を叩いた。
テルはとしっしっと手を振るい、人を玩具にせんと企てる悪人を追い払おうとするが、セレスはまるで意に介さない。
「鬱陶しいぞ」
「そうは言っても、女の子の意見があったほうが為になるわよ?」
「だからそういうのじゃないって、引き籠り勝がちだから少しでも外出してほしいなってだけ!」
食い下がるセレスを説得させようとして、言い捨てるように事情を話す。すると、追及の手が止まり、胸を撫で下ろしかけるが、セレスの反応が少しおかしい。
「あ……」
そして口を滑らせたことを自覚した。
記憶喪失天涯孤独のテルが、家に引き籠っていることを知っている女の子。そこまで出そろえば、たどり着く結論は一つだ。
「あんた、女の子と一緒に暮らしてるの!?」
セレスは茫然としていたかと思うと、色を変えて詰め寄る。テルは両手を前に出して抑えようとするが、イノシシのような勢いは増し続けている。
「いや、これには事情が―――」
カインに助けを求めようと視線を送ると、カインはなにか思いついたような善良さに欠けた笑いを浮かべる。
「テルは二人暮らしなのに手を出したりしないから、あんまりいじめないでやってくれ」
「おまえっ、余計なことを言うなっ!」
「二人暮らし!?!?」
援護射撃に見せかけた裏切りでセレスの顔がさらに赤くなる。
「あんたそんな冴えない顔しておいて……、とんでもない変態だわ」
「まてまてまて、だから事情が―――」
「カイン、夕方までどうせ暇でしょ。こいつの家まで案内して。問題がありそうだったら騎士としてテルを叩き斬るわ」
「村の北側の外れにある家だよ。俺は面倒だからまたあとから合流する」
夕方から黒泥の捜索を始めることだけは決まっていたので、カインは早々に離脱を表明した。
「待て、置いてくな!」
火の粉を撒けるだけ撒いたカインはテルの制止も聞かず、その場を後にしようとするので、服を掴もうと手を伸ばす。しかし、そんなテルの首根っこはセレスに掴まれてしまう。
「諦めてお縄につきなさい」
「悪いことなんてしてない、って力つよ!?」
振り払おうとしてもびくともしないセレスの腕に引きずられて、テルはなすすべもなく家に連行されるのだった。