VI-03.謎の狩気能
「どうして……」
私は無意識のうちに、そうつぶやいていた。虎野の仲間なのだろうその男が、私たちの目の前で虎野を殺してみせたことが、純粋に疑問だった。
「どうして? ろくな理由などない。邪魔だったから、それに尽きる」
そう返すと男は再び懐を探って、今度は鈴を取り出して軽く振った。虎野の遺体はそれによって流れ出た血とともに消えた。
男がそれを持っていることもおかしかった。妖獣の遺体を簡易的に処理するその鈴は、退妖獣使しか持ちえないものだ。黒い装束を着た四半妖獣であるその男が持っているのはおかしいはずだった。
「偶谷」
男は偶谷くんの名前を呼んだ。目の前にいるこの男が一体どこまで知っているのか、私はいよいよ分からなくなった。
「……何だ」
偶谷くんはいたって落ち着いた様子で返事をした。さっきまで戸惑っていたのが嘘のようだった。
「お前のそれは狩気能だ……だが使い方に気を付けろ。そこにいる二人が苦しんでいたのも、お前の狩気能の影響だ」
「俺の、狩気能……」
「お前はおそらく、狩気能がないと教わっていたはずだ。あるいは、ないということさえ知らなかったか。だがそれは間違いだ。狩気能を持たない妖獣は、存在しない」
「俺も、狩気能があったのか」
「反鏡化――それがお前の狩気能の名前だ。反り返る鏡と書く。どういう効果かは、自ずと分かるだろう」
「反鏡化……」
「虎野が」
男はそこまで言って、少しその先を言い切るのをためらうような様子を見せた。しかし少しうなだれた首を持ち上げた後、男は言葉を続けた。
「虎野が、すまなかったな」
「すまなかった……?」
「俺は虎野を止められる立場にあった。だが止めなかった。……止められなかった、と言う方が正しいのか」
「お前、虎野とどういう関係なんだ」
「虎野はもとからお前を殺す気でいた。そのためにわざわざ、あの高校を選んだ。俺は虎野の計画を止めるために、あえて虎野に接近した。しかし、上手くはいかなかった。虎野に勘付かれて服従させられる方が先だった」
「服従……?」
「虎野の狩気能は誘惑化、だ。虎野の狩気能の力が伝播した奴は全員、虎野に服従を強いられる。少なくとも、敵意を向けることはできなくなる。お前たちが地面に叩きつけられて攻撃を繰り出せなかったのも、そういう理由だ」
私はそれでようやく納得がいった。どれだけ腕を振り上げようとしても、全く言うことを聞いてくれなかった。それは並外れた狩気能のせいだったのだ。同時に、私は狩気能で負けたことを悟らざるを得なかった。
「じゃ、……じゃあなんで、俺は動けたんだよ。それどころか、虎野に殴りかかることもできたし」
偶谷くんが疑問を男に投げかけた。実際は殴りかかってはいなかったが、殴ろうと思えば殴れた、という意味だろう。
「それこそがお前の狩気能だ。お前の狩気能がどんなものなのか、説明すべきか?」
「……」
偶谷くんが黙ったまま男の方を見た。説明してくれ、という態度だった。男はその意図を感じ取ったか、ふっ、と少しため息に似た息を吐いて、相変わらずの歪んだ声で話し始めた。
「反鏡化は、文字通り自分に向けられた狩気能を跳ね返し、逆の効果を相手に及ぼす。鏡が自分の姿を映し出すように、向けられた狩気能をそのまま相手に適用させる。人を服従させる狩気能を持つ虎野は自身の狩気能をまともに浴びて、精神崩壊を起こしたと考えていい。人間や妖獣の持つ五感を視覚の一つに絞り、その精度を大幅に上げる狩気能を持つ遼賀は、狩気能が跳ね返されて逆に五感全てが極端に鋭敏になり、あまりの情報量に脳がパンクした。周囲の者たちと変わらない生活を送るため、効率よく酸素を体に供給し呼吸が楽にできるようにする狩気能を持つ花宮は、反射を受けて呼吸困難に陥った」
先ほどまでの私たちの様子を、全て見ていたらしかった。見ていなければ、ここまで詳しく言うことはできなかっただろう。
「そんな狩気能が……」
私は気が付けばそう言っていた。私の持っている狩気能でも十分強い、退妖獣使の中ではすごい方に近いと言われているのに、それをはるかに超えるような威力だということは、聞いているだけでも十分分かった。
「虎野はそのことを知らなかっただろうな。頭をやられる直前まで、偶谷に狩気能が発動することなど想定していなかった。それは虎野の勝ち誇ったような態度から明らかだ」
「じゃあなぜ……あなたは知ってるの」
私が男に問うと、フン、と鼻で笑うようにしてから、私の方を向いた。
「世の中には広く知られている狩気能と、そうでない狩気能がある。そういうことだ」
「今存在する狩気能を全て覚えている人なんていない。妖獣の研究者でもほとんどいないはず。なのにどうして、あなたが知ってるの」
「俺が知っていれば不都合か?」
「……!!」
不都合などない。しかし目の前にいる素性の分からない四半妖獣がどういう経緯で反鏡化、などという特殊な狩気能を知ったのか、それを単純に知りたかった。しかし私が改めて理由を教えてくれ、と言う前に、その人は私たちの前から姿をくらませようとした。
「待て」
「待て? 待って何をしろと?」
「どこへ行くつもりだ」
「どこへ行こうが関係ない。それに、まだ俺はお前たちに殺されるわけにはいかない」
呆然としてしまう私たちの横を、男は通り過ぎた。
「幸い、お前たちが明確に敵と認識した虎野の処理は終わった。四半妖獣にとっても、これで流れは変わったはずだ。……ああ、そうか」
男は歩みを止めて、最後に、とばかりに付け加えた。
「一つ言っておこう。虎野の狩気能の影響をまともに受けて操られていた連中は案外に多い。偶谷、お前を含めてな。お前に敵意を向けていた者は全員、虎野の差し金だったと思っていい」
「虎野の、差し金……」
偶谷くんの言葉には答えず、男は姿を消してしまった。代わりに残されたのは、虎野が倒れていたスペース。すでにこの世にはいなくなってしまった四半妖獣、それからどこか重要なことを避けるように情報提供して姿を消してしまった、覆面の四半妖獣のことを、私は静かに思った。
「あれは、一体……」




