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猫耳少女の恩返し

「ふふっ、あはは!

こいつは凄いや、僕の予想以上だ、はは!」


どこからともなく聞こえてくる、そんな楽しげな高笑い。そしてそれに合わせるように鳴り響く、カン、カン…という規則的な金属音。真っ青に染まった廃墟の空を木霊して…それはただ、楽しげに笑い続ける。

その高く透き通った声色が、聞き手にその声の持ち主が子供であることをやんわりと悟らせる。そしてもし、この声がここで終わっていたのなら…それは、単なる子供の独り言で終わっていたのかもしれない。

しかし、世界というのはどうしたって、そう都合よくはいかないものだ。


「これが異世界!これこそが異世界ってもんだ!あぁ、何て素晴らしい役者達、舞台の数々!こんなの、僕らだけじゃとてもとても…」


「エルネイド様、いい加減にお止め下さい。」


尚も楽しげに笑い続けるその声に割り込む、氷のように冷たい声。そしてその声の低さや雰囲気も相まってか…それには不思議と、本能の中に眠る恐怖を駆り立てるような、そんな恐ろしさ…というより、悍ましさがあって。

その、まるで堅物な親に叱られでもしたかのような独特な二人の会話。これで一方が敬語を使ってさえいなければ、そしてこんなにも殺気立った声をしていなければ…或いはこの状況も、そんな軽い冗談一つで片付いたかもしれないというのに。


「おやおや、僕に指図かい?

…随分、偉くなったじゃあ無いか、オーグ。」


その冷徹な方に対し、子供らしき声の方はあくまでそのトーンは落とさないまま。しかしその本質は…その僅か一瞬にして、これまでとは明らかに違った空気を纏い始める。そしてそれがさらなる不気味さを呼び…気付けばその二人を包む会話には、もう最初のような楽しげな感情はこれっぽっちも無くなってしまっていた。


「滅相も御座いません。しかしこれでは…

貴方は、自分が何をしているのか本当にお分かりですか?」


その冷静さを崩してまで、焦り気味な声で訴えてくる彼…基、オーグと呼ばれたその存在。しかしその彼からの忠告には耳を貸さないまま、もう一方の子供らしき方が不機嫌そうに呟く。


「…やだなぁ、一応命令には従ってるつもりだよ?ただ、僕はその中に…ちょっとした、楽しみが欲しかっただけさ。悪いかい?」


「それが悪いから、こうして無礼を承知でここまで来たのです。…そんな、穢れた皮までお被りになって…」


その不機嫌な子供をあやすような、しかし上目の者(?)に対する礼儀も忘れてはいないその態度。一見すれば、悪いのがどちらかなんて至極簡単なのかもしれない…が、果たしてどうなのだろうか?


「穢れた、ねぇ…

はぁ、だーかーら君達はつまらないんだ。本当に、昔からずっと…ね。」


「…つまらない?貴方はそんな、根拠の無い感情に釣られてこんな…」


「そうさ、悪い?」


この会話…どうやらさっきから冷静な方が押されているようにも聞こえる。子供っぽい方が放った言葉に対し、冷静な方が毎度の如く驚き、対応に困っている状況だ。このやり取りからしても、その子供っぽい方がこの状況において上の立場に立っていることはまず間違い無いだろうが…これではまるで、ただの子供が駄々を捏ねているような姿しか想像できない。…この、肌を刺すような殺伐とした雰囲気を除けば。


「むしろ、おかしいのは君達の方だと思うんだけどねぇ、僕は…っと!」


そんな中、唐突に響く一つの音。それは足音ともどこか違う、強いて言えばコンクリートの上を飛び跳ねたような…そんな音。そしてその音は、どうやら彼らの会話とも無関係では無いらしく。


「…一体、どちらに向かわれるつもりで?」


「全く、少しくらい僕のことも信用してくれていいと思うんだけどねぇ…

外だよ、外。君達の言う、使命とやらを果たしてやる為に、僕自らお仕事に出てやろうって訳。」


そしてその音に続くように鳴り響く、足音とそれに合わせた金属がぶつかるような音。その、まるで重厚な鎧でも着込んでいるかのような足音を立てて、恐らくは冷静な方であろう人物の行進が開始される。…そしてその音が終わった直後、再び会話は再開され、


「…だから、そこを退いてくれる気は無いかな?やる気の無い上司が珍しく自分から働いてやろうってのに…勿体無いよ、これじゃ?」


「…一応申し上げておきますが…貴方を信用していない、というのは少し違いますよ。

これはあくまで貴方の為…この世界を、「星海」を背負って立つ我々の、その頂点の一つに並ぶ存在。そんな貴方だからこそ、私は…」


「だーかーら!全くもぅ、面倒臭いなぁ…っ!」


しかし、そんな制止も振り切ってその子供の声は続ける。と思ったその直後、その会話は突如として停止する。そしてその代わりに聞こえて来たのは…

甲高い、硬い何かが弾けるような鋭い轟音だった。


「なっ…!

馬鹿な…貴方は本当に……!」


「…こうでもしないと駄目…か。

……本当につまらない、君達は、みーんなさ。」


そしてその音と会話を最後に…その短かった二人のやり取りは終了。そこに残ったのは、ただ淡々と鳴り響く足音と…


「…ホント、あんな風に…

心に正直にならなきゃ、駄目だよ。」


その、虚空を彷徨う退屈そうな一言だけだった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「…お?

お、おおおぉぉぉーー!!?」


何だこれは、何だこれは何だこれはー!!

おかしい、さっきまで私は地に足を付けて立っていたはずだ。あの色々なあれこれで汚れきっていた、カラフルなコンクリートの大地に。なのに、これではまるで…

目の前を支配するのは、ただ真っ白な光だけ。それは私の前で急速な流れを作り上げ、真っ逆さまに下へと落ちてゆく。そしてそのさながら光の滝のような景色の中…私の体はポカンと、宙に浮いている。


いや、確かにこういう予想外なファンタジックイベントの一つや二つ、既に覚悟の上ではあるのだが…私があの時本来受けるべきだったのは、こんな緩やかな浮遊感では無くて…あの鮮烈な光を放つビームだったはずなのに。まぁ、受けないだろうとある程度の予測はしていたものの、だからってそれでいきなりこんな状況に一人置いてけぼりにされるなんて…無論、誰からも聞いていない。


まずい、このままでは何かがまずい…気がする。このまま行ったら私、もしかしてこの光に呑まれて呆気なく死ぬ…?

いや、そんなことはさせるものか。私はもう、死ぬ時はしっかりと寿命を迎えた時だけだと心に決めているのだ。そしてそうでなくては…悲しんでしまう人が大勢いるのも、一応は知っているつもりだ。それが私の…この世界に産み落とされてしまった「悪魔」のできる、せめてもの罪滅ぼしなのだから。


だから、必死に藻掻く。幸い五体共に満足に動く状態にあった私は、そこで必死にその手足を動かし、抵抗。しかしそんな、傍から見ればかっこ悪いにも程があるようなそんな軟な抵抗では…この光も、離してくれる気は無いらしい。


「おぉ…おりゃあぁぁー!!」


でも、それでもと必死に藻掻き、情けなく叫び…必死に、抗えぬその力から逃れようとする。その、圧倒的なまでの非力をもって、そしてその事実を誰より自分の中で理解した上で。

…こんなことだから、もしかして運命の神様が哀れんでくれたのだろうか。だから私の足掻きは成就せぬまま、代わりにやってきたのは…


「おおぉ…っで!?」


背筋を走る冷たいコンクリートの感触と、久方ぶりの重力の感覚と…その重力によって引き起こされた、後頭部への鈍痛だった。



「…てて……

てか、あれ?ここって…」


後頭部を擦って何とか痛みを和らげんとする私がその次にとった行動は…とりあえず、辺りの確認であった。

あんな訳の分からない光の中に放り込まれ、挙句こんな適当な形で外へと放り出されるとは…まぁ、体が無事な分幾らかマシではあるが、そんな経験をついさっきまでしていたからこそ、ここが一体どこなのかという疑問の答えなんて当然持ち合わせてはいない。…少なくとも、この廃れた東京のどこかではあるだろうとは、背中に喰い込んでいたコンクリートの破片から何となくは予測できていたが。


で、そうして首をキョロキョロと動かし、匂いや音、体で感じられる全てをもってここがどこなのかを判断した結果…その答えは意外にも、簡単に導き出せた。

この破片だらけの危険な地面に、日が差さない天井付きの空間。にしては前方にはやけに大きく外を見渡せる穴が空いているし、極めつけには…この、心の底から噎せ返りたくなるような、それもついさっきまでは嫌という程に嗅いでいた匂い。あくまでなんとなく、必死に鼻を働かせている状況でようやく風が運んで来てくれる程度の非常に薄い匂いだが…それでも、私には分かる。そしてそんな危険な匂いがする場所なんて…さっきまでいた場所以外にはもう、一つしかあるまい。


「さっきの…立駐?」


そう、ここは私がついさっきまで休んでいた場所。私があの気味の悪い血の海を見つけ、そこで私が…


「あたっ!」


と、そんなどこか安心感すら覚えてきたその立体駐車場の地面に、二人目のお客様がようやくご登場。私と同じ黒髪に、肩まで袖を捲り上げた肌着のような黒いシャツを身につけた少女…いや、女性と言った方が正しいか。ただし私とは違って、その落ち方は背中からでは無く腰から綺麗に尻もちをついた形。それも結構派手な音を立てて、それはそれは痛そうに腰を擦って…私って、もしかして落ち方的には結構マシな方だったりしたのか?


と、そんなくだらない考察は後だ、後。


「…ったたー!本っ当、何なのよもぉ…」


「あの、大丈夫?」


未だ自身の腰を必死に労りながら、ぶつくさと文句を言い始める彼女。私はそんな彼女に駆け寄り、要らぬ世話かもしれないけれど…とりあえず、彼女の目の前に向かって手を差し伸べる。

その皮肉と顰めっ面を見る限り…どうやら、大した怪我も無さそうだ。よかった…あんな説教までされておいて、私だけしか生き残ってませんでしたーなんてなったらもう…彼女の存在は私にとって、失っても少し後味が悪いだけの他人では無くなってしまっていたのだ。だからこそ、彼女の顔を改めてこうして拝めたその瞬間…思わず目頭が熱くなって、その感情を必死に心の奥へと引っ込めるた。


「へ?あぁ、ありがと…」


キョトンと目を見開きながらも、とりあえず差し出された手には掴まってくれた彼女。そしてそこにぐっと力を込めて起き上がる…途中「いてて!」と腰を労るシーンが何度かあったが、本当に怪我にしてないんだよな?


「…大丈夫?」


「何がーって、あぁ…

ま、大した怪我はしてないっぽい。…痣には、確実になるだろうけど。」


そんなセリフも交えながらも、しかし彼女は結構元気そうだった。さっきまでの顰めっ面が一変、両手を上げてその場でゆったりと伸びをした後、肩をぐるぐると回しながら体の状態を確認。途中、また腰を労るシーンを挟みながらも…とりあえず、大事は無さそうなので一安心。


「しっかしこれ、一体どうなってる訳?

今日だけでこーんな殺人的サプライズ満載なんて…せめて小分けにして欲しいわよねぇ、こういうの。」


「起こらないのが一番だと思うけど…でも本当、何なんだろ。」


彼女がそんな根本的なことをボヤいていたので、そういえば…と私も思考の原点に立ち帰る。顎に手を当て、それっぽい思考モードに形から移行しながら。

…そもそもこれ、一体どういうことなのだろうか。突然世界が水浸しの廃墟だらけになっちゃって…いや、この現象はここら限定なんだっけか。思えばさっきの場所にはもう水なんて無かったし、街の建物もここよりはマシな損害で済んでいたように思えた。とはいえ、元通りという訳では断じて無いのだとは思うけれど…


「あぁーもう、ホンっと意味分かんない…何たって私ばっかり…」


「一応、私もいるんだけど…と。

はぁ…疲れた疲れた。」


まさか忘れて…いや、冗談だろう、多分。そんな言葉に少しばかり混乱の色を浮かべつつ、私は辺りを何となく探索。そしてそこで見つけた手頃な感じのコンクリート片から適当に汚れを払い、今日一日の疲れと共にべったりと座り込む。


「ちょ、あんたねぇ!ここに座りたくても座れない人がいるってのに、なーんてあんただけぇ!」


そしてそんな私に対し、彼女はそりゃあお怒りのようで。そうか、あんなダイナミックな尻もちを突いてしまった以上…確かに、普通に地面に座るのはキツそうだ。なるほど、可哀想に…

まぁ、私が座るのを止める理由には全く持ってなり得ないが。


「いいじゃん、別に。だって疲れたし。」


「ぐぬぬぬぅ…」


そんな堂々たる態度を崩さない私に、彼女は唇を噛んで低く唸る。そしてそのまま数秒後、彼女もそんなに往生際の悪い性格では無いようで、


「…はぁ、しゃあないか。

よっこい…ってて!!」


その結構痛んでいるであろう腰を大胆にも地面に付けて…それはそれは痛そうに、しかしどこか誇らしげな表情で地面に胡座をかいて見せた。…ナイス、根性。

…でもまぁ、そこまでして体を休めたいと思う気持ちは、私にも非常によく分かる。だってあんな経験をすれば…体より、主に心の方が疲労困憊になる。むしろこれまでよく駄々の一つも言わずに耐えてきたなぁ、と自分で自分に関心しているくらいだ。そして勿論、彼女にも。


「ててっ…と。

あーー、極楽極楽。」


そんな彼女は今、腰の痛みを乗り越えてようやくその体を地面に預けるに至っていた。仰向けでコンクリートの地面に寝っ転がり、おっさん臭いセリフを一言。普通なら異常にすら見えるこの状況も…今なら酷く、納得できる光景であった。


「…そんなに、疲れてる訳?」


「そんなにもそんなによ。あんたもほら、疲れてるんだったら横になれば?」


「こっちゃ来い来い」と小声を交えながら、だらしなく上げた右手の掌だけでゆらゆらと私を眠りへと誘う彼女。…確かに、これから何が起こるかも分からないし、今の内に体を休めておいた方が…

いや、いいか。私自身、ショートスリーパーでもあるがそれと同時に「寝る」という作業が少しばかり嫌いな人間でもあるのだ。何よりこの状況…誰かが目を光らせておかなければ、いつ何が私達を襲うかも分からないのだから、見張りの一人は必要だろう。


「…いいよ、別に。お一人でどーぞ。」


「ちぇ…せーっかくいい抱き枕になると思ったんだけどなぁ…」


だから私は、そんな彼女からの誘惑に真っ当な理由を付けてことわ…って、あれ?何か今、すごーく聞いてはいけないような言葉を聞いてしまったような気がするのだが…あれ?彼女もしかしてそういう…


「…あ、一応言っておくけど冗談よ冗談。あんたみたいなの抱き締めて寝たら、腹蹴り飛ばされて大変なことになりそうだもん。もっとか弱くて、優しい子がいいでーす、私としては。」


「……あぁ、そう?」


一瞬冗談かと期待したが、その期待もその会話の後半で完全に撃沈。…マジか、そういう感じなんですか、あの人は。

ついさっきまでは、それこそ信頼に値する人物だと思っていた。人柄とかもそうだが、何より彼女は強い。こんな世界でも…何もかも無くなってしまったこの世界でも、彼女の知識や力を借りればもしかしたら…なんて淡い想像と期待を寄せていた私が…馬鹿だったのだろうか。

そんな意外な所から攻めてきた絶望を前に、私はどんよりと頭を抱えるのだった。いやまぁ、分かるよ。美人の女の子を抱き締めながら寝てみたいって願望は、私にだって多少はあるさ、多少は。でもだからって、ここまで大胆にアピールすることか、それ…


「あぁ…先行きが……

せめて誰か、この状況なんとかしてぇ…」



「ならその役目、私にお任せを!」


ため息と共に空へと舞って、そのまま叶うことなく風の中へと掻き消えてしまう…そんな儚く消えるはずだったその言葉に呼応する、その謎の声。思わず椅子代わりにしていたコンクリート片から飛び跳ね、注意深く辺りを見渡す。


おいおい、今度は何だ…?

方向は不明、何せ一定方向からというより…この駐車場のフロア全体から聞こえてきたような気がして、ますます心を支配する焦りの気持ちが増えてゆく。そしてそんな気持ちを悟ってか、それまで地面を寝転んでいた彼女も索敵に参加。さながら体操選手の如く地面から飛び起き、私と同じくピリピリとした感情を顔に出したまま右手を前に構えて戦闘体制。次から次へと…ホント、今日は一体どうなってるんだ?いい加減、休ませてくれたって…


「あああ!そーんなに身構えないで下さい!一応味方ですよ、みーかーた!」


そんな神経を尖らせていた私達の前に放たれる、そのどこか可愛げのある女の子の声。そしてその声とほぼ同時、目の前を突如真っ白な光…あの、私がさっきまで閉じ込められていたものと同じ光が現れて、あっという間に視界を覆い尽くし…


「…もぉ…一体何なんですか、あなた達は。」


次に世界が戻ってきた時、その光が未だに残り…その薄っすらとした光の柱の中、ふわふわと宙に浮く一人の少女。しかしその風貌は…彼女が置かれているその現状も相まって、明らかに普通では無かった。

巫女服と浴衣をごっちゃにしたような、白を基調とした独特な服。左の手には何やら文字の書かれた御札らしきものを持っていて…ようやくその足が地面に付くと、カツリと鳴り響く耳障りのいい音。それはどこかで聞いたことのある…あぁ、下駄の音だ。確か昔、親に連れられて行ったお祭りで着物と一緒に履かされたっけ。…痛かった思い出しか無いけど。


で、そんな独特な格好をしたその少女だったが…その中に一つ、私にとっては見慣れたパーツがあって。しかしそれは本来、人間にはまず備わっていないはずのもの。そんなものを何故私が見慣れているのかと言ったらそれは…きっと、現代のオタク文化の賜物なのだろう。

でも、私にとってその感情はその一つだけの意味では無かった。…どこかで見たと思ったら…なるほど、これで味方でないと言われたら、確かに私としては結構なショックだ。


そうだ、何せその子は…


「私が折角…

せっせと命の恩返しをしてあげたというのに…これじゃ、どうにも報われませんよぉ…むぅ。」


その、微かに流れる風にクリーム色の髪と…完全無欠、我々の業界で言う「猫耳」を揺らすその少女は…私がついさっき助けたばかりの、あの血の海で置き去りにされていた少女その人だったのだから。


あぁ…ホント、予想以上だよ。ありがとう、ありがとうね……時雨。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


その時私は、一つの音を聞いた。


「ひゃん!?」


それまで完全な静寂に包まれていたその空間に響き渡る、聞いたことの無い、それはそれは聞きなれない不思議な音。その音の大きさと不気味さに思わず、私はその場から…それまで座っていた灰色の地面と壁から飛び退き、必死に首を回して周囲を警戒。


「なん…なんですか?この音、一体どこから…


…あ。」


その聞きなれない音に不安を煽られながらも、しかし意外にも早くその音の大元らしきものを発見。

四角い…光?いや違う、あれは光を放つ物体なんだ。見た所板状の、長方形をした…当然、見たことも聞いたことも無いような、まさに摩訶不思議な存在。でも、それを放置したままにはしておけない、という恐怖と興味によって自分の心が下した判断に基づき、とりあえずその物体に触るだけ触ってみることに。


ゆっくり、恐る恐る足を進める。

うぅ、怖い…初めて体験することって、何でこんなにも怖いんでしょう?…変化を拒んでいるから?それとも「知らない」という概念そのものを、本能が危ないものだと拒絶しているから?


「…何なんですか、ホント…

気が付いたら記憶が無かったり、ただでさえそれであたふたしてる所にこんな…」


…いや、そんなことをいくら考えた所で、怖いものは怖いままだ。文句ばかりも言っていられないし、それに…自分で決めたことなんだから。やらなくてどうするというんだ、私。

自分の意思は、絶対に貫く!例え色々なことに直面して、色々な心境の変化があって、それで自分自身の考えが変わってしまったとしても…私は、今この時に成したいと思ったことを、全力で成し遂げたい。…何でかは分からないけれど、それが今、私の記憶の中に…心の中に微かに残っていた、本当の私なのだから。それに従わずして、一体何に従うというのか!


「でも…もう、ここまで来たんです!

触ってやりますよ、こんなもん!えーい!!」


そんな腑抜けた叫びと共に、ようやくその板状の物体に触れることに成功。しかしその瞬間に感じた謎の振動によって、私の体は思いもよらない形でつんのめることになる。


「うわぁ!?なん…なんですか、これ!」


謎の、細かい振動…だがそんなもの、分かってしまえばもう怖く無い。何だか思わず手を離してしまったが…ただ振動しているだけじゃあないか。そんなものに一体どうして恐怖する必要があるんだ。


「もぉ…こうなったら、とぉー!」


…だから、触るんだ、私っ!

再び放たれたその間の抜けた叫びと共に、私はその物体に触れ、そして…


「…お、やっと繋がった。」


その、どこからとも無く現れたその声に三度後方へと吹っ飛ばされるのであった。



「ちょ…いきなり何してんのー?」


「く、くせものー!隠れてないで姿を表わせー!このー!」


何だ、何だ、今度は何だ!?

突然響いた、誰かの声。それは未だ私に向かって話しかけ続け、その度に私の中を猛烈な焦りが走る。思わず背中に背負っていた得物をブンブンと振り回し、そのまま辺りの壁を破壊する…直前で、何とか心を鎮めることに成功する。


「いや、隠れるも何も、ねぇ…」


…待て、冷静になるんだ、私。

まずだ、この声は一体どこから聞こえてきている?どこからとも無く…なんて曖昧な表現では無くて、もっと正確な位置を…と、頭の上でぴくぴくと揺れる耳に手を当てて、必死の捜索活動を…


「……あ。」


始める前に、ようやく気付く。その声が一体どこからしているのか…それは現状、普通なら真っ先に怪しむべきだったあの物体…それが放つ、光の向こう側だ。

そんなことに遅まきながらに気付いた私は、さっき思わず投げ捨ててしまった例の物体を再び手元に戻し、改めてその光の中をまじまじと見つめる。そしてその先にあったものこそ…なるほど、どうやらこの現象の元凶らしき存在だった。


「あ、やーっと気付いた?

おはよう、お寝坊さんの猫耳ちゃん?」



「…あ、あなた誰ですか!?っていうか、一体これどうなって…」


ひ、人が…喋ってます!このよく分かんない物体の、不可思議な光の中で!

そう、その中に映っていたのは一人の人。それも私より少し年上くらいの女の人で、その肩まで伸ばした茶髪を後ろで結ったその姿は…正直、中々の美人さんでした。


「あー、まぁ細かいことは私にも説明できないんだけど…要はまぁ、これを使えば遠くの人とこうして会話ができる。それで、今は十分なんじゃないの?」


「ほえ?あぁ、それはまぁ…

…そう、なのかなぁ?」


改めてそう言われると…確かに、今の私には分からないことが多過ぎる。そしてそれと同じ数だけ、聞きたいことも山程あるのだ。そんなものを一つ一つ潰していくのは確かに効率が悪いし…彼女の言うことも、一理ある。

心の中でそんな納得を得た後、私はとりあえず彼女の言葉に従うことに決定。性格はどうか知らないけれど…こういうタイプの美人さんには、あんまり悪い人はいない気がする。…失われた過去の記憶が、そう告げている…ような?


「…そう、ですね。

分かりました。じゃあまず、あなたの目的を聞いても…いいでしょうか?」


「んー、目的、ねぇ…」


そんな人に疑ってかかるのも少し気が引けるが、でも仕方無い。だってこの肝心な部分が分からなければ、彼女がどうして今こうして私と話しているのか、その理由が分からないままだ。きっと何か理由があるんだ、それも多分…この訳の分からない世界と、無くなってしまった私の記憶とも、関係あるかも。

しかしそんな核心を突くはずだったその言葉に対する答えは、結構曖昧な感じで。


「まぁ…そぉねぇ…

…頼まれたから、かな?」


頼まれた…つまりこの会話は、彼女自身の意図で行われているものじゃ無い、ということか?なるほど、それならこの曖昧な答え方にも納得がいく。自分が伝えたいと思っていないことを伝えるのに積極性が湧かないのは、誰にとっても当たり前のことだ、多分。これで彼女のボーッとした感じの顔にも、なんとなくは説明がつく。

そんな彼女にあまり迷惑をかけるのも何だし…できるだけ、手短に済ませよう。うん、そうしよう。


「誰に、何をですか?」


ということで、できるだけ無駄なことは聞かずに根本的な部分だけを尋ねる。彼女にこうして会話しろと頼んだ人物には、一体どんな意図があったのか…その人なら或いは、この状況についてもっと詳しく…!

と、胸を弾ませていたのだが。


「まぁ、私の友達ってとこかな?」


「じゃあ、その友達さんは…」


「一応付け加えておくけど、あの子はなーんにも知らないよ。何せ向こうも突然その世界とやらに引っ張り出されちゃったらしくて、散々困ってたもの。

…今のあなたと、殆ど同じ理由で、ね?」


はうぅ…そんな現実的なこと、付け加えなくていいですよぉ…

しかしなるほど、彼女にこの依頼をしたその人も、どうやらこちらの世界にいるらしい。そして私と同じく、こうして絶賛四苦八苦している所らしい。何だかそう考えると…一人じゃ無いんだって思えるだけで、妙に安心感が湧いてきた。今までちょっと強がってきたけど…一人じゃ無いって、大切なことなんですね。うん、いい勉強になった!


「なるほど!じゃあその友達さんは今どこに…」


なら早速、合流せねば!その友達さんとやらも、一人では私と同じく辛い目に遭ってしまうかもしれない。いくら強い人間だからって、孤独というのはプラスの感情にはできない。それじゃあ強いんじゃ無くて…ただ、自分を騙しているだけだ。だからこそ、いち早くその人と合流して、一緒に頑張る計画を…


「あぁ、それなんだけど…ね?」


と、そんなライトな思考はまたしても、光の向こうの彼女が放った気不味そうな言葉によって妨げられる。…全く、どうしてこの世界というのは、こうも上手くいかないものなのでしょうか?

いやいや、まだ分からないぞ、私。とりあえず、彼女が思い悩んでいるその内容についてしっかり聞いておかねば…


「…何でしょうか?

わ、私でよろしければ…何だって、しますよ!」


必死に胸を張り上げて、心に潜む恐怖や不安を押し殺す。そして代わりに押し出すのは…自信と、勇気。大丈夫、だって私は…何者だったのかはよく覚えていないけれど、それでも多分凄い人だったんだから、多分!運動神経には自信あるし、それなりに戦うことだってできる!いくら記憶が無くたって、この体に染み付いたものは絶対に取れませんよ!

だってそれが…昔の私から託された、たった一つの希望なのですから!


「…そう、か……

優しいんだね、君。」


優しい…か。私にもまだ、そう呼ばれていい資格が残ってたのか…

って、何考えてるんだ私?はっ!もしかして今のって私の記憶!?記憶の断片ってやつなのでしょうか!?だとしたらこれは、一体どういう意味なんでしょう…

…少しだけ、怖いです。


「はい、当然です!

…あと、名前。私、ユウって言うんです。覚えておいて…下さいね?」


そんな恐怖を吹き飛ばして、初めて名乗るその名前。それは自分の記憶の中に…もはや情景の一つも残っていない、そんなモノクロな頭の中にたった一つ鮮やかに輝いていた…私にとっての、宝物。そんなものを初めて他人に教えるのって…何だか、少しドキドキしますよね。


「ユウちゃん…か、いい名前だね。」


「はい!何たって、私の宝物ですから!」


「…そっか。

じゃあユウちゃん、一つだけお願い。」


ようやく名前を呼んでくれた、光の向こうで儚く微笑む美人さん。その瞳が一瞬、あんまり美しく揺れたものだから…私の心には、もうドキドキが止まらなくなっていた。はわわ…絶世の美人さんって、やっぱりいるものなんですねぇ…


「はい!何でしょうか!!」


そんな美人さんのお願いを無下にするなど、私自信が断じて許さない!さぁ、言って下さい。まだ名前も知らないあなただけれど、それでも私はあなたの為になら何だって…


「その……

私の友達を…紅炎を、ちょっとばかし引っ張り出してきてくれない…かな?」


だからそんなお願いも、私にとっては容易いことだったのです。そう、心が決めてしまったのです。

その後、一体どんなことが起きてしまうのかは…まだ、知らないままに。

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