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後篇

「――クックック」


 ぞくり、と背筋が粟立つ。護衛たちの怒鳴り声でうるさいはずの近辺に、その歪な笑い声はくっきりと聞こえた。まるで、誰かが間近で囁いているみたいに。

 血走った目を左右に動かす。護衛はみな馬を降り、下手人探しを続行している。逃げたんじゃないか、もう近くにいないんじゃないか、などと言っているのが聞こえる。

 違う、そうじゃない。襲撃者はここにいる!

 そう叫びたくても声が出ない。喉の壁がぴったりと引っ付いてしまったみたいだ。

 視界の隅では、ケイレブに斬り殺された浮浪児の塊が蹲ったままだった。


「クックック……」


 今度は、はっきりと場所が分かった。

 誰も見ない場所。だけど全てが見える場所。

 ――上だ。

 ばっと頭上を見上げると同時、声の調子ががらりと変わる。


「クックック…………って笑っときゃそれっぽくなるかと思ったけど、ギャグにしかならねぇな。なんでだ」


 そう言って男は不思議そうに――心底訝しそうな声音で首をひねった。

 馬車の屋根に足を組んで腰掛け、片手で黒刃のマチェットを弄んでいる。ひょいと投げてはキャッチし、投げてはキャッチし。あまりに軽い扱いに、いい年した大人がおもちゃで遊んでいるような錯覚までしてくる。

 と言っても、男の年齢が想像できたわけではなかった。男は真っ黒な外套で全身を隠していたのだ。声からでは二十代なのか三十代なのか分からない。しかし、自信家で尊大な性格なのは伝わってくる。


「だ、誰だ、貴様!?」

「いつからそこに!?」


 遅れて気付いた護衛たちが、一斉に剣を向け威嚇する。その中心は紛れもなく正体不明の男であったが、近くにいる御者もひとまとめにされた気がして竦み上がった。


 男がニィッと笑った――気配がした。


「〈死霊使い〉――そう呼ばれている」


 ――数拍置いて。

 喉を引き絞ったような悲鳴と、続いて罵倒しながら命令する醜い声が路地に響く。


「ヒィィィッ!! おお、お、お前が!? 俺の命を狙っているという!? きっ、貴様らっ、何をぼさっとしている! 早くこの不届き者を始末せんか、それが仕事だろうが! うすのろ共が!!」


 物言いは散々だったが、周囲を動かす力はあった。

 相手は一人。護衛は一人減り、残り九人。一瞬で首を切り落とした技は得体が知れないが、奇襲を受けたせいだと全員が理解している。数が多い方が強い。自然の摂理だ。

 一人が投げナイフを放つ。男がわずかに体を動かすと、一本はマチェットに弾かれ、二本は馬車の窓際に突き刺さる。


「死ね!」


 仲間がナイフを飛ばした隙に屋根に登ってきた護衛の者が、そう叫びながら背後から遅いかかる。

 〈死霊使い〉は上体を捻りながら、マチェットを横薙ぎに払う。ギンと甲高い音がぶつかり、黒刃は護衛の剣に受け止められた。

 同時に、別の死角から、もう一人が音を立てずに忍び寄っていた。

 ナイフは囮で、わざわざ掛け声を出したのも囮。本命は三人目だ。初撃からこの連携とは、なかなかに慣れている。しかし〈死霊使い〉の首筋に短剣を突き刺そうとした直前、三人目は絶叫を上げて仰け反った。


「ギャアアア!!」


 片方の目から、小さなナイフの柄が生えていた。〈死霊使い〉がいつの間にか回収したナイフを、振り返りもせず正確に命中させたのだ。

 剣を交える男に動揺が走る。その隙を見逃さずに馬車から蹴落とすと、〈死霊使い〉は自らも高く跳躍した。黒衣に包まれた姿は、あっという間に闇に溶け見えなくなる。


「まずい、見失った!」

「全員、近くの者と背中合わせになれ! 死角を作るなッ! がっ……」

「エド! ぐぁぁっ!」


 一人、二人と、馬車側面を守っていた者たちがいなくなる。それぞれが持っているカンテラのおかげで、敵が攻撃を行う一瞬だけは姿を視認できるのだが、その後すぐに光の届かない場所へ移動するせいで、捕捉し続けることができない。

 あっという間に、十人いた護衛の半数が命を刈り取られた。


「死霊使い、だと……? これじゃまるで、死神じゃねぇか」


 誰かの震える呟きは、寒空に解けずに凍りつく。軽い足取りで近づいてくる〈死霊使い〉から逃れることもせず、また一人首を掻き切られた。


「別に自分で〈死霊使い〉って名乗ってるわけじゃないし」


 自分の通り名など興味ないのだと言わんばかりの態度で、男は淡々と歩を進める。

 馬車の車輪に背中をつけてガクガクと絶望しているセルゲイの前まで来ると、上背のある身体を折り曲げ、その顔を覗き込んだ。


「オシキス・マルタから怨みのお届け。『生前は世話になったな。旅立ちに際して二人だけでは寂しいと妻が言うのでな、お前にも同行してもらおうと考えた次第だ。長い旅になる。仲良くやろうぜ、セルゲイ』

「…………!!」


 聞き覚えのある嗄声に、セルゲイの顔面が青を通り越して真っ白になる。

 フードの奥に隠されていたのは、まさに彼が部下に命じて殺させたオシキス・マルタだった。青く血管の浮き出た首筋も、薄幸そうな灰色のタレ目も、痩せこけた頬も。かつてセルゲイが見下し、全てを奪った男の顔であった。


「なぜ……や、やめろ。やめてくれ。俺がわるか――」


 どんっという衝撃が、胸の辺りを突き抜ける。信じられないといった風に見開かれた目から、急速に生気が失われていく。オシキスが最も聞きたくない言葉を口にする前に、セルゲイの心臓は動きを止めた。


 ずるりと引き抜かれた刃を伝い、鮮やかな血が滴り落ちる。悪党だろうが善人だろうが、血の色は変わらないのだな――そんなことを考えながら、オシキスは天空を見上げた。

 みぞれ混じりの雪が頬に舞い落ちる。しかし、冷たさはおろか、何か触れたという感覚すらない。そんなものはとうに奪われてしまったのだ。自分にはもう何も残されていない。いや――。

 ただ一人生き残った息子に笑みを向け、オシキスはそっと瞼を閉じる。

 そして――再び瞳が露わになった時、そこにいたのはオシキス・マルタではなく、眠たげな目をした〈死霊使い〉だった。


「ふわぁ……。仕事おしまい。宿戻って一眠りするか」


 黒い髪に、黒い瞳。どこにでもいるような冴えない相貌。マチェットについた血をその辺に転がっている護衛の服で拭って鞘に収めると、もう一度あくびをしながら肩を鳴らす。

 残しておいた護衛は、すでに全部片付いている。やったのは彼ではなく、もう一人(・・・・)の方だ。


「さて、ノクス。さっさとずらかるぞ」


 殺した人間の傍らで佇む影に声をかけると、その人影は返事もなく男を振り返った。

 黒い髪に青い目。自分と母親の特徴を受け継いだ、彼にとっては何よりも可愛い一人息子。先日、十になったばかりである。

 少年は白とも灰色ともつかぬボロ布を靡かせ、父親のもとに駆け寄った。


「あのさ、あのさ。オレも半分やっつけたんだから、報酬山分けしようよ。はんぶんこ。いいだろ?」

「だーめーだ。お前なぁ、報酬の半額ってそれなりに大金だぞ。そんなもん子供が持ってどうすんだ」

「いいじゃん! 船乗りたいんだよ、船! ううん、じゃあ三割でいいから!」

「一割。渡し船で我慢しなさい」

「二割! 我慢できない!」

「一割二分」

「こまかっ! 親父ってケチなの?」

「そんなこと言う悪い子には、びた一文だってあげません」

「うわぁ……。まんま子供から小遣い取り上げる親のやり方じゃん……」


 そんな会話を繰り広げながら、親子は馬車から離れていく。

 最初に馬車が止められてから、十分と経っていない。鮮やかな奇襲だ。深夜のことなので目撃者もいない。――ただ一人を除いては。


「…………」


 音のしなくなった襲撃現場で、彼はゆっくりと体を起こした。御者台に転がっていたカンテラを取り、馬車の側面へ回り込む。

 そして目的のものを見つけると、蔑んだ眼差しで見下ろした。

 車輪に巻き込まれるような姿勢で息絶えた、セルゲイ・プラーノの死体を。

 家族の仇が死にゆく様を、彼は馬の影に隠れて終始見ていた。自分で手を下せなくとも、せめて近くで見てやりたかったのだ。まさか、父本人が現れるとは想像もしていなかったが。

 彼は〈死霊使い〉が去った暗がりに目をやり、それからひとつ息を吐くと、反対の方向へ踏み出した。

 これからどうするかは決めていない。商会を立て直そうにも、財産はもう残っていない。別の街に移り住んで、一からやり直したいと思っている。

 自分ならきっとやれるだろう。いや、やってみせる。父の最後の微笑みにかけて――。

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