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第3章51話 異界と魔狼②

「ゴオォォォォォッ!」


 低く叫ぶような声を上げて、ニアフェンリルがセレスに突進する。

 三度目の肉弾戦。しかし、とてもじゃないが、目では追えない。


「でも、予測はできる!」


 飛び出す前の沈む動作。そして、衝動的な行動の引き金となるニアフェンリルの機嫌は、表情豊かなおかげでわかり易かった。


 しかし、セレスもまた、単調で一直線な攻撃のおかげで避けることができている。


「女の子に飛びついちゃってダッサいわね!」


 なので、少しでも冷静さを取り戻させないために、セレスは怒りを煽ることしかできない。飛び込むように横に避け、破壊による轟音が収まると、息つく暇もなく罵声を叫ぶ。

 

「ヨダレなんて垂らしちゃって、品性の一つでも身に着けたらぁ? ……あ、やば」


 つい、得意な戦法にうっかり比重を割きすぎて、回避のタイミングを見誤ったセレス。渾身の殺意を込めたニアフェンリルの牙が届くと思われたそのとき、破裂音が響いて、半透明になったニアフェンリルの鋭い牙が、セレスを通り抜けた。


「ひぇ」


 目を丸くするニアフェンリルを他所に、セレスは思いっきり距離を取る。


 なるほど、自動で非実在化。……つまり無敵ってことね。


 大音量で高鳴る心臓を落ち着かせるように分析をするセレス。今の破裂は、またしてもシャナレアの風魔法だろうと、二度も命を救われたことに心の中で最大の感謝を述べる。


 じわりと疼くような痛みがあり左腕の文字が「七」に変わった。焦りを強引に押さえつけるように深く息を吸うと、前方にある石碑の裏から、絞ったような声が聞こえた。


「後ろ! 石碑の裏!」


 シャナレアの張り詰めた声に従い、後ろを振り向く。すると、わずかにだが、自分の後ろの石碑と石碑の間を走り抜ける、小さな影がセレスの視界に映った。


 思考よりも先に体が動いた。地面を蹴ったセレスが、石碑の裏に飛び込むと、そこには身を寄せた小さな狼が二匹、片方は白い瞳でもう片方は緑色の瞳をしており、怯えるように縮こまっていた。

 

 瞬きよりも早く繰り出される一閃が、二匹の小狼の胴体を真っ二つにした。



 次の瞬間、視界がぐにゃりと歪み、気づけばセレスは元いた炎上する会議室に立っていた。離れたところにいたはずのシャナレアも隣に立っている。

 呆気にとられた表情を、すぐさま打ち消す。顔を上げた先には、何も変化することなく、冷酷な微笑を浮かべるクォーツとニアフェンリルが佇んでいる。


「おかえり。予想よりずっと早く帰ってきたね。俄然興味が湧いてきた」


「飼い主なら首輪くらいちゃんとつけたら? 私のこと殺す気満々だったわよ」


 セレスを殺さないなどと(うそぶ)いていたクォーツと矛盾した行動のニアフェンリルを皮肉る。内心で、異界内で死んでも現実に反映されないのだろうか、とも考えたがそれを前提に動くにはあまりにも確証が足りない。


「これで死んでしまうなら、その程度ってことで興味が失せるから別にいいんだよ」


 セレスの挑発にも動じない魔人が、こちらを伺うように首を倒して視線を向ける。きっとあのトチ狂った魔人は、口でどう言っても、結局セレスの生死にさほど関心はないのだろう。だとすれば、次もまたきっと異界に送られる。

 異界内のルールは大体把握できた。把握したところで、途中まで遊びがあった巨狼も、初めから全力でくるだろうし、導かれる気持ちは、二度と御免だ、ということだけだった。


「巻き込まれる周りの気持ちも考えたら!」


 セレスはそう叫ぶと同時に、魔石を地面に投げつけた。土と炎の加工魔石、端的に言えば、煙の目眩ましだ。


 セレスは、すぐさまシャナレアを抱え上げて、今度こそ窓の外に飛び出した。

 ニアフェンリルの最初の遠吠えで、ガラスが割れていたおかげで、難なく会議室からの脱出を果たす。


 そのまま、足に全力の魔力を注ぐと、脱出を試みる。

 セレス一人が掲げる勝利条件はシャナレアの生存だけで、あんなバケモノを二体同時に相手取る必要は初めからない。

 シャナレアさえ生きていれば、王都が陥落する確率をぐっと下げることができる。だから、今最優先するべきが、ニアフェンリルの間合いから逃げ出すことなのだ。


「特位魔獣から、そんな簡単に逃げられると思ってるの?」


 ずんずんと離れていくセレスの背を見ながら、クォーツが口にする。当然、その言葉が逃げる二人に聞こえているはずがない。

 夜の風になって、あと少しで騎士庁本部の敷地から出られそうになっていたところで、セレスの耳朶を叩いたのは、聞き覚えのある遠吠えだった。


 振り返ってなるものかと、胸に決めていたセレスだったが、振り返るまでもなく相対する機会が訪れる。


 瞬きもしていないのに景色が一転し、清々しい夜の街から、気味悪く暗い密閉に立たされている。


「条件が、遠吠えを聞くだけ……!?」


 そう呟いて奥歯を噛み締める。

 無敵のニアフェンリル。そして、ほぼ無条件で送り込まれる異界。逃げることを許さず、絞首台からゆっくりと落ちていくような拷問めいた能力に、セレスは絶望で視界がうっすら暗くなる。


「小さい狼は……ニアフェンリルの、後ろの石碑にいる」


 息を荒くしたシャナレアが耳元で囁いて、セレスははっとした。目を凝らすと、石碑の裏からこちらを伺うような瞳が四つある。


「まだ、諦めるにははやい。……耳を、塞げば逃げ切れる……かもしれない。制限回数が、あるかも……。だから、まだ、お願い」


 セレスの肩を掴みながら、自力で立ったシャナレアが、そう言い切ると、口から血を吐き出した。身を削ってまで鼓舞したのは、セレス抜きではシャナレアは生きて帰れないからだ。

 腕の数字が「六」に変わる。静かな死は、何もしなくても近づいてくる。


「私だけの命じゃないんだ。気張りなさい、セレス!」


 そう叫んで自分の頬を叩く。シャナレアは、ひとまずの安全圏に移動している。ニアフェンリルはさっきの怒りを持ち越しているのか、真っ直ぐの鋭い双眸が突き刺さるようだ。


 後手後手に回ってばかりではストレスが溜まって仕方がない。そう思ったセレスは、思い切り地面を蹴って、ニアフェンリルに向かって走り出す。一瞬、巨狼はぎょっとしたような顔になるが、餌の蛮勇を嘲笑うように舌を垂らして足を駆る。


 ニアフェンリルの速さに陰りはない。瞬きの間に間合いはゼロになり、いまだ回避行動に移行できていないセレスに、鋭い爪を思い切り振り下ろす。が、その爪はセレスの体をすり抜けた。


 目を丸くするニアフェンリルは気づく。投げられた小さなナイフが、自分の体を通過している。ニアフェンリル自身が認識できていない間に、攻撃を受けて、非実在化が発動していたのだ。



 黒泥に敗北して以降のセレスは、貪欲に戦力強化に努めた。

 剣術や体術は既に熟練の域に達している自負があった。磨きをかけることができないわけではないが、費用対効果が悪い。そこで、剣士の矜持はそこそこにしか持ち合わせないセレスは、忸怩たる思いでテルの真似をした。

 そうして飛び道具や目眩まし、その他、小技の数々を、テルを上回る器用さで習得した。正面を切った戦いにも強かったというのに、卑怯な戦法を身に着けてセレスは、王都に戻ってからの対人模擬戦では、負けなしの戦績を誇った。


 

 セレスは脇目も振らず、真っ直ぐに石碑へと走る。目指すは小狼だけだが、その狙いは巨狼にもばれてしまった。

 大きく飛び上がると、セレスの目の前に立ちふさがるニアフェンリル。セレスは間髪入れずナイフを投げつける。

 またしても非実在化の間にすり抜けてしまう寸法だったが、今度は巨狼の牙をもってして、ナイフを受け止めた。


「くッ……!」


 足を止めたセレスに、巨狼も様子を伺うように姿勢を低くして動きを止めた。

 お互いの動きを何重にも予測して、距離が詰まらない両者。ニアフェンリルが仕掛ければ、投げたナイフで自分という防壁を突破される恐れがあり、雑にセレスが近づけば、ナイフを防がれ手痛い反撃を食らうことになる。


 魔獣と人の牽制は、じっくりと時間を溶かしていき、腕の数字が「五」「四」と減っていく。

 小狼は、それほど遠くない場所にいるのに、近づくことは叶わない。停滞したこの状況は、セレスたちにとっては圧倒的に不利だ。


「はあ、一か八かね」


 息を吐いたセレスは懐に手を入れる。ニアフェンリルはその行動の真意を読めず、目を凝らすようにしていたが、セレスが取り出したそれの正体を知らなかった。


「テルより私の方がセンス良かったもの。ここからでも狙えるわ」


 そう呟くと、セレスは手にしていた拳銃の引き金を引いた。二回連続して鳴り響いた破裂音。発射された鉛玉は、真っ直ぐに小狼二匹に向かい、その額を撃ち抜いた。


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