42日目:出航の時
俺はこの女と共に日本へ向かうことを決意した。誰かが俺に会いたいと言っている。それを無下にすることは、俺にはできない。
できないし、資格もない。
この女に対し、刀をしまえと視線を送ると、あっさりと俺に渡してきた。
なんだ、お前の大切なものではないのか?
こんな時にあれだが、自分の物は大切にした方が良いぞ。ましてや、自分が好きなものならなおさら。いつなくなるか分からないし、いついなくなるか分からないからな。
昨日と同じ今日が来るという保証は、今日と同じ明日が来るという保証くらいない。
過去とは、過ぎ去ったもの過ぎず、未来とは、そもそも未だに来ていない産物だ。
その時に持ち合わせた能力と、感情と、知識と、経験で生きていかなければならない。
手渡してきたこの女の刀は、しかし見覚えがあるものだった。見覚えというか、身に覚えというか。つまりは、知り合いのものだということだ。
そうか、あいつはもうこの世にはいないのか。
涙は一滴も落ちない。
この女から手渡された刀を船に置き、俺は準備を始めた。
折角なので、ついでに釣りをしていく。
ようやく自分にも当事者意識が出てきたところで、出航させた。
「ねえ、三虎さん」
「ん、なんだ」
「三虎さんて、ずっとこの国にいたわけでしょ?生まれた時からずっと。子供の時も、大人になってからも、ずっとここにいたんでしょ?」
俺は、年上に対して敬語も使えんのかと怒るような、狭量な奴ではない。
「何が言いたい」
「いやあ、船は持っていても旅行はしたことがないのかなって思って」
「しなくてもいい」
「冷たいなぁ。いやあ、実はあたしも旅人の身でしてね。と言っても、海外は行ったことがないんだけれど」
「海外に行ったことがないなら、旅人とは言えないだろう」
もちろん、真面目に考えれば、思考に熟考を重ねれば―――否、そんなことしなくとも―――、海外に行かなければ旅人ではないということは無い。国内旅行だって立派な旅だ。そもそも、昔の人なら、そして島国なら、文字通り海外に出ることは困難を極める。俺のように船を持っていれば、余裕で行けるだろうが、昔にはそんな道具は無いのではないだろうか。
「いやあ、でもあたしは時間を旅行しているんだよ」
「時間を?」
海外よりも先に、この女は時間を超えたというのか。まあ、もちろん昔の国王にそんな奴がいるし、今でも守り人のうちの一人に、そんな奴がいるが、でもこんないっぱしの一般人がそんなことができるのか?俺らよりも高度な文明を持つ国があるのか?
渦巻の中心にいる、俺ら以外に?
「いやあ、これに関しては実はあたしもよく分かっていなくって。後輩ちゃんに聞けば理屈は説明してくれるんだけど、あたしにはちっとも」
申し訳なさそうにこの女は頭を掻く。
そう言えば、日本というのはすぐ近くにある国であり、よくこの王国から旅行しているものがいると聞く。柢沼家も御多分に漏れない。きっと、彼女が死んだあと、家族総出で日本へと引っ越したのだろう。
そう、我々なら時間旅行は可能なのである。
しかし、一小国である日本で、そんなことができるのか?
時代は、もうそこまで進歩しているのか?
「海外は一度行ってみたいんだよねぇ。ヨーロッパとか、行ってみたい。最新鋭の武器とか、少し興味があるし」
ヨーロッパって、確かあの貴族だけが楽しんでいて、9割がた農民の、あの地域だろう?
どうしてあんな所に行ってみたいというのだろうか。
おかしい、おかしい。何かがおかしい。狂っている、壊れている。
自分の頭がおかしくなっているのか、世界がおかしくなっているのか定かではないが、とりあえず俺は違和感を感じた。
何かが、変わっている。
昔から、勘の良い方ではあった。
「なあ、女史」
「……え、女史?」
「ああ、そうだ。女史、お前に少し聞きたいことがある」
「は、はい。何でしょうか?」
「ヨーロッパって、そんなに進んでいるのか?」
「ヨーロッパ、行ったことないの?まあ、かくいうあたしもネットでしか見たことがないんだけど、でも世界でもトップレベルの、いわば先進国だよ?」
……先進国、だと?
渦巻の中心からほど遠い、かの地域が?
「じゃ、じゃあ最近見つかった、アメリカは?」
「最近?いやいや、アメリカって。世界一と言ってもいいくらいの先進国じゃん」
……俺の常識が、崩れ始めている。頽れ始めている。
アメリカが……先進国だと?
「すげえこと言うなぁ。さすが、陽元王国の住民は違うや」
「いやいや、そんな事ではない。確かに、国というのは平等であり、公平だ。馬鹿にしているように聞こえたならば謝る」
というか、勝手に人の心を読むな。
「いやまあ、別にいいですけど。でも、どうしてそんな疑問が浮かんだんですか?」
「……時間って言うのは、渦巻き式に流れているじゃないか」
質問というよりは、完全に確認のための疑問形だったのだが、そこでこの女は立ち止まってしまった。戸惑ってしまった。
「……え?渦巻?」
「……え?違うのか?」
「え、ええと、?なんて説明すればいいのか、分かんないけど、え?」
動揺が隠しきれていないどころか、ひしひしと伝わってきた。
違うのか?ここと、そこじゃ。
陽元王国と、日本じゃ。
「トキって言うのは、鳥の名前ですよ?」
動揺が大きすぎて、とうとう訳が分からなくなっている。
「違う。トキではなく、時。時間の話だ」
「あ、そうか。ごめん、ごめん。時間って言うのは、帯状に、まっすぐに流れているんじゃないの?」
……帯状に、まっすぐ?
「なんつうか、この世で一番平等で、公平。それが、時間ってやつだと思っていたけど」
ぽかんとする二人は、そのまま沈黙に包まれた。
船の駆動音だけが響き渡る。
このだだっ広い海洋を、駆動音だけが、響く。
「詳しく、聞かせてくれないか?」
「詳しく、聞かせてくれない?」
二人の疑問が、同時に浮かんだ。
太陽の下、大洋の上で。




