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第3章55話 失念

 世界が切り替わる不快感を乗り越えると、異界に連れ込まれる直前に立っていた場所に、セレスは立っていた。


 元々の場所にいたのは、セレスだけでカインは少し気分の悪そうな顔でセレスの後方にいる。

 クォーツとニアフェンリルは、相も変わらず自分たちの正面に佇んでいた。


「あれ?」


 しかし、セレスは些細な違和感を覚えた。

 一つ目は、クォーツがよくわからない表情をしていることだ。強引に当てはめるなら困惑だろうか。やっとの思いで異界を脱出したことに対し、嘲笑を向けることも、悔しさで表情を歪ませることもせず、どこか困った顔をしている。

 そして二つ目は、シャナレアの姿が見えないことだ。元々いた場所にいるとも考えられるが、カインがすぐ横にいるため、どこか腑に落ちない。いや、それ以上に胸騒ぎを覚える。


「シャナレアさんは?!」


焦ったセレスの問いに、カインが目を大きく見開いた。二人とも口にはしたくないその言葉が、脳裏にちらつく。


 しかし、クォーツはその答えを知っているようで、張り付けたような笑みを取り戻して、言った。


「一体どうしたの、シャナレアは取り残してきちゃったみたいだけど?」


 嫌な予感が的中して、二人の表情が一気に凍り付いた。


 一体どうして。


 シャナレアが取り残された。どうしてこうなった。どうすれば助けられる。カウントダウンは残り「一」だった。あとどれくらい猶予がある。

 いくつもの思考と疑問が頭の中で飛び交った。


 一体どうして。


 ああ、そうだ。一体どうして、


「自分から異界に残ったの?」


 セレスは確信めいた考えを、ひとり呟いた。


 三度目の異界の脱出は、シャナレアの言葉から始まったのだ。彼女が、自分の囮としての価値に気づき、そして何よりも、彼女が小狼に手を下した。その結果、シャナレア一人が異界に取り残されたのなら、それが偶然なはずがない。


「残念。時間切れだ」


 そうクォーツが言ったあとに流れていく光景は、セレスには全てスローモーションで目に焼き付けられていった。

 まずニアフェンリルが大きな口を開けると、その周辺が妙にぼやけるように揺らいだ。すると、そこに現れたのはシャナレアだった。まるでニアフェンリルの口の中に捧げられる供物のようだったシャナレアは、目をしっかりと見開いており、一瞬だけ、セレスかカインか、あるいは両方と視線を交えたが、最後には巨狼の口の中に目を向けた。


 ─────そして、ニアフェンリルの口が、供物を噛み砕かんと閉じられた。


 ぱしゃ。


 そんな水音が二度連続でセレスの耳朶を叩き、理解不能の光景が広がった。


 ニアフェンリルの鋭い牙によって、シャナレアの美しい四肢がグロテスクな肉塊に変わった。白い肌が破かれ、そこから溢れ出る血液が地面を黒く染める。確実にシャナレアが死んだと残酷な事実を叩きつけられるようだった。


 そして、次にニアフェンリルの顎が、内側から爆ぜた。


 魔獣の肉体を構成していた白い粒子がボロボロと落ちていく。その様は口から大量の血を吐き出すようだった。酷く驚愕していているようで、事態をまだ理解できておらず硬直している。下顎の右側は付け根の部分から剥がれ落ちて、中途半端にぶら下がっている。


 そしてセレスは理解した。このためにシャナレアは自ら命を投げ出したのだと。

 

─────異界化を封じる手立てが、一つだけある。


 破壊された顎では、二度と遠吠えをすることはできず、もうセレスとカインは異界化に怯える必要はないのだ。


「カイン! 今すぐここを離れるわよ!」


 セレスは衝撃で真っ白になった思考を、理性で無理矢理に起こすと、隣で同じように呆けていたカインに叫んだ。


 特位魔獣ニアフェンリルは、今かつてないほどに消耗しているはずだ。ここで倒すことも無理ではないかもしれないが、そうなるときっとセレスとカインのどちらかは死ぬ。ならば、別の人を呼んで、シャナレアの残した灯を、特位魔獣を討伐する機会を、生かしてくれた命を、次に繋ぐことがセレスの選んだ最善策だった。


 ニアフェンリルはまだ苦痛に喘いでおり、クォーツは無感情にそれを見ているだけだ。逃げるなら今しかない。


「なにぼうっとして────あ」


 反応のないカインに更に大きな声で怒鳴りつけたとき、セレスは肝心なことを思い出した。


 カインは、赤く染まった亡骸から目を逸らせていなかった。

 常に理性的であろうと務めていたカインが、セレスさえわかる正しい選択が視界に入っていない。


 剣は手から滑り落ち、震える拳は強く握りしめられるあまりに、血が流れ落ちている。

 その表情は、大きな悲しみと、計り知れない怒りが、とても深い場所から滲みだしていた。


 ああ、そうだ。ここにきて大事なことをすっかり忘れていた。

 この少年は、今、目の前で、昔からずっと愛していた女を殺されたのだ。


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