03 そして暗黒へ
彼女の名前はサラと言った(本当はもっと長い名前だったが忘れた)。15歳らしい(僕も自己紹介をすると、私のほうがお姉さんね! と彼女は急にタメ口になった)。
サラの話を要約すると、彼女は魔法の世界の住人で、世界の危機を救うために、黒い本の持ち主のもとにやってきた、ということだった。黒い本には幾千もの魔法が刻まれており、本、本の持ち主、魔法使いが互いに契約をすることで、その効力を発揮できる。
そして僕が、本の持ち主とみなされている。
「なのでけいひゃくしまほふ。そふぇにしてもふぉれほいひい」
ドーナツを口いっぱいに頬張りながらサラが言った。
「……いきなりそんな事言われても、信じられるわけないでしょ。契約なんてできないよ」
僕はため息を付いて牛乳を一口飲む。場所を書斎からリビングに移し、彼女の話を一通り聞き終わったところだった。
「そもそも魔法使いだとか、他の世界の危機だとか、僕にはなんの関係もない」
サラの変な―――もはや異様と言ってもいい――衣服や言動、出現した経緯は、僕の日常や常識からかけ離れたものだった。しかし、彼女の自信に満ちた話しぶりや、黒い本から発せられる異質な雰囲気は、一定の説得力を持っていた。
つまり。彼女は全くの正常か、完璧に異常な人間だった!
しかし、しかしだ。百歩譲って彼女の話が真実だったとして、それが何だというのだ。
自分のことすら手一杯で、ぼろぼろと溢れているのに。どうして他人を気にかけられよう。
「まあ、いきなり言われても困っちゃうかー……。鍵人くんにも事情があるもんね。うーん、よし」
サラは、いかにも今妙案が思いついた、とばかりに手を打って、笑顔を僕に向けた。笑みを顔に貼り付けたまま席をたち、僕の手を取る。柔らかくひんやりとした手のひらに気を取られていると、彼女が目の前に顔を寄せた。ドーナツのカスがついた唇が、恐ろしいほど鮮やかだった。
「百聞は一見にしかず、習うより慣れろってね。とりあえず行ってみよー」
「行くってどこへ……あアぁッ⁉」
突如足元に現れた暗黒の穴に、僕らは落ちていった。