第1章15話 カルニ地方
天気は晴れていて、風も強くなく、何事もない。テルの旅の出だしは凡そ順調な滑り出しだった。
テルはリベリオに、心境を打ち明け、旅立ちを許されたその二日後に出発した。
「そこまで急がなくてもいいんじゃないか、と言いたい気持ちはあるが、思い立った勢いがあるうちに実行しちまったほうが上手くいくかもな」
そういったのはリベリオだったが、概ねテルも同感だった。
前日は、準備をして、いろんな人に別れを告げていたらあっという間に日が暮れた。
カインに旅立つことを言ったとき、テルはリベリオの弟子と名乗るなよなどと口にするかと思っていたが、意外にも少し寂しそうな顔をしていた。
「どうした、寂しいのか?」
テルは揶揄うようにしていうと、
「最近賑やかだったからね」
と素直な面持ちで、テルはひどい肩透かしを食らった気分だった。
「別に今生の別れじゃない」
そんな言葉を互いに交わしてカインとは別れた。予定なんてなにも決まっていないが、その言葉を嘘にするつもりはなかった。
予想外だったカインに対して、ニアは予想通り緘黙を貫き通した。
旅を出ることを告げると、ニアは僅かに動きを止めるようにした。テルがそのまま別れを言って手を差し出すと、ニアは迷わず握り返した。
コミュニケーションとは呼べないが、そんなやり取りで十分に言葉を送られたような気分にだった。
村のチビッ子三人も寂しそうにしてくれたし、ヒルティスにも一応声をかけた。
荷物の準備に関しては、あっという間に事が済んだ。というのも、テルの『オリジン』で食料品以外の者は大抵用意できてしまうからだ。
ただでさえ経済を回せていない罪悪感があるテルには、おそらく手を染める機会は巡ってこないだろうがこないだろうが、その気になれば貨幣や宝石を作り出してしまうこともできる。
いままで一辺倒に戦うための武器ばかりを作ってきたが、この『異能』は恐ろしい力だということを実感する。
「異能がバレるのもやばいし、犯罪に利用されそうなのもやばい」
この認識で、人前で異能を使わないように気を付けていれば、そうそう異能きっかけで危ない思いはしないだろう。
「それにしても疲れた」
テルは木陰に腰を下ろし、地図を広げる。この地図はリベリオに貰ったものであり、『オリジン』で再現できない代物なので丁重に扱わねばならない。
今日は早朝から出発し、コーレル地方の隣のカルニ地方を目指して街道をひたすら歩いていた。
このあたりの街道には魔獣は多くなく、小さな村をたまに見かけるので、現状まだ不安はない。穴が空くような目でじっと地図を見ていると、端のほうに小さな縮尺が書かれていることに気が付いた同時に、この調子だとカルニ地方まで三、四日かかることが発覚した。
「王都に着くのはいつになるのやら」
そう呟くと、この先の同じ景色の街道が変化もなく延々と伸びているような錯覚に陥りそうになる。
リベリオに旅を許されたとき、二つの条件を言い渡された。
一つは、戦争に参加しないこと。二つは、最初に王都に向かうこと。
一つ目の戦争とは、以前カインが話してくれた、魔獣の異常発生のことだろう。カインからこの話を聞いた時、いずれ自分も関わることになるのだろうかと、身震いしていたので、これに関しては願ったり叶ったりである。
二つ目の条件は、正確に言えばただのおつかいである。
「最初に王都に行ってこれを俺の知り合いに渡してきてくれないか」
そういってリベリオからなんの変哲もない手紙を渡された。宛名には「ブラックガーデン殿へ」と厳かで迫力のある名前が書かれている。
「間違えずに届けられる自信がないんだけど」
「大丈夫だ、通りすがりの人に聞けば丁寧に教えてくれるさ」
そんなことあるのかと怪訝な顔をしたが、リベリオはそれ以上取り合ってはくれなかった。テルにとっても、この手紙は唯一、旅の《《あて》》だった訳だし、厳密な旅程を組んでいたわけでもないので、手始めにこの手紙を届けるため、王都に向かうことにした。
王都とは、文字通りソニレ王国の首都をさし、地図には「王都カナン」と書かれている。地図上でみると、コーレル地方からそれほど離れているようには見えるが、じっさいには馬車で丸二日かかる距離のようで、歩きだけで移動すればどれだけ時間がかかるか見当もつかない。
始めリベリオは、馬車の移動を勧めていたが、テルは出来るだけ出費は節約したいといって、その提案を断った。
テルの所持金は、カインと山分けした三つ首の報酬と、テルが倒した人狼の報酬、あわせて一か月くらいはなんとかもちそうなだけの金を持っていた。なので、いまになって馬車の運賃程度なら使ってもよかったなと、後悔の念がむくむくと膨れていたところで、地面から小刻みに振動が伝わってきた。
街道の向こうから大きな馬と馬車が土煙を立てながら近寄ってくる。
テルは大旗を作って人に見られるのも嫌だったので、カバンから白い服を取り出して精一杯に振った。
テルの思いが通じたのか馬車はテルの前で止まった。テルが乗った馬車は、乗客ではなく、荷物を大量に乗せている。
「どうした、坊主」
高い位置にある御者席から顔を覗かせた髭の生えた男がテルに向かって、周りがうるさいわけでもないのに叫んだ。
「カルニに行くんですかー?」
「おう」
テルも負けじと大声を出すと、また大声が帰ってくる。
「乗せてくださーい!」
テルがそういうと、男は顔をひっこめてしまった。
まあ、そう上手くいくはずもないか。小さくため息を着いたところ、御者席から紐で木の棒を括った、簡易的な梯子が下ろされた。
「狭いけど、我慢しろよ」
「ありがとうございまーす!」
そう叫び返してテルは梯子を上った。
御者席はテルが想像していたよりは、狭くて揺れた。
定員は二人のようだったが、御者席ともう一つは予備席でほとんどあってないような、人が満足に座れる広さではなかった。結果、酷い車酔いに陥った。
御者の男はそんなテルを見かねて、気を紛らわせるために色々と話しかけてくれたが、テルはそれどころのじょうたいではなく、何を言われても「あー」や「うん」しか言えなかった。
日が暮れ始めたころ、やっとカルニ地方に到着した。
「兄ちゃん大丈夫か?」
「は、はい……ありがと、ございました」
「悪かったなあ、こいつ運転が荒くってよ」
男は、そういいながら巨馬の前足辺りを撫でる。すると、巨馬は褒められていると勘違いしたのか、ぶるると鼻を震わせた。
「全然平気、です。ほんと、ありがとう、ございました」
テルは気分が悪すぎて顔を上げられないが、精一杯の感謝を述べると、男は豪快に笑った。
「そうかそうか。じゃあもう行くからよ、旅気ぃつけてな」
そう言い残し、あっという間に遠くに去っていく馬車。テルはそれを確認すると、狭い歩幅で歩き出した。
カルニ地方は、コーレル地方の東に位置し、そこから南にある王都と隣接しているからか、僻地のコーレルに比べると断然都会らしい。
コーレル地方もカルニ地方も、どちらも市街地の外側には立派な防壁が気づかれており、テルが降り立った場所は都市部なだけあって、防壁も幾重にも立てられており、防壁ごとに区分けされていた。
セントコーレルにも大きな防壁があり、そこを潜ったのだが、今テルがいるセントカルニにはいるときに防壁を潜った記憶がないのは車酔いの具合が悪すぎたせいだろう。
テルは川沿いにたって、見損ねた防壁に思いを馳せたが夜暗くなってしまえば、見えるはずもない。
その代わりというように、川向こう側に見える建物の明かりを見ていると、思いのほか立派な夜景で懐かしい気持ちになった。
夜になっても食事をする気にもなれず、あてもなく散歩をしていたテルはこの川を見つけたのだ。少し離れたところに大きな橋がかかっており、馬車の明かりが絶えず往来をしている。
王都カナンはあの橋を渡り、そこから南に下る必要があるので、明日になればあの橋を自分も渡っていると思うと、車酔いで萎びていた心が再び弾みだしたような気がする。
「とりあえず、今日寝る場所を探さなくちゃ」
御者の男に安い宿を教えて貰えばよかったなと思いながらテルは呟くと、その場を後にした。
硬いベッドの上で目が覚めた。共用の二段ベッドの上からは、まだいびきが聞こえている。というか、だいぶうるさい。昨日の晩はこのいびきのしたでよくもまあ眠れたものだと我ながら感心して体を起こす。
テルはすぐに荷物の整理をして、宿からチェックアウトした。
この宿は、川からほど近い場所にある繁華街の裏道にあり、少々いかがわしい雰囲気も感じたが、いち早く眠りたいという欲望に従った。結果、他人のいびきで良い目覚めは得られなかったものの、しっかりと体を休めることができたので上々だろう。
宿を出て表通りに行くと、すでに人で賑わっている。
模様をあしらったようなレンガ道が続き、そこを馬車が絶え間なく通行している。大通りは、賑やかというかかなりうるさい。セントコーレルと同じように歩道と車道に別れているが、商人たちはその狭い歩道に露店をだして馬車の騒音に負けじと声を荒げ客引きをしている。
物珍しいものを見るように辺りを見回していると、昨日見れなかった防壁が建物の隙間から見えた。
テルは防壁も客引きを素通りして飲食店を探した。昨日、馬車に乗ってから水しか口にしておらず、流石に空腹がつらい。シャダ村では絶対にこの時間に飯屋がやっていることはなかったが、ここでなら一件くらい見つかるだろうと角を曲がると、早速良い匂いを発している緑色の看板を掲げている店を見つけ中に入った。
朝から食べ過ぎてしまった。若干の罪悪感と共に店を出ると、先ほどより馬車や人がずっと多くなっている。
振り帰ると栗色の髪の少女と少年が手を振っているのが見えて、テルも軽く振り返した。
この店では、今の十二歳くらいの少女とその弟が接客全般を請け負っていた。
店に入ってすぐに、年下の少女から「お客さん、見ない顔だね」と言われるだなんて誰が想像しただろうか。
姉はテルの注文を伝票に書き記しており、字の熟達度は圧倒的にテルより上手であった。弟は姉ほど器用ではないようだったが、それ故しっかりと役割分担ができていて、空いた皿を取り下げるのと皿洗いが主な役割らしい。父親は厨房で料理を作っているようだった。
普段来る客よりも歳が近く、話しやすいのか姉弟と軽く雑談をした。
「外は賑やかなわりに客は少ないんだ」
そんな姉の、大して困ってないけど困ったような素振りにテルはデザートを余計に頼んでしまい、我ながらいいカモだと思ってしまった。
「朝のお客さんがひと段落したら、学校に行くんだ。それで帰ってきたらまたお仕事」
「すごい働き者だ」
逞しそうに話す姉に、テルは純粋に尊敬の念を覚えた。それほどの激務をこなしてなお、明るく客に接することが出来るなんてテルには考えられない。
「疲れないの?」
「弟もいるし、ご飯美味しいし、友達もたまに食べに来てくれるから楽しい!」
「そっか」
テルは余計に頼んでしまったデザートを二人に分けた。始めは遠慮がちだったが、喜んで食べていた。
テル大通りを曲がって昨日見た橋に向かっていると、大きな影がテルの真上を通っていった。
なんだと空を見上げると、両翼を横に大きく広げた飛行機のようななにかが空を横切った。周りの人もテルと同じようにその影に気づいたようでいたるところから声が上がっている。
飛行機のようなシルエットだが、飛行機がないことは知っている。ただの鳥にしては違和感がある。だとすれば、あの影の正体は、
「魔獣?」
テルがそう口にしたとき、凄まじい爆発音と衝撃が辺り一帯に響き渡った。
突風と呼ぶには余りにも破壊的なそれに晒されテルは尻もちをつく。
「痛った!」
爆発音がしたのはテルの後方からだ。なにがあったのか薄目で爆音がした方向を見る。砂埃が舞いすぐに何が起きているのか把握することができなかったが、起こった事の細部一つ一つが視界に入る度に、砂埃も関係なく目を大きく見開いてしまう。そんな惨状が広がっていた。
大きな岩だろうか、全体が鮮血のような赤で染まった巨岩は、野イチゴのようにいくつもの粒が集合しているように見えた。そんな赤い巨岩が、突如としてテルがついさきほどまでいた街並みを破壊して、佇むように存在している。
巨岩の真下の建物は跡形もなく、直撃を免れた家々も瓦礫や衝撃波により家と呼べる状態を保ててはいなかった。
当然、被害は建物だけではない。倒れた馬車に下敷きになる人、頭から血を流し道端で蹲る人、胸から下を瓦礫に潰され悲鳴の代わりに口から血を吐く人。目を逸らしても、逸らした先で誰かが死に瀕している。テルは抑えきれず、先ほど食べたものを全て吐き出した。
何が起こっているのか、自分は無事で済んだ、耳鳴りがする、なんか焦げ臭い。
そんな整理のつかない情報で頭が混乱しているなか、胃液で汚れた口元を拭き、せっかく食べたのにもったいないと思ったのが切っ掛けで、テルはさっき訪れた店のほうを見た。
直撃はしていない。しかし建物は骨組みからひしゃげて、萎む間際の風船のように、あってはならないほどの破壊を受けている。
頭に姉弟の顔が過り、テルは荷物を置いて店に向かって走った。
窓ガラスは全て割れ、入口もなにも無い状態。これがもともとどの部分かもわからないような空間を覗き込むと、弟が血を流して倒れている。
幸い、人が入れるだけの余裕はある。テルは一瞬躊躇ったが、すぐにそれを振り捨てて中に入る。
横たわった少年は朦朧とだが意識があった。すぐに助けようとしたが足が瓦礫に挟まれている。そして、その空間にいるのはこの少年だけだ。瓦礫が重なって奇跡的に生まれた狭い場所にいた少年は運よく生き残った。しかし、他の人達は―――。
そんな考えを必死に打消し、テルは鉄のパイプを生成する。むやみに瓦礫を動かして、押しつぶされないための支えである。四本の鉄パイプを固定して、少年の足に横たわる石の瓦礫に力を入れる。その瓦礫は大きくなかったのかあっさりと押し退けられたが、少年の足は酷い怪我だ。
出来る限り慎重に少年を外に運び出すと、少年は小さく口を動かしてなにかを呟いている。しかし、酷い耳鳴りのせいで何を言っているか上手く聞き取れない。
何とか外に運び終え、診療所に連れて行こうとしたときに、やっとテルの耳に音が届いた。それは少年の声ではない、事件現場に集まっていた野次馬の声だった。
「魔獣だ!」
その声と同時に、テルの全身に殺気を浴びせられ、咄嗟に剣を作り出すと、そこに魔獣の鋭い爪がぶつかり、火花を散らした。
四足歩行、おそらく低位の魔獣だ。初撃を防がれた魔獣は後ろに引いてこちらの様子をみている。
一体なぜ急に魔獣が現れたのか、テルが異変の切っ掛けに視線をやると、やはり原因はそれであった。
赤い岩石の粒の一つに罅が入るとそこから、赤黒い液体とともに小さく丸まった先ほどと同じような魔獣が落ちた。落ちた魔獣はびくびくと体を震わせながら立ち上がると、獲物を探すように周囲を見回し、テルのことを見つけた。
「あれ全部が魔獣の卵なのかよ」
数えきれないほどの卵に次々と罅が走る。あの量の魔獣を一挙に相手取ることなどテルには出来る訳がない。
知らない人の悲鳴が上がった。先ほどの爆発に巻き込まれ、足を負傷し逃げられなくなった女性が喉元を噛み千切られる間際、悲鳴を上げたのだ。
テルは声も出せずに、それを見ていた。さっき仕留めておけば死ななかったかもしれない命が散る様を見て、テルは呼吸が締め付けられたようになる。
魔獣は女性を殺し終えると、すぐにテルを見据えた。
ほんとうに、殺すだけなのか。
魔獣が人を襲う恐ろしい存在であることは、身をもって知っている。しかし、その殺生は自分が生きるためのものでもなんでもない。捕食もしない。それどころか、今魔獣は口に入った血液を吐き捨てるようにしていた。ただ殺す。それ以上も以下もない目の前の存在が、酷く歪に見えた。
がるぅる、と唸りを上げ襲ってくる魔獣を今度こそ絶命させると、もう一匹も間髪入れずに飛び掛かろうとするのが見え、そこに剣を投げて頭を粉砕する。
ここに長くいるわけにはいかない、テルは少年を背負い、巨岩から走って離れた。周囲にはすでに誰もいない。しかし、まだ逃げれていない人はいる。薄情者どもがと内心で唾を吐いた。ふと、今朝みた防壁を思い出し、そこを目指して走り出した。防壁はきっとこういう時のために用意されていたはずだ。
時折、爆発音が聞こえたり、誰かの悲鳴が聞こえたりした。そのたびに体を硬直させては、後ろに魔獣が迫っていないか確認し、いないことがわかるとまた足を動かした。
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