第1章10話 特位騎士
日は頂点に到達したというのに薄暗く、ずっと歩き回っているのにうすら寒いような森での遠征の二日目。
茂みをかき分けながら、テルとカインは目的ももなく奥へ奥へ進んでいく。
前日のレッスン付きの初めての魔獣狩りはつつがなく終わった。
色々と得るものがあったが、特筆するべきは魔力による身体や物質の強化だろう。
教わってすぐは体が自分の物でなくなったようで、藪に突っ込んだり、剣を地面に叩きつけたりしたが、終盤では魔力の扱いも掴み始め、リベリオからも「まあ大丈夫だろ、多分」というお墨付きをもらった。
そして現在、二人は約束通り、二人組みで魔獣狩りに出ていた。リベリオは本来の目的の薬草採取のために単独行動を取っている。
「あの岩山みたいなわかりやすい目印があると、迷わずに済む」
馬車からも見えた特徴的な岩山を指し、前を歩くカインは後ろを振り向かずに言った。
テルは「うん」と軽く返事をするが、それ以降の言葉はないのでただの独り言だったのかもしれない。
木も草も避けた休憩にちょうど良いスペースを見つけ、そこに荷物と腰を降ろしたテルが息をもらした。
「もう疲れた?」
「疲れてない」
カインのテルを気にかけるような言葉をかけられるが、皮肉っているのか否か判別がつかず、つっけんどんに返す。カインは肩を竦めるが、ほとんど気にしていない様子で、そんなクールぶった素振りさえも気に入らない。
「にしたって、遭遇しなさすぎだな。これじゃあただのピクニックだ」
地面に直接座ったカインが携帯食を口に含みながら言った。テルも同じものを無心で食べる。苦みと甘みと酸味を微妙なバランスで練り合わせた粉っぽい食べ物が缶に詰められていて、お世辞にも美味しいとは言えない。
「やっぱり昨日の運がよかったんだろうね」
「運がいい?」
カインの発せられる独り言に、疑問を感じたテルが顔を上げた。
「魔獣と会えるのが運がいいってこと?」
「そうだよ」
「でも魔獣が多いんだろ?」
「そうだけど、それよりも魔獣狩りの数が多くなりすぎたんだよ」
「平和でいいじゃん」
テルの言葉を聞き、カインはやれやれと言いたげな表情をする。
「魔獣がいなくなったら騎士の仕事はどうなるんだよ。ほらさっきも」
「ああ、なるほど」
テルが納得したように手を打ち鳴らす。さきほど、同業者と思われるキャンプ地を見つけた二人。カイン曰く、これほど魔獣狩りが少ない狩場はなかなかないらしい。
「リベリオがいい加減なのが一番悪いけど、もうすこし自分でも勉強したほうがいいよ」
テルは苦い顔をして「まだ字を読み書きが完璧じゃない」と言い訳を発するのをすんのところで止めた。そんな情けない言い訳を吐いては、カインに完膚なきまでにバカにされるだろう。
「じゃあカインが教えてよ」
「ええ、俺ぇ?」
勉強の時間は取れていないし、リベリオは当てにならない。ならばとテルが提案すると、カインは顔を顰めて面倒くさがる。
「兄弟子なんだからさ」
まさか自分に累が及ぶとは思っていなかったのだろうが、すぐに「まあいいか」と渋々頷いた。
「まずこのソニレが獣国と呼ばれる理由は?」
「魔獣が沢山現れるからだろ?」
以前リベリオに教えて貰ったことをテルが自信満々に答えるとカインは首を振った。
「え、違うの……?」
「それだけじゃない。ソニレでは定期的に魔獣の異常発生が起こるんだ」
「だから、沢山現れるんだろ? 同じじゃん」
腕を組んで疑問符を浮かべるテルに、カインは目を細めて声の調子を落とした。
「多分テルが言っているのとは次元が違う。そもそも魔獣ってどこからくるか知ってる?」
「どこから……?」
カインの質問の意図がわからず「森とか?」と当てずっぽうで答えると、またも首を振られる。
「砂漠からくるんだ」
「砂漠……」
「さっき見ただろ」
テルはそう言われつい先刻のことを思い出す。
テルとカインが魔獣と出会うことなく真っ直ぐに歩いていると急に開けた場所に出たと思ったら、目の前一面が砂漠になっていたのだ。
振り返れば緑が生い茂るが、正面には白っぽい砂と青空の二色だけの世界。別世界の境界線にきたかのような異様な光景に目を疑った。
カインは「境界域の際だったのか」と呟く。
「この先五十キロくらい先には海があるんだ」
得意げに言うカインだったが、テルには生命の存在を許さないと言わんばかりの砂漠を五十キロも歩いて渡るなんて到底不可能に思えた。
「魔獣があんな場所から?」
「ああ、魔獣はどうやって生まれるか詳しくわかっていないんだ。性別もないし子も生まない。繁殖方法わからないが、砂漠の向こうからくることだけは確認されている」
初めて知る魔獣の生物には思えない生態を聞かされぞっとする。
「でもそれが理由って事じゃないんだろ?」
「そう。なぜならその現象は世界中で起きていて、ソニレに限った話じゃないからだ」
砂漠から魔獣が人を襲いにやってくる。そんな質の悪い冗談のような話が世界中で起きているらしい。規模感が大きくなり親近感が遠のいたところで違和感を覚えた。
「砂漠ってそんなにいっぱいあるの?」
「ん? ああ、そうだな。たしか陸地の七割が砂漠だったかな」
「うそだろ……」
想像より遙かに砂漠が多く、耳を疑った。カインはなんでそんなに驚いているんだ、と首を傾げている。
「それで、ソニレが獣国と呼ばれる理由だけど」
カインの声でハッとして顔をあげる。
「普段群れを成さない魔獣が数万の大群になって侵攻してくるんだ」
「数万……? そんなの災害じゃないか」
「災害であり、魔獣と人間の『戦争』だよ。そんな魔獣と人間との殺し合いが、何百年も続いている」
「何百年……」
カインの真剣な表情と声音から生まれる迫力にテルは飲まれそうになり、喉を鳴らす。
「でもこの国もやられっぱなしじゃない。外国からの出稼ぎや近衛騎士、更には特位騎士も戦地に派遣されるから、民間人にまで被害が及ぶことは多くない」
「そっか」
安心した矢先気づいた。そんな恐ろしい出来事は、対岸の火事どころか既に自分は片足を突っ込んでいるのだ。
「なんでこんな大事な話を初めにしてくれなかったんだ」
テルは背中に冷たい汗を流しながら言う。絶対に一番始めにするべき話をなぜ今になって聞かされているのか。
「辞める気になった?」
「辞めない」
嬉々とするカインを鬱陶しそうにあしらうテルは思い出したように聞きなれない単語を尋ねた。
「そういえば、とくい騎士ってなに?」
「は?」と絶句するカイン。それほどのことかと気恥ずかしくなる。
「本気で言ってるのか?」
窺うようなカインの仕草には、常識知らずのその裏側を見極めようとする懸命さがあった。
「う、うん」
カインの勢いに押され引き気味に頷く。カインは少し沈黙して長い息を吐いた。
「騎士の階級だよ。テルの認可証にも書いてあっただろ」
「ああ、そういえば」
リベリオとコーレルサントルに赴いたときのことを思い出す。
「『下位騎士』って書かれてた」
「そう。下から下位、中位、上位、準特位、特位って順番で位が与えられていて。その上に騎士庁っていう行政機関がある。ちなみに俺は中位」
さりげなく自分は格上であることをアピールするカインにイラっとするが、よく考えたら格上でないはずがないので無視する。
「どうやったら昇格するの?」
「細かいことは省略するけど、条件をクリアしたら昇格試験を受けれるようになるんだ。それに合格出来れば準特位騎士にまではなれる」
「特位は?」
「ああ、特位騎士はこの国に三人しかいない騎士の頂点。彼らがいるかどうかで国の存亡に関わるほどの実力を持ってる。彼らは皆、国王から任命されてるんだ。そう簡単になれるものじゃない」
「なりたきゃ王様の耳に入るくらい強くないといけないのか」
相槌を打っていると、ふといい加減な師匠の顔が頭に過った。
「リベリオは?」
なんてことない質問にカインは「やっぱり知らなかったのか」とため息をついた。
「今は準特位騎士だ」
「へえ、意外とすごいのか。……今は?」
素直に感心したが、カインの含みのある言い方に引っかかったテルが聞き返す。
「リベリオは、十五年前特位騎士に着任したが、次の日に辞任したんだ」
「はあ?」
予想だにしない情報に口をぽかんと開けるテルに、カインは頷く。
「なんで辞めちゃったの?」
「聞いても教えてくれなかった」
十五年前のリベリオを思い浮かべるが、顔立ちも体格もほとんどが別物なのだろう。
「特位並みの実力があり、戦争でも頼りにされている防衛の要。それは特位をやめてからもずっとそうだ。リベリオがいるからこの国は滅ばずにいる」
「リベリオってすごかったんだな」
感じ入るように呟くが、やはり実感がない。戦っている様を見たことがなければ、そんな昔話や功績の話をされた覚えもない。
しかしそんな話をしているが、カインの眼差しは尊敬の念に溢れているということもなく、どこか暗い。
秘密の多いリベリオにも、考えがあるカインにも色々と事情があるのだろうが、テルには到底触れることもできない、遠い世界の話だ。
「テルはなんで、騎士になったんだ?」
「え?」
だしぬけにカインが言うので思わず聞き返す。魔獣狩りを騎士と呼ぶのにもまだ慣れていないので、意味を飲み込むのに手間取った。
「なんでって」
テルは言い淀んだ。この質問は前にもカインにされた。あの時は絶賛喧嘩の真っ最中(今も仲直りなんてしていないが)であったため、そのままなかったことにしていた。
「なんでって、そりゃあ……なんとなく?」
「なんとなくって……、命が掛かってるのにそれじゃだめだろ」
「仕方ないだろ、本心なんだから。なにをしたいとかもないし、なにもしてないのが一番苦しいから、できそうなことに食らいつくしかないんだよ」
「なんだそれ、記憶喪失の直感?」
「直感っていうより使命感?」
自分の発言に自分で首を傾げる。
「なおさらわからん」
カインはどこか愉快そうに肩を竦めた。
「まあいいや、そろそろ出発するか」
カインが立ち上がると、どすんっと大きな石のようなものがテルとカインの間に落下してきた。
「!?」
「―――っ!」
同時にソレを目撃した二人は表情を強張らせ、即座に臨戦態勢にはいる。
平穏を打ち破った落下物は、切り離された男の頭部だ。
目を大きく見開き、表情だけで今際の苦痛と恐怖を訴えていた。
ゾクり、と肌に刃物を当てられたような殺気を感じ、茂みの奥を凝視する。
そしてそれが現れた時、全身の毛穴が縮み上がるような悪寒を感じた。
二人が視線を向ける先から現れたのは、身の毛もよだつ恐ろしい姿をした魔獣だ。人のような二足歩行に獣のような鋭利な爪がついており、人狼に近しい筋肉質な人型の胴体をしている。
それだけでも恐ろしいのに、頭部と思われる部位が三つもあり、ヤギ、カエル、コイのような魚の頭がそれぞれ生えている。
「魔獣だ」
カインは小さく低い声で口に出して、腰にある剣に手を置いた。少し後ろにいるテルも剣を創りだす。
緊張感で汗が噴き出す。間違いなく今まで遭遇したどの魔獣よりも強く、わざわざ人の頭部で挑発行為に及ぶその知能の高さに、戦慄が走った。
魔獣は足を止め、値踏みするような視線でテルとカインを順番に見る。すると、三つの口全てを使って高らかに笑った。
ヤギ、カエル、コイが順番に口を開け、こちらにはわからない会話をしているようだったが、二人を見下すような会話内容なのが、なんとなく伝わってしまうほど、余裕たっぷりの態度だ。
「運が悪いな」
先ほどは魔獣と遭遇できないことを嘆いていたカインが、嘆くように言う。
ふざけたような態度と裏腹の濃密な殺気。殺害を至上の喜びとする魔獣がテルたちに襲い掛かった。
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