06 一日の終りには安らかな眠りを
彼女の住処は街の外れにある古びた家であった。一階は雑貨屋で、2階を間借りしているらしい。
部屋入ると、サラはマッチでランタンに火をつけた。そこはキッチンとリビングのようだった。四角いテーブルと4つの椅子。食器棚や調理器具が手狭に並んでいる。
僕らは食事の準備に取り掛かった。僕はサラの指示のままに食器を運んだり、食材を切ったりした。
パン、何かの塩漬け肉、野菜のスープ。魔力を元に火を起こす器具を使い、手早く調理を行った。
食卓に料理を並べ、僕らは向かい合って食べ始めた。どれも独特の味を持っていたが、空腹だった僕には、どれも美味しかった。
食事をしながらいろいろな話をした。魔法とも契約ともなんの関係もない、ただの雑談を。いままで食べた中で一番おいしい食べ物。好きな歌。背中に乗って走り回ってみたい動物。子供の頃に聞いた御伽話。
彼女はよく笑い、僕も少し笑った。
「……ここには、一人で?」
言ってから、しまったと思った。聞くつもりはなかったのに、気になっていたことがつい口に出た。
「うん」
サラは短く答え、パンにかぶりついた。ナイフを差し込まれたような痛みを胸に覚え、僕は息が苦しくなる。
やはり彼女もそうなのか!
3人分のおそろいの食器。4組の椅子のうち一つだけが傷んでおらず、綺麗なままだ。
僕は動揺をさとられないよう、机の下で手を握りしめた。
どうして彼女はこんなにも元気に笑えるのだろう? 慣れて、忘れてしまったとでも言うのか。そんな馬鹿な。短い付き合いだが、彼女は僕よりよほど善良だ。ならばどうして……。
「サラ」
「ん、なに?」
「……この料理、おいしいよ。すごく」
心の底からそう思った。
キョトンした表情のあと、サラは陽だまりのたんぽぽのような笑顔を見せた。
食事の後、風呂を沸かした。お客さんの僕が先に風呂に入った。衣服を脱ぎ、裸体を湯船にゆっくりと沈める。漆喰が剥がれかけた天井を見上げ、大きく息を吐いた。
今日はいろいろな事件がありすぎた。結局、彼女が僕の前に現れた理由は未だによくわからないし、疑問は山ほどあったが、明日でも良いだろう。
そういえば、とふと思う。
誰かと食事を取ったのは久しぶりだ。母が病気になったのが2ヶ月前。それ以来ずっと一人だった。会話と笑いがある食卓は、こんなにも暖かく感じるものだったろうか。
「湯加減は大丈夫?」
扉越しにサラの声が聞こえた。
「暖かくて、ちょうどよいよ」
「そう。良かった」
しばらくの沈黙。彼女は扉の前に佇んでいるようだった。
「強引に連れてきちゃって、ごめんね。怒ってる?」
さっきまでと違い、覇気がないトーンの声だった。
「いや。別に怒ってないよ。自分でも不思議だけど」
「でも、鍵人の世界には心配する人がいるでしょ?」
「……大丈夫」
そんな人はいないし、今は夏休みのため、学校にも縛られていなかった。
「今日ね、すごく楽しかった。そっちの世界の美味しいお菓子を食べさせてもらったり、世界を移動する冒険をしたり、一緒に料理して、食べて、おしゃべりをしたり。契約なんて無関係に、ただ楽しかった。そう思ったの。……だから、伝えたくって。君に会えて、良かった、って」
「……」
その言葉は、強く僕の心を打った。光の海に包まれたとき以上の、痛切な、かけがえのないない感情の波が僕を覆った。
「だけど、やっぱり鍵人は元の世界に戻るのが一番だと思うの。勝手に連れてきておいてわがままだけど……。明日、元の世界に帰すね」
そう言ったあと、彼女が扉から離れる足音が聞こえた。その音は、長い間耳にこびりついた。
考えごとが更に増え、寝床に付いたあともすぐに眠れなかった。強制的に僕を連れてきておきながら、取り消したサラ。元の世界に帰してくれるのは望むところだったが、釈然としないわだかまりを残した。毛布にくるまりながら、今日あった出来事を振り返る。黒い本。契約。魔法。サラと交わした言葉。自分の考えが検証しているうちに、いつの間にか意識は深く沈んでいった。
そうして、とんでもない一日が終わった。