第2章2話 共同依頼
テルがノックをすると、返事もなくドアが開かれた。
背の低い桃色の髪をした自称老婆は、睨むようにテルを見上げている。
テルから漂う、用がありげな雰囲気を敏感に察知したヒルティスは顎をくいと出して、中に入るように促した。
「お邪魔します」
テルがそういっても返事はなく、そのまま台所へ向かいお茶を入れている。
「あの、お構いなく」
「あんたのためのじゃないよ。私が飲みたいんだ」
「そ、そうですか」
遠慮した物言いを突っぱねられて、大人しくヒルティスを待つことにしたテルは、比較的片付いているダイニングテーブルと椅子を見つけ、座った。
ヒルティスの家の一階には、裏路地に位置するという理由で、外の陽光を取り入れる窓が一つもない。そのかわり、吹き抜けになった二階の出窓から、唯一光が差し込んでいた。
日の当たるしっかりと明るい場所があるせいで、今自分は頼りない照明だけの仄暗い場所にいることをきっぱりと告げられている。
ヒルティスは背伸びをし、短い手を伸ばして、テルの前に紅茶の入ったカップを置いた。
視線を戻すと、ヒルティスが正面の席に座っており、手元には彼女の分のカップが収まっている。
結局淹れてくれたのか、と呆れるような、ありがたいよな気持ちになり「いただきます」と小さく言って、口をつけた。
「それで、一体なんの用なんだい」
ヒルティスの言葉はイラついているようにも聞こえたが、目元は穏やかで、卵のように張った子供の肌には皺が寄っていない。
「話があってきました」
「私と雑談でもしにきたのかい」
揶揄っているのか、なにかの皮肉なのか判断がつかず「いや、違います」と弱く返す。ヒルティスは「で?」とだけ言って続きを急かした。
「そういえば、なんでリベリオの葬儀に来なかったんですか?」
「それが本題なのかい?」
テルが抱いていた疑問をふと思い出して問うと、脱線していることを見抜いたヒルティスが少し苛立たし気に眉をぴくりと動かす。
「違います」
ヒルティスは湿度のある視線をテルから外すと、ため息とともに「まあいい」と吐き捨て、
「弔いの場には行かない主義なんだよ」
と躊躇いも着飾りもなく答えた。
外見からは想像もつかないほど長い年月を生きていたというヒルティスは、きっと自分独りだけで人の死の乗り越え方を知っているのだろうと強引に納得する。
実際あの場で、テルは落としどころのような物を見つけた気がするし、今はその話をしに来たのだった。
「さっさと本題を話しな。私も暇じゃないんだよ」
「ニアのことです」
威嚇するようにしゃがれた声を出したヒルティスは、ニアの名前を出すと攻撃的な気配を潜ませる。その後、視線の置き場に困らせたように色々な方向に目を泳がせ、最後に唯一光をもたらす出窓を見上げるようにして、息を吸う。
「どの口が言ってるんだって俺も思いますが、ニアと一緒に住んで貰いたいんです」
テルはテーブルに手にあるカップを見ながら言った。ヒルティスは案の定、目を鋭く細め、テルを射貫くように見る。
「リベリオにニアを頼むと言われました。でもニアのことを考えるとそうするのが一番だと思うんです」
「はあん、私に押し付けて逃げるってことかね」
「そうじゃありません。どう考えても俺に出来ることが少なすぎます。勝手な憶測ですけど、ニアが今一番心を許しているのはヒルティスさんだと思うから。信頼出来る人がそばにいるべきなんじゃないですか」
「やっと慣れたあの家を追い出すのかい?」
「ニアが家に残りたいというならヒルティスさんに来てほしいです」
「私には家を捨てろと言うわけだ」
辛辣でわざとらしく意地悪なヒルティスに、テルは怯えるように真っ直ぐ頷いた。するとヒルティスは鼻を鳴らして笑った。
「テルが面倒ごとを押し付けにきたんじゃないのはわかったよ」
懐から取り出した煙管を口に咥え、魔法で火をつけた。紫の煙が立ち上り、光に当てられ拡散していく。
「でも、お断りだよ。私はもうこの村を発つ。だからその頼みは引き受けられないね」
「え、なんで」
テルが小さな声で驚くと「はじめからそのつもりだったのさ」と微笑みかけるように言った。
「リベリオが満足するまで傍で見守るつもりだった。面倒は最後まで見る主義なのさ」
どこか聞き覚えのある言葉を告げるヒルティスに「そうですか」と言って、テルは視線を落とした。
「それに、ニアは私にも口を聞かない。私が一方的にお節介を焼いていただけだ。あんたもニアにそうしてやればいい」
落胆するテルを励ますような言葉。きっとリベリオも、幾度となくヒルティスからこんな風に助言を受けていたのだろう。
ヒルティスはもう一度高窓に目をやると、煙管を吸う。管に詰められた葉がちりちりと焼ける音がする。
「それに、ニアも自分の足で立ち上がる頃合いだ」
ーー・--・--・--
ドーム状の大きな建造物が青空によく映えており、一見どこかの王城のようにも見える騎士庁舎は、一人で入るには少し勇気がいる。
テルが騎士庁舎に訪れたのは、仕事を探すためだった。
ニアとテルの二人分の生活費を稼がなくてはならなくなり、そのためには今までと同じペースの魔獣狩りでは収入が心許ない。なので、少しでも割のいい仕事を貰えるようにシャナレアに掛け合いにきたのだ。
リベリオは遺産を残していた。ニアはもちろん、カインやテルも少なくない額の遺産金を相続したが、テルはそれを受け取る気になれず、まったく手を着けずにいる。
ニアやテルの遺産を生活費に充てることもできたが、そうするべきではないという気持ちが強く、ニアに生活で不自由をさせないために、稼ぎが欲しかった。
リベリオの葬儀の時に言ってくれた「頼りにしてほしい」という言葉が社交辞令であることは、無知なテルでもわかる。しかし、目下最大の問題のために、記憶喪失無知蒙昧という、対面した回数が少なない相手にだけ使える免罪符を活用し、その伝手に頼ることにしたのだ。
そうしてテルが騎士庁舎に入っていくと、見覚えのある顔があった。
黒い髪とすらりとした痩身の青年。確か名前はパーシィだったはずだ。
「あ、お久しぶりです。ご活躍は耳にしてました」
礼儀正しく挨拶をするパーシィ。
「どうも、お久しぶりです」
「今日はどうされたんですか?」
「シャナレアさんと少しお話がしたくて」
「えっと、約束はされていますか?」
少し悩んだような顔でパーシィが尋ねた。ヒルティスに相談したあとすぐにこの場所に訪れているので、当然アポなしである。
テルが首を振るとますます悩むような顔になったパーシィは、考え抜いた末に、
「先に僕が要件を伺ってもいいでしょうか」
と、訊いた。来る途中で呆気なく断られる予想をしていたので、こちらが無茶を言っている割に親身になってくれたことが意外だった。
「なるほど、それでシャナレア様に会いに来たんですね」
黒髪の青年はそう困った顔をして頬を掻いた。社交辞令を真に受ける馬鹿をどう追い返すか悩んでいるのかもしれない。
「迷惑だったらいいです。ほんとうにダメもとだったから」
テルが苦笑いをすると、パーシィははっとして勢いよく首を振った。
「いえいえいえ、待ってください。確かにいまシャナレア様は王都への異動になり、その支度で忙しいですが、テルさんを無碍にはできません」
きっぱりと手伝う姿勢を見せるパーシィに、逆にテルが気圧されている。
「隙を見てシャナレア様に話を通しておきます。シャナレア様がお忙しいようなら僕がなにか見繕います。中位騎士向けの非公開のものも含めて専任依頼はまだ余りがあったはずなので」
「ありがとうございます。助かりますパーシィさん」
「いえいえ、同い年のよしみということで」
「同い年?」
パーシィの言葉に目を丸くするテル。
パーシィはテルよりも背が高く、顔も大人びている。
ふとパーシィが、シャナレアの部下として激務をこなしているのを思い出す。あれほどの苦労をしたせいで、老けるのが早まってしまっているのかもしれない。
「そうですよ、だからあんまり畏まらないでください」
「そ、っか、なら俺も呼び捨てとかタメ口でいいよ」
「呼び捨ては恐れ多いですから、テル君で。タメ口は……頑張りますね」
「仕事柄なかなか敬語が抜けないんですよ」と照れくさそうに笑うパーシィに「無理はしないでいいよ」と笑い返した。
「そういえば、さっきパーシィが中位騎士向けって言ってたけど、俺はまだ下位騎士なのにいいの?」
「あれ、まだ通知書が届いてませんか? テル君は先の戦争の功績と所長の推薦があって中位騎士に昇格したんですよ」
「全然知らなかった」
「特に手続きもないですし、主だった変化はありませんけどね」
そこまで言ってパーシィは「あ」と声を上げた。
「丁度所長からです。少々お待ちを」
そういうと頭に手を添えて独り言を言い始めた。
なるほど、これが風魔法か。
理解が追いついたテルが興味深そうにパーシィを見ていると、その顔色が徐々に悪くなっていった。どうかしたのだろうかと様子を伺っていると、階段から高い音を響かせながら降りてくる人物がいた。
テルはその音に気づいたあたりで、パーシィの通話が終わり、憂鬱そうな曇った視線を階段の上に向けた。
「パーシィ、私のお客さんに勝手に応対するだなんて、見かけに寄らず結構度胸があったのね」
「ひ、ひいぃ」
パーシィの心のうちで止めておくはずだった悲鳴が漏れている。
「頼んでた書類もまだ終わってないのに歓談に勤しむ余裕があるの?」
「その締め切りは明後日では……」
「忙しい私に、ぎりぎりで書類を確認させるつもりだということ?」
「申し訳ございません……」
シャナレアの微笑む口元と裏腹に、冷たい視線を一心に浴びたパーシィの声はみるみる小さくなっていく。
「い、今すぐ終わらせてきますぅ……」
「待ちなさい、パーシィ」
「は、はいぃっ」
シャナレアはパーシィを呼び止めるとテルに視線を移した。
「この間ぶりね、テル君。元気そうでよかったよ」
「こんにちは。シャナレアさんは、少しお疲れみたいですね」
パーシィをいびっているときにはまるで感じなかったが、凛とした印象が以前よりも薄れて、覇気がないように思える。
「まあ、最近は忙しくてね」
シャナレアは誤魔化すように笑うが、どこか罰が悪いようで話題を変えた。一方、パーシィは呼び止められたのに雑談を聞かされており、混乱している。
「それで聞いたよ。仕事が欲しいって話。パーシィがちょうどいい依頼を探してくるから少し待っててよ」
そういうと、シャナレアはパーシィに目くばせをした。意図を理解して「いってきます」と言って走り出した。
パーシィの姿が見えなくなるとシャナレアは「はあ」とため息をついた。
「どう、なかなかの意地悪上司でしょう?」
自嘲気味にそう言うシャナレアは、見せつけるように手を広げて肩を竦めた。テルはどう返事をしていいものかわからず、愛想笑いを浮かべる。
「あの子は有能だから、そのうち根腐れた貴族どもを相手にすることになる。そのとき食い物にされないために鞭を打っているの。まあ、なんにせよ彼にとって私は一生嫌いな上司だ」
黙って聞いていると、シャナレアは「あ」と声をだして「今の秘密ね」と添えた。
「あの、俺になにか用があったんですか?」
テルは恐る恐る訊く。
リベリオの葬儀の際、心身共に疲弊していたテルは、無茶振りされたことも相まって、シャナレアにかなりいい加減な態度を取っており、それに加えて頼りにしようとしていたのが少し気がかりだった。
しかし、シャナレアはそんなこと覚えていないのか、微笑を浮かべた。
「これといった用事はないよ。でももう会う機会もないかもしれないから、お別れを言いに来たんだ」
「お別れ、ですか?」
「うん。もうすぐ異動になるから」
「ああ、パーシィに聞きました」
テルがそういうと、シャナレアは「仲がいいんだね」と言った。
「さ、気晴らしはこれくらいかな」
シャナレアは大きく伸びをすると、階段を上がっていく。
「じゃあ、元気でね」
そう言いながら手をふらふらと翻して、去っていった。
「テルくーん」
騎士庁舎に主張が弱そうな声が、騒めきをなんとか通り抜けて、テルの耳に届く。顔を向けると、パーシィが小走りで帰ってきている。
「お待たせしました。良い感じのものがありましたよ」
肩で息をするパーシィ。雑用ばかりさせられているせいで、うだつの上がらなさそうに見える彼だが、シャナレアが評価するほどの能力が眠っているらしい。
断ることが苦手そうな彼が体のいい使いっぱしりとして、ひどい扱いを受けている訳ではないと聞いて少し安心しつつ、テルはパーシィの才能がどこにあるのかすぐにわからず少し申し訳なさを感じていた。
「どうかしました?」
「なんでもない。ありがとう」
テルが首を振り、パーシィの持っていた紙の束を受け取る。量が多く、どっしりとした重量がある。
「こ、こんなにあるの?」
「はい、これが依頼書と報告書、それと諸々の必要書類です」
ちょっとした本のような書類をぱらぱら捲ってみると、サインが必要な書類も幾つか見受けられ、思わず苦い顔をする。
「軽く目を通して貰えれば大丈夫なので」
「う、うん」
文章を読む事にも慣れてきたが、契約書のような硬い文章になると苦手意識が膨れ上がる。軽く目を通すだけで半日はかかりそうだ。
誰かに頼る選択肢も頭を過ったが、下手な見栄を張って孤独の戦いになるのが落ちだろう。
「じゃあ、僕はそろそろ仕事に戻りますね。これ以上遅れたらシャナレア様に怒られそうです」
「ああ、色々とありがとう。仕事頑張って」
手を振って別れたテルは、無茶を言われて振り回されるパーシィにシンパシーを感じていたが、今の自分には縁の遠い苦労だと気づき、哀愁に捕らわれそうになった。
枕に八つ当たりしたくなるような横暴でさえ、どこか懐かしい。
もういない人の笑い声は、どこからも聞こえることはない。
「家に帰って書類との戦いだ」
暗澹とした気配を振り払うとテルは騎士庁舎を出て、家に戻った。