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第3章54話 汚れた手を振って

「うおおぉぉぉぉぉおおおっ!」


 決定打のないずるずると決着を引き延ばしにされたカインとニアフェンリルの戦いに、突如、雄叫びが響いた。

 両者が、貴重な一瞬を用いて声の方を見ると、一直線にこちらに向かってきたのは、まだ腕に重傷を負ったままのセレスだった。

 

「馬鹿っ、引け!」


「うるせえぇっ!」


 カインの警告を無視したセレスの足は止まらない。ニアフェンリルは、耳をピクリとさせるとカインから距離をとり、セレスに意識を向けた。


 殺すことは禁じられている相手ではあるが、殺すなとしか言われていない。戦いの騒音になるのなら、早いうちに黙らせておくのが得策だろう。

 そう判断した巨狼が、満身創痍の少女の足を食いちぎりにかかろうとしたときた。セレスが思い切り空中に投げた魔石がきらりと光ると、周囲が一気に煙に包まれた。

 

 先ほども使った煙幕の魔石。その最後の一つを使ったセレスは折れた剣を手に叫んだ。


「今よ!」


 セレスの声に返事はなかった。その代わり地面を蹴る音が煙のなかに溶けた。隠れる小狼を仕留めにいったのだ。


 こちらの狙いに気づいたニアフェンリルも焦ったように周囲を見回す。目は何の情報も拾わないが、耳と鼻は敵の位置を追えている。匂いと音だけの相手に対し、巨狼が大口を開けて牙を剥く。

 だがその動きはセレスが読んでいた。


 ニアフェンリルの嗅覚は、獲物の血を嗅ぐより先に馴染みのない匂いを感知した。火薬や鉄の混ざったそれは、紛れもない爆弾だった。

 轟音と閃光が炸裂し、異界そのものが小さく震える。


 セレスが投げたのは、魔石を使っていない、テルの作った単純な爆弾だった。狙ったのは小狼のいる石碑の裏だったが、爆破の直前にニアフェンリルが間に入り込んでその衝撃を防いだ。

 白い煙に変わり、今度は黒煙が巨狼の周囲に留まる。感覚を狂わせる爆音と火薬の匂いは、うまくカインを遠ざけることに成功しただけでなく、初めてこちらの攻撃で明確なダメージを与えたのだ。黒煙の中から巨大な影はなかなか動こうとしない。


 一人転がりでるように、黒煙から出てきたカインは、そのまま石碑に走る。煤を浴びているだけではなく、いくつか火傷があるのを見るに、爆発に巻き込まれたのだとわかる。

 本当はこうなる予定ではなかったのだから仕方ない。あとで謝ろう。そうセレスが胸の中で呟く。


 しかし、カインは石碑に飛び込む前に急に立ち止まる。セレスの方を向くと指を差して叫んだ。


「いない、そっちだ!」


 咄嗟に振り返ると、石碑と石碑の間を黒い影が横切ったのが見えた。小狼だった。こちらにいるのは一匹だけで、円の反対側には二匹の小狼が走っている。


「ちッ!」


 舌打ちをして、懐に潜めていた最後のナイフを投げつけるが、狙いが定まらず、異界の奥へと消えていく。


「シャナレアさんッ!」


 カインが声を張り上げた。

 三匹の小狼は石碑の裏を通って、力なく横たわるシャナレアに迫る。


 魔人たちの目的は初めからシャナレア含む風詠みだった。故に、最後に確実に標的を仕留めにいくのは必然と言えた。


 そしてそれは、こちら側も予想できるほどに。


「寝たふりをした甲斐があったね」


 横たわったままのシャナレアが飄々と口にする。今にも爪と牙で八つ裂きにしてやろうと、飛び掛かった三匹の小狼の体が、風の刃で細切れにされた。


「非戦闘員だと思われるのもメリットが多いと思わない?」


 体を起こしたシャナレアが、やや顔色の悪いままで得意げに言った。

 セレスとカインは顔を見合わせると、声を交わす前に視界が揺れ始めた。異界から現実世界への転送だ。


「あれ」


 セレスは、景色が切り替わる直前、不意に疑問がよぎった。


 ─────特位魔獣の異界化を封じる手立てが一つだけある。私が囮になる。セレスさん、辛いだろうけど、今だけは踏ん張って欲しい。


 それは、風送りでセレスの耳にだけ聞こえた、シャナレアの言葉だった。

 少なくとも、シャナレアを囮にする作戦は上手くいった。きっとあとも任せて大丈夫なはずだろう。


 そうして、セレスは解けていく異界に身を預けた。



 ◇ ◇ ◇



 異界化を封じる手立てが一つだけある。

 そう口にしたことに嘘はなかった。


 自分が囮として成立することにも、かなり自信があった。

 セレスとカインが、ニアフェンリルと戦闘を繰り広げている間に小狼たちは、ちらちらとこちらを確認していた。ずっと隠れることに徹していれば、狼たちの勝率はぐっと上がるのに、どうしてわざわざ頭を出したのか。それは隙あらば、標的の命を刈り取るタイミングを狙っていたからだろう。


 案の定、小狼はこちらの誘いに乗った。意識がなく、近くに守ってくれる味方もいない姿を見せつけた。戦場で無防備を晒しているという状況を逆手にとり、セレスは見事、二匹の小狼を撃破した。



 だから、異界を封じる方法も、通用するだろうと漠然とした自信があった。


 布石はすでに打っていた。


 土人形。それは特注の魔道具で、以前リベリオから護身用に渡されたものだった。


 これを異界内で発動し、放った。目的は戦闘のためでなく、カウントダウンがゼロになったときの結果を見届けるための実験用としてだった。


 起動した土人形には、独自のカウントダウンが発生した。シャナレアは確認できなかったが、土人形に応じた小狼が発生していたはずだろう。

 そして、土人形を置いて、異界を脱出したとき、ちょうど土人形のカウントダウンがゼロになった。そのとき小さな異変が起きた。何もしていなかった現実世界のニアフェンリルが咀嚼をするように口を動かし、しまいには砂利のようなものを吐き出したのだ。


 それは土人形の残骸だった。

 クォーツは、特位魔獣の生み出す異界は、その魔獣の口の中だと言った。

 それらの情報を組み合わせてわかるのは、カウントダウンがゼロになったとき、異界の獲物は、自動的に現実のニアフェンリルの口の中に転移するということだ。


 成る程。全く無敵の能力だ。


 冷え冷えとした称賛で肩を竦める。しかし、シャナレアはそんな無敵の能力に、わずかな弱点を見出した。


 現実の口の中に転移した瞬間と、ニアフェンリルが咀嚼する瞬間の間。攻撃からトドメに移る刹那こそが、反撃の機会と言える。


 もはや、自分の命にそれほど価値はない。後進の育成は済んだし、何より生に執着が見出せない。


 だから、若い芽を育むことができるのなら、自分の命など喜んで投げ出してやろう。


 自分らしくないことを思ったシャナレアは、リベリオも死に際にそんなことを思っていたのだろうなと、或りし日に思いを馳せた。

 汚れた手の私が、他者を思って死ねる。そんな事実が、どこか清々しかった。


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