第1章20話 最適な人選
騎士庁舎のあるセントコーレルはこの地域でもっとも大きい町だが、そこまでいくのに、自分の足以外は持ち合わせていなかった。
数時間走り続ける覚悟を静かに決めていたときに、避難して空き家になった家で馬が置いてけぼりになっているのが目についた。
飼い主も馬と一緒に避難させたかっただろうが、致し方なく置き去りにしたのだろう。
おそらく二人とも同じ考えを口に出せず言い淀んでいただろう。
「盗むわけじゃないし、ちゃんとあとで返そう」
最初にそう口を開いたのはテルだった。
「ああ、火事場泥棒なんてなりたくない」
近づいて手を出してみると人懐っこく、嫌がる気配はない。
テルは簡易の鞍を作り、カインが手綱を握った。
騎士庁舎の所長はシャナレア・ワンズは大貴族出身で若くして騎士庁舎のトップに君臨するエリート中のエリートらしい。
頭がよく実戦経験もある。そのうえ美人で非の打ちどころのない人物というのが世間の評判だという。
話をするなら、騎士庁舎の所長に話をするべきだ。そう言ったカインは、馬を繰りながら、所長の概要を説明した。
なぜそんなに詳しいのかカインに尋ねると、曇った顔をして「リベリオとその人は仲がいいそうだよ」と答えた。
どうしてそれでカインが苦々しい顔をするのかは不明であったが特に追及はしなかった
騎士庁舎の扉を開けると、狂乱といって差支えないほどに人の声がごった返していた。
しかし、そこに騎士と思われる人の姿は全くと言っていいほどいない。そこにいる人すべてが、騎士庁舎で魔獣の大群からの侵攻を食い止めるために集められた職員達であった。
これほどの混乱状態なので、受付に人はおらす、顔を出して覗いてみると、比較的若い女性と目が合った。
「ごめんなさい、いま一般の受付は中止しているの」
女性からは疲労感が滲み出ていた。書類が入った箱を腕に抱えており雑務の真っ最中といったところだ。
「緊急の案件です。所長に面会させてください」
カインが前に出て交渉を持ちかけると、女性は首を横に振った。
「申し訳ありませんが、所長は現在お取込み中ですのでまた後日お越しください」
女性の目には質の悪いイタズラをするガキに対する軽蔑が籠っていた。丁寧な応対は最も効果的に拒絶する術のようにも思える。
「緊急事態なんです。僕はカイン・スタイナー、リベリオ準特位騎士の弟子です。シャナレア所長にどうしても伝える必要があるんです」
「だめです。帰っていただけないのなら、警備のものを―――」
もどかしそうに食い下がるカインにも女性は眉一つ動かさない。しかし冷徹だった対応の女性だったが、言葉の途中で不意に黙りこんだ。
「……はい、承知しました」
独り言のように、ここにいる誰にも向けられていない言葉を言うと、
「所長からの許可が出ましたので、ご案内します」
受付の女性は、伏し目がちにそう言った。
頑なに拒否の姿勢であったのにどういう風の吹き回しかとも思ったが、何も言わずに後をついて行った。
所長室はロビー以上に人であふれていた。書類とにらめっこしている人もいれば、怒鳴り散らす者、そのものに何度も頭を下げるものもいる。しかし、不思議なことにここにいる人達の大半が独り言を話している。
違和感を覚えつつも、女性に案内されてその奥の部屋に入った。落ち着いた調度品にローテーブルとソファそして紙の束の山。部屋の半分が物置として使われているそこが客室であることはすぐにわかった。
そしてその部屋には独特の雰囲気を放つ女性が一人。
カインの話していた特徴と結びつけるに、この人が所長のシャナレアであろうことがわかる。確かに美人であるが、そのかすかに笑っているような表情は、喜んでいるようにも怒っているようにも見えて不気味さを感じる。
シャナレアはこちらの存在に気づくと視線を上げて口を開く。
「せっかく来てくれたというのに、騒がしくてごめんなさい。何分こちらも息つく間もないほど忙しくてね」
予想外に砕けた物言いをしたシャナレアは、二人の顔を順番にみると首を少し傾げた。
「カイン・スタイナー君はわかるけど、隣の君には見覚えがないな」
「弟弟子のテルです。この間騎士登録をしました」
カインが代わりに紹介をしてくれたところ、シャナレアは「ああ、君が例の」となにか合点がいったというように頷いた。
「私はシャナレア・ワンズ。リベリオの新しい弟子でしょう? 話して見たいと思っていたんだ。それで、そんなリベリオの弟子達が揃ってなんの用かな?」
機嫌がよさそうに足を組むシャナレアだが、どうも目が笑っていない。
シャナレアの砕けた雰囲気で和らいでいた緊張は、すべて彼女の気分次第で操られているようだ。
「シャダ村の外れの森で、魔人と遭遇しました」
シャナレアの視線が鋭くなった。
「……申し訳ないけど、立場上すぐに鵜呑みにはできないの。詳しく話を聞かせて。内容を聞いてこちら情報の正誤を判断します」
話を頭から否定されたらどうしようという不安があったので、テルは少しだけほっとしつつ、女の子が助けを求めてきたところからひとつづつ漏れがないように説明した。
「上位魔獣ヒトモドキに四つ腕の大猿は異常個体のモモワヒヒかな。そして、『獣の魔人』ティヴァ」
シャナレアはそれだけ呟くと考え事をするように口に手を当てた。
「魔人の個別名称や上位魔獣など一般公開していない情報だ。魔人が口にしたお姉さまという存在やソニレの崩壊の話云々はまだ何とも言えないけど、テル君の話は嘘ではなさそうだね。君の言葉を信じます」
君の言葉を信じる。シャナレアがそう口にしたことで、テルの緊張が一気に解けた。
魔人に殺されかけてから今この瞬間にいたるまでが、とても長い時間に感じたが、いまこうして無力な自分にできる精一杯の事を果たしたのだ。
「でも、困ったな」
ふいにシャナレアがこぼした言葉はテルの晴れ渡ったような気持ちに一つの雨雲を生んだ。
「いま特位は三人中二人がソニレにいない状態で、今は防衛ラインの維持で手一杯なんだ」
シャナレアはなんでもないような口ぶりでそう言った。それがどれほど深刻なのかテルはいまいち理解できない。
「わからないって顔をしてるね。記憶喪失らしいし仕方ないから説明してあげよう」
自分のことを話した覚えはないのになぜそんなことを知っているのか、困惑するテルの顔をシャナレアは覗き込むように言った。
「およそ一年に一度ある魔獣の総攻撃は終了する条件が三つある。
一つはおおもとの原因である魔人を打ち取ること。これは絵に描いた餅だ。これが成されれば魔獣との戦争はこれっきりで終結になる。私たち騎士庁は創立以来その目標を掲げているが、いまだ実現には至っていない」
シャナレアは人差し指をあげて言った。その声に口惜しさなど情熱的なものはない。ただ耐え忍ぶために備えた無感動さが伺える。
「次にこの国が攻め落とされること。これは言わずもがなだ。いまだ現実にはなっていないが、今回もそうとは限らない」
そういって二本目の指を立てる。
「そして三つ目。魔獣の生産の拠点、母胎樹を破壊すること」
「母胎樹?」
シャナレアは「そう」と頷いて三本目の指を立てた。
「戦争で群れをなす魔獣は、ほとんどこの母胎樹という魔獣に生み出されている、言わば親玉のようなものだよ。この魔獣がいなくなれば魔獣の発生は収まる上に、全体の統制が乱れる。過去の戦争は全て母胎樹を討伐する形で終わっている」
腕を下ろすと、足を組みなおし、ソファに深く座る。
「母胎樹の場所はいつもわからないから、戦争のたびに捜索隊を出しているんだけど……」
そこまで言うとシャナレアはため息をつく。
「今は絶望的に人員不足でね、捜索隊を出すことも儘ならない状態なんだ」
「それは、つまり……」
「魔人を討伐する余裕なんてない」
カインが吐き捨てるようにいうと、シャナレアは「そのとおり」と他人事のように微笑んだ。
「今回は二つ目に落ち着く確率が、私の経験した限り一番高い。特位騎士は現在カミュの一人だけ。頼みの綱のリベリオも手を離せない。そこでなんだけどね」
シャナレアは微笑むように目を細めた。テルは妙な視線に絡め取られているような感覚に陥いる。
「君達二人で母胎樹の捜索、次いで討伐に向かって貰いたいんだ」
「無茶ですよ」
カインが険しい顔で即答する。
「とても俺たちの手に負える代物じゃない。そんなの死にに行けと言っているのと同じです」
「ここで待機を命じるのも、死を座して待てと言うのと変わらないんじゃないかな? カルニでは民間人に数百を超える死者を出したんだ。こっちでも時期に被害が出始める。君が死ななくても他の大勢が死ぬ」
「……っ」
「母胎樹は強い魔物どころか魔獣の生産に特化していて攻撃力はほぼ皆無だ」
「だとしても無理です。リベリオに戦争に関わることを止められています」
カインが頑なに断るのを見たシャナレアは「ふうん」と微笑みを崩さないまま頬杖をつく。
「それじゃあ」と前置きをしたシャナレアが、にやりと嗜虐的に口角を上げる。
「以前、面白い話を聞いたんだ」
唐突なシャナレアの言葉にカインは首を傾げた。
「カイン君の出自に関する話なんだ。きっと色々な人にとって都合が悪くなるような話をね」
カインが目を見開いた。そのあとすぐに自分の表情を見られたくないかのようにすぐに顔を伏せる。
流石のテルも、今のやり取りは理解せざるをえなかった。カインは脅されたのだ。
カインの出自。当然そんなものテルだって知らないし、カインは誰にも言いたくなかったのだろう。
過去になにがあったのかはしらない。しかし、わざわざそれを探って、脅す材料にしているのが、テルは酷く不愉快だった。
「母胎樹は強くないって言ったって、周りには魔獣が溢れるほどいるのなら、やっぱり俺たちは不相応です」
押し黙ったカインの代わりに、テルが抗議した。しかしシャナレアは表情一つ変えない。
「上位の魔獣を単独で討伐した君達にできないことじゃないと思っているよ。それにテル君、魔人が君を狙った理由から目を逸らしてはいけないよ」
魔人が君を狙った理由。
始めテルはその言葉の意味がわからず、もう一度あの魔人との会話を思い出す。
―――てめえを殺す。リベリオもカミュも殺す。それで私たちの脅威はなくなる。
ああそうだ、あのときどうして魔人はこんなことをいっていたんだろう。
これではまるで、《《テルが脅威》》として認識されているみたいじゃないか。
シャナレアの考えにたどり着いたテルはやはりカインと同様に押し黙ってしまった。
「もちろん、この重要な任務に成功すれば納得いくだけの報酬を約束しよう。金銭でも昇格でもね」
きっとこの人には、なにを言っても言いくるめられる。テルには諦めのような気持ちが芽生え始めた。
そのときノックの音が鳴った。テルにとって凶兆であるそれに、思わず身構える。
「所長、言われていた書類をお持ちしました」
しかし、扉を開けて入ってきたのは窮屈そうな黒い服を身にまとった、黒髪黒目の青年だった。
「彼は私の部下のパーシィ」
シャナレアは簡単に訪問者の紹介をすると「ご苦労様、そこの二人に渡して」と簡潔に指示した。
パーシィから紙束を受け取るとそこには「母胎樹に関する報告書」と書かれており、いつの間に命じたのかと訝しみながらも受け取る。
「詳しくは書いてあると思うが、大型で全身が白く赤い実のような卵をつけているのが共通している。毎回隠し場所や細かい形状は変わっているようだけど、かなり目立つから見つけられればすぐにわかる」
「あ……」
不意にテルが声をもらした。
「どうかしたのか」
カインが心配するようにこちらを見る。
「俺、これ見たかもしれない」
「・・・・・・それは確かな話?」
シャナレアは射貫くような視線をテルに向ける。
テルがこの物体と呼ぶに等しい魔獣を見たのは、川辺に打ち上げられ、家まで歩いて帰っている最中の話だ。あのときは意識が朦朧としていたので、特に気にかけていなかった
「たしか、川の中に沈んでいました」
そう頷くと、シャナレアはパーシィに地図を用意させる。初めから指示されていたのか、丸められた地図をローテーブルに敷いた。地図はコーレル地方の地形がかなり事細かに書かれていた。
「どのへんかわかる?」
「遠征に言ったときの場所だから……多分このあたり?」
テルはカインに色々と聞きながら頭を悩ませていたが、自信をもって具体的な場所を指さすことが出来なかった。
「実際に行けばある程度わかりそう?」
その問いにテルは頷くと、シャナレアは「なんだ、初めから最適の人選だったじゃない」と笑った。
「では、騎士庁舎所長として、テルとカインに母胎樹の居場所の捜査および討伐を命じます」
真剣な眼差しで告げるシャナレアに、カインもテルも異議申し建ての言葉は持ち合わせておらず、無言という形で了承する。
テルは心のなかでため息をついた。部屋にパーシィが訪れたことが決め手になったのならやはり、ノックなんて碌なことが起きないのだ。




