VI-12.最後の願い
「偶谷くんの、お父さん……」
一体どんな気持ちで、偶谷くんを見張れなどと言ったのか。それが実の息子に向かって言うことか。怒りにも似た感情が、わたしの中で渦巻いた。
「偶谷君がそうやって見張る対象になったのは、四半妖獣なのに人間を食べないからとか、そんな理由じゃない。むしろ彼を囲むのはみな、人間を食べない方の四半妖獣だ」
「……じゃあなぜ、偶谷くんは」
「偶谷君の狩気能が、あまりにも危険だからだ」
「狩気能……」
わたしを何度も呼吸困難に陥らせた、あの青い目の狩気能。退妖獣使や何らかの形で妖獣を知っている人なら、青い目というのがどれだけ異常かはすぐに分かる。
「偶谷君には幼い頃からすでに、その片鱗が見えていた。偶谷君が一度街に出ればすかさず、その目を見た人がみな体調不良を訴えた。それが何度も何度も起きたものだから、偶谷君のお父さんは気味悪がって、偶谷君を捨てるようにして施設に預けてしまった」
「……いくら気味が悪いからって、実の息子を捨てるのはないんじゃないんですか」
わたしの怒りはまだくすぶっていた。その怒りを植川にぶつけるのはお門違いだということは分かっていても、わたしにはそうするしかなかった。
「それは僕のあずかり知るところじゃなかった。でも僕の父親は反対した。確かにただその狩気能の力をコントロールすることしかできない僕たちは、狩気能そのものを抑え込むことはできない。でもコントロールがうまく行けば大丈夫だという話は何度もした。それでも偶谷君のお父さんは、聞き入れてくれなかった」
「……ひどすぎる」
「なら、」
植川が一段と大きな声でわたしに言った。
「なら花宮さん、君はあの狩気能が本格的に発現した時、何も思わなかったのか?」
「それは……」
「あれだけ不気味な狩気能を正常だと判断する退妖獣使や四半妖獣は、むしろ極めて愚かだと言っていい。僕が偶谷君のお父さんの立場でも、きっと同じことをしただろう。……あの覆面をした四半妖獣の主張することも、僕には分かる」
「……!」
私たちを狙ってきた、あの四半妖獣。ここに来てその名前が出てきた。
「彼は偶谷君を殺すつもりこそないが、連れ去ろうとしている。彼のことだから今頃は、遼賀さんと戦っているはずだ」
「かおるんが、一人で」
わたしがいなければかおるんは戦えない、と言いたいわけではない。実際私がいなくてもサポートがないせいで少し腕が鈍るだけで、戦うこと自体はできるだろう。だが、その鈍りは大きなハンデになる。
「……この森は生半可な方向感覚があったところで、何の役にも立たない。君も何度か見たことがあるはずだ。四半妖獣が討伐され処理されると、跡形もなく消えてしまうのを。あれは遺体を分解しているわけでは決してない。遺体はそのまま、この森のある山に埋められる。古くからの習慣で、そうなっている」
何が言いたいのか。わたしは続きを聞くという意味で、あえて黙ってじっと植川の目を見た。
「一説には、アヤカシの血は本人が死んだ後も影響を及ぼし続けると言われている。それが本当の理由かどうかは分からないが、この山全体が結界のようなもので覆われて、狩気能や妖獣の本能を使った方向探知が一切できないのは事実だ」
わたしがかおるんの位置を探れないのは、頭の打ち所が悪かったから、などではなかったということか。つまり時間が経てば治る、というものでもない。八方塞がりとはこのことか、とわたしは自嘲した。
「……ただ、策はある。花宮さんが無事に遼賀さんと合流できて、それからこの樹海を脱出できる方法は、一つしかない」
「……」
「僕の力を、使ってくれ」
植川がわたしに再び、頭を下げた。植川の力を使うとは、どういうことか。
「さっきも言った通り、僕は植物全般を司る四半妖獣の一族だ。花宮さんが妖獣の場所や性質を探知できる本能を持っているのと同じように、僕はあらゆる植物と深層部分でコンタクトをとって、様々な情報を得ることができる。もちろん、どの方向にどれくらい行けば、この樹海を抜けられるかということも。ただ、それには僕が花宮さんに憑依する必要がある」
「憑依……?」
「正確に言えば、僕の狩気能を使って、花宮さんの腕の一部になる。僕の狩気能は、自分の体を細分化するものだ」
「なぜ、憑依の必要が?」
それは至極まっとうな質問のはずだ。憑依という非現実的な言葉もさることながら、男性がわたしの腕とはいえ体の一部になることに、単純に抵抗があった。
「……僕も抵抗されることはよく分かっているつもりだ。それに花宮さんに僕が憑依すれば、花宮さんは獏と森の四半妖獣になってしまう。ただ、そうすることでしか僕の力は使えない。僕は深層部分で植物とコンタクトがとれると言ったが、その結果返ってくる答えは感覚的なものに過ぎない。花宮さんにこうすれば脱出できると、言葉で説明することができないんだ。だから、僕の持つ本能そのものを、花宮さんに使ってもらう必要がある」
「……分かりました」
そうすることでしかかおるんを救えず、脱出することもできないのなら。抵抗があると言っている場合ではないのだろう、とわたしは思った。自分が優柔不断ではなかったことに、少し安心した。
「ただ、一つお願いがある」
「お願い?」
「僕に一つだけ、遺言を遺させてほしい」
「遺言……?」
不穏な言葉だったが、わたしの中でその言葉の意味が咀嚼できると、背筋が少しぞっとした。
「もしも僕が花宮さんに憑依するとなれば、僕という存在は消えることになる。もちろん、ここを脱出できた後にしかるべき処置をすれば、花宮さんは半妖獣に戻れるだろうし、僕も生還することができる。ただ、間違いなくこれまでの僕の記憶は消える。だからまだ僕の記憶があるうちに、頼まれてほしいことがある」
「……分かりました」
わたしがうなずきながらそう言うと、植川がわたしの手をそっと握った。その手は温かったが、自分が消えてしまうことへの不安のせいか、少し震えていた。わたしはその手を、強く握り返した。
「僕の記憶が消えても、……僕を東雲さんに、導いてほしい。東雲さんを悲しませることがないように、と僕に言ってほしい」
「……!!」
わたしがその言葉の意味に気付いて目を見開いた時には、もう遅かった。植川の体は夜の闇にきらきらと輝く光の粒になって、わたしの右腕を囲った。そのまま光の粒はわたしの腕に溶け込んで、再び辺りは暗くなった。
”――。……――~~~、……”
植川が手に持っていた懐中電灯は植川の存在を象徴していたかのように、地面に落ちるとともにスイッチを切った。そして辺りを明るくするものが再びなくなった途端、わたしの心の中に音のような何かが流れ込んできた。およそ言葉からは程遠いが、わたしの感覚に訴えてくるものだった。目を閉じてじっと集中すると、その音のようなものはより濃く流れ込んできた。
「……かおるんは、どこ」
その問いかけにもやはり、音のような何かが頭の中に響く。わたしはそれに導かれるように、迷うことなく足を進めていった。




