VI-08.偶谷兄妹
「……翠条さん」
バイトからの帰り道。とりあえず駅までは送っていこうと私は決めて、翠条さんと一緒に駅前の商店街を突き抜ける道を歩いていた。翠条さんにはかばんだけ渡して、店を出て少し歩いた段階で、例のノートを翠条さんに見せた。
「それは……!」
「別に責めるつもりとか、そういうのじゃないんだけど……もしかしたらって思ったから、話を聞きたくて」
「……たぶん、予想通りだよ」
私は意外にすんなりと翠条さんが話をしてくれたことに驚いた。
翠条さんは一通り、小さい頃の話をしてくれた。人間を食糧にしない四半妖獣たちが形成した集落がいくつかあって、翠条さんもそんな集落のうちの一つで育ったこと。ある時集落が退妖獣使に襲撃されて、命からがら逃げ出して生き延びたこと。受け入れてくれた老夫婦に全国を転々としつつ理解のある退妖獣使を探すように言われて、何度か引越しをした後私たちに出会った、ということ。翠条真織、と名乗る前は、偶谷心乃、という名前だったという話も聞いた。当時の集落の生き残りだということが誰にも分からないように名前を変えて、翠条さん自身も特にもとの名前を意識するような機会はなかったらしい。
「名前を変えたのもみんなで言う小学三年生とか四年生とかだし、そこまで未練があるとかじゃない。私はこれから翠条真織、っていう名前で生きていくんだ、くらいには思ったけど」
「偶谷くんに前会ったでしょ? あの時は?」
「名前を聞いた時は、ちょっと引っかかるくらいだったの。けど、たまや、っていう苗字がどう書くのか聞いた時に、確信した。小さい頃の話だからはっきりとは覚えてないけど、私とお父さん、お母さんの他に、もう一人いたことも、なんとなく記憶にあって。だからあの人がきっと、私のお兄さんなんだろうな、って」
「ちょっと待って」
さすがに引っかかりを覚えて、私は聞き返した。
「そのお父さんとお母さんっていうのは、本当の……実の親、よね?」
「だと思う。でなきゃ、四半妖獣からも退妖獣使からも迫害される特殊な四半妖獣なんて、育てようとは思わないだろうし」
翠条さんの言葉には少し自虐が入っていた。確かに人間を食べない四半妖獣、という特殊な境遇は、皮肉にも実の親に育てられた、ということを示しているようだった。
「それって偶谷くんはまだ小さい頃に孤児として捨てたも同然のことをしたのに、翠条さんは普通に育てた……ってことになるんじゃ」
「孤児、だったの?」
「香凛からその話を聞いた。孤児が集まる施設で育った後、里親を転々としてた、って」
「……私はあの襲撃がなければ、ずっとお父さんとお母さんと、一緒にいれたと思う」
話しているうちに、駅の改札前まで着いた。翠条さんの乗る方向の電車が近付いていたので、私に軽く別れのあいさつをした後、翠条さんは走って改札を抜けていった。
「翠条さんが普通に育てられたってことは、別に子どもを捨てるような親じゃない……偶谷くんに、そうするしかなかった理由があったのかな……」
これまで偶谷くんを殺そうとして近付いてきた四半妖獣たちは、偶谷くんについて私たちの知らない何かを知っているらしかった。しかし今生きているのは、あの覆面の四半妖獣だけ。あとの二人は情報を聞き出す前に、死んでしまった。
「あの四半妖獣の行方を、探らないと」
私はその問題を頭の中で再認識してから、お店に戻るべく来た道を戻り始めた。
* * *
「……じゃあ分かった、姉ちゃん。姉ちゃんが今度四半妖獣の討伐に行く時に、一緒に連れて行ってくれ」
「連れて行ってくれって、遊びじゃないんだけど」
「遊びじゃない。オレだって高校生になったら、退妖獣使になるつもりでいるんだよ。見学くらいさせてくれたっていいだろ」
実は今わざわざ見学しなくても、退妖獣使になろうとする者は一年前からどういう風に仕事をするのか、というのを嫌というほど見学させられる。私はもともと遼賀家も含めて弟に任せるつもりで、退妖獣使になるつもりはなかったので準備も遅れてしまったが、璃浦なら退妖獣使に実際になる頃には、慣れた光景になってしまうだろう。
「……分かった。ついてきてもいいけど、血が飛び散ってきても知らないからね」
「血が飛んでくるくらいでビビるかよ」
「あと、弱音は吐かないこと。私だけじゃ面倒見れないかもしれないから、草壁先輩を呼ぶ。もし何か文句言うなら、草壁先輩に連れて帰ってもらうから」
さすがにそこまで制限をつけられるとは思わなかったのか、璃浦は少し考える様子を見せた。しかし少し考えただけで璃浦は顔を上げて、返事をした。
「いいよ。それでもいい」
翠条さんの話を聞いてから数日後、私はいつもの四半妖獣退治の仕事に璃浦を連れて行くことになった。
* * *
「香凛!」
「おっけー!」
当日、私と香凛は一度喫茶店の前で草壁先輩と落ち合ってから、璃浦の面倒を見てもらうよう頼んだ。それから退妖獣使の仕事をする時の白装束に換装して、香凛の翼を背中に潜り込ませた。
「できる限り璃浦君の安全を最優先に考えるが、もし捌き切れない時はすぐに私に言ってくれ。璃浦君を安全な場所に誘導した上で、私も参加する」
いつもは前線で活躍する草壁先輩だが、今回だけは無理を言って裏方に回ってもらうことになった。とはいえ、漏れが出れば草壁先輩にすぐに処理してもらうことになっている。先日大量の妖獣を討伐した、という話を香凛から聞いていたので、今日はそれほどの数にはならないだろう、と判断して、璃浦を連れてきたということになる。
「警察の統計が正しければいいんだけど」
「正しければって、もし正しくなくてもそれは私たちの責任でしょ。報告数から統計をとってるんだから」
実際は退妖獣使からの報告をもとに統計を作った後、回収した遺体の数で確認をとる形になっている。もしお金の欲しさに数を多めに報告した退妖獣使がいても、確認した時点で不正がばれて、その人に罰則が科されるという仕組みだ。
「今のところ行方不明はいないみたいだけど、出てくる可能性もゼロじゃないからさ。まあ数がごっそり減っちゃうほどの行方不明なんて、そうそう出ないとは思うけど……おっと、来たね」
香凛の声が急にぴりぴりしたものに変わった。四半妖獣の出現を感知した合図だ。そこからはいつものように、香凛がおおよその方向を指示する。
「南東方向、二キロ。まだギリギリ市街地には入ってないかな」
「分かった。行くよ」
私は草壁先輩の方をもう一度向いて軽く会釈した後、香凛の指示した方向に向かって飛んだ。少し時間はかかるが、それでも地面を走るよりはだいぶ早い。
「さすがかおるん。草壁先輩のことなんてほったらかしだね」
「あ……」
標的の場所に着くのを最優先して、草壁先輩と璃浦が後を追ってくるというのを完全に失念していた。私たちを見失ってはいないか、少し心配になった。
「ま、大丈夫だとは思うけどね。それより早く行かないと。たぶんこれから増えてくるよ」
四半妖獣は長い間人間を食糧にして生き延びてきただけあって、人気の少ない路地で待ち伏せて襲撃すればいい、ということを分かっている。そして、最近はそれだけではあっさり退妖獣使に殺されてしまうということも。暗い路地で待ち伏せする場合は、群れをなして襲いかかる傾向がある。増えてくるというのは、そういうことだ。
「……大丈夫ですか、草壁先輩」
私は念のために、電話で確認をとった。
「大丈夫だ、遼賀の姿は見失ってない。私に構わず、目的地に向かってもらっていい」
頼もしい言葉だ。退妖獣使たちだけでなく、学校のみんなにも慕われているだけある。
私はその言葉を聞いてから電話を切って、再び飛び始めた。
「もうすぐ着くね。短刀の準備はできてる?」
「もちろん」
香凛が私に最終確認をした。
「……あれ」
しかし香凛が突然、口をつぐんでしまった。いつもならあいよ、とかおっけーとか、気が抜けているような抜けていないような返事を返してくれるのだが、こちらが不安になるような物言いをして、それっきり黙ってしまった。
「どうしたの」
「反応が消えた……あれも、これも。わたしが感知してた四半妖獣の反応が、全部消えたの」
「消えた?」
普通は一度出た反応が消えるなどということは、倒してしまわない限りありえない。かといって妖獣の存在を感じ取るのは香凛の狩気能ではなく、いわば本能に近いものなので、体調に左右されることもないはず。
「他の退妖獣使が先にやった、ってことじゃなくて?」
私にはその可能性しか考えられなかった。もちろん先回りされたことも何度かある。だがその場合でも、消えた、などと香凛が言ったことはなかった。そう言うからには、特別だったのだろう。
「違う、はず。他の人が倒したら反応がすっ、と消える感じがあるんだけど、今のは突然消えた感じだった。何の前触れもなく、弾けるような感じ」
おかしいな、と香凛は続けて独りごちた。私が香凛の感覚を共有することはできないので、私にはただ話を聞くことしかできなかった。
そうこうしているうちに目的地だった場所に着いて、私は地面に降り立った。
「いない……」
確かにそこにはすでに、四半妖獣らしき獣の姿はなかった。しかし倒した後に当然出るはずの、血痕もそこにはなかった。
「……お、遼賀だ。花宮も」
代わりにいたのは、偶谷くんだった。香凛の家に居候しているはずなのに、預かっている香凛が一番驚いていた。
「ここにいた、四半妖獣は……」
「俺が倒した」
「……!?」
「ほら、あの狩気能を使って。俺もようやく、人の役に立ててる」
偶谷くんの指差す方には、何もない。よほどのことがあったのか、獣型の四半妖獣が偶谷くんと距離を置いて、こちらの様子をうかがっていた。




