48日目:一風の過去と無戦姫の存在と
一言で言えば、荒れ果てていた。
平たく、端的に、有体に言えば、目も当てられないほどに荒れていた。
壁紙という壁紙が剥がされ。
棚という棚が倒れ。
電球という電球が散らばり。
この世の地獄とも違わぬ世界がそこに広がっていた。
「申し訳ない。これ以上の片づけは、できないんだ」
猫背のまま、俺らの方に視線を向けず、彼はそう言った。
座る姿勢は、本当に体の一部を失ったような喪失感で溢れていた。
「いや、こちらこそ。こんな時に押しかけてしまって申し訳ない」
「それで、何かな?僕に、訊きたいことでもあるのかな?」
面倒くさそうに、あるいは話すのが辛そうに、彼は俺らに問いかけてきた。
真っ先に応えたのは、この女である。
「ああ、そのために来た」
瞳は、今までにないほど鋭く、尖っていた。
「じゃあ、何かな。訪ねてくれても、尋ねてくれなきゃ、答えられないよ」
彼は、開き直ってそう言った。
「では、初めに聞きたい。単刀直入に訊くが、良いか?」
声のトーンが低くなる。これが、この女の本気モードか。
「良いよ」
すうっと深呼吸をし、この女は訊いた。
「世界を変えたのは、お前か?」
「どういう風に世界を変えたのか、訊いてもいいかな?」
「どういう風に?」
つまり、こいつは取り調べ時の受け答えのように、答えているのだ。事実を、曖昧なままで受け入れず、しっかりとした線引きをしてから、イエスかノーかで答える。それが、彼のやり方らしい。
「いや、ええと」
この女は、答えに詰まった。
「だからね。世界を変えるって言っても、色々手法はあるんだよ。たとえば、政治的に。あるいは、経済的に。または、スポーツ的に。学問的に、概念的に。さて、僕は何をどうやって、変えたのかな?」
にやけているのが分かった。どうやら、精神的におかしくなっているらしい。
「お前は、時間軸を、変えた」
たどたどしいが、間違ってはいなかった。本当に、間違ってはいないようで、彼も
「そうだ。正解だ。俺は、時間軸を変えた。そうやって、概念ごと、この世界を変えた」
と、あっけなく答えた。
「それで、それを暴いたところで、どうするつもりなんだ?解き明かしたところで、何も変わらないぞ?渦巻式の時間が過ぎていくだけだ。そして、中心から失われていくだけだ。いづれなくなる命なら、むしろその方が公平だとは思わないか?」
「公平?」
「公平というか、道理というか。何もかも進んでいった国から亡くなっていくというのは、至極まっとうなことだと、思わないか?だって、単純に考えてみれば、老若男女で最初に死ぬのは、真っ先に死ぬのは、老人だろうよ」
そういう彼は、リビングから離れ、台所へと移った。訪問客から言うのもなんだが、彼はお茶を出すというようなことをしてくれなかった。
「じゃあ、もう一つ聞いてもいいか?」
威勢よく食らいつく先崎咲季。
「なんだ?」
「じゃあ、陽元王国って言うのは、所謂空想都市、架空の都市ということで良いのか?」
「そうだ。完全に正解だ。それは、静さんが作った産物だ。先輩は、言い小説家になれると思ったんだがなぁ。まあでも、子供を産むって言うんだからしゃあないわな。俺たちは、口車に乗せられて、こんな風に世界を作っちまったわけさ」
びっくりするような、しかし言われてみれば、思っていなかったわけではないセリフを彼は吐き捨てるように言った。
「静さん…ということですか?」
優しく尋ねたのは、妹御だった。
「いいや、違う。あいつは、確か無戦姫といったかな」
「……無戦姫?」
無戦姫。戦わずして、頂点に立つ姫。世界の中心。いるようでいない存在。生きているようであり、死んでいるようである少女。少女みたいな女性のような、姫。見る者によって見た目が変わるというのは必路っぽいが、無戦姫はそことも一線を画している。
「ああ、俺たちはそう呼んでいたけどな」
「無戦姫に、なんて言われたんだ?」
「うーん。正確には、無戦姫とすでに手を組んでいた京さんから、『新しく世界を作り変えないか』と言われたんだよ」
渋るのかと思いきや、意外とあっさり答えてくれる。
「いつごろ、言われたんだ?」
「……ええと、いつだったかなぁ。だいぶん昔の話だからな。なにせ、構想から完成まで20年以上かかっちゃっているわけでさ。20年というとどうだろう。大学生の時くらいかな?」
「大学……」
「そうそう。静さんが、1個上の先輩で、俺と京さんが同じ学年。先輩とは違う学部で、俺と京さんは同じ学部だったよ。物理学部さ。それから私は、物理学の教授となったってわけさ」
意外と語ってくれるのか。
「なあ、久郷さん。久郷一風さん。無戦姫の居場所って、分からないか?」
「こればっかりは、分からないねぇ。最後の方なんか、一度だって見てないし」
「そうか」
「……でも、」
顎に手を当てて、少し溜めて、
「静さんなら、分かるかもしれない」
と答えた。
「静さんは、いつも彼女と共にいたから。京さんが亡くなった今、知っているのはきっと静さんだけだろうね」
「静さんは、」
俺がそう言ったとき、この女は察したように、震えた声で、呟いた。
「静さん、今どこにいるんだろう?最近、全然見かけないんだけど、それこそ刀以来、見かけてないんだけど……」




