V-11.帰り道で
「送ってくよ」
少ししてさやのちゃんが、私の着ていた服を持ってきてくれました。さやのちゃんが持つと子供服くらい小さく見えますが、これでも私が着ると案外ぴったりのものです。今着てるのも返してくれなくていいよ、とさやのちゃんが続けて言いました。
「送ってくって、……」
「大丈夫」
さやのちゃんはそう言ったかと思うと、さっとその場で回転してみせました。するとたちまちさやのちゃんの背丈から肉付き、顔つきまで変わって、全くの別人になってしまいました。
「……!!」
「狩気能を使えばこうやって、外見だけなら男にもなれるから。あまり筋骨隆々ってほどでもないけど、ひ弱そうにも見えないから、実質女二人でも大丈夫」
さやのちゃんは声もちゃっかり野太くなっていました。習獅野家の人は狩気能が何でもありのようです。
「行こっか」
ああ、送ってくれるのか。頼む。
とだけひなのんさんに言われて、私はさやのちゃんと一緒に家を出ました。出てきた家を見ると、見たことこそありませんでしたが、典型的なお屋敷の姿がそこにありました。
「でっかい家でしょ。ここに住んでるのあたしと姉さんの二人だけだからね」
「ここに二人で?」
「昔は使用人とかもいたみたいだけど。今はそういうの雇う方が面倒だって、姉さんが」
「ひなのんさんは何でも言うんだね」
「基本的に表向きの当主は姉さんだから。家のことをとやかく言う権利は基本的に姉さんの方にあるし。あたしはそれを聞いて実行するかしないか判断する役どころ、ってとこかな」
本当はこんなでかい家じゃなくてもいいだろ、って姉さんは反対してたんだけどね、とさやのちゃんは付け加えました。確かに私が寝ていた部屋はベッドが置いてある以外は特に何もなく、普段は使われていないことが明らかでした。部屋を持て余していることからしても、二人にはこの家は大きすぎたのかもしれません。
「ああ、そうだ。連絡先、交換しとこうか」
最寄駅まで歩く途中、さやのちゃんの方からそう提案がありました。
「一応姉さんの分も渡しとくけど、姉さん怖いでしょ?」
「……まあ」
口が裂けても本人には言えないですが、いきなりひなのんさんに電話をかけるのはためらわれました。
「だから何かあったらまずあたしにかけて。しおりさんの方がもともと四半妖獣だし、あたしや姉さんがかばってるところがバレても特に問題にならないと思う。花宮さんはバレた時いまだにどうやってごまかすのか、姉さん考えてないみたいだけどね」
「分かった」
私のスマホに、ひなのんさんとさやのちゃんの二人分、連絡先が登録されました。これから先何かあった時に花宮さんや遼賀さんより先に連絡することはなさそうな気もしますが、連絡先を持っていないよりは持っていた方がいい気もしました。
「駅まで?」
「そう。最寄りは申ヶ岩なんだけど」
「んじゃそんなに遠くないんだ。そこからは?」
「歩いてすぐのマンション。花宮さんがオーナーのところで」
「ああ、あそこか。結構近いね」
「駅から近い方が防犯上もいいかなって思って。終電が行っちゃうまで明るいのがちょっと気にはなるんだけど」
カーテンを閉めてしまえばなんてことはないといえばそうなのですが、それを抜きにしても電車がやって来る音は気になります。それでも、今日のようなことが起こる確率が低いことを考えれば、今のマンションを選んでよかったと私は思っています。
駅に着くとちょうど電車が滑り込んできたところでした。終電の方が近いその電車に乗って、申ヶ岩駅の改札を出たところで私とさやのちゃんは別れることになりました。
「ここまで来ればもう大丈夫でしょ。気を付けなよ」
「うん」
夜道を一人で歩くなと言われても、自分は大丈夫だから、と油断してしまいがち。
そんなことをテレビでやっていたのを思い出しました。全くその通りです。これからはアルバイト終わりは遼賀さんと一緒に帰ろう、と私は決めました。
マンションは本当に駅の改札からすぐ近くで、何なら連絡通路を作ってもよかったんじゃないか、と思ってしまうほどの距離です。さすがに駅は鉄道会社のもので、このマンションは花宮さんのものなので、そういうわけにはいかないことは分かっていますが。
時間を見るともう十時を回っていて、今日はお風呂に入って寝ようかな、と考えました。が、ケルたち三匹のご飯がまだなことも思い出して、どうしようかと思いつつ、入口のオートロックのドアを開けました。
「あれ……?」
郵便物は明日の朝にでもまとめて確かめようかな、と思って、開いた自動ドアのすぐ正面にあるエレベーターに乗り込もうとしたところで、私は目の前にいる人が見知った人だということに気付きました。私とほとんど同時に帰ってきたその人がいることは知っていましたが、普段と同じでその人が誰かということまでは、気にしていませんでした。
「植川さん? こんなに遅い時間に……」
本当はこんな遅い時間に帰ってくる中学生女子である私の方が不自然ですが、その時の私は珍しいな、と思っていました。植川さんは違う階の住人ですが、週に二度ゴミ出しの時に会ううちに、お互いいつもの人だと認識した関係です。このマンションから比較的近いところに通う大学生だということは知っていました。
「あれ、翠条さん?」
「お久しぶりです、植川さん。こんな時間にお帰りですか?」
「それはこっちのセリフなんだけどな。……そうそう。サークルの飲み会にお呼ばれされちゃってさ。明日も仕事があるから、何とか一次会で抜けてきたんだけど、それでもこの時間だよ」
私たちはエレベーターに乗る手前で立ち止まって話し始めてしまいました。
「お仕事、ですか?」
「そう。今四年生なんだけど、学校の先生になろうと思ってて。近くの高校に教育実習に行ってるんだ」
「先生ですか……すごいなあ」
私は昔から人前でしゃべるのが苦手で、先生になろうとは考えたこともありませんでした。今いるクラスでも、授業終わりのホームルームで毎日一人ずつ、題材は自由で短いスピーチをすることになっていて、私の番の時にはたじたじになって口ごもりながらしゃべってしまったのをよく覚えています。遼賀さんや花宮さんは特に苦とは思わないのか、滞る様子もなくしゃべっていました。うらやましいというよりも、そればかりは素直に感心するしかありませんでした。
「翠条さんこそ、こんな遅い時間まで何を?」
「えっと、少しいろいろありまして。……友達の家に行って勉強してたんですけど、晩ご飯を一緒に食べたりとかしてるうちに、こんな時間になっちゃって」
まさかアルバイト終わりに帰ろうとしたら薄暗いところで襲われそうになって、助けてもらった人の家でしばらく寝ていたとは言えませんでした。うまくごまかせたでしょうか。
「ああ、なるほど。勉強ご苦労様。それなら早く帰って、休んだほうがいいね」
「ありがとうございます」
私たちは一緒にエレベーターに乗って、それぞれの階のボタンを押しました。植川さんは五階、私は七階。特に何の変哲もない、防犯カメラが一台設置されているエレベーターはすぐに五階に着きました。
「それじゃ、お疲れ様」
「はい。植川さんも」
ドアが閉まって七階に着くまではすぐでした。もしかするとルベロあたりは私があまり帰ってこないのにふてくされて寝てしまっているかもしれないと思って、私は慎重に家のドアを開けました。




