V-10.退妖獣使の意味
ひなのんさんが部屋を出て行った後、私は体を起こして、ベッドから出てみました。ひなのんさんが私のことを助けてくれた時のことはもう、思い出したばかりのみのりとの記憶に隠れて薄れてしまっていましたが、私を襲おうとした男の人が目の前で死んだことは覚えていました。
「……あれ?」
それから、自分の服がすっかり変わってしまっていることに気付きました。元の服は、と探そうとした時、部屋のドアが開く音がしました。
「ん? 何か探してる?」
「……あ、あの。私の服が、どこに行ったのかと思って」
入ってきたのはひなのんさんに似た人でした。金髪とか金色の瞳はひなのんさんそのものでしたが、出す雰囲気がどこか親しみやすさを持っていて、そこがこっちが怒られているんじゃないか、と思ってしまうような雰囲気を出すひなのんさんと違うところでした。
「ああ、あれは。血まみれになってたから洗濯してるよ。さすがにこんなに臆病そうな子、血まみれのまま帰すわけにはいかないからって、姉さんが言ってた」
「姉さん?」
「あたしは習獅野沙矢乃。比奈乃の妹で、中学一年生。よろしくね」
「あ……一年生だったんだ」
あまりにフレンドリーだったので、一歳とはいえまさか年下だとは思いませんでした。
「そうそう、一年生。ムダに大きいからよく高校生に間違われるけどね。その替えの服もあたしの昔のだけど、それいつのかな。小五くらいの時のかも」
確かにさやのちゃんは、一年生にしては大きいなあ、という印象でした。さやのちゃんは今さっきまで私が寝ていたベッドに腰かけると、特に何でもないふうに話し始めました。
「姉さんから聞いた。集落の生き残りなんだって?」
「うん……そうなるのかな。人間を食べない四半妖獣が住む集落を、転々としてきたっていうか」
「しおりさんはさ、四半妖獣が日本の全人口の何パーセントを占めるか知ってる?」
「え……」
考えたことがありませんでした。四半妖獣は退妖獣使によってだいぶ討伐されてきた――人間を食べないのに、という人も含めてですが――とはいえ、それほど減ってはいないということは聞いていました。
「答えは一パーセント。日本の人口がだいたい一億人とすれば、百万人だね」
「百万人……」
「百万人、って聞けば、多いなって感じるでしょ? でも実際は全人口の一パーセントしかいない。その四半妖獣が全員、人間を食べるとしても、どう考えても人間を滅ぼすことはできない。でしょ?」
「確かに……」
「しかも四半妖獣の中でもしおりさんみたいに、人間を食べようとしない人もいる。四半妖獣の存在は全体から見れば、誤差くらいのものなんだよね」
百万人が誤差。
それは何かがおかしい言葉のような気がしましたが、さやのちゃんの説明がおかしいというわけではなさそうでした。
「妖獣が生まれたのは平安時代。その頃の妖獣たちは、人間を喰い尽くすことで必死だった。最初期の妖獣はアヤカシがとり憑いただけのただの人間だったから、まだアヤカシ本来の性質が残ってた。だからその時は人間を利用したり、滅ぼすことで覇権を取る、っていうのが主目的だったんだけど、だんだん世代が下になっていくに従って、妖獣たちがいかに人間社会の中で権威を得ていくか、それが大事になった。人間を喰うっていうのはあくまで妖獣が生きるために必要な手段でしかなくて、別に人間を滅ぼそうと思ってやるわけじゃなくなった。その結果、」
「妖獣そのものが衰退していった……」
「そう。いくら人を喰って汚い仕事やったって、本当に権力を握れるのは一部の人だけだからね。ほとんどの人は人間を喰えども喰えども権力なんてこれっぽっちも手に入らなくて、それどころか退妖獣使に目をつけられて殺される。そんなことを繰り返すうちに、妖獣の人口はどんどん減っていった」
「じゃあ、なぜ今も退妖獣使は活発に活動してるの? それって四半妖獣は、放っておいても減っていくってことなのに」
「エゴ」
さやのちゃんはにっ、と笑った後、短くそう言い切りました。あえて私がそう尋ねるように、誘導するように話したようでした。
「エゴ……」
「退妖獣使が警察のしもべになってまで四半妖獣の討伐をする理由。それは完全に人間のエゴだよ。さっきも言ったけど、四半妖獣は全人口の一パーセントしかいない。逆に言えば、退妖獣使と人間がほとんどを占める。でも少しでも自分たちの存在を脅かすような連中がいれば、まるでそれが人類の存在そのものを脅かすものみたいに声高に叫んで、退妖獣使に頼る。退妖獣使も人間から生活を援助してもらってる以上、それに反対するわけにはいかない。もはや退妖獣使はきれいな仕事じゃない。世俗にまみれた、そんじょそこらの仕事よりよっぽど汚れ仕事だよ」
それはまるで退妖獣使が大嫌いだ、というような言い方でした。でも、私は疑問に思いました。ひなのんさんは花宮さんとつながっているという話だったのに、どうしてそんなに退妖獣使のことを悪く言うのか。
「……っていうのが、これまでの習獅野家の方針だった」
「え?」
かと思うと、さやのちゃんの話にはまだ続きがありました。どうやら今は違うらしい、と私は思いながら、さやのちゃんの話を引き続き聞きました。
「あたしの父親の代までは、みんなそうやって教え込まれてた。四半妖獣最強の家として、四半妖獣の中でも最古参の家として、プライドがあったんだろうね。けどあたしも姉さんも、それに疑問を持った。どうせ退妖獣使がとんだ汚れ仕事だ、とか散々言ったって、四半妖獣が不利な状況なのは変わりやしないし。ならもういっそめんどくさいから、退妖獣使の仲間になってもいいかなって。特に姉さんが言い始めたことだけどね」
「それで、花宮さんと?」
「まあ相方の遼賀だったっけ、あそこの家はかなり真面目に退妖獣使やってるところだから。今時あれだけ真剣に退妖獣使っていう仕事に向き合ってる退妖獣使も珍しいと思うよ」
「確かに……遼賀さんはすごく真面目だな、って思った」
「たぶん遼賀じゃなかったら、何かといちゃもんつけられて殺されてたね。人間を喰おうが喰わまいが、四半妖獣を殺した時点で賞金ゲットだから」
「……」
さっきも思い出した、ひどい退妖獣使に出くわした時のことが再び頭をよぎりました。あれほどはっきりと四半妖獣がみんな悪で、狩られて当然の対象だと思っている退妖獣使は珍しいのだとばかり思っていましたが、どうやらそうでもないらしいのです。
「まあ、遼賀花宮は退妖獣使の中でも結構有名な方だし、その二人に認知されたのはよかったと思うよ。特に花宮に協力を仰げたっていうのは大きいと思う。最悪花宮の財力を利用して、素行の悪い退妖獣使をまとめて塀の向こうに送ることもできるだろうし」
退妖獣使は警察にも四半妖獣の討伐が認められているからいいものの、何も知らない人が見ればただの人殺しです。たぶんさやのちゃんは、それを全部犯罪にしてしまうこともできる、ということが言いたかったのだと思います。
「これから花宮も遼賀も、しおりさんみたいな人がちゃんといるんだってことを発信していくと思うから、安心していいと思うんだけど」
「うん……分かってもらえれば、いいね」
そう話したところで、さやのちゃんが部屋を出ていこうとしました。
「そろそろ服、乾いたんじゃないかな。持ってくるね」
私はさやのちゃんにそこまでさせるのが悪い気がして、自分で取りに行こうとしましたが、逆にさやのちゃんに止められてしまいました。




