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水と廃墟と廃れた都

「……い……さ…すよ…」


遠くから、何かが聞こえて来る。

途切れ途切れで、内容はいまいち不明瞭。でもそれは、掠れて消えてしまいそうになりながらも私の聴覚を必死に叩き、何かを訴えかけて来ていた。


「…いかげん、……てくださ…」


そして、私はようやくある事実に気付く。音の方が不明瞭なのでは無い。不明瞭なのは…私の意識の方だ。目の前は真っ暗。でも、意識すればするほどに少しづつ見えてくる、薄い橙色の光。それはまるで、私の覚醒を待っているかのようにただ暖かくその場を照らしていて。そんな光の中へと、私も…


…いや、でもまだ眠い。

いかにショートスリーパーな私と言えど、やはり二時間睡眠はきつかったか…まぁ、別にもうちょっと寝ていたところで遅刻もしないだろうし、朝食だって後でいつも通りコンビニにでも買いに行けば…


しかしそんな怠けた思考は、ある出来事を境に一蹴されることとなる。消えかけていた私の意識を直撃する、その愛の一撃によって。


「…もぉ…じゃあ、えっと……一度しか、言いませんからね、分かりましたね?


……起きて、そのぉ…

…お姉、ちゃん。」



瞬間、バン!という激しい音とともに傍らに置いてあったスマホの画面を叩き、勢いそのままに私の体はベッドの上を飛び跳ねてベッド横の床へと着地。そこまで来てようやく、自分が眠りから覚めたことを自覚する。


「………」


重い瞼を擦りながら、何気無く辺りを見渡してみる。リビングよりは一回り狭く、かつ大掛かりなパソコンやら模型達やらで囲まれたこの部屋はやはり少し狭苦しく感じる。…暗くて狭い所好きな私にとっては、こういう場所こそがまさしくベストプレイスではあるのだが。

そんな雑多感溢れる部屋を包む静寂と遅い来る眠気を突き破り、私は朝の行動を開始する。その第一歩を踏み出した辺りで、ふいに襲って来た酷い目眩によって壁に手を突いたのは…多分、偏頭痛持ちである私があまりにも勢いよく起きすぎたためであろう。…そういえば最近曇り続きだし…でも正直、今回ばかりは結構本気で倒れるかと思ったりした。


しかしそんな障害もなんとやら、寝室の部屋を出てリビングに到着すると、そのままの足でリビングに面したキッチンの前まで辿り着く。

清々しい太陽の光を受け、煌々と輝く銀色のシンク。そしてそれらを取り囲む、これまた新品同様の金属光沢を見せる数々の調理器具達…思えば、ここでまともな料理をすることなんて随分と久しぶりだ。引っ越して来たばかりの頃は流石に母や奏姫に色々と言われていたので一応自炊してはいたが、最近は見ての通りからっきしだ。明日こそは朝食作るかぞー、とか嘯いていたにも関わらず、ご飯派の私が昨日から一切炊飯器に触れていないのがその何よりの証拠だ。ちなみに、この炊飯器もほぼ新品。しかも結構高いやつ…だった気がする。


「…で、どうするかなぁ…」


そういえば、こういうこともあろうかと買っておいたレンジで温めるタイプの米がいくつかあったっけ。それを使えばご飯はひとまずOKとして、後は…

料理知識が皆無に近い私のレシピを補完するため、とりあえず冷蔵庫の中を覗いて中身をチェックする。独り暮らしの子供が使うには、少し大きすぎる気すらするような自身の背丈をも超える立派な冷蔵庫。その中に詰め込まれていたのは、いくつかの飲み物と、タッパに詰めた漬物(実家の友達から送られて来たやつ)と、それから…


「……分からん。」


吟味すること数十秒。その一言を最後に私は冷蔵庫の蓋をバタリと締め、そこに寄りかかるようにしてその場にぺたりと座り込む。…その顔に、額の皺と困惑の表情を浮かべながら。

いや、食材自体はちゃんとあったのだ。それこそ色々と、むしろこんなにも充実した冷蔵庫を独り暮らしの女子高生が持っているのだと思うと、もはやいっそ自慢できる勢いであった。

だが、そうなると問題なのは…


「これ、何作りゃいい訳よ、私…」


これだけ豊富な食材を見て尚、料理のレシピ一つろくに思いつかない私は…やはりあれか、女子力低い感じなのだろうか。少なくとももし私がこのままお嫁に出されたとしたら、世の旦那様もさぞやドン引きであろう。…出る気無いけど。


…でも本当、どうするかなぁ…

このままだと、早起きした意味はまるで無いまま、私の朝食は結果いつものコンビニ飯で終わってしまう。果たしてそれでいいのか私。別に味的には一切問題は無いのだが、問題は…何というかまぁ、私自身のプライドの方にあって。

このままこの無価値な静寂に身を任せ、思いつきもしない料理のレシピを永遠と考えるのは…あまりにも時間の無駄だ。どうせそんなことをしたところで、多分「あ、あの料理なら!」と何かを思いついた矢先に「…でもどうやって作りゃいいのよ」となって結果御破算、という感じの一人コントをただ繰り返すだけになってしまう。

それならいっそ…いっそぉ……


寄りかかっていた壁を力強く叩き、もはや完全敗北の空気。でもそれをきっかけに、以外にも私はある一つの事実に気付くことになる。


「…あれ?今私、どこ叩いて…」


何だか微妙な叩き心地に違和感を抱き、何となく自分の後方にある壁を見つめる。

そこにあるのは、少し背の高い一つの冷蔵庫。…いや、違うか。今さっき自分が叩いていたのは、正確には…


「……あ。」


その瞬間、私の頭を一つの天啓が過ぎった。

…どうしようも無い、あまりにもどうしようも無い、怠惰の神様から贈られて来た一つの天啓が。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「…さて、と。」


ひさびさの、自作した朝食。目の前には暖かな湯気が沸き立ち、ほのかに香る甘い香りがどうにも食欲をそそってならない。

…しかし全く、いい時代になったものだ。まさか朝からこんな豪華な朝食が食べられることになろうとは…これも一重に、私の努力の賜物…


たま…も…の……


「…はぁ……

ホント、何やってんだろ、私。」


目の前の朝食をまじまじと見つめ、私は改めてため息を一つ。…こんなもん朝から食べるなんて、華の女子高生として本当に大丈夫なのだろうか、私は。


そんな私の前に鎮座したるは、一杯の牛丼だ。サイズは並よりちょっと小さめ。でも少ないのはご飯だけで、肉を含めた具の量はまんま並のままである。…全く、こういうところが問題なんだよなぁ、冷凍食品って。

結局あの後、私は究極の最終手段にして文明の利器である冷凍食品に頼ることをひっそりと決意し、冷凍庫の中を色々と漁っていた。だがしかし、そこには冷蔵庫の方に比べて意外にも何も無くて。その事実に絶望しかけたその時、私の目に入ってきた唯一の朝食候補というのが…これだったという訳だ。


はぁ…朝からこんなヘビーなものなんか食べちゃって…胃もたれと戦いながら登校する自分の姿が痛い程に目に浮かぶ。そんなの…そんなのって、女子高生としてはあまりにも…てか、そもそも食べ切れるのだろうか、これ。


「…いや、もうつべこべ言ってられないか。」


早くしなければ…いかに早起きしたからとて、下手すると学校に間に合わなくなる危険が出てくる。そうなれば最後、何も食べないままに四時間にも渡る授業期間を乗り越えなければならなくなると思うと…正直、まだこれを腹に掻き込んだ方が幾分かはマシだろう。

そうと決まってしまえば仕方あるまい。目の前に課せられた試練…この程度すら乗り越えられずして、一体どうして正義なんて大口を叩けるものか。この程度のこと、やすやすと突破して次に進んでみせる。こんなことで躓いていては、一生前には進めないぞ、私。


いかに無茶苦茶な前提付きとはいえど、そんなかっこいい理由を付けてしまえばやめられないのが私だ。…実際のところは、ただ単純に一人の女子高生が朝ご飯として牛丼を食べるだけのシュールな試練なのだが…でも、そんなことだからこそ、こうでもしなければやる気の一つも出てはこないものだ。


さぁ、始めよう。

私の、一女子高生としてのプライドを捨てた戦いが今、幕を開ける。…せめて、胃もたれだけは起こしませんようにと、遠く心の奥底で願いながら、一言。


「…いただきます。」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「ごちそう…さまぁ…」


およそ三十分の時を経て、ようやく私は朝食である牛丼を完食した。

食べてみた感想としては…正直、これほどまでに牛丼相手に苦戦することになるとは思いもしていなかった。何というかこう…どうして牛丼ってやつは、こうも脂っこいのだろうか。牛の脂身をふんだんに使ったこの料理は、やはりどうにもこたえるものがある。加えてこの甘ったるいタレがまぁ…本当に、色々な方向から苦戦を強いられた一戦であった。


でも、勝ちは勝ちだ。後になっていざ完食してみれば別に胃もたれもしないし、こと胃の調子に限ってはむしろいつもより調子がいい気すらする。ある程度この満腹感から来る怠さと腹痛から開放されさえすれば、恐らく今日一日は上手くやっていけるだろう。…強いて言えば、学校に行くまでに治ってくれるかどうかが心配な所だが。


しかし全く、激戦に勝利した上に結構いい感じの戦果を得られるとは、なんて今日は心地のいい朝なんだろう。この静けさも相まって、私のテンションは朝の時点で既に最高潮に…


最高潮…に……



「………」


なるはずだった私を引き止めたのは、まさにその「静けさ」そのものであった。

…ちょっと、いくら何でも静かすぎやしないか?確か昨日、寝る前には窓を開けていたはずなのだが…人の声とかならまだしも、車の走る音どころか物音一つ聞こえやしない。いかにここが東京都二十三区内とはいえど、流石に朝に囀る鳥の一匹や二匹いても全く不思議は無いはずなのに…というか、むしろいつもなら謎の外来種が奏でる小うるさいメロディーに少しばかり飽き飽きしていた頃なのだが…それが急にここまで静かになられては、かえって不気味な気分に襲われてしまう。


「…何か、あったのかな?」


だとしたら、何が?音がし過ぎるというのならまだしも、その逆…本来聞こえてくるべきはずの音が聞こえてこないなんて…害鳥駆除でもしたとか?でもじゃあそれ以外は?例え何が起こったとて、突然この東京の街から全ての雑音が消えるなんて…まず有り得る話では無い。


「……どういう…こと…?」


確認するのに最も簡単な手段…窓の外を見ればいいだけの話ではあるのだが、私の中にある恐怖と嫌悪感がそれを邪魔する。そしてその事実から逃げるように、私は寝間着のポケットにしまっていたスマホの画面に目を向けることにした。

スイッチを入れ、第一に見るのはニュースの情報だ。最近のものから順に、目を通しては下へ下へとスクロール。何か…こう、この辺で起こった不可解な事故…みたいな記事は…


「……無い…よね。」


当然、と言えばさながら当然の話だ。いくらニュースの情報とはいえ、突然部屋の外が静かになった原因なんて…いくら考えたところで、全く浮かんで来る気がしない。そしてそれを肯定するかのように、この事態に当てはまりそうな事件は勿論、ここ一帯で何か起こったという情報は一つたりとも上がってはいなかった。日本一の大都会で何の事件も無し…それはそれで、かえっておかしな話ではあるが。


…予感は、していた。

それこそ日頃は殆ど見やしないニュースのサイトなんて見た時点でもう自分の行動がおかしいのは分かっていたことだが、でも…



「…見るしか、無い…か?」


そう、言葉に出た。そしてその言葉に従うように、戸惑いを顔に表したまま私は一歩、また一歩とリビングの奥…白いレースのカーテンがかけられた、大きな窓の前へ。

カーテン越しに見えるのは、ただ真っ青な青空とそれを照らす鮮烈な朝日。近辺で最も高い、それもその最上階であるこの部屋からは、少し覗き込まなければ周囲の建物は見えない。…それが尚更、今の私を不安にさせていた。


大したことは無い…とは思うのだが、不安なものは不安だ。どうせちょっとしたいざこざでも起こって、この辺の住人がみんな黙りこくってるだけ…とかそういうことだろう。うん、そんなことだ。

何ならいっそ、突然外が中世風の異世界になって「私、異世界転生しちゃったぁー!?」みたいなことが起こってくれた方が幾分か面白いかもしれないな、なんて状態を心の中で嘯きながら、少しでも気持ちを楽にしようと努力する。ま、有り得ないだろうけど。


カーテンに手を掛け、ごくりと息を飲む。

大丈夫だ…ていうか、一体何を緊張している?こんなのどうせくだらないことだ。或いは幻聴か、私の錯覚なのか…何にせよ、そんなラノベさながらな急展開が現実で有り得るものか。しかも私、女だし。そんな唐突なハーレム展開とか全く期待…いや、ヒロインが可愛いならそれもまた一興か…


そんな考えで再び気持ちを軽くして、ついに私は心の中で覚悟を決める。

開けるだけ…そしたらもう、このことは終わりだ。さっさと学校行く準備して…まだ制服だって着てないし、早くしないと学校遅刻するし…

……だから、もう…


「……さっさと、開ける!」


その一言と共に、閉じられていたカーテンが豪快に幕を開けた。


…その先に何があるかも、知らないままに。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「………………」


それを一目見た時、私はつい美しいと思ってしまった。

未だかつて、この街にそんな感情を抱いたことがあっただろうか。…少なくとも、私の記憶の中には無い。それにこの感情は…きっと、今だけは抱いてはいけない感情なのだろう。

でも、私はそう思った。思って、しまったのだ。それだけは変わらない、一つの事実。なら私には責任があるはずだ。

…この景色と、真っ向から向かい合うという大きな責任が。


そこにあったのは、確かに東京の街だった。

異世界に飛ばされたー、なんてお決まり展開では無くて、正真正銘の東京都。もうすっかり見慣れてしまった道や建物も、確かに同じ場所に存在している。

だが、問題は…


「………どういう…こと?」


その、街の在り方であった。

理由は不明。しかしそれらの建物は…明らかに、老朽化していた。いや、それどころでは無いか。ものによっては既に崩れ落ち、無機質な瓦礫と化している所もある。加えて、その殆どが持っていた色を失くし、街はただ灰色だけに包まれて、まるで色鮮やかなネオンとペンキに囲まれていたはずの東京という街を完全に否定しているかのようだった。


そしてもう一つ、そんな街を満たしている、ある存在があった。…恐らくは、それが私に「美しい」なんて錯覚を生ませた主犯…ここにあるはずも無い、あってはいけない、存在が。


「…水?」


そう、今現在この街を満たしているのは…水である。それも恐ろしい程に綺麗で、少し目を凝らせば水底にある道路や信号機の姿がはっきりと見て取れる程の透明度だ。そんな水がこの街の…建物で言う所の、およそ三階辺りまでの高さを覆っていた。


そんな二つの要因が作用して、街は今さながら鏡に写った別世界のような姿をしていた。灰色と水色、二つの色だけの質素で豪快なコントラスト。そのあまりにも現実離れした景色を「美しい」と思って、一体誰が私を責められよう。


「…凄い……けど…」


…いや、その責める人が…責められる「人間」そのものが、消えてしまっている…かもしれないというのが、現状で最も大きな問題なのだ。実際、外はこんなとんでもない状況だが、しかしそんな中でも未だ人の姿を見つけられていない。こんな天変地異さながらな現象が起これば、普通は外に出て確認しようという人の一人や二人いてもおかしく無いはずだが…

いや、そもそもおかしいのは私…と、ここに変わらず鎮座しているこの部屋の方だ。他の建物は軒並み駄目になっているのに…どうして、この部屋だけは…いや、寝室も含め我が家だけは、全くの無傷なのだ?普通なら、ここだって外と同じく瓦礫の塊になっていた所で何の不思議も無いはずだが…いや、それだと私死んじゃうんだけど。


思い立って、再び私はスマホを取り出してニュースサイトの元へ。…とはいえ、もうこの辺りでのニュースが無いことは確認済みだし、ましてやこんな大掛かりなことが報道されていないとなると、これは…


「…これっ…て……」


と、そこで始めて気付くある一つの違和感。

この大都市に、私一人だけ?…なら他の人は…残りの13000000人は一体どこへ消えた?というより、そもそもここは…本当に、東京なのか?


考えれば考える程に、増えてゆく疑問。でもその中で、一つ確かなことがあった。

それは、


「…一体、どゆこと?」


この状況が、全く理解できないということだ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「…むむむ……」


私がカーテンを開け放ってから、既におよそ30分。全く分からないことだらけな現状を調べるため、私はそれはそれはいろんなことを試した。…のだが、結果は未だこの通り。


まず試したのは、そもそもこれが夢なんじゃないか?という根本的な疑問。しかしこの説が有り得ないということは、頬を抓っただけでは飽き足らず豪快にも自身の頬を往復ビンタした私が一番理解している。…自分の頬だったからよかったけれど、こんな勢いのビンタをもし他人にやってしまったとしたら…多分その相手からは一生嫌われるであろうという自信が湧く程の、まさしく悶絶ものの痛みだった。


で、次が手頃なSNSの調査だ。もしもニュースに載っていないこう…情報操作?的な理由が何かあるのだとしても、SNSであればそんなことは関係無い。個人が個人の責任で自由に情報を発信できる…改めて、なんとも便利な時代になったものだ。

しかし、いかにそんな文明の利器とはいえど限界はあるようで。ましてやこんなハチャメチャなラノベ的展開において、いかに最新鋭のシステムであってもその程度のものが役に立つ訳も無くて。結果、どんなキーワードで調べた所で書き込まれていることはいつもと何ら変わらなかった。


むしろ怖いのは…その大量の情報の中に、今日の東京の情報が一切載っていないということだ。東京人口約13000000人、それだけの人数が一斉に何の呟きもしていないというのは…予め分かっていたこととはいえ、やはり不気味だった。

しかし、恐怖は一つでは無かった。これ程までの大惨事…東京という日本一の大都市から、人々の情報が忽然と消えた…しかし真の恐怖は、そんな大惨事を目の前にしているはずの他の民衆達…そんな彼らが、しかしその事態に対する書き込みを一切していないことにあった。それこそまるで、この日本から…東京という存在が完全に忘れ去られてしまったかのように。

…この驚異的なまでの違和感をもし私だけが感じているものなのだとしたら…状況は、思った以上に深刻なものだということになる。そんな状況に対して私ができたことと言えば、「せめて私以外にも、私と同じこの違和感を感じている人達がいますように」と、信じてすらいない神様に向かって手を合わせる程度だった。



で、そんな絶賛絶望的渦中にある私が今は何をしているのかと言うと、


『…ねぇ、奏姫。』


『ハイハイ奏姫さんだよぉー!』

『で、何?こんな朝早くから?』


最終手段…友人との接触だ。

これができているということは、私という存在そのものは忘れ去られはいないらしい。そして何より、向こうも何事も無く無事なようで…たったこれだけのやり取りが成り立っただけでも、今の私にとっては十分な収穫だ。心理的余裕というのは、それだけ人を冷静にしてくれるのだから。


『あのさ、今から写真送るんだけど…』


『へぇ…まあ、東京の写真なら大歓迎だけど…

『なんでわざわざそんな前口上なんて言う訳さ?らしくない。』


文面においても相変わらずの軽い口調のままで話してくれる奏姫。しかし一方、私の方はといえばそれはそれは深刻な感じの文体で…短い会話故に相手には分かっていないようだが、それでもその文字達は現状の私が抱える心の重さ、嫌らしいほどに忠実に再現していた。

で、その会話の中にも混じっていたが、ここの写真…崩壊し、水に沈んだこの街の写真を送れば、いかにこんなイカれた状況であっても流石にこの状況を信じてくれるはずだ。まぁ、合成だーとかネットから拾ったのかーとか色々と文句の付けようはあるが…今私が話している親友は多分、そんな文句なんて思いつきもしないような生粋の古代人だ。それにちゃんと最初に説明しておけば恐らくは信じてくれるはず。それだけの信頼関係が私達の間にあることは、私が過ごしてきたあの故郷での子供時代が一番よく知っているのだ。…多分だけど。

だから、お願いだから信じてよね、奏姫…


『今から見せるの、本当に本物だから。

それだけ最初に分かっててほしい。』


『なになに?心霊写真?』

『ふふん、私知ってるんだよ!そういうのって、大概は合成っていうのでできてるんでしょ!』


何というか、下手に微妙な知識…合成という単語は知っていても、その内容を理解していない感じか、これは。


『あー、その合成でも無いから、OK?』


『なるほど、ホントのホントに本物な訳ね、OKOK。

じゃあどんと来い!』


どんと来い、ねぇ…でもまぁここで立ち止まっていても何も進展しないだろうし、ここはお言葉に甘えてどんと行くとしますか。

…そういえば、危険…は無いよな?こういう展開って、アニメとかだとよく「その写真を見た時点で貴様も共犯じゃぁーー!!」みたいにその事実を知ってしまった時点で自分以外の人にも被害が及ぶことって結構あるけど…大丈夫、だろうか?

まぁ、こんなことでおどおどしていても仕方無いか。第一そんなこと、一体誰がやるんだって話だし。


『それじゃ、行くよ。』


『OK、来いや!』


そこまで言書き込んだ後、私は座り込んでいたリビングの床から立ち上がり、写真撮影の準備。その瞬間に強烈な足の痺れと頭痛が来た辺り…どうやら私は、予想以上にここに居座ってしまっていたらしい。思い返せば、さっさとソファーに座っておけばよかったか…寄りかかっていた窓を開ける。

なんて愚痴も程々に、私はようやく開放された頭痛を振り払うように勢いよくクレセント錠のロックを外し、窓を開け放つ。外はちょっとしたベランダになっていて、加えてここは高層マンションの15階。少し身を乗り出せば、この街の全てが…今や瓦礫と水に染まってしまったこの世界が、見事に一望できる。


「むしろ、ちょっと高すぎるか…」


なんて思いながらも、しかしああまで何重もの前振りを重ねておきながら奏姫を待たせるのも悪い。さっさといい感じの写真を撮って、さっさと彼女の驚く様を見せてもらうとしようか。


…しかし、改めて見ても本当に酷い状況だ。

私が引っ越してきてからの一年ちょっと。その間にももう幾度となく通ってきた道が、見てきた建物が、乗ってきた電車までもが無残な形となって水底に転がっている。いくつか形を残している建物があるとはいえ、その建物の殆どがもう私の知っている頃の華やかな姿を完全に失っている。色は褪せ、あちこちにヒビは入り、少し目を離しただけですぐに崩れ去ってしまいそう。そうなってしまえば、もうあっという間にこの街のいたる所に蔓延してしまっているあの瓦礫達の一員になってしまうだろう。


…もう、ここは私の知っている街では無い。

別に思い入れがあった訳でも、ここが大事な故郷である訳でも無い。私としてはただ、こういうちょっと都会な感じも悪くないかな、なんて若者ながらに思っていただけ。

だけど、何故だろう。


「…虚しい、な。」


そう吐き捨てて、私は一人シャッターを切る。

…今にも崩れ落ちそうな建物達に、その小さく光るレンズを向けて。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


『はい?』


『いやだから、今東京がこんなになってて…』


『いやいや、だってそんな訳…』


『信じてくれない?』


一枚の写真から始まった、終わりの見えない画面上での会話。私としては是非とも信じてほしい所なのだが…まぁ、そんなに上手くいくはずも無い。もしも自分が逆の立場だったとしたら、多分「アニメの見過ぎじゃないの?」みたいな感じの冗談で軽く流そうとしてしまうだろうし…正直、溢れる文句の数々もろくに言えたものでは無い。

でも、本当なのだ。そして少なくとも、外部から何かしらの情報を得るための唯一の手段が、私が「生きている」という自己主張ができる手段が、現状これしか考えつかない。でも、逆にここさえ上手くいってしまえば、後は人から人へと拡散させていけばいいだけの話。それが広がってくれればくれる程に、私の現状がより一層深く理解できるかもしれないし…何より、この意味不明な街から脱出する方法だってあるかもしれない。


だから、ここで頑張れば…


『いや、別にレンのことを信じてない訳じゃ無いんだけど…』


『じゃあ信じて。』


『いや、そんな殺生な!?』


ここで彼女に信じて貰えれば、それがこれ以降の大きな希望になる。…例えそこから一切情報が広がらなかったとしても、これが私と奏姫とだけの、プライベートな会話で終わってしまったとしても、この最悪な現状を一人で抱え込まずに済むという時点で私にとってはありがたい限りなのだ。


『…仮に信じるとして、だよ?』


『はいはい。』


『その話からしたら、じゃあ…』

『それまでそこに住んでた人って、一体どうなっちゃった訳?』


その発言を目にした時、さながら閃光のように私の中に一つの案が浮かんだ。

そうか、その手が。私がいくら言っても信じられないのなら、その決定的な証拠を突き付けてやればいい。写真とかでは無くて、もっと別の…本来東京に住んでるはずの人達の所在、これならば十分に決定的なはず。


『じゃあ、確認してみてくれない?』


『確認?って、私が?何を?』


『だから、東京に住んでる他の人に連絡とってくれないかってことだよ。』


『……とう…きょう?』


そこで発生した微妙な間と表現に戸惑いながらも、結局そこは見送って作戦続行。


『そ。自分じゃ無理だったら家の人とか…誰かしらいるでしょ?東京に私以外の知り合いが住んでる人。』


というよりむしろ、住んでる知り合いがいない方が珍しいのでは無かろうか。こと、私の故郷においては。

東京都、と一口には言っても結構違いがあって、特に西東京と23区…所謂「東京」と呼ばれる地域では決定的に差がある。普通、東京という単語を他の地域の人が聞くと「あぁ、東京ね、あのめっちゃ都会なあそこね。」みたいな感じに、要は東京ならどこでも都会なんだろ、みたいな発想の持ち主が少なからずいる。


しかし、知っているだろうか。その東京の中に、実に標高2000mをも超える山が存在しているということを。そしてそこを中心にして、結構自然に溢れた田舎が存在しているということを。

私の故郷も、そんな田舎の一つ。そしてそんな田舎に生まれた者にとって、東京まで働きに出るというのは所謂運命のようなもので。実家の農家を継ぐとか実家の林業を手伝うとかでなければ、大学もしくは高校を出た時点で距離的にもとりあえずは東京行きが決定事項。そして人によっては、引っ越しすらしないままに実家から会社まで通う人も結構多くいる。いかに電車が通っていないような田舎に住んでいようと、車と免許さえあればそれも関係の無いこと。それが我々、西東京の中でも特に西…そんな田舎で生まれた者の、生きる道だ。


『ね?自分が無理ならとりあえず聞いてみてよ。聞くだけでいいからさ。』


そんな我々にとって、この質問は極めて簡単なものだと思っていた。いや、もし現状が普通だったならば、それも至極簡単なことだったのだろう。

だが、私は忘れていた。


『あのぉ…えっと、レン?』


『何さ、いきなり改まって?』


『その、私今からすごーく変なこと聞くかもなんだけど…』


変な…こと?

その内容がいまいち想像できず、しかしそれ以上に変なことを彼女にふっかけてしまった身としてはその変なこととやらを聞かない訳にもいかなかった。

ただ…何だろうか。この答えを聞いてしまうのは、なんだかまずい気がする。今私の体を駆け回っている気味の悪い悪寒がその証拠だ。


でも…それでも、今更聞かない訳にもいかないだろ、私。そう自身を奮い立たせて、再び画面に文字を打ち込む。


『何でもどうぞー。』

『つか私、多分それ以上に変なこと聞いちゃったと思うし。』


『…そう、だよね。』

『じゃあ、いい?落ち着いて答えてよね、絶対だからね?』


『ハイハイ、どうぞー。』


否、私は見ていなかった。見ているつもりで、この完全に理解の外にあるこの現状に対して、見てみぬ振りをしていたのだ。


今がどんなに異常な状況なのか、それを私は考えていなかった。少しばかり外を眺め過ぎたせいか、おかしいのは街の中ばかりだと、そう思っていた。

しかし、それは違う。忘れたのか、あの違和感を。東京という街そのものが忘れ去られてしまったかのような、あの虚無感を。そう、何よりもおかしいのは…この状況において、何よりも異常なのは…


『…あのぉ……

レンって今、どこに住んでるんだっけ?』


東京という存在そのものが、人々の記憶から消えてしまっていることだった。

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