第1章25話 どこかで涙の落ちる音
直前まで雨が降っていたので、地面も建物も全てが湿っているようだった。
二人目の魔人の出現と、リベリオの善戦をもって魔獣たちに侵攻は収まった。幾度とこんな戦いを乗り越えてきた騎士たちの戦死者はさほど多くない。しかし、いない訳ではない。
テルはリベリオの葬儀に来ていた。
会場はシャダ村の外れの小さな教会のような施設だった。
テルとニアはほとんど段取りなんて出来るわけもなく、騎士庁がほとんどのことを取り仕切っていて、唐突に日時と場所が伝えられた。
葬儀はテルが思っているよりもこじんまりとしていた。村で関りがあったという知っている顔から全く知らない人の二十人余りの集まりだった。
隣にいるニアのほうに目をやると、いつもと同じように無表情で、神官の言葉に耳を傾けている。
ニアにリベリオの死を伝えたあの日以降、二人はまったく言葉を交わさなかった。テルは何を話せばいいかわからなかったし、相変わらずニアは何を考えているかわからなかった。そもそも口を聞かない状況は珍しいことではなかったはずったが、テルは自分が憎まれているような気がしてならなかった。
「最期のお別れを伝えてください」
この世界でも死者を荼毘に付すようで、棺を閉ざす直前、神官は重々しい声で言った。
参列者たちは棺の中を覗き込むと悲痛な顔で花を添え、胸の前で両手を握って目を閉じた。
テルはこういう所作を知らなかった。カインに聞けば気っと教えてくれるだろうが、なんとなく気が引けて、周りの見よう見まねで祈った。
その後、火葬まで少し時間が空いた。誰かと同じ場所に居合わせるのが億劫になり、何気なくその場を離れた。
曇り空の下、濡れた道を少し歩くと、どこに続いているのかわからない階段を見つけた。両脇には緑が生い茂り、それらが雨を防いだのか階段に濡れていない場所があったので腰を下ろした。
「探したよ」
しばらくしてテルに声をかけたのはシャナレアだ。以前あったときも喪服のような黒い服だが、今日はその時以上に沈んだ雰囲気がある。
テルは声を掛けられる理由が見当たらない訳ではなかったが、思い浮かぶのは悪い物ばかりだった。
「なにか用ですか」
露骨に嫌そうな顔をしてテルは言った。
「所長として君に話があってわざわざ馳せ参じたのさ。あれっきりだったからね」
あれっきり、というのはおそらくシャナレアがテルとカインに無茶振りをしたときの話だろう。
「お説教ですか、任務を果たせなかったことの」
「そうして欲しいならそうするけど」
シャナレアの言葉にテルは少しムッとした。シャナレアは「冗談だよ」と窘めるようにふふっと笑った。
「説教をしに来たんじゃない。謝罪しにきたの」
テルは座ったまま、目の前のシャナレアを見上げた。
「これは余計なお世話かもしれないから、聞き流しても構わない」
そう前置きをしてシャナレアは何もないほうを見て、独り言のように告げる。
「私は魔法であの場の出来事をかなり詳細に把握していた。だから断言できる。あのとき君が戦場から離れた判断は間違っていない。君は君なりの最善を尽くした」
「あの程度が最善だったんです」
「あの時はイレギュラーが多すぎた。責任を追及するなら、君から二人目の魔人の話を聞いておいて重要でないと切り捨てた私の責任」
飄々と話すシャナレアは、爪が食い込んで血が出そうなほど手を握りしめている。
「私はリベリオを助けられなかった。ごめんなさい」
シャナレアはそう言って頭を下げた。
「俺より謝るべき人がいますよ。それほど付き合いが長いわけじゃない」
「いろんな人に謝って回らなきゃいけないことには同意するけど、人に対する思いの大きさは時間じゃないよ」
「……」
「リベリオは君とあの少女を随分気にかけていたよ」
どう返せばいいのかわからずに、テルは俯いて黙り込むと、シャナレアも一緒になって口を閉ざした。
風が吹くと、草木が擦れあう音がして、落ちずにいた雨粒がテルの上に降りかかった。
濡れた階段を踏みしめる足音がする。視線を上げるとそこには見知らぬ男がいた。
「これはこれは、お久しぶりです。テル君も人気だね」
シャナレアは正面の人物に挨拶をすると、テルに目くばせをした。
「シャナレアさんがどうしてここに」
男は不思議そうな顔をする。
「ちょっとした話を。あなたも彼に用があるのでしょう?」
そう問われた男は首を縦に振った。
「あ、あの……」
向こうはこちらにようがあるのに、こちらは向こうを知らない。困惑したテルの様子にシャナレアが気づくと、
「ああ、君は記憶喪失だったね」と納得がいったような物言いをし、男に視線を向けた。
「こちらはシス・フューリズ殿。特位騎士にして、この国の騎士の頂点に立つお方だ」
「邪魔をしてしまったようですまない。出直したほうがいいだろうか」
大げさな紹介に気にせず、恭しく引き下がろうとするシスに、シャナレアは首を振った。
「いいえ、構いません。私もちょうど戻ろうと思っていたところですし、最強の騎士様のお時間を奪う訳にはいきません」
そういうと、シャナレアは二人に背を向けて階段を下っていく。
そのまま立ち去るかと思われたところで、「そうだ」と足を止めた。
「他人は自分を移す鏡という言葉があるだろ」
「はあ」
振り返ったシャナレアの唐突な言葉にテルは首を傾げた。
「くれぐれも鏡に惑わされないように。リベリオからの言伝だ」
リベリオからの言伝と言われ、テルは目を丸くした。
「それじゃあまた、仕事で会おう」
そう言って手を振るとシャナレアは去っていった。
※
男はシャナレアがいなくなるのを見届けるとこちらに向き直った。
「改めて、初めまして。シス・フューリズだ」
「テルです」
テルは畏まって立ち上がろうとすると「ああ、そのままでいいんだ」と制止される。
シスは癖のある金髪で、リベリオと比べると華奢だが、背は同じくらい高い。一本の剣を腰から下ろしていて、それはリベリオの大剣ほどに目を引いた。素人のテルの目でもわかるほどの業物なのだろう。
「隣、いいかな」
「どうぞ」
シスは服が濡れることも気にせずにテルの隣に座った。
「あの、なにか用が……?」
「ああ、これといった用事はないんだ。ただ、挨拶をと思ってね」
テルは一言一言慎重に言葉をさがすシスという男に、シャナレアが言っていた最強という言葉が当てはまらないような印象を受けた。
「私とリベリオは古い友人だったんだ。でもあるとき喧嘩別れ、というかほとんど私が原因で疎遠になってしまってね。それ以来一度も顔を合わせて話を出来なかったんだ」
「昔っていうと」
「二十年前かな」シスはばつが悪そうに答えた。
思えば、リベリオの過去の話は一度も聞いたことがない。過去を振り返らないような人柄のようにも見えたし、そう演じていたようにも思える。
「リベリオに家族がいると聞いて合ってみたいと思ったんだ」
「俺はただの居候ですよ」
「そうだったのか。いや、さっき声を掛けた少女には嫌われてしまったようだったから……」
「ああ……」
ニアの口数の少なさはそう思わせるかもしれないと思った後で、自分も嫌われていない保証はないとも思った。
少しの間沈黙が流れ、自然の音は一人で聞く分には心地よいが、そうでないときは気まずさを助長させるような気がする。
「リベリオには酷い言葉を言ってしまってね、結局謝れなかった。その勇気がなかったんだ」
「最強らしくない言葉ですね」
弱々しく語る男に、テルは思ったことを率直に言った。
「その肩書が私にふさわしいと思ったことは一度もないよ」
あっさりと認め自嘲気味に笑うシス。テルは軽口を咎められるどころか、むしろ同意されてしまって居心地が悪くなった。続ける言葉が見当たらず、黙っているとシスは立ち上がる。
「急に押し掛けた上に、こんなことを言って困らせてしまってはいよいよだな。邪魔をしてすまなかったね、私はこれで失礼するよ。火葬に立ち会えず申し訳ない」
「お仕事ですか」
「ああ、忌々しいことにね」
嫌味なく頭をかくシスにテルはどことない親しさを覚えた。
「頑張ってください」
少し恐れ多いことを言った気がしたが、予想通りシスは気にしない。
「ありがとう。テル君も何かあれば頼ってほしい」
シスはそう言って、階段を下っていった。
取り残されたテルは頬杖をついて、流れていく雨雲を見ていた。
神官がなにかを唱えると、リベリオが入った棺に火を着けた。
この世界だと遺骨は出来るだけ形を残したまま箱に入れて土に埋められる。遺灰は砂を連想させ、砂は死や災いなど不吉なものの象徴のだという。
魔法の火はあっという間にリベリオの肉を灰に変える。
もとの世界はもっと時間がかかったはずだよな、なんて考えていると、それらの知識と記憶に靄がかかり始める。こんなことにも慣れてきて、こんな場面だからさほど怒りもわかない。
誰もが燃え盛る炎に視線を向け、それぞれなんらかの思い出を辿っている。
ふと横を見ると、ニアが泣いていた。
リベリオの死を知ったときから、今日に至るまで泣かなかったニアが涙を流していた。
悲しんでいないようにも見えるほどに、ニアは今までと同じように振舞った。テルはニアのためになにかできることはないか考えていたのに、肩透かしを食らったような気持ちにもなった。ニアはそれほど悲しくないのだと勝手に思うこともあった。
しかしそれはテルの勘違いだった。
ニアは一人で悲しみを抱えて、誰にも甘えなかったのだ。弱っている姿を見せて、誰かに寄りかかろうとせず、ずっと一人で立つことを選んだのだ。そんなニアが、涙を堪えきれないでいる。
―――ニアを任せたぞ。
不意にそんな言葉を思い出した。自分の死を確信したリベリオがテルに残した最期の言葉。それが、テルの胸の一部を抉った。
ほとんど衝動的に、テルはニアの手を握った。ニアは少し驚いたようにテルの顔を見上げた。
ニアがテルを嫌いだったとしても、今だけは一人にしてはいけない。そんな独りよがりをニアは拒絶しなかった。
ニアは手を握り返して、しばらく音も立てずに泣いた。
「もう大丈夫。ありがとう」
火が燃え尽きたころ、テルにだけ聞こえるくらいの小さな声でニアは囁き、手を離した。
ニアの視線は真っ直ぐ前を向いており、ついさっきまで涙を流していたとは思えないような凛とした顔立ちが純白の髪越しに見えた。
以前までの燻りがいつのまにかきれいさっぱり消え去った。そのかわり、別の何かが新しい火種がちりちりと音を立てて燃えている。そんな見知らない熱を感じていると、いつの間にか日が差し込んでいる。
不意に出てきた日の光ににテルは目を眩ませながら、雨雲がどこか遠くへ行ってしまうことを祈った。