VI-10.一人でも、戦うしかない
「……っ」
意識がわずかでも戻った瞬間、全身に鈍い痛みと鋭い痛みの両方が駆け巡って、嫌でも意識が明瞭になった。少し使い古した感じのある白装束はあちこちが地面に擦れて汚れ、またところどころ破れている箇所さえあった。それだけに今目が覚めていることの方が驚きだった。退妖獣使の体が屈強にできているという話は、本当なのかもしれない。
「ここは……」
自分が今いる場所については、まるで見当がつかなかった。あの覆面の四半妖獣を追うのに必死で、自分が今どこにいるのかなど気にする余裕はなかった。ただ、家や学校のある場所からは遠く離れている、ということだけは分かった。
何とか軽い傷で済んでいるところを使って、上半身を起こした。夜の暗さも手伝ってか経験したことのない闇が、私を囲んでいた。少し遠くで聞こえる遠吠えや、ガサガサと茂みをかき分ける音がより一層大きく響いて、私に確実に恐怖感を植え付けようとしていた。
幸い出血している箇所は少なく、力を入れればよろけながらも立ち上がることはできた。次に私は香凛を探すために、すでに踏み分けられた道を見つけようとした。暗闇の中でも、そこが道のような場所かそうでないかは、何とか分かった。
「香凛が落ちた後私もすぐに落ちた……から、そう遠くはないはず」
香凛が無事であることを祈りつつ、私は歩みを進めた。しかし同時に、私の歩く方からこつ、こつ、と私のものとは別の足音が聞こえた。動物のそれではなく、明らかに人のものだった。
「誰!」
「あれはついてくるな、という意味だったんだが。分からなかったか」
その姿形が、ぼんやりと私の目の前に現れた。声色からして、覆面の四半妖獣だった。右手には刀を握っていた。
「香凛をどうしたの」
「知るか。もう一度言うが勝手についてきたお前たちの方が悪い。あと少し命中箇所がずれていれば、一瞬で絶命していただろうな。悪運の強さが味方したようだが」
「偶谷くんは」
「適当に眠らせて置いている。前にも言ったはずだ、俺は虎野とは違う。偶谷を殺すつもりは全くない。お前たちのもとにいるべきではない、ただそれだけだ」
「私たちのもとに、いるべきではない?」
「お前も伝統的な退妖獣使の家の出身なら分かるだろう。四半妖獣と退妖獣使が袂を分かってから百数十年にもなる。考え方の違いで決別したのをなかったことにするのは不可能だ。まして四半妖獣の方から退妖獣使に歩み寄るなど、ありえない」
「それは、普通の四半妖獣の話のはず」
私がすかさず言うと、覆面の四半妖獣は少し沈黙した。私の指摘は合っているらしかった。
「確かに人間を食べて害をなす四半妖獣なら、その理屈は通じるかもしれない。人間にわざわざ歩み寄った退妖獣使を嘲る四半妖獣がいてもおかしくない。けど、偶谷くんは違う。偶谷くんは人間を食べることを嫌うし、退妖獣使に協力する、って自分から言ってた」
「その”普通の”四半妖獣から、偶谷が疎まれていたならばどうだ?」
わずかな余裕もない。覆面の四半妖獣が一瞬の隙をついて私のこめかみに銃口を押し当てた。私は動揺を悟られないように懸命に繕いながら、答えた。
「確かに疎まれてはいるかもしれない。四半妖獣にある程度の協調性があって、一致団結して人間を滅ぼそうとしているなら……けど、それも違うはず。四半妖獣の協調性はあまりないことも分かってる。あなたも偶谷くんを殺すつもりこそなくても、守るつもりもないはず」
「……そうか。さすが遼賀の娘だけある。多少の嘘は通用しないというわけか」
覆面の四半妖獣が少しだけ、手に力を込めた。それを合図に私がしゃがみ、ワンテンポ遅れて銃弾が発射される。
「あいにく俺にとっても、退妖獣使が邪魔なことに変わりはない。ここでお前を倒す。それだけでも、大きな抑止力になるのは間違いないだろう」
「そっちこそ。まずはその覆面を剥がす」
覆面は顔全体を覆っていて、目と鼻の場所に辛うじて小さな穴が開いている程度だった。その状態で、向こうは私の動きが見えているらしい。短刀を両手に持ち接近して斬りかかるのを、全て余裕のある動きでかわしていた。逆に向こうが斬りかかれば私は受け止めて流すので精一杯で、激しく体力を消耗させられた。
「俺に偶谷を殺すつもりはない……それは俺にも、偶谷の気持ちが分かるからだ」
「気持ちが分かる……?」
「俺には人間が喰えない……正確には、喰えなくなった、というべきか」
「それって……」
話を聞いて油断を生んでしまった私に、的確な攻撃が叩き込まれる。脇腹を突かれる寸前で防ぎきった。背中を冷たいものが流れる。
「お前には心当たりがあるはずだ。習獅野家、というな」
香凛からその話は聞いていた。今習獅野家の当主を務めている比奈乃やその妹の沙矢乃は、昔と違って人間を食べないことを。歴史的な背景を考えても不利になっていく一方であり、いずれは滅んでしまうだろう四半妖獣の味方をするのが馬鹿らしくなった、だから退妖獣使側である香凛と協力している、という話。
「現代の四半妖獣にとって、人間を喰う頻度そのものを減らすことは、非常に有効な手段だ……自分たちが少しでも長く、生き残るためにはな。喰うところを見られるリスクが減る。それに、自分から喰った人間の体臭がしなくなる」
「だから人間を食べるのをやめたというの?」
「習獅野が言うような理由もある……だがそれほどに割り切って考えるには、四半妖獣の歴史はあまりにも重すぎる」
一段と力を込めて短刀を振りかぶる。ほんの一瞬、少しだけ覆面の四半妖獣が怯んだのが分かった。そのわずかな隙間に、短刀の軌道をねじ込む。
「ぐっ……」
それでも脇腹に少し傷を入れた程度だった。改めて覆面の四半妖獣が戦い慣れしていることを認識させられた。
「途中で人間を喰うのをやめた四半妖獣には、大きな迷いがある……自らの選択が、本当に正しかったのかどうか、そのことを何度も振り返っては頭を抱える。そしてどれほど悩もうと、四半妖獣と退妖獣使の両方を裏切っていることに、変わりはない」
「あなたがその、人間を食べるのをやめた四半妖獣だと?」
「そうだ……人間を喰わなくて済む四半妖獣の存在を、どれだけ羨んだことか……! たとえ迫害を受け続ける境遇なのだとしても、人間を喰ったことがあるのかないのかでは、大きく違う! 俺にはその苦悩がある。……偶谷には、ない」
乱れた斬撃が私の方へ飛ぶ。不規則なそれらを全て受け止め切るのは不可能で、私の肩に傷が入った。鋭いその痛みに、私は無意識のうちに歯を食いしばった。
「偶谷くんを連れ去ったとして、どうするつもり?」
「偶谷の狩気能は危険だ……四半妖獣にとってだけではない。退妖獣使にとっても、いずれ身を滅ぼすことになる。その狩気能を奪って、偶谷を無害な四半妖獣にする」
「退妖獣使にとっても危険な、狩気能……」
「お前たちは何度も経験しているはずだ。あの狩気能……反鏡化の影響を受けて、死の淵をさまよった。お前はまだ段階的だ。やがて脳内の情報が溢れて、神経が破壊されて死に至る。だが花宮の方はどうだ? 呼吸困難は即座に死に至りうるものだ。それだけの副作用を周りに及ぼしておきながら、まだ偶谷のことをかばうか?」
「それは……確かにそうかもしれない。でも、その副作用を解決しながら、四半妖獣の撲滅を目指す道は、ある」
「狩気能はそれほど甘いものではない」
「……!!」
覆面の四半妖獣がそう断言した。機械を通したようなその軋んだ声でも、悲壮感がわずかに混じっている感じがした。
「狩気能は妖獣にとっての存在意義だ。そう言われるほど、妖獣にとっては重要な役割を果たす。それを何とか使えるようになった程度の妖獣に、狩気能を都合よく改変することなど不可能だ」
「改変じゃなくてもいい。狩気能が私たちにそうそう変えられないものなことくらい分かってる。けど、その効果を抑える方法なら、」
「ない。こと、偶谷の狩気能に関してはな」
なぜそう断言できるのか。この覆面の四半妖獣に初めて会った時もそうだった。どうしてつい先日発現したばかりの偶谷くんの狩気能について、こんなにも知っているのか。
「俺がどうしてここまで、偶谷の狩気能に詳しいのか、と言いたいか?」
「……!」
「それは俺が自分から動いているわけではないからだ。俺は偶谷の連行を、偶谷の父親の指示で行っている」
目の前が暗くなり、私はよろめいて数歩、後ろへ下がってしまった。それほどに意外な言葉だった。




