星の終わりを告げる夜
正義とは、一体何だろうか。
「そんじゃ、またー。」
「はい!また明日ー!」
夜の帳も降り切らぬ、ビルの谷間の光の下。そんな一見すれば幻想的にすら見える景色の中を、しかし少女はさもつまらなそうに一人とぼとぼと歩いてゆく。
いくら耳を澄ませても、聞こえてくるのはただ楽しげな笑い声と絶えず流れる車の音と…遠くで響く、吐き捨てるような罵声だけ。今日も今日とて、この世界の人々は皆幸せと苦しみの間を当て所なくただ渡り歩いている。
その中の一人に自分がいるというのは、どうにも複雑な気分だが。
「ちょっとー!待って下さいよ先輩ー!」
そんな退屈なBGMの中を駆け抜ける、ある一人の少女の声。それは辺りの声に比べて一段と高く、そして大きくて聞き取りやすい。しかし裏を返せばただ目立つだけのその声を伴って、彼女はその窮屈な人混みの中を見事に掻き分け、最短のルートを通って目的の少女の元へ。
「…あぁ、ごめんごめん、気付かなかった。」
「気付かなっ…いや、さっきまでずっと一緒にいましたよね?ね?」
合流した二人の少女は、そのまま流れるように人混みの一部へと同化。厚手のブレザーの袖を夜風に揺らしながら、一方は相手の顔を見つめながら、もう一方は手元のスマホにその目線を向けたまま。そんなあべこべな状況も、結局はいつも通りのことで。
「いやぁ、しかしこの陽気…
こんな状況で冬服なんて着せますかねぇ、普通。先輩、暑くないんっすか?」
相手にされないのを気にも留めずに、少女は当たり前のように会話を始める。この状況、普通なら無視されているようにすら見えるはずなのだが…しかし彼女は至って平静のままで。そしてその少女に対して、もう一方…彼女から先輩と呼ばれていた方の少女がぼそりと呟く。
「…別に。私、結構暑さには強い方だから。それに…」
「…それに?」
その言葉に対し、後輩の方も乗り気で答えを待っている。…気のせいか、その目はさっきまでよりどうにも輝いて見えて。
「…私、嫌いなんだよね、露出の多い服って。」
「いやぁー、ホント可愛いっすよねー先輩。私、そんな初心な先輩にもうメロメロっすよー!」
「だーかーら!そういう意味じゃ無いって何度も言ってるでしょうが!…ホント、もう勘弁してよね…」
帰り道の電車の中で、ワイワイと騒ぐ二人の声。その内片方の相変わらずな目立つ声のせいで若干辺りからの視線を集めていながらも、彼女達もある程度はわきまえているようで。二人はすぐに声のボリュームを落とし、小声での会話に移行する。
「…でも、ホントにそんな気にすること無いと思いますよ、私は。」
「あんたはいいのよ、あんたは。…問題は、多分私の方だから。」
二人の女子高生が壁際の椅子に並んで腰掛けるその姿には、やはり可愛げがある。どちらも別段飾り立てる訳でも無く、強いて飾っていると言えばスクールバッグについた缶バッジとストラップくらいなもので。帰宅ラッシュを終え、ようやく人が空いてきた電車の中でそれはまるで一輪の花のように美しく見えた。基、二輪か。
「そっすか…先輩の、ねぇ…」
「……」
ふいに訪れる、一瞬の沈黙。こういう間というのは、例えどんなに短かろうとやはり場を気不味くさせるものだ。…まぁ、この中にその空気を打ち破ろうとする者がいなかったのなら、の話だが。
「…じゃあ私…」
「……?」
「待ってるっす!先輩が自分のこと、好きになるまで!」
その言葉は、不思議と大きくその場に響いた。辺りを見渡しても他人の視線が動いていないことからしても、そこまで大きな声では無かったようだが…きっと、それは私にとってだけの話なのだろう。
何せ、こんなに小っ恥ずかしくて…それでいて暖かな言葉を言われるのは、人生で二度目なものだから。
「…………
……ぷっ…」
「…あ!今笑いましたよね、先輩!
酷いですよぉ、折角こんなにも可愛い後輩が、こんなにも先輩のことを思ってあげているのに…」
「あぁ、ごめんごめん、そうじゃ無いんだ。ただ…」
再び訪れる、沈黙。でもそれは、さっきとは少し違ってどこか心地よい。そんな沈黙に身を任せるかのように、後輩の方もまたゆったりと首を傾げて待っている。…こんな感覚も、やはり二回目のことで。
「私って、幸せ者だなぁ、って。それだけ。」
こんなにも自分を思ってくれる人が、一人だけでは無かったのだから、それが嬉しく無くて一体何だと言うのだ。…本当に、世界というのは不思議なものだ。
「次ぁー、桜上水ー、桜上水でごさいまぁーす。お出口は…」
車内に響く、どこか抜けた男の声。その声を合図に隣合っていた少女のうち片方…後輩の方が、ゆっくりと席から立ち上がる。そのまま吊革に袖ごと手を掛けて、再び少女と向かい合う。そして、
「じゃ、また明日っすね。」
「ん。帰り、気を付けなよ。最近物騒らしいから。」
と、そんなありふれた別れの会話を交わす。その短い間にも電車はどんどんスピードを落とし、そしてついには停車。空気の抜けるような音を立て、生温い風とともに閉じられていた扉が開く。
その扉に滑り込むように少女は走り、勢いそのまま外へ飛び出す…寸前、扉に手をかけると、顔だけをひょっこりと出して、
「先輩こそ、お気を付けてー!」
と、満面の笑みを残してその場を去っていったのだった。
話を戻そう。
正義とは何か。そんな大層なこと、普通ならたかが女子高生ごときが大口を叩いていい内容では無いのかもしれない。
…でも、もしそれが分かったのなら、きっと私も変われるはずなのに。
そんなことをぽつぽつと考えながら、一人夜道を歩くことおよそ十分弱。吹き抜ける夜風の音と頼りない街灯の灯りに群がる微かな羽音を聞き流しながら、その建物は夜の暗闇の中から少しづつ姿を現してゆく。…私の、今の私にとっての、我が家の姿。
闇に紛れてはっきりとは見えないが、それは辺りの建物に比べて一回り大きな一軒のビルだ。所々に柔らかな橙色の灯りを灯し、そこから仄かに流れてくる優しい笑い声と晩御飯の匂い。
そんな空気に感化され、私も足早にその中へと入ってゆく。入り口を抜け、膝辺りまで下ろしたスカートを揺らしながら、そのまま颯爽と一階の奥にあるエレベーターの中へ。幸い、そのエレベーターはどこに呼ばれるでもなく私のことを待ってくれていたようで。
流れるように最上階のボタンを押し、外に顔を覗かせて人が来ないのを確認した後、再びボタンを押してその無骨なドアを締める。
「ドアが締まります、ご注意下さい。」
そんないつも通りの声に安心感すら覚えながらも、私は側の手すりに腰掛けてのんびりと目的地に辿り着くのを待つ。
…不思議と、こういう空間は落ち着くものだ。通い慣れていて、一人きりで、少し狭苦しくて。あまりいい要素が無いようにも感じるが、それでもやはりこういう場所は落ち着く。そんな安堵に身を委ねながら、私は耳の奥を微かに走る違和感とともに最上階に着くのを待っていた。
そしてそんな私に襲い掛かる、空虚な時間。そんな時には、私は特に何をするでも無くぼーっと考えてしまうのだ。
正義とは…正しいとは、一体何だろう。そもそもそんなもの、この世に存在するのだろうか?あったとしてもそれは、本当に世界を救える程の大仰なものなのだろうか?
考えても考えても、浮かんで来るのはただ疑問のみ。でもそれは、結局いつも通りのことで。何せ私は、その疑問に対する答えをもう数年近くの間出せていないのだから。
いや、そもそも答えなんて出なくて当然なのだ。私一人が…こんな子供一人がいくら頭をひねったところで、分からないのが当たり前なのだ。何故ならそれは、今までの歴史の中で、二千年以上に及ぶ果てしない歴史の中で先人達が追い求め、幾多もの思考と研究を積み重ねても尚届かなかった、たった一つの真理なのだから。
…でも。
なら、あれは偽りだったのだろうか。あの時の掌の暖かさも、あの時の涙も…あの時感じた、あの暖かな心の温度も。
「ただいまー。」
返ってこないことを分かっていながら、しかし私がそう言ってドアを開けるのはもはや習慣になってしまっていることだ。人気の無い、真っ暗な廊下。当然ながら灯りなんてついているはずも無くて、むしろついていたらいたで不気味なくらいだ。
そんな廊下にぱちりと灯りをつけて、その中をのろのろと進んでゆく。その疲労感ダダ漏れな挙動のまま、廊下の奥にあるその扉にゆっくりと手をかける。そしてそのままのろりと部屋の中に入り、再び現れた真っ暗な空間にしかし今度は即座に灯りをつける。
…いつも通りの、いつもの部屋。優しい橙色の灯りに照らされた、比較的質素な部屋。あちらこちらに私の趣味が散りばめられてはいるものの、それを除きさえすれば結構簡素な部屋なのかもしれない。
でも、住み始めてかれこれ一年ちょっとしか経ってはいないけれど…それでももう、ここは私にとって帰るべき家として完全に出来上がっていた。故に、こうして安堵のため息をついてしまう私も、やはりここでは普通の一人の幸せ者なのかもしれない。
左手に引っ提げていたレジ袋を落とし、右肩に掛けていたスクールバッグを同じく無造作に床に落とす。そしてふらふらと歩を進め、部屋の中心にあるソファーの元へ。そしてそこに辿り着いた瞬間…
「あぁーー……」
力尽きたように、そのまま柔らかなソファーの中へと沈んていったのだった。
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「…と供述しており、警察は引き続き捜査を進めるとのことです。では次の…」
…何とも、ぱっとしないな、今日は。
テレビのチャンネルを適当に回しながら、しかし気に入る番組は結局無くて。果てに辿り着いたニュース番組の中でさえも、気を引くようなニュースはこれっぽっちも有りはしない。いつも通りの、強盗やら殺人事件やらのオンパレード。もし私が正義のヒーローなら、こんなこともいつかは全部止めなきゃいけないのかな。だとしたら…手の届く範囲しか助けられなかったあの頃の私は、一体何だったのだろうか。
なんて物思いに耽りながらも、チャンネル回しの結果結局そのニュース番組に落ち着いた私は、テレビをつけっぱなしにしたままソファーの上で絶賛疲労と格闘中。一度こうしてソファーに横たわってしまった以上、どうにも自分の体が起き上がることを許してくれない。必死に勢いをつけ、何とか上体を起こすまでには至るものの…結局、疲れと癒やしの誘惑に負けて再び柔らかなソファーの上へと戻ってしまう。これ程までに手強いとは…現代技術というのも、中々どうしてやるじゃあないか。
そんなこんなで格闘すること数十秒。必死の抵抗の果てに、私はようやく疲れた体をソファーから引き剥がすことに成功。しかし相変わらずの疲労から生じたふらふら歩きは変わらないまま、部屋の入り口に放置されたレジ袋に手を引っ掛け、ソファー前のテーブルに置く。
その中から取り出したのは、帰り道で買ったコンビニ食の数々。パンに、サラダに、ちょっと洒落たカフェオレが一本。それらを適当にテーブルの上に並べ、今日の夕食、完成。…これ、もしも母にバレたら散々怒られそうだな。一応栄養バランスにはそれなりに気を遣っているつもりなんだが…
…そう言えば、よく聞くよなぁそういうの。アニメやドラマなんかで、親元を離れて独り暮らしを始めた主人公が「コンビニ弁当ばっかじゃ健康に悪いわよー」とか「ちゃんと自分でご飯作りなよ。でないと後で料理できなくて、色々後悔するんだから」とか言われて母親に説教喰らうシーンがよく登場する。私も多分、知れてしまえば同じように怒られはするだろう。…知れてしまえば、の話だが。
「では、次のニュースです。大手コンビニ企業である〜〜〜の商品から、異物混入の疑いが…」
「ほぶっ!?」
そんな私の耳に入って来る、現状の私にとってまさしくドンピシャなニュース。その驚きに思わず喉を詰まらせ、咳込みながらも何とか傍らに置いてあったカフェオレでその苦痛を飲み干す。その流れで一応囓っていたパンの中身を確認する…も、もう半分以上は食べてしまっているので時既に遅し。まぁ変な味とか食感とかはしなかったし…大丈夫だろ、多分。
しかしまぁ、世の中物騒になったなぁ…
そういうことなら明日くらいは作ろうかなぁ、自分で。なんて呑気に考えながら、咥えていたパンも食べ終わり、とりあえず今日のメインディッシュは終了。先に食べていたサラダの容器をパンの袋と一緒に空いたレジ袋の中に入れ、最後に残ったカフェオレのストローに虚しく齧り付く。少し温くて、でもちゃんと甘い。その味に仄かな幸せを感じながらも、そろそろ風呂にでも…
と、考えていたその時。
ふと、どこかから音がするのを感じた。どこか聞き覚えのある、心地のよい電子音。この音って、確か…
「…あ。」
遅まきながらその正体に気付いた私。思わず呆気にとられながらも、しかしこれ以上放っておいたら被害がますます拡大しそうで。尚も鳴り続ける電子音に急かさせるように、私はその音の発信源…部屋の入り口の傍らに置かれた鞄の中に置き去りにされていた、スマートフォンの元へと辿り着いた。
手元で起こした画面の中に表示された文字を見ると…何というか、まさしく予想通り。未だ私の手の中で細かく震え続けるスマートフォン、ここから今より展開される会話の内容としても多分、私の予想と同じはずだ。しかし、未だ音と振動のダブルコンボで私を急かしてくるスマホを目の前に、私としてはどうしても一瞬躊躇ってしまっていて。
……でも、出なきゃな、うん。
とようやく決心を固めた私は、ついにその画面…受話器のマークに、恐る恐る触れた。
「…あ……もしも…」
「ちょっとレンーー!一体あんた、いつまで私のこと無視する訳ーー!?」
予想その一、大当たり。ちなみに内容は、「電話の相手、間違い無く起こってるよなぁ…」でした。
でもそんなこととは裏腹に、その声に聞いた瞬間どこか安心感を覚えている私がいた。何せその声は、随分と久し振りで、懐かしいものだから。
「あぁー…あのぉ…
無視とかでは無くてぇ…ですね?」
「じゃあ、一体なんなのよ。」
「あ、えぇっと、それは…」
核心を突く質問。相変わらず、そうやって人の嘘を見破るのが得意らしい。…本当に、変わってないな。 二年前の、あの時から、何も。
…まぁ、こと今回の場合はかなり見破りやすいタイプの嘘ではあったのだと思うのだけれど。だって嘘じゃ無けりゃ、彼女がこうして怒っている理由が分からなくなってしまうから。
「…本当のこと、言って貰おうかしら。」
「…………
…忘れてました、なんつって。」
「…………」
「…ははは……は…はぁ…」
その沈黙に対して、こちらはただ笑うしか無い。でもその笑い一つで彼女の怒りが爆発しそうなこの状況では、そんなに派手に笑える訳も無くて。結局、苦笑いのような微妙な笑い声になってしまっていた。
「はぁ…もういいわよ、はいはい忘れてたのねー分かりましたー。」
「あのぉ…奏姫さん?」
「…でも、これからはちゃーんと付き合ってよね、いい?」
で、そんな私の苦笑いに対してようやく怒りを抑えてくれた彼女、基奏姫と呼ばれたその少女は、ふてくされた声で譲歩の提案。乗らねば再びさっきの二の舞いになりそうなこの状況において、選択肢はもはや一つしか無かった。
「はいはい。分かったよ、今度からはちゃんと付き合うってば。
…でも奏姫、ちゃんと他の人ともやってるの?学校の友達とか。」
「そりゃやってるよ、それこそ買った当日から、ね!」
何だか自分にばかり構われている気がして思わず聞いてみたが、どうやら無駄足のようだ。そりゃ、こんな人付き合い苦手な私でもいるんだから、奏姫にだって友達の十人や二十人、もうとっくにできているのだろう。
「それにみんな優しいんだから!一昨日なんて、何にも分からなかった私に色々と教えてくれて、お陰でもう完璧ですよ、完璧!」
「…いや、まぁそりゃよかったけど…
逆に言うと、この御時世に高校生がスマホの一つも持ってないなんて、正直凄いことだしね。」
先程から私達が一体何を語っていたのかと言えば、時は二日前に遡って。
「私、スマホ買って貰ったの!」
そんな電話が入ってきたのが、事の始まりだった。
「へぇ…ようやく、ね。よく許してくれたね、おばさん。」
「そりゃもう、せがみまくったもん!…それにまぁ、そんな常識的なもの一つ持たせて無いなんて、そっちの方が社会に出てから困るものねぇー、ってなんか急に許してくれたんだよねぇ…どうしちゃったんだろ、ホント。」
「…まぁ、なんかスマホ特集みたいな番組でも見たんじゃないの、きっと。」
まぁ、今時小学生でも持ってるような代物だし、持っていない方が非常識だというのはまぁ頷ける。
でも、あの時代遅れで頑固なおばさんが、ねぇ… 昔なんか、家に行くたびにやたら古臭い駄菓子が出てくるし、ちょっと倉庫に入って見れば当たり前のように蝮酒の樽が置いてあるような状況だったのに(ちなみに作って飲んでいたのはおばさん本人だったらしい)。
「で?それでどうして私に電話してきたの?」
そんな話はいいとして、とりあえず本題に入る。まぁ、スマホがどーたらって時点でもう、内容は決まっているようなものだが。
「そりゃ決まってるでしょ!SINEだよSINE!ね、いいでしょ?」
ちなみにSINEとは、今話題のSNSの中でも頂点をゆく、手軽にして便利なコミュニケーション機能の一つだ。その便利さたるや、つい数年前まで当たり前だったメールというシステムを完全に崩壊させ、今や子供から大人までスマホを持っている人なら誰もが入れているくらい今の世間にとって無くてはならない存在にまで登り詰めていた。
「まぁ、いいけど…ていうか、奏姫が始め次第こっちも登録しとくつもりだし。」
ちなみに電話の相手である奏姫とは、それこそ昔からの幼馴染だ。これまで散々無茶やって、喧嘩して、笑いあって…そんな楽しい子供時代を共に過ごした親友のことを無碍にするなんて考えは、私の頭の中には無かった。
…ただし、ちょっとめんどくさそうだなぁー、とは思っていたが。
「そう?よかったぁ…
ま、教えて貰えなくてもシグに無理矢理聞くつもりだったんだけどね。」
「あぁ……そう…」
シグ、というのは私達の共通の親友にして、同じく幼馴染なのだが、それはまぁ後述するとして。
…にしたって、もうそこまで分かってるのか…そう、SINEというのは実は第三者を通じれば一方的に他人を登録することだって可能。ある日突然、全く接点の無かったクラスメイトの名前がリストに入ってきて「うわぁ、めんどくさい…」なんてことになるのは、学生にとっては結構当たり前のことだったりする。私もその面倒の被害を蒙りかけていたとは…ちょっと恐ろしいな、それ。
「じゃ、そういうことだから、今からコード教えるねー。…あ、メモとかある?」
「スマホの中にね。はい、言ってどうぞ。」
「おー、そうなんだ!
さっすが文明の利器ー!」
そんなこんなで、私と奏姫との間にSINEによる繋がりができて、およそ二日。
「で、忘れてたって訳ね。」
「はい。滅相も御座いません。」
色々とやりたいことだらけだったこの二日間。どうせSINEなんて送ってくるのはあのめんどくさい後輩くらいなものだし、別に気にしなくてもいいかなぁ…と趣味に明け暮れていた結果が、これだ。
「でも、そんな忘れるとかって普通できる訳?だってあれって、嫌でも画面に出てくるじゃない。」
「あぁ、通知のこと?あれって設定で切れるんだよ。めんどくさければ。」
実際、私はそうしている。私以外にそんな驚異的なことをしでかしている女子高生がいるとは…とても思えないが。切るにしたってSINE以外にしておけばいいものを、なんて今更ながらに後悔する。
…だって、めんどくさいんだもん。いちいち画面に出てくるあの表示とか振動とか…基本的にスマホはゲーム目的がメインで使っている私にとって、通知というのは正直殆どの場合ゲームの邪魔でしか無い。その上音ゲーなんかやっていた日には…そりゃもう大惨事になりかねないのだ、通知というのは。
まぁ、それでも切ってはいけないくらい、大切な情報が流れてくることだってあるにはあるのだが。今回なんか、まさにそのいい例だ。
「ふぅん…ま、いいんだけどね。ちゃんと付き合ってくれるなら。」
「ハイハイ、今度からはちゃんと確認しますー。」
威圧感満載の念押しを軽く受け流して、しかし心の中では硬い決心を固める私。もう、これ以上の面倒はごめんだ。いくらこういうことに慣れているとはいえ、別に好きでやっている訳では無い。…それに、
「…奏姫とだって、色々話したいこともあるしね。」
「んー?なんか言ったー?」
本心で言っているのか、それとも聞こえていて尚からかっているのか…相変わらず、奏姫は分からない人だ。でもまぁ、そういうところも少し好きだったりするのだけれど。でなきゃ、こんなに長い間親友なんてやってはいられない。
小学校のは勿論、中学の友達とすらあまりコミュニケーションをとっていない現状で、数日前まではスマホも無かったいうのに毎度の如く電話をかけてくるんだから…もうこれを親友と呼ばずして何なのだろう。そしてその行為に確かな喜びを感じている私も、やはり彼女の親友なのだろう。
「それじゃ、切るよー。
私まだ風呂入って無いから。」
「あ、ちょっとー!まだ話したいことが…」
「だったら早速使えばいいじゃん、スマホ。」
「あ、そっか。
…なーんだ、じゃあ切ってもよし。お風呂から出てきた時にはレン、きっと震え上がってるわよー!」
「…じゃあ一応、しっかり暖まってから出て来るとしようかね。」
震え上がるて…一体どんだけ送ってくるつもりなんだ、彼女は。少し想像するだけでも、何百という一方的な会話がずらりと並んでいるのが目に浮かぶ。…やれやれ、一体それを読み解くのにどれだけかかるやら…
…でもまぁ、一応は楽しみしておくとしますか。あくまでも、程々に、ね。
「そんじゃ、また。」
「ん。また後で、ね。」
その会話を最後に、向こうから電話の切れる音がして、長きに渡る少女達の会合は幕を閉じたのだった。
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『へぇー…そりゃ大変でしたね、先輩。』
『まーね。ついさっきようやく終わったよ。…全くいつまで付き合わせるんだか。』
時刻は既に一時を周り、部屋の外にはもう灯りは殆ど残っていない。あるのはただ、消えかけの街灯の灯りと点滅する信号の光だけ。いつもなら空で耀いている月も今日限りは隠れていて、加えてこんな場所からは星の一つも見えはしない。で、結果として今日の夜はもう完全な夜の闇に飲み込まれていた。
…この部屋を除いては。
『いやぁー、でも正直びっくりしましたよー。こんな時間に、わざわざゲームに付き合えーなんて言うんですから。しかもSINEで。』
『…だってあんた、どうせ今日は起きてるでしょ?ついさっきまで深夜アニメやってたし。それに今日って…何だっけ?あんたがやたら推してた…』
『ひなくらですよ!ひ・な・く・ら!もー先輩、まぁーだ見てないんですかぁー?』
そんな会話が繰り広げられているのは、電話の中でもなければスマホの画面でも無い。薄明かりの灯された部屋の中で、一際光る長方形の画面の中。そう、私が今やっているのは…パソコンゲーム内のチャット機能を使った、ゲームの中での会話だった。
『見たわよ、一話だけね。』
『…その後は?』
『見てない。』
『……もはや、三話切りですら無いんですねぇ(´・ω・ `)』
繰り広げられるディープな話題もそこそこに、会話の待ち時間を利用して適当にキャラを操作。3D、それもかなり完成度の高いこのゲームのキャラクタークリエイトのシステムから出来上がった私のキャラを、ジャンプさせ、歩き回らせ、そう言えばアイテム足りてたっけとショップまで足を運ばせ…そんなこんなしながら、私はさっきまでより少しばかり遅い彼女の返答をのんびりと待っていた。
『…そう、ですか…
先輩、ああいうの好みじゃ無いんですね。残念…』
『いや、だって何もキャラまでCGで作ること無いでしょ。折角元が可愛いんだから、きっちり手描きで描いてあげればいいのに、勿体無い。』
立ち寄ってはみたものの、アイテムのコマンドを確認した結果完全にアイテムが揃いきっていたのを確認し、何もしないままにショップを後にする。最後の店員NPCからの挨拶がどこか皮肉っぽく聞こえてきて、何だか少し虚しい。
『でも先輩、自分のキャラはやたらと気に入ってるじゃないっすか。そこんとこ、どうなんです?』
『この子とアニメは別なのよ、別。この子はもうこの時点で出来上がってるからいいとして、向こうは仮にもアニメなんだよ。だったらもう、手描きじゃなきゃ可愛くないっしょ。』
そう言って、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら待ち合わせていたロビーに帰ってくる私のキャラ。そして彼女の前まで来ると、若干見せつけるようにその場をくるくると回りだす。
…しかし、本当に可愛いな、うちの子は。このキャラを一から作り上げた私としては、二年近くずっと操作していても全く飽きる気がしない程の出来なのだ。
このゲーム、よくある中世魔法系のMMORPGなのだが、その中でも結構キャラの種族が細かく決まっていたりする。鉄板であるヒューマンやエルフ、ドワーフは勿論のこと、獣人族やらヴァンパイアやら、とにかく沢山の種族がある。そしてこの子はその中の一つ、マキナという種族だ。
この種族、他とは違って人工的…基、ドワーフの技術から生まれた機械人形なのだが、これがまた結構人間的で…と、語り始めると途方も無い時間が掛かりそうなので、とりあえず今は省略。簡単にまとめると、中世なのに機械で、メカっぽいのにどこか古臭くて、それでいて可愛くて…いや、結局まとまって無くないか、これ。
『はぁ…嫁自慢、乙っすな。』
『嫁ってより娘な気が…いや、それもまた一興かな。』
そんなことを真面目に考えながらも、頭に浮かんだことを何気なくキーボードに打ち込んでゆく私。既にその手つきは慣れたもので、これを見た友達には毎回の如く「プロみたーい!」みたいなことを言われるものだ。一体、何のプロなのやら…
プロの…OL?なんか不自然な響きだな、それ。
とにかく、そんなOLさながらの手捌きから次々に生まれてゆく文字達は、画面のキャラの上に絶えることなく吹き出しを浮かべさせ続けている。向こうも向こうで相当なものらしく、その会話スピードたるやまるでネットの中でキャラ達が実際に会話しているかのようだった。
『…で?今日は一体いつまでお付き合いすればいいっすか?
私、今やりたいゲームが他にあってですね…』
『あー、あのFPSね。そういやあんた、一応プロのチームに入ってるんだっけ。』
『その一応ってのがどうにも納得いきませんね…これでも私のチーム、この前の全国大会じゃベスト4まで登り詰めたんっすからね!』
『ほえぇー…そりゃおめでとさん。』
『それ聞くのも二度目なんですけど!本当に忘れちゃったのかな、この人…』
そんなこんなで、未だネット上での熱い会話は続く。でも、確かに今って結構や時間なんだよなぁ…心なしか眠い気もするし、早いとこ終わらせた方が向こうの為にもなるっぽいし。じゃあ軽いクエストでも周って終わりにするか、と心の中で決定した、その時。
『あ、先輩先輩!ゲリラ来てますよゲリラ!』
ふいに画面に現れる、世界の変化。鐘の音が鳴り響き、ロビーの中が何やら忙しない。そして極めつけに、何も無かったはずの画面下に突如現れた一文「現在、ゲリライベント開催中!」。これを見てテンションの上がらないMMORPGプレイヤーなど…到底おるまい。
『ふぇ、マジ?ってまぁ、そりゃマジか。何のイベント?』
『って、これ確かあのマキナ限定武器が落ちるクエストじゃなかったでしたっけ?先輩、前にかなーり欲しがってたような…』
その瞬間、自分の中に何かが走る。それは一筋の決意のような、かつて諦めたはずのものに対する執着のような、そんな感情。しかしそれらが意味するところは、一重にたった一つで。
『…リリ、分かってるわよね。』
『ハイハイ、ていうかいい加減ゲームネームで呼ぶのやめてくれません?ここならともかくリアルで呼ばれると流石に恥ずかしいんですけど…』
『今はそんなこといいから!!
とにかくこれからの一時間、全力を持って挑むわよ!分かった!?』
文字を打つ手に、力が入る。当然だ、何せ今回のイベントで手に入る武器というのが、マキナが所持できる近接系の武器の中でも最強クラス。そしてなにより、見た目が圧倒的にうちの子に合っているのだ。つまりあの美しい武器は…ただ一人、我が子にこそ相応しい。やたらめったらネットで自慢しているような適当なキャラが持っていい代物では、断じて無いのだ。
その証明が、今から始まる。この一時間、私の持てる全てを使ってなんとしてでも乗り越えてやる。ドロップ率の壁を超えて、あの輝かしい武器を、栄光を…手に入れなければ、絶対に。
『分かりましたよ、今日ばかりは流石にお付き合いするっすよ。
…さて、開始まであと五分か。うちのメンバー今から集めるのもめんどいですし、どっか適当なパーティーにでも入れてもらいますか。』
『そーね、でも一つだけ。
…今回ばかりは、ちゃんとしたパーティーに入るわよ。それこそこの一時間、きっちりみっちり付き合ってくれるパーティーに、ね。』
『はぁ…あ、ならもう私が作っちゃいますね、多分このタイミングと私よレベルならすぐに集まりますし。』
『オッケー、よろしく。
…あ、あとレベルは五十以上でよろしく。』
『ハイハイ、今日の先輩容赦は無いっすねぇー。』
そんなこんなで、私の終わりなき挑戦が今、始まろうとしていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「終わったぁーー…」
現在、午前三時半。真夜中も真夜中、これ以上起きてるとそれこそ次の朝に支障をきたしてしまいそうな時間である。まぁ、ショートスリーパーを自負している私にとっては二時間寝れれば別段私生活に支障をきたすことは無いのだが。
しかしそれ以上に、今はこの疲れを癒やしたい…
結局、あれから一時間みっちりクエスト周回を続けた結果、残り三分というギリギリもギリギリなタイミングで何とかお目当ての武器をゲット。そのあまりの喜びから、その武器使いたさに眠気も疲れも忘れてレベル上げを一時間半。結果的にこっちの方が長くなってるのは、まぁ…あの時のテンションが引き起こしたアドレナリン的な何かによる影響だったのだろう。とはいえ途中からはリリ…あのやかましい後輩も抜けてしまい、一人寂しくソロ狩りをエンジョイしていた訳なのだが。
それでもやはり、この喜びには抑えきれないものがあって。全く、これだからゲームってのはやめられないんだよなぁ…
「はぁ…
満・足・だ…」
そんなことを抜かしながら、私は念願のベッドの上に顔からバタリと倒れ込み、ただ無気力にその癒やしの中へと沈み込んでゆく。そしてそのまま動く気力も失い、そのまま夢の中へ…というのもあれなので、一応仰向けになって、それなりの体制変更をした後に「…あれ?歯磨いたっけ?」なんて唐突な不安要素を見つけたりしながらも、やっとのことで訪れる睡眠タイム。
寝間着のポケットに突っ込まれていたスマホをおもむろに取り出し、アラームの確認。…そう言えばさっき「明日の朝ご飯くらいはちゃんと作るか」みたいなことを考えていた気もするし、ちょっと早めに設定するとして…と、ようやく就寝に至るまでの一通りの準備が完了した。
ふいに、横にある窓の外を眺めてみる。レースのカーテン越しでよくは見えないけれど、とりあえず分かるのは外が真っ暗なことと、今…最悪明日一日中は曇りが続きそうだということ(明日と言っても、正確には今日なのだけれど)。こういう風に改めて部屋の空気を感じてみて、始めて感じるこの空気の冷たさとジメジメ感。なるほど、星が一つも見えないのはこのせいだったのか。ちょっと空気が汚れてるからって、こんなのいつも通りかなぁ…なんて、馬鹿にしてすみませんでした、東京さん。
…明日は、一体どういう日になるだろうか。
きっと、いつもと何も変わらない一日だ。朝起きて、学校に行って、それなりに友達と喋って、それなりに勉強して、帰ってゲームして…そして結局、またこうしてベットの上に帰って来るのだろう。何せそんな日が、もうかれこれ一年以上ずっと続いているのだから。
そりゃ、たまには例外だってあった。文化祭とか、夏休みとか、クリスマスパーティーだとか…とにかく色々。でもそれら様々な日々の中で一つ、共通して言えることが確かに存在していた。
「…平和、だなぁ…」
日本人ならさも当たり前のように享受しているこの感覚が、私にとっては未だにどうも不自然でならない。…そりゃ、この国で戦争が起こることなんて万が一にも無いだろうし、テロの一つだってろくに起こりはしない日本で生きている人間にとっては、平和というのはそれはそれは身近な存在なのだろう。そして何より、それは私自身が常日頃経験していることでもあった。
「私も一応、日本人ってことにはなってるんだけどなぁ…」
かくいう私とて、勿論日本の国籍を持つ立派な日本人の一員である。というかむしろ、他の国の国籍なんて一つたりとも持ってはいない。
故に、私にもあるはずなのだ。ここに住む皆と同じように、一つの常識として存在するこの平和を我が物顔で享受する権利が。
でも、慣れないものは慣れないのだ。それが私という人間の…神導寺紅炎の、生まれ持った運命なのかもしれない。平和はいつまでもは続かない。ある日突然崩れ去って、自分の前から何もかもを奪い去ってゆく。…それも、たったの一瞬。死という結果を伴って。
だから私は、正義のヒーローに憧れた。
自身の正義を貫き、例え何が起ころうと決して屈することの無い最強の存在。そんな肩書きが私にもあれば、きっとみんなを…私がここで貰った大切なものを、全てきっちり守れるはずなのに。
でも、分からないのだ。
正義とは、一体何なのか。その正義のヒーローとやらは、一体誰にとってのものなのか。自分の救いたいものだけ救って、それ以外は見捨てて…そんな者を、人は正義のヒーローと呼べるのだろうか。
…それは、ただの自己満足に過ぎないのでは無いだろうか。
「もう、いい加減に寝るとしますか。」
思考の渦に飲み込まれ、ふと傍らのスマホを見ればもう時刻は四時を回ろうとしていた。…流石にこれ以上は、私とて生活に支障が出てしまう可能性がある。家で勉強をしたくない分、学校の授業くらいは寝ずに真面目に受けなければ。
それに、忘れかけてはいたが明日は自分で朝ご飯を作る予定もあったっけ。ニュースに流されて軽く決定した事項ではあったのだが、一度自分で決めたことはどうあっても曲げられないのが私という人間だ。
崩れていた掛け布団を整え、それまで開いていた瞳をゆっくりと閉じる。
そうすればもう、目の前に存在するのはただ暗闇だけ。音もせず、匂いの一つもしない。今はただそんな暗闇の中へと身を委ね、眠りの時を待つのみだ。
…ふと、怖いと思ってしまった。
私はこれから、どうなるのだろうか。またくだらない夢でも見て、気付いた時にはまたこのベッドの上で朝を迎えることになるのだろうか。…世界は、明日も平和だろうか。
夢…そういえば最近は、きっぱりと見なくなったな、あの悪夢。
噎せ返るような血の匂いと、辺りから木霊する怨嗟と恐怖の悲鳴。その中をただ、私は進んでゆくのだ。…その先に立ちはだかる全てを、無残に切り裂き、撃ち抜きながら。
そんな夢を見る度に、私は幾度となく恐怖を味わってきた。でもその恐怖の本質は、その夢の内容自体では無い。私が何より怖かったのは…そんな壮絶な悪夢を見ておきながら、冷や汗をかきながら飛び起きる訳でも酷い形相でうなされる訳でも無く…そんな夢を見ても尚、いつものようにスッキリと朝の目覚めを受け入れてしまえる、私という存在そのものだった。
…でも……
「大丈夫!なんてったってここは日本!平和と自由を愛するスーパー国家なんだから!」
…無いんだよね、もう。
ここは日本で、平和で、自由で、そして…
「それにもしものことがあったって、私達なら大丈夫だよ!だってあなたは、一人じゃ無い。少なくとも、私がずっと側にいるもの!」
…優しい人達が、沢山いる。
目に見える全てが輝いていて、でもそれは私にも見つめていられる程に優しく、暖かい光で。それはいつも私を導いてくれて、暖かく包み込んでくれて…
そんな光の一部に、私ももうなっているのかな。私も、他の誰かの光になれているかな。
私は…
「それに…
私達は、今日から正義のヒーローだもの!」
誰かのヒーローに、なれているのかな。