心を持った殲滅者と心を捨てた悪魔と…
一瞬。それはまさに一瞬のことだった。
「…………」
さっきと同じだ。気付いた時には既に遅い。何せそれは、いかにあんな可愛げのある見た目をしていた所でこれまでの奴らと同じ…いやそれ以上の、とっくに人智の枠を超えた超級の化け物なのだから。
私達二人が立っていた位置の丁度中心…その僅か数mの幅の中を、それこそ服を掠めそうになるほどギリギリでそれは放たれた。そしてそれが生んだ結果が…これだ。
少し後方に目を向ければ、その圧倒的さは明らか。それまで崩れかけとはいえ頑丈なビルの壁が建っていたはずのその場所には美しいほどに綺麗な円形の風穴が開き、そしてその先には…少なくとも私の視力で見える限りは、ここと全く同じ被害が果てしなく続いていた。その証拠としては何だか、未だ後方から響く地鳴りと地響きがその時の不安定な私の心を轟々と揺さぶっていた。
ビーム…と言っていいのか?原理はよく分からないけれど、少なくともこれはよくバトル物のアニメで見るようなああいう生易しいものとは、明らかに次元が違う。これはもう、私達の認識を…私達の世界の認識を超えた、まさしく神の一撃だ。そしてこんなものが実現できている時点で、彼女がいたであろう世界とこちらの世界で歴然とした技術力の差があるのがようやく明確になった。
「…少し、やり過ぎましたかね?」
そんな神にすら匹敵する一撃の痕を前にして、見た目相応の可愛らしさをもって小首を傾げる少女。顔に覆面がかかっている時点で詳しく表情は測れないが…この時の彼女はきっと、あの黒いマスクの下にさぞ嬉しそうな顔を浮かべていたのであろう。…結局、心なんてものを持って生まれ持った時点で奴も人と同じなのだ。
「ま…ぁ、少なくともこの世界の住人からしたら…やり過ぎかな?」
そしてこんな状況で減らず口が叩ける私も、よく考えれば大層なものだ。それも単に恐怖でおかしくなったからとかでは無く、あくまでも本心からの言葉で。
その光の衝撃から見事に尻もちを突いてしまっていた私の行動は、しかしこの状況とは裏腹だった。相手に対する恐れの感情を一切表に出さず、「よっこいしょ」なんて爺臭い掛け声と共に、その辛うじて血の雨を受けていなかった灰色の瓦礫塗れの地面から立ち上がる。そして貰い受けた迷彩柄の上着から軽く汚れを払い、そこまで来てようやく私の瞳は目の前の敵を…その少女を捉えた。
「…随分……余裕そうですね?お隣の方とは違って。」
「そう?
まぁ、そりゃそうなんだろうけど…」
その彼女の表情は…まさしく予想通り。まぁ、こういう所が昔から私の悪い所でもあり、この平和だった世界においてどうしても身につけられなかった一つの常識でもある。
彼女の言葉に感化され、思わず私はその首を横に向ける…と、そこにいたのはこれまた予想通りと言える表情をした女が一人。流石にそこそこ肝は座っているらしく、そこまでの動揺はしていないが…それにしたって随分と真っ青な顔をしているものだ。あんなものを見せられれば当然なのかもしれないが、奴がそもそもまともに相手できる存在じゃないことくらい、最初の一撃で既に分かっていただろうに。
「しかし、まぁ…
本当に何がしたいのやら。」
思わず口に出てしまった、そんな言葉。しかしそれは、私が会話の主導権を握るにおいて偶然にも大事な一歩となった。
「…何が、とは?
ここに来た目的なら、先程申し上げたはずですけれど…もしやお忘れで?」
…なるほど、実力差は明確。下手を打てば一瞬で命諸共消し飛ばされるということも既に理解している。でもその上で尚…事心理状態において相手より優位に立っている時点で、もう主導権は握られたも同然だ。別段、握るつもりも無かったものだが、貰えるのなら遠慮無く貰っておくとしよう。
そしてこの大胆にも見える行為には、実際それを裏付けるもう一つの条件があった。基、今それを見つけた。
「そりゃ、目的は果たしてはいるだろうさ。…あの動く武器庫を綺麗に消し飛ばしてくれてる時点で、それはもう分かりきってることなの。」
その思い付きの保険に命を乗っける形で大胆にも賛同する私。そんな私がそう言って指差すのは…後方にある、あの円形の穴の先。先程の派手なビームによってその射線上に存在していたであろう全てが消し飛ばされ、その穴の中の空間には何一つ残されてはいない。…その後に崩れ落ちてきた、いくつかの瓦礫を除いては、だが。よくよく考えれば、ここだってあの瓦礫の海に変わっていてもおかしくない状況だと言うのに…呑気なものだな、私は。
しかし、ここで重要なのはそんなことでは無くて…彼女が「そこに」ビームを撃ったその訳だ。単なる脅しという説も無くは無いだろうけれど、私には彼女がこのビームを撃った本当の意味がおおよそ掴めていた。そう、彼女がわざわざ私達を避けて撃ったそのビームの方向から。
「なるほど、そこまで理解していましたか。
ならまぁ…あの不思議な形をした箱のような物、あれも私の破壊対象として間違いは無かったようですね、安心しました。」
そう、彼女がさっき言っていたこの行動の理由…それは彼女が受けた「銃の破壊」という何やら曖昧な命令によるもの。そしてならば、私達より先に消すべき存在が私達の後方…そのビルの影に停まっていたではないか。そしてその存在に見事気付いた彼女は、その無慈悲なビームを使って私達の持ち合わせていた武力のほぼ全てが積まれた装甲車を綺麗に破壊…と。しかし一体、あの一台だけでいくらしたのやら。隣で未だ尻もち突いている彼女にとっては…正直、私以上の損害になりそうだ。
と、
「…っんたねぇ……」
どうやら、当の被害者さんがようやくお目覚めのようだ。これだけ復帰が早いとは…流石、自衛官といった所なのだろうか。とはいえここまで来ると、単にその一言だけでは証明できない部分が少しばかり出てくるけれど。
「あれでいくらすると思ってんのよ!?てか、私がこの後どんだけ苦労する羽目になるか…あんた、弁償しなさいよ弁償!!」
「おや、それは申し訳ございません。あんな程度の鉄屑に価値を見出しているとは…この世界、予想よりも随分古臭い世界なのですね。」
しかし全く、復帰早々元気なものだ。私はともかく彼女までもが喰ってかかるか。…危うく命を狙われかけたこと、よもや忘れた訳でも無かろうに。それも二回も。
そしてもう一つ不思議なのが…その元気な彼女に対する少女。その少女がどうしたって笑顔で会話しているような気がして、私は何とも不気味な気分になる。相変わらずのマスクのせいでよく分からないけれど…その中には多分、薄くない笑みが浮かんでいることだろう。この耳障りのいい声からして、それが紛れもない本心であると分かってしまうと…尚のこと、この状況の歪さを痛感する。
「ホント、何がしたいんだか…」
「…一応、聞こえているのですが?
あなた、さっきから一体何を訳の分からないことを…」
本当に、歪なことだ。
あれだけの力、強さ。そしてそれが破壊に特価していること…そして、人を殺すことにだって十分対応しているのも明らか。つまり彼女は…あのナリで、あの性格で、列記とした一つの殺人マシンとして出来上がってしまっているということになる。だから、歪なのだ。
「あぁ、ごめんごめん。別にあなたに言ってる訳じゃないんたけど…」
「…では、一体誰に?」
…正直、この先はあまり言いたくは無いのだけれど…
でも、もしも私の予想が…勘が正しいのであれば恐らく危ない目に遭うことは無い。でも、だからと言ってそれでこの状況が良くなるとは…とても思えない。
けれど、ここまで来て黙っていられる程私だってお人好しでは無い。一応、これでもこれまでの人生、言いたいことはキチッと言ってきたつもりだ。それで状況が悪くなったり嫌われたりすることはあっても…そうしなければ、どうにもスッキリしないのだ。言いたいことも言えずにいるなんて、どうにも虫が悪いではないか。そしてそんなことを、私は断じて許さない。そういう人間なのだ、私は。
だから、言う。
そういえば、さっき他人に迷惑かけるなーとか説教喰らったばかりだけれど…その教えを早速破る私を、どうか許してほしい。それで叱られるだけで済むのなら、後でいくらでも時間を差し出そう。何せ私は…そんな他人の説教程度で、曲がれるような柔い人間では無いのだから。だから…
「…あんたの、馬鹿な創造主様に、だよ。」
ここで目の前の少女の瞳が揺れた所で…それがどんな結果を招いた所で、私はただ言いたいことを、やりたいことをするだけだ。
「ちなみに、今のあんたに命令下してる奴…それも同義ね。」
…一応と用意しておいた、それも海に浮かぶ一枚の薄氷のような薄っすらとした保険の上に、堂々と胡座をかきながら。
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…彼女は、一体何を考えているんだ?
「…あなた、正気ですか?」
「生憎、言いたいことはキチッと言っておきたいタチなんでね。」
今のこの状況…向こうが第一に考えるべきは自身の身の安全のはず。それを投げてまでそんなくだらないタチなんかをここで通す必要がどうしてある?もしや、これも何かの作戦なのか…
いや、そんなことは私の考えるべきことでは無い。…少なくとも、今は。
「私とて、できれば貴方方人間に手を出したい訳では無いのですが?ましてや殺すなんて…私としては、是非とも避けておきたい最悪の事態なのですよ。」
「ん、だろうね。」
…何なんだ、彼女は?
自分が殺されないという保証でもあるのか?ついさっき自分の真横を通過していったあの光に一体どれたけの破壊力があったか…いかな馬鹿とは言っても、分からない訳があるまい。少なくとも、それがたったの一瞬で自身の体をただの塵へと還すことができてしまう威力なのだということくらい、理解していてほしいものだが。…でなければ、私の行動の意味が無くなってしまう。
「…そして私は言いましたよね?私が今、一番に許せないことを。」
「そうだね、確か…」
「自分のマスターが貶されるのが我慢ならないー、だったっけ?」
ここでさらに増加する、理解のできない人種達。見れば、さっきまでぶつくさと喚いていたはずの緑の服の女がいつの間にか会話に参加。まるでリハーサルでもしていたかのような見事なタイミングでの割り込みによって、さらに私の混迷は加速してゆく。
…もしや、これが俗に言う「自殺願望者」という奴なのか?となるとそれは結構希少な存在だと思うのだが…にしては、当のその彼女と全く同じ顔をした女が一人、彼女の隣に立っている。…しかし、よく考えればさっきからあの二人、どうやってあれ程の高度な意思疎通を図っているのだろうか?まさかエスパー…なんて言わないだろうな?科学的な技術が発展していない代わりに、或いはそういう古典的な超能力に秀でているのだろうか、この世界は…
「…んとうに……」
分からないことは、秒刻みで増えてゆく。そしてその度、私の心は迷い、苦しみ…しかし何としても理解しようと、その意味の無い思考を加速させる。しかしそれが意味の無い行動だと気付いたのは…気付けたのは、まさにたった今この瞬間であった。
そうだ、理解しようなんてこと自体初めから不可能なことだったんだ。いかに私が人に酷似した心という器官を持っているとは言え、しかし私は人では無い。加えてここは私の理解が及ばない異世界…そんな世界でこれまで平和に生きてきた連中の考えなんて、理解できるはずが無いのだ。…初めから、そうだったのだ。
「貴方方は、理解できない存在です。」
「…そりゃ、そっちが理解を放棄したからじゃ無くて?」
核心を突く、その一言。本当に彼女達は…この世界は、私をいつまで馬鹿にすれば気が済むのだ?私の力を…創造主によって与えられた神にすら届くと謳われる力を持つ、この私に対して。
…なら、そんな無礼な奴らに見せてやろうではないか。
「…いえ、違いますね。」
再び、視界に映るあの四角い枠。それは私が敵と認識した存在に対してのみ起こる現象…そう、既に彼女達は私にとっての「標的」になったのだ。
こうなってしまえば、もう最後。ゆっくりとその手を自身の腰にしまわれた槍の柄にかけ、そしてゆっくりと、瞳を閉じる。
…あれを使うのは、もはや勿体無い。
いかに私が無限機関に近い存在によって動いているとはいえ、それにもやはり限界はある。そしてあの光は…そのエネルギーをかなり大きく消耗してしまう。だから勿体無いのだ、あんな奴ら…私が理解するに値しない、この世界の人間には。
閉じていた瞳を開き、世界に再び光が戻る…と、そこあったのはさっきまでとは違う世界。正確には同じなのだが…そのあまりの時の流れの遅さから、まるで世界の時が止まってしまったようにすら見える。…ただ、私一人を除いては。
腰にかけていた手を前に振り上げると、それに伴って現れる一対の槍。両方の腰にそれぞれ一本ずつ備わったその武器は、戦闘用に作られた私にとって必要不可欠な存在だ。
元来、遠距離攻撃に対する防御手段に富んでいた私の世界に必要とされたのは、とにかく圧倒的な「貫通力」であった。いかに優秀な防御手段であれ、限界はある。そしてそれらあらゆる限界を超えて、その全てを貫き切り裂く。そのために作られたのがこの槍であり…それを運用するために各所に改造を施された存在、それこそが私なのだ。
「…貴方方が私にとって理解に値する存在では無かった…
ただ、それだけのことですよ。貴方方がここで死ぬ理由は。」
聞こえないであろう声でそう吐き捨て、直後私の槍は無慈悲にも起動を開始した。先端に取り付けられたスラスターから青い炎が噴き出し、それと同時に掌から伝わって来るあの感触。人間のような細かい触感は備わっていないけれど…それでもその震えを感じる瞬間、私の心にも震えが走った。
私は…今から、人を殺すのか。願いをもって、優しさをもって作られたはずのこの私が、それと同時に備え付けられてしまったこの力のせいで…人を、殺めるのか。
…一体、マスターに何と言って謝ろうか。それともこんな出来損ない、もう必要無いと捨てられてしまうのだろうか。…それはそれで、私としては本望ではあるのだけれど。
そんな悔いを残したまま、しかし私の体は既に行動を開始していた。その槍の起動を始点として、次々に私の各所からあの青い炎が噴き出し、私に速さと力をくれる。そしてその圧倒的とも言える力をただ一点…その槍から現れた一つの眩い光の刃に込め、私の体はあっという間に標的との距離を詰め…そして、
「…めて……」
その槍が届く、その直前。
何か、声が聞こえたような気がしてその声に意識を奪われる。それが知らない赤の他人の声だったのなら…私の槍だって、もしかしたら…
「…もう、やめてぇぇーー!!」
止まらなかった、かもしれないというのに。その、ぼんやりと輝く青白い光を前にしても、もしかしたら。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「………」
まただ。
また、戻ってしまった。あの静寂が、あの孤独が…もう、もしかしたら縁の無い存在になれるかもしれないと一度は思ってしまっていた、あの懐かしい感覚が。
…どうして、私はあんなことを言ってしまったのだろうか。
確かに、あの時の私はどうかしていた。あの音に…もう遭うことの無いと思っていた恐怖に再び直面したことで、私の中の何かが壊れて…その後のことは、正直よく覚えていない。ただ辺りに散らばる銀色の髪と真っ赤な血の痕が、そして私の体中を走るこの痛みが、当時の私がいかに悍ましい状態であったかを悲しげに物語っていた。
だからこそ、たった一つ覚えているあの瞬間を、私は許せずにいた。あの時の、あの言葉を。
「…どうして、なの…?」
それは一体、誰に向けた言葉なのだろう。それは一体…何に向けた言葉なのだろう。
分からない。口にした当人の自分でさえ、その意味はよく分からないまま。けれどそれが、何かを悔やむ言葉であることは…きっと確かだ。そんな後悔の念に取り憑かれながら、私はただ一人その慣れ親しんだベッドの中へと潜り込む。
「壊して」…か。随分と大雑把で、狂気的なことを言ったものだ。こんな命令を受けた彼女は、きっと今頃後悔していることだろう。…私なんてどうしようも無い存在が、自身のマスターに選ばれてしまったことを。
そんな彼女のことを想うと…どうにも、胸が苦しくなる。彼女が元々暮らすはずだった世界から離れ、きっと彼女自身も会いたかったであろう元のマスターとも死別してしまって、そしてそんな悲しみの先に辿り着いた存在が…こんな私という出来損ないの人間と、この出来損ないの世界だというのか。だとしたらそれは…一体、彼女にとってどれだけ辛いことなのだろう。
「どうして…あなたは…」
だとしたら、あの時も…そんな悲しみに駆られていたから。私には理解できない程の孤独と、それでも使命を全うしようとする信念を貫こうとする覚悟があったから。だから彼女は、あんなことを…
…でも……
私には、違って感じたのだ。こんな私が意見していいことなのか、本当は分からないけれど、でも…違ったんだ。あれは、そんな悲しい感情から生まれたものじゃ無い。でなければ私が…今後一切、人の温もりなんて尊いものを与えられるはずの無かった私に、あんな…
「……あなた…は…」
震える手を空へと伸ばし、何も無いその虚空を必死に掴もうと空をなぞる。もう、その先に何も無いのは分かっていたけれど。涙でぐちゃぐちゃになったその視界の先に、ただ冷たい天井しか映らないその先に、私が掴めるものなんて…掴んでいい幸せなんて、無いのは分かっているけれど…でも……
「…ならどうして……
……私を、抱き締めてくれたの…?」
どうしてあなたは、あんなにも温かい抱擁を…忘れかけていた人の温もりを、私なんかに与えてくれたの?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
…予想、通り。
「…っ……!!」
全く、世の中というのは皮肉なものだ。
この行為に…この喉元を掻っ切られる直前で見事に止まって見せたこの光の刃の中に一体どんな想いと記憶があったのか…こんな非情な手でしか自分の命を守れなかった私の頭で考えるのは、きっと彼女にとって計り知れない程の侮辱なのだろう。だから私は、そんなことを考えることはしない。…いや、できない。
「…いい加減、離してくれないかな?」
「……どうして、あなたはっ!?」
下を向いたまま、ただ何も無い地面に向かってその虚しい叫びを放つ、青い髪のその少女。心では泣けようとも…どうやら、涙を流せる機能までは付いていないらしい。…本当に、皮肉なものだ。
「だってあなた…
人を殺したこと、無いでしょ?」
「………っ!!」
その言葉に、唇を噛み締めるように黙り込む彼女。やっぱり、こういう時に自分の勘というのは結構宛になるものだ。
そう、彼女は人を殺したことが無い。そしてきっと、その覚悟とてあの小さな体のどこにも備わっていないのだろう。それが心なんて無駄な荷物が生み出す、細やかな死という存在に対する恐怖。それがそんなものを抱えてしまった人間という生き物の、持つべき運命。…人に向かって引き金が引ける奴なんて、よっぽど肝が座っているか…心の壊れた馬鹿だけだ。
「一応言っておくけど、それっていいことだよ?理解できないかもしれないけど、それって凄く、恵まれたことなの。」
「………」
そして彼女は、そのどちらでも無かった。人並みの優しさと心遣いを持って生まれた、ただの一般人。それに冗談じゃ無い程のふざけた戦力積み込みやがって…もし彼女を作ったとかいう創造主様に今から会えるのなら、殴り飛ばして前歯の一本でも飛ばしてやりたいものだ。…本当に、どうして世界はこんなにも皮肉で満ちているのだろう。
「…なら、あなたは……」
ようやく、黙り込むばかりだった彼女から言葉が出て来た。ぼそりと、喉の奥から振り絞るようなその声を上げながら、ようやく私の喉元に突き付けられていた槍を下ろし、そのままの体制で顔を上げ…幾多の感情で揺れ動くその赤い瞳を、初めて私に向けた。
「人を、殺せるというのですか?」
…されるとは分かっていた質問だが、それでもやはり答えにくいものだ。こういう時は素直に真実を伝えるのが私のポリシーなのだが…如何せん、彼女以外にもう一人、それもこういった話題には結構敏感そうな職業の人間がまじまじとこちらを見ているものだから、これではどうしたって答え辛い。…これ、下手したら私の将来に関わってくるかもしれないし。
…でも、ここまで来ちゃった訳だしな。ここで口篭っていても、嘘をついても、何も始まるまい。ならいっそ、お隣の彼女には後で頑張って許しを買うとして…
「できるさ、それも多分…
この世の誰よりも躊躇い無く、ね。」
正直に事実を伝えるのが、この場において私がしたいこと…つまりは、私にとっての正解だ。
「…………
…そこまで自身満々で言われますと、何だかいっそ清々しいですね。」
「だって事実だし、隠したってしょうがないでしょ?」
しばらく、それも結構な間を経て、ようやくこの殺伐とした会話が再開される。しかし、それはきっと向こうが殺伐と感じているだけであって…私にとっては、一切の恐怖も感じることの無い、至って普通の会話だったりするのだが。
そんなありふれた感情を表現しようと、基本口数の少ない私がさらに珍しく両手を広げてジェスチャー。そのままくるりと一回転した後、その楽しげな余韻を表情に残したまま再び彼女の瞳を見つめる。
「…では、あなたは……
人を殺したことがあると、そういうことなのですか?」
「別にそこまでは言ったつもりは無いんだけど…それ、一応こっちの世界でも犯罪だからね。」
思えば、最初とは随分と立場が変わったものだ。
初めて彼女と会ったつい数分前…いやもっと前か?とにかくその頃は、立場的には彼女の方が圧倒的有利だった。それもそのはず、あんなにも圧倒的な力を見せつけられ、かつそれがいつ自分の命を刈り取ってしまうのかと考えると…私達としては、下手に出る他無かった訳なのだから。
…でも、それが今はどうだ?
「…では、もう一つ。
あなたは初めから…私が貴方方を殺せないと初めから分かっていて…」
「そりゃまあ、ね。
だってこんな優しげな人が突然人殺しなんて、普通ならありえないよ。ドラマとかだとよくある話ではあるけれど…人を殺せる人ってのは、そう何人もいちゃいけないからね。
…とはいえそれも、きちんと人間としての心が備わってるなら、っていう前提付きの話な訳だけど。」
これではまるで、私の方が悪役みたいじゃないか。それも随分とおしゃべりな、分類するなら道化タイプか。少年マンガとかに出てくる、いっつもヘラヘラ笑っていてそれでいてきちんと筋が通っている、あの一番嫌らしい感じの悪役感。それが完全に模倣できてしまっている今の私は…優しい心を持つ彼女にとって、さぞ毒々しい存在に見えているのだろう。
しかし、悪役ねぇ…まぁ、ああいう風な主人公に敵視されるのなら、それもまた一興か。私、経歴的には結構適任だろうし。
「…では。」
そんな悪役Aを前に、彼女が三つ目の質問を提示しようとその震える唇を開く。この距離できちんと唇の動きが分かるようになっているとは…本当、よくできたマスクである。もしかしたらあの中って、ちゃんとした顔が備わっているのだろうか。だとしたら一度見てみた…
いや、それは私が望むべきことじゃ無いか。だってあんなに悲しそうな顔、私にはとても…罪悪感に押しつぶされそうで、とても直視できたものでは無い。
「もう一つ、質問です。」
「はいはい、何でもどうぞー。
こんな可愛い娘の頼みなんだ、答えられる範疇なら、何でも答えてあげましょう。」
思わず伏せそうになる瞼を必死に見開き、感情を押し殺してその道化モードを維持。堂々と無い胸を張り上げ、その申し訳程度に被せられた迷彩柄のコートの袖をひらひらと風が揺らす。
一見すれば、その姿は結構可愛げのあるものなのだろう。個人的には結構見た目には自身あるし、周りからはよく中学生みたいだとか言われるし。そしてこの日本人にしては少しばかり風変わりな肌の色とそれを顕にする紺色のスクール水着…それが尚更、その独特な可愛らしさに花を添える。
でも、彼女にはきっとそうは見えていないのだろう。
あの悲しく、そして尚美しく揺れるあの真っ赤な瞳には…きっと、私の姿は可愛く映ってなんていないはずだ。最初こそはそうだったかもしれないけれど…あの刃が止められたその瞬間から、彼女にとっての私という存在はがらりと変わってしまった。そしてその変わった果ての私こそが…きっと彼女にとって、正しい私なのだ。
「…あなたは……!」
「はいは…い?」
だから私も、その彼女からの認識の通りの私を貫こうと必死に頑張っていたのだが…それを阻害したのは、まさかの彼女自身であった。
その顔を…本来ならもう涙でぐちゃぐちゃになっていてもおかしくないその悲しい表情を震わせながら…再び私に向き直り、そしてその掌を私に向ける。そしてそこから生まれる…本日二度目の、あの青白い光。
「あなたは…あなたなら……っ!」
「……ん?」
さっきのあの顛末を見てしまった私にとっては、正直この状況は動揺するに値するものだ。いかにそれが人を殺せぬ刃の無い剣だったとしても…それには確実に、使い方を間違えれば私の体をまるごと光の彼方へと消し飛ばしてしまえる程の威力を持っているのだ。それがもし私の体に掠りでもしてみろ…いかに私といえど、即死はまず免れないぞ。
…でも……でも、私は知っている。
だからこうして、必死に取り繕ってまでその場に立ち尽くし、その笑顔を歪めないようにと心の内で四苦八苦しながら彼女への変わらない応答を続けているのだ。額を流れる冷や汗を必死に受け流し、それを悟られまいと必死に取り繕う。別にここまでして態度を変えなくてもいいとは思うが…それにさっきのような例もある訳だし、いかに機械とて暴発して私に当たったりは…多分、するまい。
隣には、その形相をくしゃくしゃに歪め、言葉では無く手振りにて必死に何かを伝えようとする女の姿。だが、それを声にしない辺り…彼女もまぁ、分かってはいるのだろう。さっきあんな会話をしたばかりだというのに、何度も心配をかけてしまって、ホントごめんなさい。
でも、この二人の間の距離からして彼女に当たることはまず無いだろう。いかに狂乱の中にあるとはいえ、相手は私達の遥か先をゆく文明の中で作られた極めて高度な機械のはず。それが間違って違う方向を誤射するなんて…多分ありえないだろう、うん。
「…私の、ことをっ……!」
だから、大丈夫。大丈夫だと信じよう。
だって、彼女はこんなにも…
「……救って……っ!!」
こんなにも、自分でない誰かを思って悲しめるような、優しい人なのだから。そんな人が他人に刃を向けて…挙句その美しい手を汚すようなことになるなんて…そんな世界なんて、もう…
…私にはもう、許すことなんてできない。
光が、視界を覆い尽くす。
あぁ、私は一体どうなるのだろうか。
ここまで散々色々なことに巻き込まれて…自分から巻き込まれに行ったこともあったような気もするけれど、それとて世界が…今日を境にこんなになってしまったこと、一重にそのせいだ。
…いや、もしかしたらこれも何かの報いなのかもしれないな。あんなにも平和な世界で、あんなにも普通で幸せな暮らしを送ってきてしまった私に対する…神様からの、罰なのだろうか。…或いは、私の足元を未だ覆い尽くして離さない、あの無数の屍達からの呪いなのだろうか。
なら、この光は裁きの光だ。
通りで、こんなにも美しい訳だ。こんなに綺麗な光が、ただ何かを壊す為だけに生まれてきたなんて…それじゃあ、あまりにも夢が無さ過ぎる。だからこれは、神様からの天誅なのだ。こんな哀れで罪深き私を裁く、正義の光なのだ。
…でも、だとしたら……
仮にも正義のヒーローを名乗っていた私に対して、随分とあんまりじゃあ無いか、神様。
だから、あの直前。
光に呑まれる寸前に、あんな言葉を聞いたのは、もしかしたら…
「…そこまで!ですよっ!!」
その神様とやらから貰った、ほんの少しばかりのお情けなのかもしれないな。