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銃声が生んだ落とし物

…どうして。


「…平伏せ。」


どうして、こんなにも痛いのだろう。苦しいのだろう。

分からない、分からない、分からない…

ただ、感じることだけは分かる。苦痛を、自身の心を蝕んでゆく、1つの闇を。


冷たい石材に囲まれて、玉座の上に座する者。無機質な世界にただ1つ華やかさを残すその椅子の上に鎮座しながら、その冷たい、冷酷さという概念を限界まで凝縮したようなその目で、ただ「それら」を見下ろす。


「………」


それまで微動だにしなかったその存在は、しかし唐突に動き出す。手を上げ、右手の掌をゆっくりと開く。指先が外を向き、閉じられていたその中身が正体を現す…その前に、それは起こる。

突如鳴り響いた、弾けるような音。その鈍い音を合図にして、惨めにそこに座らされていたはずの存在のうち1人が無惨にも弾け飛ぶ。跡形を失くし、血と内蔵と体にしまっていたあらゆるものを撒き散らしながら、それは何も無かった灰色の床の上を鮮烈な赤で染め上げる。


その時、自身の中を再び駆け巡るあの感覚。苦痛の波と憎悪の感情に押し潰されそうになるのを、私は必死にこらえる。否、それしか今の私にできることは無かった。

ふと、残った「それら」の顔を見やる。その表情は、歪んでいた。苦痛に、怨嗟に、憎悪に。それもそうだ、それまで彼らの隣に座っていたあれは、彼らにとって無関係な者ではまず無かったはずだ。それがもし友人や家族、恋人だったのなら、或いは…


「平伏せ。」


再び放たれる、1つの命令。だが、先程とは訳が違う。

殺されたのだ、人が。それはつまり「貴様らもその気になればいつだって殺せる」という威嚇に他ならない。それもあんな一瞬で、あんな死に方…ここにいる彼ら以外の記憶には一切残らないまま、まるで潰されたトマトのようにただ跡形も無く死んでゆく。そんなことを許容できる人間など、いるはずも無い。


だからこの命令は、絶対のものであるはずだった。ただ1人…憎しみというたった1つの感情に駆られてしまった、その1人を除けば。

丁度中央辺りにいた、「それら」の内の1人。若い女と思しきそれは、それまで床にへばりつけていた体を起こし、足に纏わりついていた足枷を…突如巻き起こったその衝撃波によって、強引に砕き割る。そうして一時的に拘束を逃れた彼女は、ただ真っ直ぐに目の前…ただ無表情でその一連の事態を見送る、それの元へと走る。それも凄まじい勢いで、普通の人間ならばまず反応することすら難しい程の速さと…狂気に塗れた、その表情を伴って。


「…ぅうあぁぁぁーーー!!!」


…何故、どうして…

無謀以外の何物でも無い、その行為。自身のたった1つの命をその場の1つの感情に任せ、激情のままにその身を滅ぼしてゆく。…そんな無意味なことを、どうして…

いや、答えなんて意外と単純なものなのかもしれない。人間である以上、思考という権利を与えられた者である以上、これはもう止めようの無いことだったのかもしれない。…だってきっと、彼女が殺されたあの人と過ごしてきた時間は、この世界の何よりも、これから来るであろう未来よりももっとずっと大切なものだったのだから。


だから、その人がいない世界なんて、もう要らないと。そう言って彼女は1人その身を投げ出すのだろうか。

…私には、分からない。分かりようが無いのだ。こんな体になって、心を失くしてしまった私にはもうそれはただの無謀な行動にしか思えない。


「………」


でも、せめて。

この景色を、目に焼き付けねば。今のこの時、彼女という1人の命が尽きるその瞬間を、私は記憶の中にしまっておかねばならない。…そして絶対に、それを忘れてはならない。

罪滅ぼし…なんて綺麗事を言うつもりは無い。ただ私には、その責任があるというだけの話。その死を、見て、聞いて、感じて…そして記憶する。そしていつか、私がこの絶望の枷から解き放たれたその時…その記憶を持ったまま、私は消えてゆくのだ。人々の怨嗟に潰されて、ただ人々のされるがままに。


だから、私は忘れない。


「…平伏さぬ、なら……」


彼女の涙を、怒りに満ちた表情を、私に向けられた意思の刃の、その鋭さを。

だから、いつか…


「死して、我が糧となれ。」


この絶望が、終わりますように。

そんな願いを抱えたまま、私はただその眩い光の中へと消えていった。



そして、その光から開放されたその時。


「…あ……れ…?」


私がいたのは、何やら不思議な場所だった。

ザラザラした灰色の地面とこれまた灰色の壁に囲まれた不思議な空間。そしてその先に垣間見える外の景色もまた…空の青以外は、基本灰色一色だ。それもあちこち崩れていて、この規模の街であるなら本来あるべきはずの活気も感じない。


「…ここ…は……?」


寄り掛かっていた壁から背中を離し、ゆっくりと立ち上がる…と、ふいに足裏を走るザラついた感覚。どうやら私は、今のところは裸足らしい。一応他は問題無く綺麗に一着揃ってはいるが…

と、私が裸足だった原因は以外にもすぐ近く、私の隣にあった。少し履き難そうな歯の長い下駄。そこから伸びた綺麗な赤色の鼻緒が片方だけ見事に切れている。これではまぁ、裸足にされるのも当然か。


しかし、なんで下駄?あんなの、正直言って歩き難いだけな気がするけど…それも最近の履きやすさ重視の歯が無いタイプでは無く、昔ながらの高下駄。そんなものをわざわざ履いていたなんて、私は一体どういう趣味を…


「……あれ?」


…一体……どういう…趣味を…していた?


「…私……は…」


私は一体、なんであんな下駄を履いていた?そもそもなんでこんな和服で…それも巫女服のような浴衣のような曖昧な格好で、加えてそこかしこに血の滲んだようなシミがあるし…一体私は、ここに来るまで何をしていたんだ?

何故、なんで、どうして…じゃあ私は一体…一体……


「…一体、誰だっけ?」


そこで私は、初めて自身の記憶喪失をはっきりと自覚するのだった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「本っ当に、どうなってんのよ、これぇー!?」


派手なエンジン音の中、私はただ叫んでいた。この理不尽に対する怒りを乗せ、とにかく全身全霊で。

現在、私は基地から適当に見繕ってきた車にて公道の中を爆走中。とにかくエンジンをフルスロットルで回し、とにかく最高速で逃げる。もし少しでもスピードを落としてしまえば…正直、かなりまずいことに見舞われそうな気がしてならない。というか、そうなるに違い無い。


この先がしばらく直線になっているのを確認した後、私は一瞬だけは首を捻って後方の様子を伺う。

見えるのはただ、黒い影と機械のような物体と、その他諸々。とにかくまぁ、色々とカオスなことが起こっているのは確かだ。そしてそこから聞こえてくるのは、あの忌々しい音…というか、多分声なのだろうが。ただ、あんなにも悍ましい不協和音の数々を声というジャンルに括ってしまうのは、私としてはどうにも許せない。


「…ったくもー!一体何なのこれぇ!?今日は何?何かの仮装パーティーでもやってんの!?」


賑やかさ的には合っているだろうが、その中身は正直パーティーなんてものとは程遠い。まぁ強いて言うなら…これこそまさに「モンスターパーティー」といった感じなのだろうか。様々な異業のものが集まって、それらが皆別々の不快な音やら光やらを放ち、その結果私の後方には…今、謎のパーティータイムが始まっていた。


「でもこれ、本当にどうしろってのよぉー!?」


目の前にT字路が見えてきて、遂に直線道路が終わりを迎えてしまったことを悟る。しかし悲しんでいる暇は無い。今はとにかく、曲がるのだ。出来るだけスピードを落とさずに、かつちゃんと曲がれるようにハンドルを切る。これまでの人生において経験の全く無いコースでのハンドリングだが、挑まなければただあのパーティーに巻き込まれて死ぬのみだ。…頼む、力を貸してくれ。あの頃の…ゲーセンに通ってはレースゲームばかりやっていた、あの頃の私のドリフト知識よ。

曲がる方向を右に定め、まずは道の中央から大きく左側に車を寄せる。常に目線は目の前の曲がり角に。それはどんどん近付いて来て、そして…


「…なら、やるっきゃ無いか…なっ!」


全力でハンドルを右方向に切り、同時に全力でブレーキのペダルを踏み込む。それに反応するように車のギアが変わる音が鳴り、少し遅れて耳を劈くような甲高いブレーキの音が車内に鳴り響く。そしてその音と共に急激に車体の向きが変わり…車が、勢いに乗って流れてゆく。

このままでは、間違い無く目の前の建物へと衝突するだろう。いくら車の向きが変わったところで、今この車に働いている力の向きは変わらない。

でも、分かっている。車の向きが刻々と変わっていき、遂には建物の壁と水平に…なる直前、私は放していたアクセルのペダルを全力で踏み込み、代わりにブレーキのペダルから足を放す。ハンドルも元に戻し、そしてそのまま車が前に進んでくれるのをただ待つ。


滑って、滑って、滑って…ガードレールをギリギリのところですり抜け、道沿いの植木を派手に破壊し、壁に衝突するその直前。

車の進行方向が、変わった。それまで道沿いに真っ直ぐ進んでいたはずのその車は、今まさにその進行方向を変え、T字路の右方向へ。そしてそのままぐんぐんとスピードを伸ばして、そして…


「いやっっほぉーう!」


そんな歓喜の声と共に、再び爆走を開始するのであった。…未だ尚、後方に賑やかな団体客を連れ回したまま。



で、数分後。


「くそったれぇーー!!」


私は初めて、彼らに対して引金を引いた。とりあえず一発、目の前にいた比較的大きめな影みたいな奴の頭付近を狙って。

果たして、こんな訳の分からん連中に対して銃弾なんて効くのだろうか。しかも撃ちやすさを重視したマズルブレーキ付きの拳銃から放たれた、対人仕様の9mm弾。最低限人が殺せる威力に留め、あとは撃ち手に負荷がかからないようにギリギリまで工夫がなされたこの銃弾が、果たしてあんな異形の存在に効果的なダメージを与えられるものなのだろうか。


…いや、最悪効かなくてもよかった。この一発から放たれたのは銃弾だけでは無い。この音が…派手に響いてくれたこの銃声が他の誰かの助けを呼んでくれたのなら、或いはこの状況も変わるかもしれない。

現在、後方には派手な駐車方法で停められた一台の車…基、装甲車。両方の後輪が見事に割られ、ろくに走れなくなった為にとりあえず近場に捨ててある状態だ。それに何より…これ以上はどうやら行き止まりらしい。

こんなもの、正直初めて見るが…水の壁、だろうか?それはさながら水槽のように、本来水があった場所を綺麗に切り取ったかのように綺麗に垂直の壁を形作っていた。何せあんな化け物連中に追いかけ回された後だ、今更何が起きたって驚きゃしないが…でもまぁ、その時の驚きとパンクした時の音と絶望感に「外の確認」という理由を付けて思わず飛び出してしまった私だが…これ、よくよく考えればあの中にいた方がよかったのでは無いか?なんて額を抓って今更ながらに後悔。あそこには他にも色々武装が積んであるし、何より…


と、どうやらそんな悠長な思考時間など奴らは与えてはくれないらしい。


「…ホント、どうなってんのよ、あんたら…」


確かに、銃弾は当たった。そしてその衝撃からか確かにあの人型の影は後ろに仰け反り、その場に倒れた…はずだったのだが、どうやらそれは奴の死とイコールでは無かったらしい。

その倒れた姿勢から不自然にも起き上がり、その顔…らしき部分を再び私の方へと向ける。そしてそこには…当然というか、傷は一切付いていなかった。


そして、その後方から次々と現れる援軍。幾多の異形達が徒党を組んで、東京の街をさながら仮装パレードかのようにぞろぞろとこちらに向かって来る。

…正直、このままでは死は免れないだろう。あの中に多少は銃弾一発で死んでくれそうな奴もいるにはいるのだが…目の前のコイツの前例からしても、少なくともこの銃では処理できない奴も大勢いるはずだ。というより、恐らくは銃なんて軟なものじゃあ処理できないような連中も、あの中には混じっているかもしれない。


状況は絶望的。これら全てを私一人で処理するのは正直言って無理な話だろう。

…だが、処理するのが無理だとしても、


「…ならせいぜい、たっぷり時間稼いでやろうじゃあ…ないのぉー!!」


瞬間、両足に今出せる限りの全力を込め…後方へと体を反転。そのまま右足を前に出して、一目散に走り出す。目指す場所は1つ、後方に無造作に停められた一台の装甲車。…の、さらにその上。丁度丸い穴が開けられ、そこから本来閉められているべきはずの鋼鉄の扉が行き場を無くして情けなく傾いている。そしてそこから伸びる一本の銃が…恐らく、現状を打開し得るかもしれない今の唯一の希望だ。

後ろは見ない。が、音である程度は分かる。それまで動きを止めていたあの黒い影が動き出し、そのさらに後方からやって来ていた連中も多分、もうすぐそこまで来ている。


「はっ、はっ、はぁぁーー!」


走る、走る、ただひたすらに走る。

その雄叫びを原動力に、その俊足を更に速め、ただ無茶苦茶に走る。目的地までの距離、あと目測で10m程。高校の頃の50m走で5秒台を叩き出した私からすれば、その5分の1…たったの1秒あればそこまでは辿り着ける。

だが、その1秒がどうしてこうにも遅く感じるのだろう。世界が止まって見えて、体を走る鼓動の音が、酷くゆっくりに聞こえて。その拍動を1つ重ねるごとに、私の心の高まりは跳ね上がるように増加してゆく。緊張と、切迫と、死の恐怖と…どうしようも無い程の高揚感を引き連れて。


そしてようやく、私の体は目的地の手前…装甲車の車体前部へ辿り着く。そのボンネットを右手で叩き、それと同時に自身の体を左方向へと投げ出す。それは車体に突いた右手を支点として綺麗に上方へと円を描き、そしてボンネットの上へと見事に着地。そして今度は両手を車体の天井に置き、そのまま両足に力を込めて勢い任せにジャンプ。一見無造作に見えるこの行動も、しかしまるで予想していたかのように美しく天を舞い、そして…


「しょっ……と!」


見事、その穴の中へと着地する。

傍から見れば、一切の無駄の無い、美しくすら見えるこの一連の動作…しかしこれは、たったの2秒弱で起こった出来事に過ぎない。それもこれも、彼女が持つ驚異的とも言える程の身体能力と磨き上げられた技術の賜物と言えるだろう。

しかし、これで事が終わった訳では無い。そしてそれを電撃の如く背筋を走る悪寒から一番に分かっていた私は、動きを絶やさぬまま私の体の前に置かれた一丁の銃に触れる。


生身の人間がそのまま使うには、いささか強大過ぎる威力と反動と弾倉を持つこの銃。しかしそれも…こうなってしまえば、関係無い。銃座に固定され、ある程度の反動なら銃座に取り付けられた機構が勝手に何とかしてくれる。なら、私のするべき仕事は1つだ。

引金に指を掛け、取り付けられた頼りないアイアンサイトから片目を通して目の前の現状を見つめる。…全く持って、一体誰が用意したんだか、こんな地獄絵図。人型の黒い影、取り付けられたライトを無造作に点滅させる謎の機械、果ては魔獣のような異形の生き物まで。ここまでバリエーションが豊かだと、もはや関心すら覚える。


…でも、


「…さてぇ……

お前等まとめて、日頃のストレス発散に利用させてもらうわよぉぉーー!!!」


いかなる皮膚も、装甲も、この5.56mm弾の雨を前にして貫かれずにいられるものか。…でなくともせいぜい、足くらいは止めてくれよ、パレードの御一行様。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


…やれやれ、これは一体どういうことだ?


「…はっ、はっ、ぷはぁー…」


拳銃の銃声が1つ。それで終わったのならよかったが…今度は何だ、この馬鹿でかい音は。このレートと発砲音の大きさからして恐らくはLMG…それもきちんと100発以上の弾倉…いや弾帯だろうか。とりあえずそれだけの弾数を備えた銃だ。弾は多分5.56mm…だとするとミニミか?いやそもそも、日本ってあんな武器持ってたっけか?


必死に水を掻き分けながら、現在水上を全速力で進行中。幸いこの辺りは水面に一切の波が立っていない為、さながら室内プールの中での記録会並みのスピードが出てくれる。このスピードであれば…流石に、間に合ってくれるだろうか。

少なくとも、現状分かっていることは2つ。何かと何か…敵対する勢力同士が銃撃戦も交えて争っているということ。そしてもう1つ…これが現状、私にとってはかなりのアドバンテージになり得る情報かもしれないのだが。そしてその内容こそ、


「…ぷはっ……

…これ、片方は人間ってことで…まず間違い無いよね。」


前方の確認も兼ねて一旦クロールを中止し、顔を上げる。と、それまで水に浸かっていた顔が顕になり、そこには…何とも言えない独特な感情が浮かび上がっていた。それは疑惑のような、懸念のような…とにかく、負の感情からなるものなのはまず間違い無いだろう。

だってそうだろう。いかにその戦っている相手がトンデモな化け物だったしても、それに対して銃撃という対応をとっている人間に対してこれから友好的にやっていけるとは…正直あまり思えない。


いや、逆に考えるんだ、私。

拳銃だけならともかく、軽機関銃なんて代物を日本で保有している組織なんてのは、それこそごく一部に限られてくる。そしてもしその組織が自衛隊だったとしたら…国を守る戦士が、何も私のようなか弱い(少なくとも、見た目は)一国民を助けてくれないで何とする。それに自衛隊って、他の国の軍隊に比べて救助活動とかに特化してるって聞いたことあるし…


「それなら、いけるか…なっ!」


ようやく開いた一輪の希望を追いかけるように、私は再び泳ぎを再開。少なくともこの先、障害物らしい障害物は一切無い。このまま真っ直ぐの姿勢を維持できてさえいれば当分は泳ぎの方に集中して大丈夫だろう。

再び水を掻き分け、そこから生み出される流れにただ身を任せる。掻いて、掻いて、掻いて…もっと先へ、ギリギリまで手を伸ばして、そこから全力で水を持ってくる。その勢いを後方へと押し出し、そこから生まれる流れが私にさらなるスピードをくれる。聞こえてくるのはただ、水中と外を交互に行き来する音と、その時に発生する水の音。そしてゆっくりと近付いてくる、鳴り止むことを知らない軽機関銃の発砲音のみ。よくよく耳を澄ませると何やら他に変な音が聞こえない訳でも無いのだが…まぁそれは後回しでいいだろう。


今はただ、その戦いに加勢する。

私に一体何ができるのか、正直分かったものでは無いが、まぁトリガーハッピーで忙しいところを空いた拳銃でも使わせてもらって適当に加勢するとでもしよう。

…というより、本来の目的はそこでは無くそこにいるはずの人間との接触だ。私以外の人間がここで生き残っていたとなると、或いは他の人達にも希望が持てるかもしれない。


と、ようやく間近まで来たようだ。ここから先は流石に危ないか…距離的には恐らく300m前後。むしろここまで何も無かったのが不思議なくらいだ。

それまで真っ直ぐだった泳ぎのラインをずらし、適当なビルの影まで移動。冷たい壁に背中を預け、そこから慎重に様子を伺いつつ戦いの音に耳を傾ける。

と、そこで私は気付いた。


「…これ……

なんか、下から聞こえて来ない?」


距離が遠かった時はいまいち分からなかったが…どうやらこの銃声、前でも横でも無く下方向から聞こえてきているらしい。

…待て、そもそも現状この街に下なんてあるのか?街の全てがほぼ完全に水に沈み、こうして水面を揺蕩っている私よりも下にはもう水しか無いはずだ。それなのに何故下から音が…?こんな訳の分からない状況だ、もしかしたら地下にちゃんと空気のあるスペースがあってそこで戦っているとか…は、恐らくありえない。いくら何が起きてもおかしくないからって、じゃあその武器は一体どうやってそこまで運んだんだ?まぁこの際、ふと目が覚めたら近くに武器が…なんてことを言われても信用できない訳でも無いが。


だとすると、残る可能性は…


「…水が無い場所がある…ってこと?」


水が無い場所…となると、或いはこの水浸しゾーンにも範囲があるということだろうか。実は東京のここまでが水に浸かっていて、ここから先は大丈夫…みたいな?まぁ、仮にも同じ東京である私の実家が無事なのだから、このエリアに一定の範囲があること自体分かってはいたことだが…


「つまりそれって…

水浸しじゃ無いところも十分危ない、ってことだよね?」


逆に言うと、こっち側の方が安全ということでもある。これまでの数時間、生き物の一匹はおろか戦いという選択肢が出てくる場面さえ1つも無かった。でも、向こうの状況は…多分かなり深刻だ。でなければ平和な世界であんなに銃弾を乱射したりなんかするものか。多少ばかり反動で照準がズレたところで、もはやその先にも敵がいる…つまりはまぁ、結構な四面楚歌状態なのだろう。或いはその人物が、余程のトリガーハッピーに取り憑かれてしまったかのどちらかだ。


そしてその時、ここまでずっと続いていた軽機関銃の音が遂に途切れる。あの手の銃の弾は連射できて100発程度、加えてその後のリロードにえらく時間がかかるはずだ。今この瞬間にも、この発砲音の主はかなりの危険に晒されているはずだ。

なら、やるべきことは一つ。


「…よくわかんないままだけど…

とりあえず、行くとしますか!」


壁から顔を出し、そのまま壁の側面を蹴って加速を付けた後、再び水中での全力疾走を開始する。300m…全力のクロールで泳いだとしても経験則的には二分半。途中に壁が無い分、下手をすると三分はかかってしまうかもしれない。

その限界を根性と気合で乗り越えながら、しかししっかりと耳にも意識を向ける。聞こえてくるのは、ただ水を掻き分ける音と、生まれては消えてゆく気泡の音と、そして時折聞こえる外からの音。流石に数百m先のリロードの音まで聞こえる程に耳がいい訳でも無いし、水の中の為尚更外の音は聞き取り辛くはあるが…意識しないよりはよっぽどマシというものだ。それに目が実質的に役にたたないこの泳ぎ方では、一応は360度全ての状況を把握し得る耳に頼るのはある意味では当たり前のことなのかもしれない。


そんな最中、私の耳に入ってくる1つの声…基、叫び。


「やってやろうじゃないの、このクソやろーー!!」


若い女の声。どんなにむさ苦しい叫び方をしたところで、その澄んだ声色が隠しきれる訳では無い。むしろ子供っぽくすら聞こえるその声には、どこか愛らしさすらあった。

だがその直後に聞こえて来た派手な連射音が、私のその甘ったれた感情を叩き壊す。…ここまで近付くと、流石に水の中であってもうるさいものだ。それも発砲音の大きさでは右に出るもののいないL軽機関銃。いかに5.56mm系とはいえ、このあまりのうるささには流石に耳栓が欲しくなる。あぁ、銃を撃つのならイヤーマフとかの方がそれっぽいだろうか。そんな過保護な装備を真面目にしている奴なんて、正直見たことも無いが。

その発砲音と雄叫びは、泳ぎを進めるごとにどんどんと近付いて来る。あまりの大音量にあまり正確なことは言えないが…距離的には多分もうあと100mも無い。


…ここまで、随分と軽いノリで来てしまったものだ。

明らかに今更な後悔だが、それも当然のことのはず。むしろ銃声なんて聞いた時点で、ここから逃げるという選択肢の方が当たり前で正しいことなのかもしれない。何せここまで激しい銃声だ。多分この先は、一般人には想像もつかないような凄まじい地獄が広がっていることだろう。銃の先に広がっているのが人の死体なのか何なのか…今はまだ分からない。

…私だって、一応今は一般人のはずなのにな。どうもこういうきな臭い音を聞いてしまうと、昔の血が騒いでならない。…そんなもの、今の私は望んではいないはずなのに。望んでは、いけないはずなのに。


だから私は、その感情にとりあえずの言い訳を付けることにした。

今の私でも、誰かを助けることができるかもしれない。この平和な日本において、全くと言っていい程に無駄で不必要なこの力が、今だけは誰かの命を救えるのかもしれない。

…命を救う、か。本当に私は、今更なことを言うものだ。それが私にとってどんなに矛盾を孕んだ言葉なのか、それを心では分かっていながら尚私は人助けを所望する。何かを守る為には、何かを壊すことが必要な時だってあるのだ。それこそ、非常に極稀に珍しいパターンではあるが。


だが、そんなことを考えている内にもどんどん距離は縮まってゆく。あと60m、50、40、30…もう既に発砲音は間近。水中からでもその耳を劈くような音が頭の中を揺らし始め、そしてその音から戦闘の開始をようやく悟る。

ふと顔を前に向けるも…相変わらず、何も見えない。でも構わない。何せこんな状況だし、その音の発信源に辿り着きさえすれば何かしらのことは起こるだろう。願わくば、その何かしらで私の命が失われませんように。


20、10、そして…


「…へ?」


0、を迎えるはずだったその瞬間…世界が変わる。それまで私を覆っていた水が突然に姿を消し、私の体は不自然に宙を舞う。そしてそのまま体制を整える暇も無く地面に落下していき…そして地面に衝突して大怪我、となるはずだったのだが、


「うわぁぁーー!!?」


「うおぇぇーー!??」


そんな神のいたずらを、さらに重ねがけされたいたずらがセーブする。

そう、その落下先にあった存在こそが、恐らくは今私が最も欲していたもの。そして今、私の命を救えるであろう存在は…彼女しか、いない。


真っ黒な髪を短く結んだ、一人の女性。歳は恐らく20歳前後。身につけている深緑の迷彩服からして…私の予想していたことは、おおよそ間違いでは無かったらしい。ガタイは…いまいち信用には足らない感じではあるが、そんなムキムキのおっさん兵士に受け止められるよりはよっぽどマシだろう。


…さて。

この状況、果たして私は怪我無く無事に乗り切ることはできるのか。いやまぁ、ここまで来た時点で怪我の1つや2つ承知の上ではあるが…痛いのはできるだけ避けたいのが人間だ。

しかし、どうやら希望はありそうだ。位置的には彼女の真下でドンピシャだし、当の彼女もそれまで乱射していた機関銃から手を離し、受け止めの姿勢に入りつつある。この状況でその対応力…やはり本職の自衛官ともなると、なるほど実力は相当なものらしい(こんなケースの訓練なんて、一切やってはいないだろうが)。


なら、とりあえずは安心だ。

今私がやるべきことは、1つに絞られた。瞳を閉じ、体を丸め、あとはただ祈る。一応受け身の用意はしておいて…

さぁ、それでは自衛官さん。


「…………」


「はぁぁーー!??」


あとは、よろしくお願いします。

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