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もう一つの胎動

「…おはようございます、マスター。」


目を開いた時、そこはもう私の知っている世界では無かった。


本来ならば窮屈な壁とわちゃわちゃとした模型達に囲まれていたはずのその空間は…その広さを大きく変え、内装もシンプルに。だがそのシンプルさの中に映えるSF感がまた…特にあの灰色の金属製の壁を走る赤色のラインなんか特にそれっぽい。


だが、今話題に上げるべきはそこでは無い。そこも大事ではあるのだが、今は全く、それどころでは無いのだ。


「………?」


目の前だ。ベッドから眠気混じりに起き上がった私のすぐ先に、ちょこんと正座していた一人の少女…いや、メカか?

顔立ちは確かに少女そのものなのだが、その小さく整った顔に覆面のようなマスクを目の下まで被り…いや、これは質感的にパーツの一部なのか?それにそこから繋がった首元のメカニカルなスリットと後頭部から伸びたヘッドギアのような装備がまた…いやいやそんなのはどうでもよくて。


「…なんでしょうか?

私の顔に、何か問題でも?」


顔…もそうなのだが、問題はそこより下…体にあった。

ダークパープルに塗装された、いかにもメカっぽい体。胴体はまだ女性らしいフォルムを残してはいるが、そこから伸びる手には篭手のようなパーツが付随しており、肩にも何やら尖ったパーツが付いている。

そして腰、スカート状に装甲…?が付いており、そのスラリと伸びたシャープなスカートが正座している現状でも尚一切邪魔にならない形で見事に収まっている。サイドの部分には…武器だろうか?とにかくそんな形をした長細い棒のようなものが、先端に大掛かりなスラスターをいくつか引っ付けて鎮座していた。しかし武器に推力機か…うん、これはこれで中々…いいな。

脚…はどうやら随分とゴテゴテしているらしく、スカートに隠れた太腿はまだしも、その先…主に膝から下が凄い。実際は太腿に隠れてよく見えないが、足首の側面辺りにあるあの大きなパーツは…スラスター、とは少し違う。排熱機構のようにも見えるし、或いは…


「……あの、マスター。」


「…………。」


現在、好評吟味中。そんな私の耳には、当然というか彼女の声なんて1mmたりとも入っては来ない。

…いやだって、こんな世紀の芸術品を前にして興奮するなという方が…頭の先からつま先まで、どこをとっても全て私の好みにジャストフィット!きちんと実戦用にカスタムされていながら、女性らしさも忘れていない、ある意味では兵器にも少女にもなりきれていない存在。だがそこがいい。そんな無駄な想像の産物とも言えるそのフォルムが…フォルム、がぁ…


「…あの、いい加減にしてください、マスター!」


その瞬間、自身の旋毛に走る1つの感覚。だがそれは痛みというより、優しく触れられたというイメージが強くて。

見ると、それまで私の前で正座していたはずの機械少女がそのメカメカしい腕を伸ばし、私の頭に向かってチョップしている。…その殆ど隠された顔に、はっきりと分かる程の膨れっ面を浮かべながら。


「…って!」


「あ、あのぉ…痛かった、でしょうか?」


その行為に対して、私は大袈裟に頭を抑えて見せる。と、それまで怒りを顕にしていた顔が一変、口や頬の形まではよく分からなかったが、その顔には確かに…愛らしい後悔の色を浮かべていた。


「…別に、そんなに痛くは無かったんだけど。」


「……へ?あぁ、そうなのですか…」


ならばと真面目な顔でリアクションしてみると、今度は呆気に取られたようなポカンとした顔でこちらを見つめてくる。相変わらずマスクのようなパーツのせいで顔はよく見えないが、その中でも確かに口元の動きの変化がはっきりと見て取れた。

…しかし、本当に表情が豊かだ。ああしてわざわざ顔を隠しているにも関わらず、その上からですら感情の波がバレバレである。怒ったり、しゅんとしたり、ポカンとしたり…まるでそれは、年相応の少女の顔そのものだ。武器を持っている辺りからしても、恐らくは兵器としての運用をメインに作られた存在であるはずなのに…何故そんな感情なんてものを付けたのだろう…?もしかして、そもそも作られたという前提自体が…



…まぁ、それはそれとしてだ。


「…あの。」


「あ、はい!…何でしょう、マスター?」


小柄な体から小さく手を上げ、質問のポーズをとる。

何分、聞きたいことがそれこそ山程ある。それら1つ1つを細かく聞いていてはそれこそ日が暮れてしまいそうだが…とりあえず、今の所で一番肝心なことを聞いておこう。彼女のこれまでの対応と「マスター」という呼び方からしても、恐らく私の質問には全て答えてくれる…はずだ。なら、早速、


「…ここ、どこ?」


現状で恐らく一番大切な、その情報から聞き出すとしよう。未だ眠たいままの瞼を寝間着の袖で擦りながら、しかし彼女からは1秒たりとも目を離さないようにしながら。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


で、それからかれこれ30分程。正直あまり気乗りはしないが…こうして惨めに布団の中を転がりながらでいいのなら、質問に質問を重ねて分かったことを大雑把ではあるがまとめるとしよう。

ではまず、ここは何なのか。少なくとも私の昨日までいた自宅の一室では無いはずなのだが…或いはここって、異世界とかだったりするのだろうか?と、そんな少しばかりときめく妄想を働かせていた私に返された答えは、何やら複雑なものだった。


「…私にも、正確なことは分かりかねるのですが…恐らく、ここがあなたのこれまでいた世界であることは間違いありません。」


「…同じ?こんなSFチックな部屋が?」


「いえまぁ、世界自体は同じではあるのですが…少し複雑でして。

さらに簡単に申しますと…この部屋自体は、私のいた世界からやって来たもので恐らく間違いありません。」


私のいた…世界、か。それはつまり、私では無く彼女の方が異世界転生してきた、という訳だろうか。

しかし、彼女のいた世界とこの世界…少なくともこの世(?)には、現状2つの世界が存在していることになる。そしてこれまで培ってきたオタク的知識から察するに、この世界と彼女のいた世界が何かの影響で干渉しあって…世界がごっちゃになっている、みたいな感じだろうか。

と、それっぽいことを彼女に言ってみると、


「はい、おおよそはそれで合っています。

…流石、我がマスターの資格を持つお方。」


といった感じにべた褒めされた。…このくらい、最近のちょっと深夜アニメをかじっているオタク程度なら誰でも導き出せそうな答えなのだが、それにしては随分と褒め称えてくれる。これも彼女の言う…マスター?に対する敬いみたいなものなのだろうな。

で、結論からすると私の認識はだいたい合ってるってことでいいらしい。世界と世界が何らかの影響で干渉しあって、その影響を受けて彼女はこの部屋ごとこちらの世界に来てしまった…と。全く、これがもし異世界系ラノベの中だったなら、彼女程主人公してる存在もそうそういなそうだ。…だとしたら、私はハーレムの一員になるのか?メカっ娘にあれやこれやされて、最終的には並み居るヒロインを追い抜いて私が彼女との種族の壁を越えた愛を…悪く無い、非常に悪く無い。


だが、もしそうだったとしても問題が1つ。そしてそれは、偶然にも私が現状次に聞きたかった質問と同義のもので。


「…じゃあ次。

あなたの言うマスターって…何?」


マスター…様々なアニメや漫画を含め、その言葉自体には結構聞き覚えはある。が、その言葉を自分自身に向けられるのは勿論初めてのことだ。そして当然、何かの拍子に彼女とのマスター契約を結んじゃったー、みたいなことも恐らく無い。もしそんなことが昔にあったのだとしたら、その時にもう私の前に姿を現しているだろうし、その姿を私が忘れられるとも思えない。


「…マスター、なんていきなり言われても理解できませんよね。」


「うん、そりゃね。」


どうやら、それを承知の上でその呼び方をしていたらしい。となると、彼女にとってマスターというのはどういう存在なのだろう。…というより、突然異世界まで連れて来られて見知らぬ少女をマスター扱いしなければならない、というのは一体どんな気分なのだろうか。…少なくとも、いい気分だとは思えない。


「…マスター、というのは所謂権限です。私達を操る権限、私達を作ったその力の持ち主にだけ与えられる、私達からの絶対的な忠誠。」


「…絶対的、ねぇ。」


そこまで言わせておきながら、一体何故彼女に感情を付けた?感情なんてもの、その絶対性を唯一揺るがしかねない致命的な存在でもあるというのに。制御の壁を超えて、最後には自分の意思を通して悪い主人を倒す…なんてのは、我々オタクからすれば容易に想像のつく情景だ。

その何とも言えない矛盾に首を傾げる私を前に、しかし彼女は続ける。


「…そのマスターの権限というのが、その…」


と思いきや、そこまで言って突然彼女の口が止まった。ふと彼女の顔を見やると…そこにはまぁ、随分と申し訳なさ気な表情が浮かんでいて。

…あぁ、なるほど、そういうことか。これでこの世界…いや、今私が見ているこの状況の理解がようやく追い付いた。そしてその事実に対してそんな表情をする彼女に、少しばかりの親近感を覚える。


「…ねぇ、1つ質問。」


「あぁ、はい!何でしょう?」


…意地が悪いとは、分かっているのだが。ああやって可愛げに小首を傾げる一人の少女に向かってこんなことを聞くのは、やはりどうにも気が引けるというものなのだが。

でも、いつかは聞かなければいけない。全く、世界というのはどうしてこう…意地悪にできているのだろうか。


「…私の左目、付いてたりする?」



「……ええっと、そのぉ…」


「やっぱり、か。」


彼女の反応から察するに、私の考えは見事に大正解だったようで。つまり今の私には…左目が、付いているという訳か。

普通、人間には2つの目が付いている。右目と、左目。その2つを兼用することによって初めて、人は光によって世界を認識しその距離感をも掴むことができる。だが、その片方がもし失われてしまったら…人は一体、どうなるのだろうか。


正解から言わせてもらうと、正直あまり変わったことは無い。ただちょっとばかり距離感が掴めなくなるだけで、あとはまぁ…眼帯を付けているだけで周りからやれ中二病だ何だとほだされる程度だ。…多分。

そりゃあ、最初にその傷を負った時はとんでもなく痛かったし…それに左目を失くしたばかりのころは、心身共に色々と苦労はした。その怪我を負ったのが幼いころだったというのと、その原因がまぁ…色々と大変なことだったというのもあって、涙で眠れない夜も幾度かあった。…その涙ももう、右の頬からしか流れては来ないのだが。


でももう、今はもうその程度のことどうということは無い。むしろ吹っ切れ過ぎて、実は左目だけ眼帯してるのって、ちょっと格好いいのでは…なんて鏡の前でポーズを決めてしまうくらいには。

だから、正直もう諦めていたことだった。それにもし何かの拍子に左目が取り返せることがあったとしても、私はきっと「別に要らないかなぁ」なんて思ってしまうだろう。勿論、ただでくれるというなら考えなくも無いが。


で、そんなもはや私にとってもはやどうでもいいと思っていた存在が何故今頃になって帰って来たのか…いや、多分これは私の目では無いのだろう。…もしかしたら、この左目自体が彼女の言うマスターの権限、みたいなものなのだろうか?

と、それっぽく彼女に尋ねてみると、


「…はい。本当にマスターは、何でもお見通しなのですね。」


と、これまたべた褒めされた。別に私は、ただ何となくこんな感じかなーと思ったことを適当に口にしているだけだったのだが。それですらここまで褒められる存在…メカな美少女に褒められながら、毎日毎日過ごせる存在…なるほど、マスターってのも中々悪く無いかも。


「じゃあ何?この左目って…何かのデバイスみたいなものなの?」


「…はい。

ちょっとマスター、私のことを見ていただけますか?」


と、そう言って彼女はずいっと私の前に身を乗り出し、その真っ赤な眼…いやレンズか?で私を見つめて来た。その金属?製の体を私に押し付け、このままでは興奮でおかしくなってしまう…というこんな状況に陥って尚、彼女は冷静で。


「……!?」


「しっ!ちょっとじっとしていて下さい、マスター。」


…いやじっとしてろと言われても…ホント、これは一体どういう状況だ?正直この体制、あとちょっとでも彼女がこちらに詰め寄って来ればすぐに押し倒されてもおかしく無い距離だ。そしてそんな距離から彼女の美しく顔で見つめられて…精巧に作られた瞳の中に揺れ動く、円形のパーツが小刻みに動く度、私の心は揺さぶられてゆく。…このままでは私は…私は……!


「…私、はっ!!」


「あの、マスター。そろそろ何か…見えて来ませんか?」


「私はもうっ…って、あれ?」


機械に体を捧げる決意をしたそんな直後、私は自身の視界に起こったある変化にようやく気付く。

視界に映る、謎の図形…最初こそ不鮮明な形をしていたそれは、次々と形を作っていき、気付いた時には既に視界には1つの形…文章ができていた。


「…これ、何?」


四角い枠に囲まれた、理解不能な文字の群れ。それは私の視界の中で、目の中の彼女のすぐ横でただゆらゆらと浮かんでいた。

その不可解な存在にそっと左手を伸ばすも、それに触れることはできない。何故なら、そこにあるのはただ空っぽの空気のみ。なぞっても叩いても、そこには何も存在していないのだ。…私の視界、以外には。


「…やはり見えますか、マスター。」


戸惑い顔で空をなぞる私を横目に、ようやくその体を私の前から遠ざける彼女。未だその透き通ったレンズを私に向けながら…その顔は、何故だが少し悲しげに見えて。そしてその顔を維持したまま、彼女はぽつりと呟く。


「…つまりあなたは……

本当に、私のマスターなのですね。」


ようやく忙しなく動かしていた左手を止め、私は再び彼女に向き直る。

…どうして、あんなに悲しそうな顔をするのだろうか。もし私がそのマスターとやらに不適切な存在であるならば、もっとこう…軽蔑するような態度をとるのが普通だと思うのだが、しかし彼女の表情はそんな感情とは全く無縁。強いて言うなら、そう…誰かを軽蔑するのでは無く、誰かを想っているかのような、そんは儚い表情に私には見える。


「…私じゃ、駄目なの?」


「いえ!そんなことは…無いのです。

ただ、その…」


否定されることを分かりきって言った言葉ではあったが、それに想像以上に感情的に反論してくれた彼女に少しばかり関心する。でもその後の…彼女の中に再び帰って来た、あの悲しそうな表情がやはりどうにも気にかかる。そして、そこから先の言葉が紡げなかった訳も。

でもその訳は、思った以上に早く彼女の口から漏れてきて。


「…私のデータの中にある、マスターと…全く、別人だったものですから。」


別人…彼女の元マスター、ということか?

いや、それだと少し妙だ。彼女は何故「データ」なんて機械的な言葉を使った?ここまで感情的にできているのだ、そこはデータでは無く「記憶」と呼ぶのが正解ではないのか…それに、さっきまでのあの明るい対応だって、どうして…


「別人って…私の前に、この左目を持ってた人…ってこと?」


動揺を隠しきれないままに、しかし私は聞く。いや聞かなければならない。もしかしてこれは…私に与えられてしまった、この左目は…


「…はい。それはマスターの…

……元マスターの、亡きクルブス様の、かつての左目だったのです。」


誰かの犠牲のもとに、得てしまったかものなのかもしれないから。



「………」


この左目が、かつて誰かの所有物であった。そしてその人物が以前にマスターを名乗っており、そして同時にこの力を…彼女の、或いは彼女らのマスターとしての権限を持っていた、ということでいいのか。

でも、だとしたらどうして…どうしてこの左目は、その人物では無く私の顔にはまっている?左目なんてそんな重要な器官、何か理由がなければ外さないものだと思うのだが…それか、或いは…


「…その人、もういないの?」


「…へっ?あぁの、えっと…

……マスターは…本当に、何でもお見通しなのですね。」


死んだ、か。

肉体と魂が死んで、そこにたった1つこの目が残った。そしてそれが何らかの形でその人物のいた世界から流失し…そして、偶然にも幼い頃に左目を失っていた私に辿り着いた訳だ。

でも、どうしてその人物は死んだ?何かの事故に巻き込まれたとか、恨みを持った誰かに殺されたとか…色々と原因は考えつくが、私が今懸念しているのはただ1つ。


「…その人、どうして死んだの?」


私のせい、とまでは言わない。そして恐らく、そんなことはある訳も無い。だってその人は…きっと私よりずっと偉大で、博識で、私とは違うその世界においてとても大事な人だったのだろうから。

こんな物を、作った人だ。この目はともかく、彼女を…まるで人間同然の感情を見せる彼女を作った人物なのだ。それが偉大な人で無くして、一体何だと言うのか。


だから、そんな人の死に私なんかが関わっている訳なんて、あるはずも無い。ありえない。…私みたいな、ただ部屋の片隅で怯えるだけの、辛うじて生きる術を見出だせている程度の私には、きっとなんの関係も無い。

…でも、だからこそそこだけははっきりさせたい。一応だ、念の為だ。これはただの自己満足に過ぎない、私という一人の子供の単なるわがままだ。


…でも、そんなわがままが通る存在が彼女のいう「マスター」なのだとしたら…聞くくらいなら、きっと許されるだろう。今、もしかしたらこの顛末を天から見つめているかもしれない、その元マスターさんにも。


しかし、そんな甘い考えに対する答えは意外にして酷く現実的なもので。


「…それがその……

データが破損しておりまして、その辺りの詳しいことは…」


「……データの、破損?」


…何ともまぁ、曖昧な意見を言ってくれるものだ。でもそれが事実であるのは、彼女のあの申し訳無さそうな顔を見るに明らかだ。

しかし、今思うと…ああも感情丸出しの顔ができてしまうと逆に心理戦なんかじゃ不利にならないか?これではますます、いかにも戦闘向けの姿をしている彼女に感情なんて枷を付けてしまったのかさっぱり分からなくなってしまう。彼女にこんなにも豊かな感情を与えた、その真意が一体どこにあるのか…その亡きクルブス様とやらに、是非とも聞いてみたいものだ。そしてそんな皮肉にさえも、きっとその天才さんは完璧な答えを返せてしまうのだろう。それが私と…私なんてどうしようも無いクズとの、圧倒的な差なのだ。


「で、さっきから気になってたから確認するけど…そのデータっていうのは、記憶とは別物…なんだよね?」


でも、そんなクズにもこうして奇跡は起きたのだ。そしてもし、この奇跡にまだ縋っていてもいいというのなら…きっちり全部聞いて、学んで、そのマスター権限とやら、完璧に使い果たしてやろうでは無いか。

だから、私は彼女に問う。そしてその問いに、彼女はきっと答えてくれる。答えられる質問なら、基本的には何でも。


「…あ、はい。その通りです。

これはあくまで、私の中にデータとして保存された、恐らくは私が作られる…起動する前の話です。」


そう言って、彼女は自分の胸を抑えてどこか遠くを見つめるように視線を揺らす。それと一緒に後ろに垂れていた長い青髪も微かに揺れて、その姿はまるで…どこか遠くの誰かを一心に想う、さながら恋愛ドラマの中のヒロインのような姿そのものだった。

そしてその圧倒的な芸術を前に…私はただ、絶句する。彼女の話にしっかり聞き入ろうとしたという事実もあるが、これははっきり言って私が見惚れていただけの話。その美しく、儚く、尊い存在を前にして、その真価を改めて理解させられたまでのこと。…一体、そのクルブス様とやらはどこまで天才だったのだろう。そして一体、何故こんなにも美しい彼女を、戦いの為なんかに作ったのだろう。


「先程も言った通り、殆どのデータは消去されておりまして、大したことは話せないのですが…


…ただ、1つだけ言えることが。

私が作られる前の…私の兄や姉に当たる存在でしょうか?それらから与えられたデータから見ると、彼が…クルブスという一人の男が、彼らに心から愛されていたことは、事実のようです。」


…愛、か。

つまり彼女は…彼女の中にあるデータは今、彼女はおろかその前身機に当たるその彼らとやらにも列記とした「心」があったと、その事実を完全に裏付けて見せた。そんなにも心に拘るとなると…もうそうなると、きっと彼にとって機械とは「心」があって当然の存在だったのかもしれない。

…もしかしたら、彼女が生まれる前のその前身機達は、或いは戦闘には対応していなかったのだろうか。ただ人間に模して作られただけの、もっと戦闘とは別の用途で作られた者達。そのデータを受け継ぎながらもその中に戦闘能力を必要とされた彼女は…結果として、こんなにも矛盾で儚い存在としてこの世に産み落とされたのかもしれない。

だが、その彼女に心を与えてくれたとも言える前身機達とやらも、もうこの世にはいないのだろう。その元マスターと一緒に、向こうの世界で…


「…じゃあ、その……

他に、そのデータの中に何か情報はある?」


そんなことを密かに想って両手を合わせつつ、私は無気力に座っていたベッドの上に再び横たわる。しかしその目は未だ彼女を見つめたまま、とりあえず質問を続行。

それに、そんなに悲嘆することも無いかもしれない。何せ、そんな大切なことを教えてくれたそのデータとやらの存在なのだ。ならもしかして、もっと私にとって有意義な情報が沢山あるのでは…

なんて、そんなに現実は甘いものでも無いらしくて。


「…それが、その……

これ以外には特に、有益と思える情報が無くて…ですね?」


「………」


マジか。

何だ、その使えないデータ…彼女がいかに生まれ、大切な存在であるか。そこまではあくまで私の妄想の産物に過ぎないが…そしてその彼女を作り上げた元マスターとやらが、いかに凄い存在だったかについては、多分紛れもない事実が記されていたはず。なのに…それだけの情報を提示しておきながら、しかしそれ以外は一切無し?なら一体、そのデータは何の為に彼女の中に残されていた…?


「…あの、マスター。その…

ご期待に添えず、申し訳ございません…」


「…別に。あなたが謝ることじゃ無い。」


そうだ。彼女がいくら謝った所で、この事実は変わらない。でもそれなら、彼女があんな顔をする必要だって、もう無いはずなのに…


分不相応ではあると、分かってはいるが…今回ばかりは少し恨むぞ、元マスターさん。そこまで素晴らしい存在を…彼女という、一人の個人を作っておきながら、持っていたはずのその彼女を助ける情報が一切無し。そして挙句、彼女にこんな顔をさせるなんて…これを空から見ているその元マスターさんが一体どういう心境なのか、理解に苦しむ。いくら私が誰の期待にも応えられないクズだからって、何も彼女に…クルブスという一人の男が、その娘にまでこんな顔をさせるのは…

……本当に、本意なのだろうか?


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


で、こうして今に至る訳だが…


「……マス…ター?」


私は今、考えている。何故彼女がこんな目に会わなければならなくなったのか。こんなどうしようも無い奴を、マスターなんて呼ばなくてはならなくなったのか。

そしてその根幹には…彼の、クルブスの死がほぼ必ず関わってくるはずだ。もしかしたらそこに、彼女をこんな歪な形で産み落としてしまった理由も、彼女に受け継がれるはずだったデータがほぼ全て破損している理由も…全ての真実が、そこにはあるかもしれない。


だから私は考える。分不相応な頭をしかしそれでも必死に回し、ああでも無いこうでも無いと思考錯誤を繰り返す。

考えろ、考えるんだ私…何ならいっそ、ここで脳が焼き切れてしまっても構わない。それで彼女が救われるなら…それでもし、私なんかの命で彼女の笑顔が生まれてくれるのなら、これ以上に無い幸福なこともあるまい。それだけ彼女の命は尊く…私の命なんて、ゴミも同然なのだ。


ベッドの上で丸まりながら、爪を噛み、掛け布団にしがみつきながら、ただ考える。

死んだ理由は間違い無く向こうの世界にあるはずだ。そしてその向こうの世界とやらについて、私は…正直、持っている情報が少な過ぎる。かと言ってこれ以上はもう彼女にも頼れないし…いや、でも諦めるな、私。いかに世界が違うと言えど、人の死因なんでいつだってくだらないものだ。そしてそれが、私の身に起こっている向こうの世界に最も近しい現象…この部屋のように、世界の衝突が原因だとしたらどうだ?それなら何かしらの条件で…それこそ、世界の歪みに巻き込まれて死んだ…みたいな…

いやいや、何を馬鹿なことを言ってるんだ私!それじゃ駄目だろ、それじゃ彼女を…彼女の納得するような、元マスターの死因にはならない。


…でも、これで終わった訳じゃ無いぞ…

まだまだ、私の頭は生きている。ならまだ考えられる。まだ…彼女という、至上の存在に報いることができる。それが私にとってどれだけ幸運で、どれだけ幸せなことか…

だから考えろ!このままただ何事も無くただ死に怯えながら過ごすのはもう終わりだ。これからは…いや、今この瞬間より、私の命は彼女のもの。彼女の為に、彼女が少しでも笑顔でいてくれる為に私は…私は……!



でも、そんなことは許容されなかった。


何故、どうして、何で私だけ…?

そんな理由をいくら並べても意味が無いのは、もう何年も前に分かっていた。それはこの世界での理であり、私程度で覆せるものでも無いのだと。残酷で、退屈で、苦痛と非情に満ちている、それがこの世界なのだ。

だから、なのだろうな。そんな世界はいつだって…この世界は、いつだって私を…


「……っマスタ…」


その乾いた死の音は、私を逃してはくれないらしい。逃げ切れていたはずの…あの、絶望の始まりからは。

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