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妖獣怪奇譚~争われしアヤカシの血~  作者: 奈良ひさぎ
五幕 翠条 真織(すいじょう しおり)
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V-12.それは、あるアルバイトの日

 六月上旬。

 まだ梅雨入りも宣言されていない時期から、今年は雨が降っていました。それも生易しいものじゃなくて、容赦のない、土砂降りの雨です。ちょうど地理の授業で習ったばかりのスコールみたいな感じかな、と思うほどでした。

 梅雨の時期は延々降り続ける雨もそうですが、気持ち悪いじめじめも特徴の一つ。そのせいで梅雨は嫌われ者なんじゃないかと思います。私もあまり好きではありません。というのも、あまりの湿度にケルたちの方が先にやられてしまうのです。特にルベロは湿度の変化に敏感で、すぐ毛がしんなりしてしまって不機嫌になるのです。日によってはケルやロスに当たる時もあって、三匹全員の機嫌を取るのが本当に大変な時期です。


「じゃあ、行ってくるね。ルベロ、ケンカしちゃダメだからね?」


 この梅雨の時期はこうやって毎日のように、ルベロに念を押してやらなければいけません。一度少し寝過ごしてしまって、言い忘れたまま急いで家を出た時に帰ってきてみたら家中荒らされた後みたいになっていた、ということがあったので、それ以来忘れずに言うようにしています。ルベロにそうやって注意すると、ケルやロスも大人しくなってくれるのでそこは助かっています。

 ルベロはわん、と一鳴き。朝はまだ機嫌が悪くないのでいい返事をしてくれますが、日中のむしむしした空気の中でいるとどうなることか。

 外に出るとこの時期にしては珍しく、青空が見え隠れしていました。さすがに快晴というわけにはいきませんが、この分なら雨が降っても大丈夫そうだ、と私は思いました。私は大きな傘を持っていくのをやめて、いつもカバンの中に入れている折りたたみ傘だけ持っていくことにしました。



* * *



「あちゃー」


 その予想はあっさりと外れてしまいました。お昼を過ぎたくらいから急に教室の窓の外が暗くなりだし、かと思うとすぐに雨の降る音がし始めました。教室の窓を閉めていても聞こえるほどの雨の量で、朝にわざわざ空の様子を確かめて、大きな傘を置いてきてしまったことを私は一瞬で後悔しました。

 えー、今日傘持ってきてないんだけどー、とか、部活終わるまでには止むかなあ、とがやがやする教室で、花宮さんがちょうど空いていた私の前の席に座ってきました。


「今日は降らないと思ったんだけどなー、降っちゃったね」


 私に向かって愚痴る花宮さんの隣に、すすっ、と遼賀さんも座りました。ちょうど衣替えの時期で、私はまだ長袖のブラウスを着ていましたが、二人は半袖を着ていました。私ほどではありませんが二人の白い腕が目の前に見えました。


「香凛は傘、持ってきてないの」

「これで持ってきてたら別に愚痴らないよ。そういうかおるんは?」

「忘れてきた。今日はちょっと寝坊して、お父さんと璃浦の分のお弁当作るので手一杯だったから」


 遼賀さんは自分の分だけでなく、合わせて三人分のお弁当を毎朝作っているらしいです。時々花宮さんの家にお泊まりして、お弁当を作らないこともあるそうですが、それでもほとんど日課になっているらしいです。


「今日は? 翠条さん確か、バイトだったと思うんだけど」

「うん。遼賀さんと一緒」

「じゃあもう直接バイト行った方がいっか。香凛も持ってないんだったら、しばらく雨宿りしていっても特に何も言われないだろうし」


 普通のファミリーレストランとかカフェだと回転も悪くなるのでやんわり出ていってくれと言われるでしょうが、そこは個人経営の喫茶店です。しかも遼賀さんのおじいさんが店主ということもあって、私たちにとって休憩所にもなっていました。


「いいね。そうしよっか。一応じいやに迎えに来てもらえないか言ってみるけど、たぶんこの雨じゃ無理だろうしね」


 今日に限った話ではありません。うちの学校には敷地があまりないらしく、そのせいで駐車場がないそうです。雨の日になると校門前がお迎えの車でいっぱいになるのは見たことがあります。

 帰る頃には雨はさらにひどくなっていて、私たちはびしょびしょになるのを覚悟して、全力で遼賀さんの喫茶店目がけて走りました。



* * *



 結局喫茶店に行ってみると、どうやらひどい雨のせいで常連さんも来ないらしく、遼賀さんと二人で掃除をすることになりました。


「雨、止まないね」

「確かに……」


 アルバイトが終わっても雨がひどければ、花宮さんの家の使用人さんが迎えに来てくださるということでしたが、本当にそうしてもらわないといけなさそうな天気でした。こんなに雨が降るなら、朝だけ晴れ間を見せるなんてしてくれなくていいのに。私はそう思っていました。

 掃除を始めてもお客さんが来ることはなかったので、いよいよ掃除が終わったら今日は終わりにしようか、という流れになりました。どこかのチェーン店だと、こうはいかなかったと思います。


「翠条さんは、コーヒーは飲めるのかい」

「すみません、苦手で。喫茶店で働いてるのに……」


 掃除が終わったら、遼賀さんのおじいさんが気を遣って、そう言ってくださいました。でもそれはやんわりと断るしかありませんでした。家にいる三匹がコーヒーの匂いを嫌うのもありますが、何より単純に、私が苦いものが苦手というのが大きいです。


「いや、構わないよ。薫瑠もコーヒーが苦手だから、少し聞いてみただけだ。昔の薫瑠といえば、目の前にコーヒーが出されただけで泣き出していたものだが」

「おじいちゃん!」


 遼賀さんが慌てておじいさんの口止めをしようとしましたが、むしろそれを面白がるかのようにおじいさんは話を続けました。


「泣いていたんですか……?」

「今でこそ平気だが、退妖獣使をやりたいと言ってきたから、ここでアルバイトもしてもらうぞと言ってやったらすぐ目が泳いだくらいだからな」

「変な嘘つくのやめて!」


 遼賀さんが珍しく顔を赤くして叫んでいました。その横で花宮さんがお腹を押さえてひいひい言いつつ、必死に笑いをこらえているのが見えました。花宮さんはどうやら知っていたみたいですが、相当知られたくなかったことらしいです。


「……とまあ、さすがにこれは嘘だが、コーヒーは得てして苦いものだ、最初から飲める人も少ないだろう。無理はしなくていいよ」


 花宮さんはコーヒーで、私と遼賀さんの分はコーヒーの代わりにオレンジジュースを用意してもらいました。


「……最近はだいぶ慣れて、匂いだけなら全然大丈夫になったんだけど」


 平気そうな顔をしてブラックコーヒーを飲む花宮さんを横目でチラチラ見つつ、遼賀さんが私にそう言いました。てっきり花宮さんもコーヒーが飲めると言いつつ、まさかブラックではないだろうと私は高をくくっていたのですが、そのまさかでした。


「翠条さんはどうする?」


 掃除は終わったのですが、せっかくだから三人分のパフェも作ろう、ということで、遼賀さんが作ってくれていました。


「いつもので大丈夫。ありがとう」


 遼賀さんはトッピングをどうするか聞いてくれたようです。何度かお客さんにパフェを運んだこともあって中身は知っていました。特に嫌いなフルーツもないし、足したいと思うものもなかったので、私はそう言いました。


「えー、もったいない」

「香凛は問答無用で普通のです」

「嘘でしょ!?」


 花宮さんはどうやら、元からいちごをたくさん乗せてもらうつもりでいたようです。花宮さんもあまり本気で怒っていないあたり、いつものことなのかな、と私は思いました。


「香凛は特に何も手伝ってないでしょ。パフェが食べれるだけでもぜいたくです」

「えー、そんなことないってー」


 そこまで話した時でした。遼賀さんが何かに気付いたように、おじいさんと目を合わせました。それから遼賀さんはおじいさんに少し声をかけてから、店の奥の方へ行ってしまいました。


「遼賀さん、どうしたんだろう」


 作りかけのパフェはおじいさんが続きを作ってくださって、私と花宮さんの前にパフェが運ばれてきました。せっかくだから花宮さんと一緒に食べようと、私は花宮さんの隣に座りました。お店の中にはいくつかソファが備え付けてあるテーブル席があるのですが、その中でも厨房に近い、でも厨房からは死角になった場所でした。


「さあ、忘れ物でも取りに行ったんじゃない?」

「でもパフェも作りかけだったし……」


 私が隣に座っても、花宮さんはあれだけ愚痴っていたパフェに手をつけず、ずっとスマートフォンをいじっていました。そんなに夢中になることでもあるのかと、私はつい出来心でのぞいてしまいました。


『ひなのん』


 真剣な表情で花宮さんが見ていたのは、誰しもが使っているようなメッセージアプリのトーク画面でした。相手は、どうやらひなのんさんのようでした。


「……え?」

「やだなあ、人のケータイなんてのぞいちゃダメだよ~」


 私が一瞬覗き込んだことに気付いたらしく、花宮さんが私の肩にそっと手を乗せました。それから、私の耳に口を近付けて、ささやくように言いました。


「それ以上は言わないで」

「……!!」

「ひなのんとつながってることは、できればしおりんにも知られてほしくなかったんだけど、もう仕方ない。仕方ないにしても、広めはしないで。いい?」

「……分かった」


 花宮さんの口ぶりは、いつにも増して真剣でした。そう言われてしまった以上深掘りして聞くわけにもいかず、私は目の前のパフェに手をつけるしかありませんでした。

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