87日目:ちなみに
「ちなみになんだけど、」
この時まで、私はどんな作品を書いているのか知りませんでしたから、それを知る権利くらいはあるのではないかと考えていました。もちろん、それを世に出すわけですし、そのための親との会議の資料の為にも、目を通すべき案件だと思っていました。
玄関まで見送って、帰ってきた香湖さんを何となく見つめつつ、私は切り出します。
「どんな作品を書いているんですか?」
瞬間、彼女は体をビクッとさせました。体を元に戻そうとしません。眼鏡をはずして、机の上に置きました。そして、彼女は再び私の目の前で正座をします。その一挙手一投足に視線を集中させます。何でしょう、この動き。ぎこちなくて、落ち着かない。
しかし、一体全体彼女はどんな作品を書いているのでしょうか。
風貌からのイメージで語るなら、4コマ漫画とか書きそうですよね。女の子と可愛いものを存分にあしらった感じの。あんまり、詳しくはないので具体的にと訊かれると口ごもってしますけど。
理系は苦手と言っていたので、SFとかではないんでしょうけれど、やっぱり王道のファンタジーなのでしょうか。あるいは恋愛ものとか。
学園ものだったら、本読まずで有名な、本の虫ではなく本を無視で有名な私でも読めそうです。バトルものだと厳しくなっちゃいますけど、たまにアニメとかで見ると、「かっこいい!」とか思ったりもしますし、そう言うストーリーが書ける人って、素直に尊敬してしまいます。
どんな作品かなとワクワクしていると、彼女はもじもじし始めました。
頬を紅潮させては唇を噛み、手を伸ばすかと思いきや、その手を戻したり、なんだか落ち着かないのです。
「……どうかしたの?」
「え⁈い、いや?な、何でもないよ。そうだよね、マグロって美味しいよね、はっははは!」
……いやいや、へたくそすぎますって。それで誰が騙せるんですか。
「いやいや、どんな作品を書いているのかってだけだよ。別に、批評とかするつもりないし。というか、私にそんな才能ないし」
「え、ええと、それは、そうなんですけど」
ぎこちなさがピークを迎えたところで、彼女の視線は机の下に行っていることに気づきました。まあ、他の人だったら一発で見抜くんでしょうけれど、私はそこまでの能力を兼ね備えているわけではないので。能力というよりは、関心ですか。
人に対する関心。
出来事に対する関心。
全てが他人事で、対岸の火事で。
被害者意識も、加害者意識も、当事者意識すらない。
それが、私。
だから、成長するために必要なイベントをことごとく無視して回る。
このままが良くて、このままで良くて、それ以外が面倒くさい。
ダラダラと、生きていく。
何の目的もなく、生きていく。
進歩も進化も成長も成功も失敗もせず、なあなあで人生を進んでいく。
私は、それほどまでに終わっていたようです。
いつになっても死なない、このウロボロスの世界を、私は幸福だと感じているのです。
何をして生きていても、何をしなくて死んでも、結局は新たな世界に迷い込む。
目の前で好きな人が死のうが、私が死のうが、そこに差異はない。
私は、それすらも興味がない。
……どうしたんでしょう、急に。まるで魔が差したように気分がブルーになっていきました。
気を取り直して目の前の香湖さんを見ましょう。相も変わらず愛くるしい表情を浮かべています。なんて可愛いのでしょう。小動物のような可愛さを感じます。
「あ、あの、馬鹿に、しませんか?」
「何で馬鹿にするの?」
「馬鹿にするっていうか、引きませんか?」
「惹かれてますけど、引いたりなんてしませんよ」
「じゃ、じゃあ」
そう言って、彼女は机の下からその原稿を取り出してくれました。




