第1章11話 三つ首の魔獣
美しい二足歩行の走行フォームは目を疑うほどに早速いが、不気味な異種三つ首の物である故、この上ない悍ましさがある。
あっという間に距離を詰めた三つ首魔獣は握りしめた拳をカインに向けて放つ。身を翻して避けると、カインの背後にあった木が盛大な音と共に粉砕された。
直撃すればただでは済まないのは明白だ。三つ首は、カインのほうに向き直る。
実力が上のカインに執着している素振りを見せる魔獣。
テルは歯牙にもかけられないことにムッとし、侮って背中を見せる三つ首に、二つの魔力を込めたナイフを投げつけた。
前日のリベリオとの訓練の際、テルが新たに編み出した遠距離攻撃だ。
しかし、まるで生気のなかったコイの目がぐりんと動き、呆気なく三つ首の腕に蹴散らされた。
「まじかよ」
想像以上に効果の薄さに歯噛みするテル。魔力を込めた攻撃は一朝一夕では身につかず、練度の低さが露呈した。
そして、三つ首、目玉六つの死角の少なさもおそろしい。
おそらくテルの十八番である目潰しはあまり有効ではないだろう。さらに何ともない顔でナイフを防ぐことが出来た皮膚は驚くべき硬度を持っている。よく見てみると先ほどまで黒っぽかった肌が鈍い銀色をしていてちらちらと光を反射している。
「鱗が硬いのか」
テルはナイフを作り再び投げつける。やはり、さっきと同様に簡単に防御され、コイの頭が小刻みに震えながらこちらを凝視している。
ナイフを弾くときに、僅かに金属がぶつかる音が聞こえた。硬い鱗で防御しているという見立ては間違っていない。
三つ首はどちらに近寄ることなく立ち呆けていると、おもむろに両手を掲げ、テルとカインそれぞれに片手ずつ向けた。
「テル、くるぞ!」
「メェ」
カインの叫びにヤギの頭から発せられた鳴き声が被る。直後、首筋の筋肉が痙攣するような嫌な感覚がして、思わず横にに飛び退いた。
冷たい感覚が頬を撫でると、つーと静かに血が流れた。頬から耳にかけて浅く切り裂かれている。
魔法を受けたのか?
振り向くと、テルの首と同じくらいの木がすっぱりと綺麗な切り口を覗かせている。
今、横に逸れなければ、自分の首と胴体は繋がっていなかっただろう。
そんな確信は、テルに背すじに悪寒を走らす。
「テル!」
二度目の叫び声で、ハッとして三つ首に視線を戻すと、目の前には拳を振りかぶった魔獣がもう目の前に迫っていた。もはや防御姿勢も間に合わない、刃を食いしばったところでカインが魔獣に切りかかった。三つ首は攻撃を中断し真横に跳ねてカインの斬撃を躱した。
「ぼおっとしてるな」
「ご、ごめん」
カインの言葉で、まっさらになっていた頭を無理矢理覚醒させる。魔獣はテルへの攻撃を邪魔されたのが気に食わないようで、ヤギの頭が歯茎を剥き出しにして涎をまき散らしている。
「あいつさっき魔法を使ってきた」
「やっぱりあれ、魔法だったのか」
恐ろしい切れ味の風の刃を思い出すと足が竦む。
「あんなものを何度も連発されてたら近づけない」
テルの言葉にカインは「たしかに」頷くがその声に怯えはない。
「でも、そうしないということは、そうはできないんだ」
テルへの追撃に風魔法を使っていれば、カインがテルを庇いようがなく、その時点でとどめを刺すことができただろう。わざわざ自分で仕掛けたということは、そうしなくてはいけない理由があったのだ。
そうだとすれば、いくらかやり様はあるだろう。しかし三つ首の魔獣の異質さはそこだけではなかった。
「自分の体を鱗で覆っていたのは?」
「多分、土魔法……」
煮え切らない物言いをするカインだが、鱗に見立てた硬い鉱石ならたしかに説明がつく。
「あいつ一体で土魔法と風魔法を使えるのか?」
テルはそう呟いてから、銀の鱗が発生するとき、三つ首の内コイの頭が異様な気配を放っていたのを思い出した。きっとそれだけではない。
「首の数だけ魔法があるのか……?」
「じゃあ、風魔法は?」
「……ヤギ?」
テルの当てずっぽうにカインは適当をいうなと言いたげな顔をしたが、考えそのものは間違っていない気がする。おそらく、あと一つ以上魔獣は使っていない能力がある。
「風魔法は連発は出来ないし、予備動作が生まれる、次はやらせない」
カインの方針に無言で頷き、魔獣の動きを目で追う。むこうもこちらの出方を窺っていたようだったが、眉をひくつくせると、掌をこちらに向けた。
またくる、そう思うよりも早く手にナイフを握り、投げ放っていた。三つ首はそれに対応するために魔法の準備を取りやめて防御姿勢を取るが、テルはそこに付けこむため、剣を新たに手にして魔獣に飛び込んだ。
魔獣がナイフを鱗の腕で防いでできた、下半身の隙。まずは魔獣の機動力を奪わんと切りかかる。
しかし、魔獣はそもそもナイフを受けることなく真上に大きく跳躍し、テルの剣もろとも掻い潜った。カエルを彷彿させる大ジャンプだ。
ならばと、落下点に待ち構えたテルだが、空中で魔獣が手を後方に向けて、また「メぇ」と鳴いた。
掌から放たれる風魔法。その推進力によりすごい勢いでカインにもう突進する。
カインと魔獣がぶつかると、大きな金属音と火花が散った。カインの手には彼の剣が握られており、それと鍔迫り合いになっているのは魔獣の手刀だ。魔獣は鋼鉄のような鱗の防御を攻撃に転じている。
「……っ!」
カインが息をもらして応戦する。テルとは一線を画した剣技のぶつかり合い。魔獣は両腕を刃にして振るい、カインは一本の剣で受け流すが、手数の多さと奇抜な戦闘スタイルで魔獣の分があるように思える。
自分の入り込む余地を探すことしかできず歯がゆいテルだったが、魔獣とカインの間に僅かな変化が生まれたことに気が付いた。
押しきれずにいた魔獣に小さな切り傷がいくつも付けれている。
「ぎぃっ!」
「ちっ、逸れたか」
横一閃の斬撃でヤギ頭の両目が潰された。
カインの口ぶりから今ので首を落としたかったらしい。魔獣は一転、劣勢に立たされているのに狼狽し、さらに動きに甘さが出る。
テルもカインもそこを畳みかける。
カインの剣の勢いは増し、魔獣はじりじりは後退した。テルはその背後に迫るとコイ頭と目が合う。すると一心不乱になにかを訴えるように口を開閉し始めた。テルはもちろんヤギの頭もそれに返答はない。
テルの剣が眼前に迫ったコイ頭。
ほんの数瞬後には、その右肩諸共首を落とされる。そんな予感を察知したコイ頭は悲哀も幸福もなさそうな虚ろなな眼のままで、悍ましい絶叫を上げた。
テルやカインの動きが止めるような力があったわけでもなく、そのまま剣は振り下ろされる。
テルの動きを止めたのは、その鳴き声ではなく、肩と腕に突き刺さった銀色の鋭利な物体だ。血が滲む痛みを感じたと同時に、テルは視界の端に銀色のなにかを捉えた。テルは結局何も切ることもできないまま、胴体に衝撃を受けて、跳ねたボールのようにカインの後方に転がっていく。
カインは突然の事態に少し驚くも、剣を止めることはなかった。しかし、そこにはもう優勢は無い。明らかに魔獣の手数が増えている。三つの銀の軌道が、順番にカインの攻撃を振り払った。
攻撃が増えた謎を見つけられずにいると、不意にヤギ頭が歯をむき出しにして笑った。
カインは咄嗟に剣で防御するように横向きで前に突き出し、後ろに飛び退く。
突風が通り抜け、その勢いで、カインはテルが転がっている場所まで吹き飛ばされた。
「くそっ魔法か! あの魔獣、ブラフ使っていやがったっ!」
カインは怒気を孕ませて魔獣を睨みつける。
三つ首の魔獣は風魔法を使う際、大きな手の動きと鳴き声を魔法を使うモーションにしていた。しかし、本来そんなものがなくとも魔法が使えたのだろう。
魔獣は二人の魔法に対する警戒心を下げるためにわざと無駄なアクションを挟んだのだ。
「知能がかなり高い」
「それだけじゃない」
テルは付け足すようにテルは魔獣を指さした。二足歩行の魔獣にいつのまにか、尾びれのついた尻尾が生えている。
「なんだあれ」
「尻尾が生えたうえに、鱗を銃弾みたいに飛ばしてきた」
テルの血だらけの掌にあるのは、銀色で小さく薄い鱗だ。二人は同時に息を飲んだ。おそらく、同じ嫌な予感に体を強張らせている。
「知能が高いだけならいい。でもあいつ、成長していないか?」
カインの言葉が聞こえているのだろうか、魔獣肯定するように笑った。
「痛っえ……」
テルが左腕を抑える、泣きたくなるほど痛いが、この痛みが人生で一番の物ではないのが、なお悲しい。
「左手はもう使えないか」
ちらりと視線を寄越したカインが落ち着いた声で言う。
「ああ、そうだよ。俺はもう役立たず―――」
イラつきを隠さずにテルは答えた。優しさの欠片もないカインに文句でもいってやろうとしたが、言葉が詰まった。
カインの左足から凄まじい量の血が出ており、地面が赤黒く染まっている。直前の風魔法を躱したかに見えたが、そうではなかったのだ。
「俺のほうが役に立たないだろ」
カインは表情も変えずにそう口にした。
「お前、その傷……」
「ヤバくなったら一人で逃げていいぞ」
「なにを言って……」
カインの投げやりな言葉に、テルは怒りが込み上げた。しかし、命が掛かった場に身を置くのなら、考えが甘いのはテルのほうだと気づく。
「死ぬのが怖くないのかよ」
「はあ? 怖いし嫌に決まってるだろ。だから一人で逃げるなら、あと一回足掻いてからにしてくれ」
「・・・・・・なんで、平気な顔できるんだよ」
「策がある」
「策?」
カインは一度も魔獣から目を逸らさないで、はっきりは言い切った。
「少しだけ時間を稼いでくれないか。足がこれだから動けない」
「時間稼ぎって、本当にいけるのかよ。その策ってやつで」
このとき初めてカインはテルの方を向いて、不敵な笑い方をした。
「はあ、わかったよ。何秒稼げばいい」
「俺が間合いに入れるまで」
自信満々のカインの目に、これ以上確証だとか確実だとかを追及する気が失せてしまい、腹を括るしかないと悟った。
「逃げていいったって、敵に近いのは俺じゃん。先にやられるの俺じゃん」
「生きてたら逃げていいよ」
「ほんと性格悪い」
呆れたテルと面白がるカイン。二人は互いの拳をぶつけ、魔獣に向き直った。