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前篇

 人が人を殺す時、そこには必ず動機がある。


 恋人を奪われたから。

 金を騙し取られたから。

 信じていたのに裏切られたから。

 人を殺してみたいから……というのも動機に数えてよいだろうか。


 しかし、必ずしも動機を持つ人間がターゲットを殺す必要はない。

 雇えばいいのだ。

 有り余る金、あるいは権力で。

 人殺しのプロ。殺しの請負人、暗殺者を――。



 * * *



「死霊使い、だとぉ?」


 ウィンナーのような指に金色の指輪を嵌めた豚が、葉巻の煙を吐き出すと共に、対面のソファに座る男をぎろっと睨んだ。

 男は青白い肌に真っ白な髪を伸ばしており、まさに死人のような様相だ。しかも踝まである白衣にきっちりと身を包んでいるせいで、この世ならざる者感が増している。折れたマッチ棒のような細い足で貧乏ゆすりしながら、男は今にも消えそうなロウソクの笑みを浮かべた。


「ヒ、ヒヒッ。ええ、そうなんですよ。せ、先日捕らえた例の残党がね、は、吐きまして。いや、吐かせたんですけど……こう、指と爪の間にね、針を差し込んで、何本まで耐えられるかとか、耳にちーっちゃなサソリを入れてみたりとか……フフ、フフ、とてもね、い、良い声で泣いてくれまして……もう、夢に出てきちゃいそうなくらい。で、ですね……」


 男はまだ何か言っているが、聞く気のない豚は天井を仰いで「ハア」と大きく嘆息した。

 この男、ヒューゴは、三ヶ月前に新しく雇った尋問官だ。といっても正規の役人ではない。セルゲイ・プラーノが個人的に雇い入れた拷問の専門家――早い話がならず者である。尤も、本人の申告によると、本当に拷問を研究しているらしい。学術的探究心というよりも、人を傷つけることへの興味や性癖が大きく関係しているのは火を見るより明らかだが。


 そんな男を雇うセルゲイもまた、善良な一般市民では有り得ない。表向きはクリード市一の大商人であり、商人ギルドの幹部にも名を連ねる名士。しかし、裏では脅迫などを日常的に行い、非合法な取引にも手を染めるヤクザだ。人望はないが悪どいやり方でコネを作り、伯爵家に妾として娘を送り込むことに成功している。目の前にいるヒューゴも、その伯爵家の紹介で引き取った人材だ。だからある意味信頼はできる。


「例のというと、マルタ商会のところか。そう言えばオシキスには小僧が一人おったな。ふん、ドブネズミの子もドブネズミ。さっさとくたばればいいものを。まあいい。で? 死霊使いというのは何だ? 最近流行りのバーか何かか」

「いえいえ! とんでもない! 裏社会では有名な暗殺者の一人ですよ。え、ご存知ありません?」

「ゴミクズのことなどいちいち知るか。奴らは単なる道具だ。金を払えば王でも殺す、我々にとって都合の良い、な。わっはっは!」

「はぁ……」


 でっぷり突き出た腹を揺すり下品に笑う主人に、ヒューゴは呆れた相槌を打つ。

 セルゲイの言う通り、暗殺者は金さえ貰えれば王だろうと貴族だろうと、何でも殺す。もちろん、小さな街の支配者を気取るヤクザでも。

 その辺のことを教えてやらないといけないらしい。え、自分が? 面倒くさいなぁ……。

 急に興のそがれた気分になって、ヒューゴはわずかに唇を尖らせた。冷静になると吃音が治るのがこの男の特徴である。


「暗殺者とは得てしてそうですが、〈死霊使い〉もご多分に漏れず謎の多い人物です。死霊使いというのは、アレですな。死んだ人間を操る術者を指します」

「なに? そんな術があるのか?」

「迷信でございますよ。〈死霊使い〉と呼ばれる所以としましては、被害者が殺される前に、死人の『声』が聞こえるからだと言われています。その死人というのがですね、被害者のせいで死んだ人間なのですって」


 怖いですねぇ、と笑うヒューゴに、セルゲイはソファの上で身動ぎをした。


「被害者のせいで死んだだと?」


 おやおやそこに食いつくのかと、ヒューゴは金満豚の臆病っぷりを見せつけられた心地である。ニヤつきが抑えきれない。


「えぇ。ふ、復讐ってヤツですね。死人の。復讐専門の暗殺者らしいです」

「復讐……ふ、ふん。バカバカしい」


 一瞬呆然としたように繰り返して、我に返ったセルゲイは鼻で笑い飛ばした。今更ふんぞり返っても、空威張りなのが見え見えだ。

 しかしヒューゴには、残念なお知らせを伝える仕事があるのだった。


「旦那様はその〈死霊使い〉にお命を狙われているのでございますよ」

「なにィ!? なんだと!?」


 ガタガタン! と音を立ててソファと机がずれる。面白いくらい無様な取り乱し様を見て、ヒューゴはこの事実を伝える役を引き受けた自分を褒め称えた。彼は人の痛がる様が一等好みだが、普段偉ぶっている輩の醜態も大の好物であった。


「クッ、クッ……」

「……っ! 何がおかしい、ヒューゴ!」セルゲイはいらいらと机を殴る。「クソ、暗殺だと? この俺が!? 一体どこのどいつに頼まれて!?」

「決まってるじゃないですか。マルタの倅ですよ。そこの元従業員から聞き出したんですから」

「馬鹿な! 俺は奴に恨まれるようなことをした覚えはない!」

「いやぁ、結構してきたと思いますけどねぇ」


 たとえば、先代当主とその妻を闇討ちしたこととか。さらに彼らの商会を、言いがかりをつけて潰したこととか。

 セルゲイは見た目通りの臆病者だ。自分と自分の財産を守るためなら、どんなカードを切ってでも護衛を集める。今も、凄腕と言われるボディガードを二名侍らせている。たぶん、この後もう数名、掻き集めに奔走することだろう。実際に走り回るのは部下だが。

 それを二十四時間交代で付けて、さらに身代わりを立て、なおかつ安全な場所に引き篭もるくらいは平気でやる。

 相手が〈死霊使い〉だからではない。自分の命が狙われていると聞いたからだ。

 まあ気持ちは分かるけれども、一応裏の社会で生きている人間のくせに情けないというか柔弱というか。いっそ憐れですらある。こっそり盗み見てみれば、セルゲイの後ろに控える護衛たちも侮蔑の眼差しを雇い主に送っていた。

 命を守るだけなら、セルゲイの反応はまともだ。しかしここは殺意と暴力が幅を利かせる闇世界。臆病風に吹かれた者から脱落していく。たとえそれで生き残ったとしても、裏社会でもう一度成り上がることは不可能だ。

 しかしセルゲイの頭の中には、自分が助かることしか無いらしい。


「よ、よし。用事を思い出した。三番街の別邸に仕事を残してあったんだ。おい、そこのお前! 明朝、馬車で別邸に向かう。必要な物を揃えておけ!」


 慇懃な礼をして立ち去る執事の背中へ、セルゲイはご苦労さまです、と心中で労いの言葉をかける。

 仮にもヤクザの執事である彼は知っていただろう。有名な暗殺者、〈死霊使い〉の噂を。その名を聞いても動揺しない胆力は、主人の豚より余程こっちの業界に向いている。


 セルゲイは吹きでる脂汗をハンカチで拭うと、短くなった葉巻を灰皿に捨てワイングラスを一気に呷った。口の端から赤い液体がぐふりと零れる。白いシャツの襟が鮮やかに染まっていく。ヒューゴの冷たい視線にもセルゲイは一向に気付いていない。


(これは言わない方がいいですかねぇ)


 自らもワインを口に流し込みながら、その筋ではかなり有名な話を声に出さず反芻する。

 孤高の復讐者、〈死霊使い〉。

 誰の下にも付かず、権力に媚びず、しかし決して依頼人を裏切らない――つまりは、復讐完遂率100%ということ。敵に回したが最後、その時点でターゲットは自死以外に逃れる術がない。

 ……本当かどうか定かではないが。


(さてさて。次の職場を探しておきますかねぇ。なるべく楽しい拷問が出来るところがいいですねぇ……)


 心は既に、まだ見ぬ楽しい職場に向いている。みっともない醜態を晒し続けている金満豚の行く末など、心底どうでもいい。

 ヒューゴは空になったワイングラスをピンと指で弾くと、断りもせずに部屋を後にした。

 彼を咎める声はなかった。

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