第1章2話 奪われたもの
「名前もわからなければ、出身もわからない。当然なんであそこにいたのかもわからない。……ようするに、記憶喪失ってわけか」
男の口から説明される受け入れがたい状態。そんななか少年が放心していると、男は「待ってろ」と言って部屋を出た。すぐに戻ってきた男の手から見慣れたものを差し出される。それは黒い液晶の薄い機械だった。
「スマホだ」
「すまほ?」
復唱する男は首を傾げる。スマホを知らないのかと驚いた少年だが、どうしてか自分も使い方を思い出すことができない。
「お前の着ていた服のポケットに入っていたんだ」
「これだけですか」
「あとは血塗れでぼろぼろの服だけで捨てちまった。それでなにかわかるか」
さっきまではわかっていたけどわからなくなったとは言えず、黒い髪と黒い目の自分の顔を反射するすまほを見る。
初めて触ったようなぎこちなさがあるが、記憶の手がかりなのは間違いない。ひとまず手当たり次第に触ってみると、画面がぱっと明るくなり大きな字で日付と時刻が現れる。前と同じで圏外であったが、それまでに受信したと思われる、なんらかのメッセージと思われる通知があった。
ケイスケ 「てる、今どこにいる?」
この人物からの不在着信が三つある。付き合いの長い友人に迷惑をかけてしまい、罪悪感が込み上げたところで思考が停止した。
否、停止しただけではない。思い返していた「ケイスケ」に由来する過去の記憶。それら全てが順番に蓋をされたように思い出せなくなっていく。
冷たい刃物が胸に当てられたような、どうしようもない心細さに支配され、頭は別の温かい思い出に縋ろうとする。家族と家、兄弟と夕焼け、友人と学校、優しい大人と嫌な大人。助けを求めた記憶が、無慈悲にも失われていく。
奪えるものを奪い尽くすと略奪者は鳴りを潜めた。なぜかそのとき、金色の目の男が笑った顔が脳裏を過った。
そして、少年は悟った。これは記憶喪失などではなく、記憶を奪われているのだと。
「おい、なにか思い出したか?」
力強く肩を揺すられると、男がこちらを怪訝そうに覗き込んでいた。
「え、ああ」
「なんて書いてあるんだ?」
「……てる」
口に出して読んでみるが、自分の名前だという感覚はない。このあだ名が苗字からとったとも名前からとったとも判断できそうで、それが手ごたえのなさに拍車をかける。
「それがお前の名前か?」
「うーん……多分?」
他になにかいい案があるわけでもないのに、自分のではないかもしれない名前で呼ばれることに若干の抵抗があり、頷きあぐねていると男が口を開いた。
「まあ、気が乗らない気持ちはわかるが、呼び名がないのは不便だろ」
「……じゃあ、テルです」
「テルか。いい名前じゃないか」
「テル……」
半ば強引に名前が決まると、据わりが悪い気持ちを誤魔化すように声に出さず自分の名前を唱えた。悪くはないのかもしれないが、これでいいのだろうか。
「俺はリベリオだ。呼び捨てでいいし敬語も要らない。苦手なんだ」
「あ、わかりまし……わかった」
リベリオと名乗った男の言葉に、テルと名乗ることになった少年はぎこちない返事をする。
「しかし、困ったなあ。記憶がないとなるとこれから行く場所もないんだろ?」
「そ、そうだと思う」
「そんなテルに一つ提案があるんだ」
テルは無言で次の言葉を待つ。圧倒的に立場の弱い相手に持ちかける提案に、警戒心を高くする。
「なら、しばらくこの家での生活を保障しよう。その代わり俺の仕事の手伝い、つまり―――」
やっぱりだ。
断れない立場なのをいいことに、奴隷のようにこき使われるのか。あるいは、もっと酷い目に遭うかもしれない。
「―――『魔獣狩り』になれ」
「まじゅう、がり?」
覚悟も決まらず、小さく手を震わせていたテルの耳に飛び込んだのは、聞き馴染みのない単語だった。
「記憶喪失って、そのレベルの常識も抜け落ちてるのかよ?」
そんなリベリオの言葉を皮切りに、テルの持つ知識を測るための質問を次々に浴びせられた。そうしているうちに、テルは徐々に自分の置かれている状況を理解していった。
魔獣狩り。そんなファンタジーを想起させる言葉。しかし、その非現実的な言葉を常識と呼ぶような世界。つまり、―――テルは異世界にやってきてしまったのだ。
その後、始まったリベリオとの問答をまとめるとこうだ。
まずここはソニレ王国のコーレル地方にあるシャダ村という場所であり、リベリオはそんな世界に蔓延る『魔獣』という凶暴な生物を、剣や魔法を用いて駆除することを生業にしているらしい。
テルは荒唐無稽にも思える話を聞きながら、昨日の出来事を思い出していた。
夜の森で遭遇した、異形の化け物と金色の瞳の男。おそらくあの化け物は魔獣であり、謎の男が起こしていた現象が魔法だったのだろう。
納得はできないが、どこか腑に落ちた感じがしたテル。しかし、今自分が危機的状況にいることを思い出して、はっとした。
テルはあんな化け物と戦うような命懸けの仕事を押し付けられようとしているのだ。
「押し付けるって言ったって、あくまで俺の手伝いだ」
「イヤだ! 死にたくない!」
布団に潜り込むようにして頑なに拒否するテル。しかしリベリオは聞く耳を持たず、圧倒的な体格差でテルを持ち上げると、問答無用で家の外へと向かった。
「まあ、死ぬと決まった訳じゃない。『魔法』が使えるかどうかだけでも調べようじゃねえか」
「え、俺も『魔法』が使えるの?」
魔法使いになれる、そんな誰しもが一度は思い描いた子供じみた夢を前に、テルは途端に拒む力が弱くなる。
たしかに、異世界に来たなら、魔法が使えるようになっていてもおかしくないじゃないか。
記憶がないというのに漠然と残った憧れは、不思議とテルをときめかせる。
「ああ、どうせお前は使えるさ」
よくわからない決めつけをしたリベリオは、魅力的な言葉をテルの目の前に吊るし、まんまと外に連れ出した。
--・--・--・--
白っぽく大きなレンガ造りの家は、建物だけ見れば倉庫に思えるような無骨な作りをしていた。内装も外装も石作りが多く、木は柱や梁など僅かな部分でしか使われていないようだ。
家の周りには背の低い草が生える丘があり、そこから離れた場所に人が暮らす灯りがいくつか灯っている。しかし、近所の人と呼べるような別の民家は一つもない。この家はリベリオが言っていたシャダ村のなかでもかなり外れにあるのだろう。
「さてこの辺でいいか」
説明もなくただついてきたテルは一体何をするのかと黙って待っていると、リベリオはオレンジ色に光る石のような何か懐から取り出しを宙に放り投げた。すると、石は明かりを発する翼のようなものを広げ、リベリオの周囲を旋回するように浮遊する。
リベリオの周囲だけが、翼の明かりで照らされている。
感嘆の声が喉元まで飛び出しかけた。リベリオは特に何ともないような顔をしておもむろに地面に手を向けた。
どどっ、と小さな地響きのような音のあとに、地面が腰くらいの高さまで隆起した。リベリオはこれくらいかというようにテルに目をやる。
「俺は土属性だから、あんまり派手なことはできないんだ」
「属性……」
呟くように復唱すると、リベリオは頷く。
「そう、魔法の属性には炎、水、土、風の基本四属性と神聖属性の五つがある」
「神聖?」
テルはそういって首を傾げる。よく聞くような四つの属性は理解できたが、最後の一つだけは聞き覚えがなかった。
「治癒に特化しているのが神聖魔法だ。この属性を使えると一生飯を食うのに困らない」
「へ、へえ」
神聖と一番神秘的な名前だというのに、ロマンに欠ける実用的な評価で反応に詰まってしまう。
「人は生まれたときから適正属性が決まっていて、基本的にその属性以外は使えない。試しに『魔力』を練ってみろ」
またしても聞き馴染みのない言葉にテルは再び首を傾げ疑問符を浮かべる。リベリオは口には出さないが、面倒くさそうだ。
「『魔力』は、生命力みたいなものだ。魔力さえあれば、魔法の才能がなくても魔道具は使える。ていうか、魔力がない生き物なんていない」
「魔道具っていうと」
テルはそこまで言って、リベリオの周りを浮遊している石に目を向ける。
「ああ、これは『ファイアフライ』っていう魔道具だ。勝手に後ろをついてきてくれる松明みたいなものだ」
リベリオがテルに説明するために歩いて見せる。すると、ファイアフライは従順な犬のように後を辿り、リベリオが止まれば同じように止まった。
「それで、魔力を練るっていうのは、魔法行使の準備みたいなものだ。湧いてくる力を掌とかの一か所に集中して、感覚的に扱いやすいようにすることなんだが……」
噛み砕いた説明を受けたテルは、掌に力を込める。うなるようにして掌に力を集めるイメージをすると、次第に掌が熱を帯び始め、湯気を鷲掴みにしているような奇妙な感覚が湧く。
「うわ」
未知の感覚にびっくりして意識が散り、掌の靄のような熱がすっと消える。
「次はそこから魔法を使ってみろ」
「どうやって?」
「これはあくまで俺のイメージの仕方なんだが、魔力を自分の色に、自分の血で染めるイメージをしてる」
「血で染める?」
「ああ。手に集まった魔力、そこに掌をナイフで切って魔力に血を流し込むのを想像するんだ」
「わかった」
テルは頷くと、もう一度掌に魔力を集める。掌を中心に湯気が溜まっているような感覚が広がる。
そこへ、頭の中で自分の掌から血がにじむイメージを思い浮かべる。最近は血みどろなことが多かったから容易だった。そして、その血まみれの手で、魔力の塊に手を伸ばす。
「あ」
テルの透明の魔力が、突如としてまったく別のものに変成していく。
魔力だったものはみるみる形を変える。未知の力を貯えた力は、大きく飛び上がる為の助走をするように、収縮し、勢いよく溢れだした。
急に何か恐ろしいことが起こる予感に駆られ、目をつぶって体を仰け反らせる。
ざざぁ。
身構えていたテルの耳に入ったのは、小さな粒が流れていくような音だった。閉じた目を開くと、手からさらさらと黒い砂の粒が流れ出ている。強くも弱くもない勢いで絶え間なく掌から生成され続けている。
「おお、魔法使えてるじゃねえか。魔法がまるで使えない人間もざらにいるからな」
「・・・・・・これだけ?」
「は?」
現実を受け止めきれないテルが目を虚ろにして、ゆっくりとリベリオに視線を向ける。
「イメージと違ったというか、もっと火の球とかが出てくるもんだと思ってたから」
「魔法は使えるだけ損はしないが、さっきも言った通り、才能が物を言う世界なんだよ」
「……」
「まあたしかに、それだと魔獣狩りは厳しそうだな」
危険な仕事を押し付けられずにすんだテル。しかし、落ちた気分がどうしてか晴れない。掌から落ち続ける黒い砂を、半口を開けて視線を注ぐテル。
「どうした?」
「いや、なんでもない……」
リベリオは不思議そうに肩を落とすテルを見ている。
テルの魔法の才能から早々に匙を投げたリベリオを見ると、きっとこの先どれだけテルが努力しようと、憧れていたような魔法を使うことはできないであろうことを悟ってしまった。
こうして、テルの魔法使いへの憧れは潰えたのだった。
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