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第1章1話 挫かれた出鼻

 終わったのを自覚したのは、真っ暗な闇の中。

 

 手も足も、目も口も、なにもない。

 あるのは自分は自分であるという意識と、沼に沈んでいくような不快感。


 声が聞こえた。自分を呼ぶ声だと思う。誰の声かも思い出せないし、何を言っているのかもわからない。

 

 誰かの視線を感じる。


「さよならだ」


 久々に動いた口で別れを言った。それを皮切りに、眩い光が現世に体を引き込む。


 いつだって終わりは唐突で始まりは強引だ。


 そんな理不尽に悪態をつきながら、その規則(ルール)を強要されるように意識は再び(もや)がかかる。


 今度は自分の輪郭を失わないように。




--・--・--・--




 眩しいとは言い難い月明り。冷え切った風。威嚇するように音を上げる木々と葉。使い古したスニーカーが踏みしめるのは、雑草が生い茂った自然そのままの大地。


 そんな、歓迎とはかけ離れた環境に少年は立たされていた。


 樹木の影が周囲全てを黒々と染めており、少年の立つ場所が奇跡のようにぽつんと月の光で照らされている。当然、他に明かりになるものもない。


 そこから一歩でも踏み出したなら、命の保証はないと言わんばかりの孤立。


 非力な人間一人がこのような場所にいていいはずもなく、自分が陥っている状況を理解した直後、本能が恐怖を訴え始めた。


 鬱蒼とした夜の森で、些細な小さな音が、恐怖を煽る。

 踏んで、折れた枝の音が幾重にも木霊し、不安感が自分の中にしみ込んでくるようだ。


「落ち着け。大丈夫。怖くない」


 何度も唱えて、パニックになりかけの心を強引に抑えつけた。


 さっきよりも少しだけ落ち着きを取り戻すと、自分がスマートフォンを持っていることを思い出す。どうして今まで忘れていたのかもわからないが、とにかく電源を付けてみると、この電子機器が全く使い物にならないことがわかった。


 時刻は昼の十三時三分と表示しており、当然圏外。役に立つことも知りたいこともなにも教えてくれない機器を再びポケットにしまうと、暗い夜道に歩みを進めた。


 相変わらず雑草に行く手を阻まれながら、人がいた痕跡を探し続けたが、成果がないまま時間だけが過ぎていく。

 現在の時刻はわからなくとも、どれだけ時間が過ぎたのかはわかる。それゆえ、具体的な形になった焦りが呼吸を浅くさせた。


 山らしい斜面を見つけると躊躇なく登り始める。もしかしたら高所から人の生み出した明かりが見えるかもしれない。そんな藁にもすがるような淡い期待はすぐに破れた。



 砂漠だ。

 砂漠が地平線の果てまで広がっている。そこに人工物など当然ないし、植物や野生動物など生命が存在する余地さえもない。

 月の光を取り込んで、銀に近い白を発しており、美しく残酷な雄大さと、期待外れの疲労感にへろへろとその場に座り込んでしばらく動けなかった。



 斜面を下り、またあてもなく歩き始める。


 一時間ほど歩いた頃、少年の耳は呻き声らしき音を拾った。びくりと肩を跳ねさせて、周囲を警戒する。


 しかし、二度目のうめき声でそれが犬や熊のような猛獣のものではなく、人の発したと思われるものであったことに気づく。


「誰かいますか」


 恐る恐る声を上げると、それに応えるように、掠れるような小さな声が聞こえ、人であることを確信する。


 聞こえた方角を頼りに、人の姿を探した。声が小さかったのでかなり遠くにいるものかと思ったが、その予想ははずれ、見つけるのにそれほど時間は掛からなかった。


 しかし、あまりにも想定外の光景に、少年は言葉を失った。


 大きな樹の幹に寄りかかるように壮年の男が座っている。ついに見つけた自分以外の人間。

 それでも少年が手放しに喜ぶことができなかったのは、その男の腹部から大量の血液が流れ出ているからだった。


 不意に零れそうになった悲鳴と、逃げ出したい足をなんとか抑える。


「■■■…………■……■■」


 その声が息絶え絶えに発せられたものであるのも要因かもしれないが、まるで聞き覚えのない言語を口にする男に少年は困惑を隠せない。


 栗毛の頭髪を血で汚し、怪しく金色の瞳を光らせる男。とても日本人には見えないので、話す言葉が違うのも当然だろう。

 

 咳き込むような音とともに血を噴き出す男。

 少年は駆け寄って何かできることはないか探す。この瀕死の男に死なれてしまえば、また当てもなく夜の森を彷徨うことになる。


 粘度の高く鉄臭い液体が手に(まと)わりついたとき、ふと視線が地面に向いた。赤い水溜まりが広がっている。

 どれほどの血を失えば命を落とすのか、正確な知識は持ち合わせていなかったが、その大きな血だまりはこの男の命が長くないことを雄弁に物語っている。


「くそ、待ってくれよ!」


 そんなことを言っても、流れる血は止まらないし、そもそもこの言葉が男に通じているとは思えない。涙目になりながら少年は男が訴えるなにかを必至に拾い取ろうとするが、当然それも理解できない。

 

 そして次に少年が聞いたのは、(おぞ)ましさを覚えるような奇声だ。

 咄嗟に振り向くと、目の前に迫っていたのは、異形の化け物だ。


 体のシルエットは中型の犬といったところだが、恐ろしいのは頭部に幾つもの眼球を備えていることだ。


「……!」


 驚愕のあまり声さえ出ない少年に目がけて、化け物が飛び掛かる。反射で目を瞑る。


 ざざあ、と耳元で砂が崩れるような音が聞こえたかと思うと、「ぎゃんっ」という断末魔が響いた。


 目を空ければ、先ほどの異形の化け物が長剣で串刺しになっていた。


 この男がやったのだろうか。背後の男に目をやるが、先ほどから動いた気配はないし、剣なんて初めから持っていなかったはずだ。


 化け物は動かなくなると、ぼろぼろと体が灰のように崩れていき、跡形もなく消滅した。化け物を貫いていた剣も、同じように消え去った。



 嫌悪感を覚える未知の生物に、少年の持つ知識では説明のできない現象。


 現実ではありえないような出来事が立て続けに起こり、体の震えを堪え切れない。

 ふと、瀕死の男の口元が、にやりと歪んでいることに気づく。


 状況にそぐわないその表情に少年は不気味さを覚え、背中に冷たい汗が流れる。じわりとした不快な感覚が体に走る。それは今すぐこの場から離れたくなるような、端的にいえば「嫌な予感」であったのだが、それに気づいたときにはもう遅かった。


「え」


 自分の胸が一本の剣で貫かれていた。喉から血が込み上げ、問答無用で口外へと吐き出される。


「な、んで……」


「■■……■■■■……」


 少年は、今度こそ目にした。


 ざざあ、と黒い砂のようななにか(・・・)が集まって剣になったかと思えば、剣に意思があるかのように独りでに動き、胸に突き刺さした。


 先ほど化け物に起きた魔法(・・)のような現象が、今度は少年を標的にしたのだ。


 激痛で視界が明滅する。温かい血が体外へ逃げ出し、一気に冷たくなった自分の体は支えを失ったように倒れる。


 突然、突きつけられた自らの死。そんなとき、少年の頭を埋め尽くしたのは、怒りでも悲しみでもなく、どうしてという疑問だった。


 当の加害者の男はというと、もう未練はないといわんばかりにやり遂げた顔をして穏やかな視線をこちらに向けている。


「じ、にだく……ない……」


 まだ死ねない。こんなところで終われない。まだなにもできてない。


 いくつもの後悔が洪水のように押し寄せ、動くことをやめようとする体に鞭を打つ。

 少年は男に背を向け、這うようにしてこの場所から逃げ出そうとする。


「■■■…………■ル」


 穏やかに投げられる男の声が聞こえる。

 男と少年から溢れた大量の血は、海の様に広がっている。少年はそんな血の海で溺れながら、なくなっていく命に手を伸ばす。


「■■……■ダニ■ナイ」


 視界が黒で染められていき、手足の感覚が失われていくなかで、なぜか男の声がなぜか言葉となって少年の耳に届く。


「ムダダ、アキラメロ」


 はっきりと聞こえた言葉と同時に、少年は全てを取りこぼした。




--・--・--・--




  柔らかい明かりが閉じた目に差し込み、意識が覚醒する。二度目の目覚めを出迎えるのは、知らない天井と柔らかいとは言い難いベッドだった。


「ここは……」


 どこだ、と口に出そうとする前に、最後の記憶を思い出す。

 大きな血だまりと胸を貫いた剣。痛みと底なしの絶望。


 咄嗟に胸に手をやると、違和感に気づいた。


 自分のものではない服に着替えさせられており、血や土の汚れが何一つ見当たらないのはいい。きっと誰かが助けてくれて、清潔な服に着替えさせてくれたのだろう。


 しかし、おかしいのは痛みが跡形もなく消えてなくなってしまっている事だ。


 横になっていた体を起こし、かなりぶかぶかの服を捲り上げると、やはりそこには剣が刺さっていたことを感じさせるものが全くない。


「夢だった?」


 あれほど痛くて、あれほど苦しい体験。夢であったらどれほどよかっただろうと思ってしまうことが、それが夢でないことのなによりの証拠だった。


 しかし、同じく証拠であるはずだった傷がまるで姿を消してしまっている事実に混乱してしまう。

 改めて、自分が寝かされていた部屋を見渡す。硬いベッドに照明のランプが置かれただけ木製の机、椅子。夜であるためか外はほとんど見えない窓とドアがそれぞれ一つといった、質素な部屋だ。


 大方、部屋を見回したところで、誰かの足音が床が軋せながら近づいてくる。やがて、床が擦れる音を立てながら、ドアが開かれる。


 息を飲んで身構えていた少年は、混乱も恐怖も、呼吸さえも忘れた。


 扉を開けて姿を見せたのは、目を疑うほどの可憐な少女だった。

 穢れを知らない純白の髪を肩まで伸ばし、何者も寄せ付けないような深紅の瞳が明かりを映し、燃えるように揺らめく。

 艶やかさとあどけなさがある顔立ち。人類が生み出した至高の美術品があるならば、きっと彼女のようなのだろう。

 そんな仰々しい感想を思わせるほどの魅力と、近寄りがたい緊張感を持ち合わせていた少女が、こちらに視線を向けている。


 少女の持つ不思議な雰囲気に当てられ、何も喋れないまま互いに黙って見つめ合うという不可解な時間が数秒流れる。


 ハッと我に返り、話すべき言葉を、「あ、えっと」と情けなく取り繕いながら探す。

 ここは一体どこなのか。口にすべき言葉を見つけ、いざと言うぞと意気込んだとき、この部屋唯一のドアが音を立てて閉じた。


「え……?」


 何が起きたのか理解が追いつかないまま、再び孤独となった。そうはいっても、少女がドアを閉めただけである。しかし、目を合わせたのに言葉も会釈もなく、やり取りが拒絶されるというのは、字面以上に精神的ダメージがあった。


 間違ったことをしたわけでも失敗をしたわけでもないのに、恥ずかしさと情けなさが無性に込み上げ、座ったままになっていたベッドに倒れこみ、二回目の対面となった天井のシミをなぞる。


「おう、起きたか。調子はどう……って起きてねえじゃん」


 乱暴に開かれるドアと同時にそんな言葉が投げかけられる。特に許可を取るわけでもなく、のしのしと部屋に入ってくる気配で体を起こす。


 顔を上げると、その男は少し気だるげな黄色の瞳でこちらを見下ろしていた。橙色の髪を短く雑に揃えた大男は、丸太のように太い腕で小さな椅子を引き寄せると、そこにどんと座る。椅子が潰れまいかとヒヤリとするが、男が尻から床に落ちる様子はない。


「おら、起きてるなら返事をしろ。こっちは命の恩人だぞ」


 事実なのだろうが、その恩着せがましさと状況の飲み込めなさから「ああ、どうも……」と返す。しかし、大男はどうも物足りないようだ。


「ここってどこですか」


「俺の家だよ。森で呑気に寝ていたから連れてきた。あのままだったら間違いなく死んでたぞ」


「あの男は」


「は?」


 自分がこの場所にいる経緯は得心がいった。しかし、どうしても気になるのは脳裏にこびり着いた血だまりと謎の男の光景だ。


「俺以外にも、あそこにいた男はどうなったんですか」


 その言葉に男は不思議そうに顔を傾ける。


「見つけたのはお前ひとりだ。他の奴は見てない」


「は?」


 間の抜けた声が自分の喉から飛び出した。


「あそこにいた血だらけの男に殺されかけて……」


「いなかったよ。それにお前怪我一つないだろ。悪い夢でも見てたんだろうよ」


 男が興味なさそうに手を振る。夢なんかじゃないと口から飛び出しそうになったが、どれだけ言っても取り合ってはくれないだろうと押し込める。そんなことを意に介さず男は続ける。


「なんでお前あんなところにいたんだよ。怪我はないくせに血塗れで。そもそもお前なにもんだよ」


 そういえば命の恩人にまだ自己紹介も礼も言っていなかったことを思い出し、慌てるように口を開く。


「助けでくれてありがとうございます。俺は……」


 そこで言葉が詰まった。男は不可解そうな顔をしている。


「俺の名前は」


 頭の中にぽっかり空洞が生まれたような感覚。自分が自分である第一の証がどうやっても見当たらない。

 一番近くにあったものを失ったとき、人は失った事実を認めることさえ無意識に拒否するのかもしれない。しかし、そうとしか言えないこの状況を少年はゆっくりと口にした。



「俺の名前は……わかりません」



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