第1章24話 終戦
「二人目の魔人……」
リベリオが呟いて大剣を卵樹から引き抜き、正面に向けた。クォーツは手を後ろで組んで、いまに鼻歌を歌いだしそうな緊張感のなさに対して、リベリオはさっきよりもずっと深刻な表情だ。
「契約だかなんだか知らないが、魔人を名乗れば冗談じゃ済まないことくらいわかっているんだろうな」
「さあ? 人前に姿を見せたのは久しいからねぇ、一体なにをされてしまうんだろう」
揶揄うような熱っぽい口ぶりにリベリオは額に深い皺を浮かべた。
「ああ怖い怖い。私はただ姉として妹を迎えに来ただけなのに。可哀そうで可愛い妹を、ね」
クォーツはリベリオの奥にいるティヴァを見ると、ティヴァは声に答えるように精一杯に首を伸ばす。
「お、ねえ……様」
「ああ、お姉さまだよ、ティヴァ。可哀そうに、まるで芋虫のようになっちゃって。帰ったらお姉さまが新しい腕と足を作ってあげるね」
「は、はい! ありがとうございます!」
ティヴァは手足を失った状態は変わっていないのに、どうしてあんな希望に満ちた目が出来るのか、テルは不気味なものを目の当たりにしている気分になる。
リベリオが立ち塞がるなか、クォーツが指をならすと何もない空間から巨大な鳥が出現して、リベリオを上手に避けるとティヴァを鷲掴みにした。
「しまった!」
テルは声を上げ、ナイフを作り投げるが、あっという間にどうやっても届かないほど距離を離されてしまう。
いったいどうしてクォーツが『獣の異能』を使っているのか困惑するテルに対し悠長なクォーツはティヴァが消えていった空に目を向けている。リベリオは親切にその隙を見逃す理由はなかった。
爆発的な踏み込みの直後、クォーツの首と胴体が離れ、重い音をたてて首が地面に落ちた。
「わあ、すごい。気づかなかった」
そう口にしたのは地面に落ちたティヴァの首だった。一滴の出血さえないので、気味の悪い手品を見ているようだ。クォーツの胴体はいたって自然な動作で自分の首を拾い上げると、もとあった位置に置く。すると、赤かった切り口があっという間になくなり、文字通り何事もなかったようなクォーツが微笑んでいる。
「流石リベリオ。痛みを感じる暇さえないなんて」
質の悪い冗談だと思いたかった。一体どういう理屈なのか、異能であることには違いないが、クォーツが口にしていた『契約』という言葉と今の現象がまるで結びつかない。
もう一度クォーツが指を鳴らし魔獣が何もない場所から現れる。獅子の頭をしてボクサーのように両手を顔の前で構える人型の魔獣だ。
人獅子の鋭い爪が襲いかかり、リベリオは剣で受け止めた。重い一撃で、リベリオの足が少し地面に沈み込む。ガードの開いた胴を狙って人獅子が硬く握った拳を撃たれるが、身を翻して躱し、そのまま横に一閃を放った。
重い刀身が作り出す破壊力は魔獣の胴体を切り離すかと思われた。しかし、人獅子は刀身を肘と膝で挟むようにしてリベリオの攻撃を防いだ。
目を見張るリベリオの顔面に人獅子の拳が直撃する。
大剣を手放し、数歩よろめくように後ずさるリベリオ。人獅子は大剣を自分の少し後ろに突き立てた。
「ちっ、めんどくせえ」
そう言って鼻血を拭うと、人獅子と同じようなファイティングポーズをとった。
さきほど同様に顔面目がけて拳を打たれたリベリオは、ガードせずに避けると、的確に人獅子の顔を打ち抜く。
わずかに後ろに仰け反った人獅子は、なんとか踏ん張りすぐに構えを取りなおす。しかしリベリオの攻撃を捌ききれない。ガードを固めればフェイントで崩され、攻撃に転じれば不可避のカウンターをもろに浴びる。
倒れはしないものの、格の違いを見せつけられるようなパンチを何度も顔面に食らい、両腕のガードが頭を覆うようになったころ、リベリオは人獅子の鳩尾に左拳を翳すように当てた。
「『義腕の枝』」
リベリオが唱えると、腕が瞬く間に槍のように伸び、魔獣の胸を貫いた。茫然とする魔獣。リベリオは腕の槍を引き抜くと、そのまま魔獣の首を切り落とす。
リベリオは大剣を取り戻すと、テルのもとに一飛びで引き下がった。
「テル、急いで援軍を呼んできてくれ」
リベリオは大量の汗を流しながら、視線をクォーツに向けたままテルに言った。
「近くに兵が来ているはずだ。悪いが、お前じゃ戦力にならないし、魔人を前にして逃げるわけにもいかない」
遊びのない真剣な言葉。ほんの少しでも視線を外す余裕がないほどの相手をテルが請け負える道理がない。当然の判断だったが、テルはすぐに頷くことができなかった。
「でも……」
「おいおい、俺を心配してるのか?」
「……」
弟子に心配されるほど、まだ落ちぶれちゃいない。揶揄うような口元はそう言いたげで、どうしてこんなときまで、と辟易してしまいそうになって気づいた。リベリオはそれくらいの冗談を言えるくらい余裕があることを伝えたいのだ。
「……わかった」
「ああ、頼む。それと、ニアを任せたぞ」
「ああ」
「約束だ」
テルが頷くのを見ると「走れ!」と叫んだ。
テルは馬がいる場所まで駈け出した。追手の気配はないが、新たな魔獣の雄叫びが聞こえる。きっとリベリオが足止めをしているのだ。
口惜しさが込み上げるが、今はそれを飲み込んだ。
走り初めて半刻ほど経ったとき、テルは大勢の足音が聞こえた。人の話し声や、鉄のぶつかる音からしてリベリオの言っていた兵の行軍だろうと茂みから顔を覗かせると、予想通り、二十人ほどの騎士が列を作っていた。
「向こうでリベリオと魔人が戦っているんだ」
テルは急いで駆け寄り、まくしたてるようにいった。だが、騎士はなぜか目を逸らした。
騎士の判然としない態度にテルは疑問よりも苛立ちが勝った。
「なにぼおっとしてるんだよ、今リベリオが必死に戦ってるんだぞ!」
胸倉を掴んで声を荒げるテル。しかし騎士は目を合わせようとしない。それだけでなく周りの騎士も同じく気まずそうに視線をこちらに向けようとしない。テルの胸の中らに黒い靄が立ち込めた。
重苦しく視線を上げた騎士と目が合うと、低い声で言った。
「リベリオ殿は戦死なされた」
僅かな間、時間が止まったかのように周囲から音が消えた。
「は? なにを言って……」
「先刻、所長からの報告を受けた」
「いや、だっておかしいだろ。俺はさっきまでリベリオと一緒にいたんだぞ。なんでそんなことがわかるんだよ!」
「所長は優れた風魔法の使い手だ。遠く離れた人の位置を把握し、交信することが出来る」
「そん、な……」
「局長はその耳でリベリオ殿の死を確認し、その地点に向かうよう我々は指示を受けた」
そんな馬鹿な。そんな言葉が口からこぼれようとしたのと同時に頭の中でいろいろな疑問が線で繋がっていく。どうしてリベリオはテルとカインが戦争に参加したことを知ったのか、どうして母胎樹の位置を知っていてテルを助けにこれたのか。
単純な話だ。シャナレアはテルとカインと別れてから、ずっとこちらの動向を把握していて、それをリベリオに伝えたのだ。
「君も一緒に来い」
騎士が放心するテルの肩に手を置いた。テルは微かに首を動かした。
魔獣の残骸である石灰の粉が辺りを舞っていて、雪景色のようだった。そんな中で、大地に突き立てた大剣と、それに体重を預けるようにして立つリベリオの姿があった。
最後まで膝を地に着けず、勝利を手にしたのはリベリオだ。見れば誰もがそう思うだろう。しかし、その景色の中に生者は誰もいない。
「なんと勇ましい死に様か」
「本当に偉大な騎士であった」
あちらこちらからそんな声が漏れ出た。この国には戦士は戦いの中で死ぬべきだというような精神があるのかもしれない。普段のテルであれば、神経を逆撫でされていただろうが、いまはただその場で立ちすくんでいた。
騎士たちが土魔法で作った棺にリベリオを収めると、リベリオは急に小さくなったように見え、この死体は作り物で本物は死んでいない、と心のどこかが喚いているような気がした。
その場から去っていく騎士たちを尻目に、テルの足は動かなかった。ほとんどが切り上げて、最後に残った騎士がテルを気にかけて「ここはまだ魔獣がでるぞ」と言った。
「ああ、うん……はい」
気のない返事をすると、とぼとぼとその騎士について行って町に帰った。
町に着いたとき、風魔法による放送で、戦争が終わったことが知らされていた。人々は軽い足取りで街をあるき、失われずにすんだ日常を謳歌していた。
初めにあったのはカインだった。病室を訪れると大部屋に十人ほど怪我人が詰め込まれており、カインはそんななかでベッドに横になっていた。
カインがテルに気づくと、驚いたようになり、悲しそうに目を逸らしたかと思うと、また向き直ってぎこちなく笑った。
テルは、カインはリベリオが死んだことを知っているのだと思った。
カインは腕を固定され、ぐるぐる巻きになった足を吊るされていた。見るからに重傷だが、それくらいで済んでよかったなと思ったし、実際そう口にした。
カインは怒ることなく苦笑した。
「テルが死ななくてよかったよ」
「ああ、うん」
大蛇に飲み込まれ、カインはもう助からないと思っていた。ボロボロとは言え、再会できたので気の利いた冗談でも言えればよかったが、お互いにそれ以上の言葉が続かなかった。
騎士たちの検死のようなものに成り行きで立ち会っていたテルは、大雑把な死因は知っていた。
致命傷にあたる外傷は見当たらないこと。右足が濃い紫色に腫れており、目や耳から出血していたことから、死因は毒だと判断され、リベリオは毒で苦しんで死んだのが確定的になった。
毒の出所になった傷には覚えがあった。自分を逃がした時には既に体を侵されていたのだ。死を悟ったうえで、テルを逃がすために嘘を吐いたのだろう。そう思うとやりきれない気持ちで胸がいっぱいになった。
カインと別れ、家に帰るまで、町を彷徨った。それは、あまり家に帰りたくなかったからで、リベリオの帰りを待つニアにどうやってリベリオの死を説明すればいいかわからなかったからだ。
結局帰ったのは、日が沈む直前になった。その間考え続けていたが、ついぞ答えは見つからなかった。
「ただいま」
「おかえり」
ドアを開けた時に、寄り道をして帰ったことを後悔した。テーブルには既に食事が三人分用意されてあった。 放送を聞いて、夜は皆が帰ってくると思っていたのだろう。
酷く胸が苦しくなり、その場で何も言わずに立ち尽くしてしまった。ニアは心配そう近寄ると「どこか痛むの?」と気を使わせてしまう。
「いや、そうじゃないんだ」
怪我も痛みもあったが、そんなことはまるで気にも止めていなかった。頭のなかでは「リベリオの死」をどう伝えるかをずっと悩んでいた。だが、そんなものが無駄であることは明白だった。ニアが悲しまない方法をいくら探しても、そんなものは存在しないのだから。
「リベリオが、死んだ」
結局出てきたのは、そんな言葉だった。
※
「意味が分からない」
「なんだって?」
リベリオの言葉をクォーツが聞き返した。
「魔人が二人いたのはまあ置いておくとして、今回の戦争の狙いが見えない。絶好の機会だろうにどうしてこんなに中途半端なんだ」
「いまさら情報収集?」
「まあな」
吐き捨てるようにリベリオは言った。
「卵樹を殺した直後のあの棘は毒なんだろ、もう立っているのがやっとだ」
それを聞いたクォーツは噴き出した。
「なあんだ。ちゃんと効いてたのか。耐性でもあるのかと思って焦ったよ」
「心にもないことを言いやがって。ただの瘦せ我慢だ」
「ふぅん。それで冥途の土産って訳か」
クォーツはなにか考えるような沈黙のあとで「まあいいか」と慈悲を感じさせるような、言ってしまえばあざとさを纏った言い方をした。
「単純な話だよ。私たちの狙いは初めからリベリオ・キースエルの殺害だけだよ」
「なに?」
「自分で言っていただろう。獣の魔人は弱いから自分では戦わない。もし魔人を討伐するチャンスがあれば、ソニレは血眼で魔人の首をとりにいく。だからティヴァを囮にしたんだ。特位二名が不在だなんて絶好の機会だし、利用しない手はないでしょ?」
「だからテルを追わなかったのか」
「それはティヴァの仕事だった。奴の地雷がなにかわからないし、私は触らないに越したことはない」
クォーツはテルに興味がない訳ではなさそうだが、口ぶりはどこか淡白だ。
「それにしても、君は酷い師匠だね」
「なに?」
「『頼られて自分が浮かび上がる』、だったかな?」
「……」
「彼は残りの人生をリベリオ・キースエルの呪縛のために浪費することになるんだ。これほど残酷な話はなかなかない」
テルと面識があるようなクォーツの口ぶりから、どこかでそんな話をしたのだろう。そう判断したリベリオは表情を変えない。
「よりによってずっと人の影に踊らされていたリベリオ・キースエルが、よくもまあこんな台詞を吐けたものだね」
クォーツの明確な挑発。誰も立ち入ることを許さない聖域を魔人は土足で踏みにじった。
しかしリベリオは声を荒げることはしなかった。
「あいつはこんな半人前の言葉をそんなに重く受け止めてくれてたのか」
予想外の神妙なリベリオの声に、クォーツが拍子抜けしたように声をもらした。
「まだまだ教えたいことがあったんだ。他人に惑わされるなって、俺の口から言ってやりたかった」
独白を終えるとリベリオは大剣を持ち上げた。重い鉄の固まりが空を切る音を鳴り響かせる。
「やっぱり全然動けるんだ」
機嫌を損ねた魔人が言う。
「いつ俺が諦めると言ったよ」
「嘘つきめ」
周りの温度を奪うようなクォーツの声と同時に、魔獣が唸り声を上げて現れる。
鉄が肉を裂き、骨を断ち、血をまき散らす音と断末魔。
「やっぱり動きは鈍い」
クォーツの言葉にリベリオは息を飲んだ。
「楽に殺されたほうがいいんじゃない」
「最期くらい誇れる父親でありたいだけさ」
※
耳に当てた緑色に発行する魔石を静かにポケットにしまう。
音を貯え、風の魔石に閉じ込める。彼女を除いてこれほどの芸当ができる人間がこの世にどれほどいるだろう。
自分以外を全員追い出した安置室で、棺の傍らに立っていたシャナレアは指を伸ばして、横たわる人の頬に触れた。驚くほどに硬く冷たかった。なにごともなかったように起き上がり、また声をかけてくれるのではないか、死人の感触はそんな期待は粉々に砕いた。
恐ろしくなって思わず手を引いた。あれほど触れたかったのに、また手を伸ばすのに勇気がいるだなんて、こんな悲しい話はないだろう。
―――私は君のために生きてるんだから。
過去にリベリオに幾度となく言った言葉。この言葉に嘘はない。
もうすべてがどうでもよくて、仕事も何も投げ捨てて、この国が滅びようと構わない。そんな気持ちは膨れ上がる一方で、別のものが頭を過り破滅願望を抑えつけた。
大切な人の大切なもの。
リベリオは良き師であろうとしたし、良き父でありたいと思っていた。その感情が自分にむかないことに妬ましく思うこともあった。
そんなリベリオが平凡な幸せを与えたがっていた子ども達の顔が頭から離れない。
「全く、とんだ置き土産だ」
自嘲するようにいうと、シャナレアは唇を重ねて、部屋を後にした。